相手に言いたいことが伝わらないときは、どうすればいいのか。トヨタ自動車の社員教育では、部下が「わからない」と言うときは上司側に問題があるとしている。
※本稿は、野地秩嘉『豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■技術よりも先に考えるべきことがある
トヨタの生産現場では自動車、モビリティをつくっている。
「クルマをつくっているのだから、作業者はクルマ自体を進化させるための技術のことを考えているだろうし、他の会社が真似のできない先進技術を追求しているに違いない。彼らは技術を見つめている。それがメーカーの開発者だ」
わたしはそう思い込んでいた。そういうものだと自然と考えていた。
しかし、そうではなかった。彼らはまず人間を考えて、それから技術を開発していた。彼らは運転する人、乗っている人を見つめて、考えることから始めていた。「人間を考える」ことから開発をスタートしていた。とはいえ人間を考えるとは哲学的な思索をするわけではない。
人が困っていることを解決するためのモビリティを開発するのが彼らの仕事だ。それが「人間を考える」ことなのである。
■始まりは、困りごとの解決だった
初期であれば「走る」「曲がる」「止まる」を追求することだった。人が歩くよりも、馬に乗るよりも、自動車があれば早く目的地へ行くことができる。遠くへ行くことができる。「早く行きたい、遠くへ行きたい」と困っていた人たちに対して基本性能を持つ自動車を出すことが解決策だった。また、自動車を持てば天候にかかわらず、目的地へ行くことができる。自動車会社の始まりは人が困っていることを解決することだった。
それが技術が進歩していくにしたがって、技術自体に目がいくようになってしまった。しかし、トヨタはどういう時代であれ、開発技術者は自然のうちにユーザーを見てクルマを考えている。
では、今、人間が困っていることとは何か。気候変動の原因といわれている二酸化炭素が増えることに人間は困っている。
次に困っているのが、タクシードライバーが足りないこと。そこで自動運転、無人運転の開発が進んでいる。さらに、交通渋滞にも困っている。渋滞がなくなればいいのだが、高速道路の上り坂の手前などで自然に発生する渋滞はなかなかなくならない。そこで、空飛ぶクルマが開発され、実用化に近づいている。他にもまだまだモビリティ関連で人間が困っていることはたくさんある。
■どんな業界でも開発者がやるべきことは同じ
「なるべくお金のかからないクルマに乗りたい」
EV車はガソリン車よりもエネルギー源に対するお金はかからない。それでEV車を選ぶ人がいる。
クルマの開発とは一部箇所の性能をアップするとか、コストを下げるだけを求めることではない。使う人間のことを知ろうと思わなければみんなが乗りたくなるクルマはできない。機械や技術の追求ではなく、「人間の困りごととは何か」を考えない限り、新しいモビリティは生まれない。
これはモビリティだけのことではない。半導体でもロケットでも、医薬品でも、開発者は誰もが使う人のことを考えなくてはならない。メーカーの開発者がやるべきことは新しい技術の追求ではなく、困りごとの解決だ。そして、困りごとを解決するために新しい技術がいる。
技術やライバル社を思い浮かべても人が必要とする技術は生まれない。
わたしはある企業が画期的な技術的マイルストーンを達成したことを知っている。これまでよりも格段に技術性能が上がったのだが、それがどういった人間の困りごとを解決しようとしているのか、今のところはまだ説明されていない。技術それ自体の進化だけを追求しても、人はそれを利用する方法がわからなければ使いようがない。機能だけがあって、直接の用途がない技術開発をしてもそれが世の中に出ていくことはない。
技術開発の大本は人間の困りごとを解決しようとする意志に他ならない。学園では人間について学ぶことを教えている。「知識や技術よりも人間力を高める」教育に力を入れている。
■ケンタッキー工場を見学したときのこと
わたしは10年以上、定期的にトヨタの生産現場へ出かけて行って、現場の変化を見ている。1時間近くも生産ラインのそばで見学していたこともある。作業者はやりづらいかなと思ったのは最初のうちだけだ。彼らは自分の仕事を考えながら自由に仕事をしている。「目の前の作業や設備のどこをカイゼンしようか」と考えながらやっているから、他人が見ていることなど気に留めていない。
これは海外のトヨタ工場ほど顕著だ。ケンタッキー工場でラインを見ていた時、目が合うと、サムアップしてくれた作業者がいた。わたしが見つめていたことなどまったく気にしていなかった。日本人の方が自意識過剰なのかもしれない。ケンタッキー工場の作業者はわたしがいたからといって精勤する真似をすることもなかった。時間が来たら、すぐに休憩に行った。他人の視線など気にせず、自分の仕事に集中していた。
ケンタッキー工場の上司はラインにいる部下に向かって叱責することもなかった。かといって、「素晴らしい」「やあ、いい仕事だ」なんて声をかけることもなかった。上司は様子を見守っていた。褒めることもなく、叱責することもなく、教えることもなく、じっと見守る。それがトヨタの現場教育だ。上司は働く部下をリスペクトし、評価する。だからといって現場で褒めたり持ち上げたりすることはない。
■褒めるだけでは成長が止まってしまう理由
わたしはそれと同じことを学園の指導員に訊ねてみた。
「学園では生徒に対して、褒めたり、叱責したりという指導をしているのですか?」
すると、次のような答えだった。
「褒めることはもちろんあります。褒めることは、その本人がしっかりと仕事をこなせていることの実感につながりますし、重要です。しかし、褒めるだけですと、その後どうカイゼンしていけばいいのかわからず、カイゼンが止まってしまう恐れがあります。
そこでカイゼンを続けるためには『見守る』ことが重要になってきます。そのため、弊社および学園では『褒める』、『見守る』。どちらも重視しております」
褒めるだけでは人間の成長は止まってしまう。褒めたら見守る。見守りながら褒めるのがトヨタ、学園の人づくりだ。
■不安定な状況をつくる
トヨタは変化する会社だ。なかでも生産現場はトヨタ生産方式が定着しているからつねにカイゼンして、変化させている。
学園も同じだ。時代に合わせて授業内容を変えている。ヤスリがけのような基本実技はそのままやっているが、今では組み立てのようなメカニカルな授業よりもむしろパソコンを使ったソフト開発、コードリーディングなどの授業を増やしている。クルマがモビリティに変わるのだから授業内容もまた従来と同じというわけにはいかない。
トヨタの現場では仕事のやり方を変える際に決まりごとがある。
それは状況を不安定にすること。
状況を不安定にするとムダがあぶりだされてくる。たとえば、10人で担当していた生産ラインからひとり抜いてみる。すると、半日ほどは残りの9人は大忙しの様相を呈するけれど、いつの間にか平然と仕事をするようになる。一度、不安定な状況をつくると、人間は考え始める。自然のうちにムダを省いて9人でできるようになる。
人間は自分からはなかなか変わろうとしない。変わるには外的な条件を与えて、その対処を促す。対処した行動がすなわち変化後の作業となる。
変化するには外から刺激を与えるしかない。教育、指導とは外からの刺激であり、教師が「自分から変われ」と言い放つのは無責任だ。変わる、新しい行動を促すには指導するしかない。学園やトヨタの現場では教員や上司が刺激という指導を与えている。
■困りごとをなくす
トヨタの現場で見ていると、カイゼンとは小さな発見から始まっていることがわかる。建屋の通路にねじが1本落ちていたとする。それを見つけて「どうして落ちたのか、どこから落ちたのか」と考えることがカイゼンの第一歩だ。そして、原因を特定し、再発防止策を決めて実行することが問題の解決だ。
ちなみに、わたしは他の自動車会社の工場も3社、見学したことがあるが、どこでも、ねじの1本くらいは落ちている。建屋の隅にはさまざまな用具や部品が立てかけてあったり、置かれていたりする。それが普通の工場だ。
だが、トヨタの工場では通常、ねじは落ちていない。たったの1本も落ちていない。だからこそ作業者は足を止めて、考え始める。他の工場では、ねじの1本くらいは落ちていることがあるから問題の発見にならない。話はそれるけれど、トヨタの工場、オフィスへ行って天井の蛍光灯(LED)が切れているのを見たことがない。これまた他の工場やオフィスではひとつくらいは切れていたり、切れかかっていたりする。
ねじが落ちていることなど、目の前の問題発見ができたら、次は自分から問題を探して解決を考える。
学園で指導員が教えようとしているのは問題の発見と解決だ。つまり、困りごとをなくすことにある。
そう考えていくと、トヨタという会社の使命は困りごとをなくすことにある。
■関東大震災からトヨタは生まれた
自動織機の優秀なエンジニアだった豊田喜一郎が「日本人の手で自動車をつくろう」と思ったのは金もうけでもなければ、自動車マニアだったからでもない。関東大震災で被災した人が病院へ行こうにも、クルマが足りなかったからだ。クルマが足りないという困りごとを解決するために純国産乗用車の開発に着手したのである。
そう聞くと、人は「できすぎた美談だ」と感じて、一片の疑いの心を持つ。しかし、どんな人でも仕事をしていて最大の喜びとは他人からの感謝なのである。他人の困りごとを解決して感謝してもらうことができたら、それは金銭には代えられない最大の報酬だ。
「困っていたところを助けてくれてありがとう」と言われたことのある人は理解できるだろう。仕事を通じてお金を得ることはありがたい。しかし、人間は欲が深いから仕事の対価としてお金だけでは満足できない。他人の笑顔、感謝は生きていること、仕事をすることで得られる収穫なのである。
■講話がもっとも役に立つ
学園の特徴の7番目は講話だ。同校では人間について教える授業があり、講話と呼んでいる。専門部では毎週、金曜日に行う。時間は少なくとも2時間。午前、午後に続けて講話を行うことだってある。講師は外部の専門講師ではない。トヨタの現役社員だ。
話す内容は多岐にわたっている。社会人としてのマナー、実際の仕事における問題解決の方法、トヨタ生産方式とは何か、トヨタ生産方式を通じたカイゼンのやり方……。
講話と聞くと精神論と思いがちだが、学園の講話は精神論ではない。そして、現役社員の自慢話でもない。どちらかといえば失敗談、開発における苦労話が多い。
卒業生たちに「学園で覚えている授業は?」と訊ねると、大半の人間は「講話です」と答える。そして、「自分がトヨタに入社して講話で聴いたことがもっとも役に立った」とも教えてくれた。
身近なこと、小さな問題の解決について社員の目線で話すことが講話なのだろう。
■「わからない」は上司が悪い
学園の授業や実習で生徒が「わかりません」「ちょっとわかりづらいです」と答えたとする。一般の学校ならば教師は「どうして、わからないんだ。あれほど説明したじゃないか」と言う。それから、もう一度、教えようとなる。ただし、教え方は前と同じだから、生徒は何べん聴いてもわからない。
トヨタ、学園では「わからないと答えた部下(生徒)が悪いわけではない」というのが共通の理解だ。部下に物事を理解させることができなかった上司が悪いとされる。
部下が「わかりません」と答えたとする。トヨタの上司であれば、「どこがどのようにわからなかったのか?」を部下に訊ねる。そうして、わからなかった箇所を特定して、あらためて説明する。もしくは説明の仕方が悪いと言われたとする。その場合は、違う説明の仕方をする。あるいは、説明を受ける部下が理解できる用語だけで説明する。たとえ話が「古い」と言われたら、昭和の出来事や人物を引き合いに出すのではなく、令和の出来事や人物をたとえ話に使う。
■人に教えるとはどういうことなのか
人は自分が知っていることしか教えられない。昭和に生まれた上司は令和の人物についてよく知らないから、たとえ話に持ち出すことができない。しかし、そういう場合、上司は勉強しなくてはならない。ユーミン(松任谷由実)や中島みゆきの曲を引き合いに出すのではなく、YOASOBIやKing Gnuを知っていなくてはいけない。……だからといって懇親会でみんなの前で披露することまではしなくていいけれど。
学園の指導員のなかには実際にKing Gnuの曲を聴いて生徒に授業をする人間もいる。わざとらしい行動かもしれない。「ハズす」ことだってあるだろう。けれど、生徒たちは指導員の情熱だけは感じる。
人に教えるとは聴く人の立場になることだ。「わからない」と答えた部下や生徒を叱責するよりも、教え方、伝え方を変えることだ。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
トヨタの企業内高校「トヨタ工業学園」に密着取材したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが解説する――。
※本稿は、野地秩嘉『豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■技術よりも先に考えるべきことがある
トヨタの生産現場では自動車、モビリティをつくっている。
「クルマをつくっているのだから、作業者はクルマ自体を進化させるための技術のことを考えているだろうし、他の会社が真似のできない先進技術を追求しているに違いない。彼らは技術を見つめている。それがメーカーの開発者だ」
わたしはそう思い込んでいた。そういうものだと自然と考えていた。
しかし、そうではなかった。彼らはまず人間を考えて、それから技術を開発していた。彼らは運転する人、乗っている人を見つめて、考えることから始めていた。「人間を考える」ことから開発をスタートしていた。とはいえ人間を考えるとは哲学的な思索をするわけではない。
人が困っていることを解決するためのモビリティを開発するのが彼らの仕事だ。それが「人間を考える」ことなのである。
■始まりは、困りごとの解決だった
初期であれば「走る」「曲がる」「止まる」を追求することだった。人が歩くよりも、馬に乗るよりも、自動車があれば早く目的地へ行くことができる。遠くへ行くことができる。「早く行きたい、遠くへ行きたい」と困っていた人たちに対して基本性能を持つ自動車を出すことが解決策だった。また、自動車を持てば天候にかかわらず、目的地へ行くことができる。自動車会社の始まりは人が困っていることを解決することだった。
それが技術が進歩していくにしたがって、技術自体に目がいくようになってしまった。しかし、トヨタはどういう時代であれ、開発技術者は自然のうちにユーザーを見てクルマを考えている。
では、今、人間が困っていることとは何か。気候変動の原因といわれている二酸化炭素が増えることに人間は困っている。
そこで、EV(BEV、PHEV、FCV)や水素エンジン車が開発されている。
次に困っているのが、タクシードライバーが足りないこと。そこで自動運転、無人運転の開発が進んでいる。さらに、交通渋滞にも困っている。渋滞がなくなればいいのだが、高速道路の上り坂の手前などで自然に発生する渋滞はなかなかなくならない。そこで、空飛ぶクルマが開発され、実用化に近づいている。他にもまだまだモビリティ関連で人間が困っていることはたくさんある。
■どんな業界でも開発者がやるべきことは同じ
「なるべくお金のかからないクルマに乗りたい」
EV車はガソリン車よりもエネルギー源に対するお金はかからない。それでEV車を選ぶ人がいる。
クルマの開発とは一部箇所の性能をアップするとか、コストを下げるだけを求めることではない。使う人間のことを知ろうと思わなければみんなが乗りたくなるクルマはできない。機械や技術の追求ではなく、「人間の困りごととは何か」を考えない限り、新しいモビリティは生まれない。
これはモビリティだけのことではない。半導体でもロケットでも、医薬品でも、開発者は誰もが使う人のことを考えなくてはならない。メーカーの開発者がやるべきことは新しい技術の追求ではなく、困りごとの解決だ。そして、困りごとを解決するために新しい技術がいる。
技術やライバル社を思い浮かべても人が必要とする技術は生まれない。
わたしはある企業が画期的な技術的マイルストーンを達成したことを知っている。これまでよりも格段に技術性能が上がったのだが、それがどういった人間の困りごとを解決しようとしているのか、今のところはまだ説明されていない。技術それ自体の進化だけを追求しても、人はそれを利用する方法がわからなければ使いようがない。機能だけがあって、直接の用途がない技術開発をしてもそれが世の中に出ていくことはない。
技術開発の大本は人間の困りごとを解決しようとする意志に他ならない。学園では人間について学ぶことを教えている。「知識や技術よりも人間力を高める」教育に力を入れている。
■ケンタッキー工場を見学したときのこと
わたしは10年以上、定期的にトヨタの生産現場へ出かけて行って、現場の変化を見ている。1時間近くも生産ラインのそばで見学していたこともある。作業者はやりづらいかなと思ったのは最初のうちだけだ。彼らは自分の仕事を考えながら自由に仕事をしている。「目の前の作業や設備のどこをカイゼンしようか」と考えながらやっているから、他人が見ていることなど気に留めていない。
これは海外のトヨタ工場ほど顕著だ。ケンタッキー工場でラインを見ていた時、目が合うと、サムアップしてくれた作業者がいた。わたしが見つめていたことなどまったく気にしていなかった。日本人の方が自意識過剰なのかもしれない。ケンタッキー工場の作業者はわたしがいたからといって精勤する真似をすることもなかった。時間が来たら、すぐに休憩に行った。他人の視線など気にせず、自分の仕事に集中していた。
ケンタッキー工場の上司はラインにいる部下に向かって叱責することもなかった。かといって、「素晴らしい」「やあ、いい仕事だ」なんて声をかけることもなかった。上司は様子を見守っていた。褒めることもなく、叱責することもなく、教えることもなく、じっと見守る。それがトヨタの現場教育だ。上司は働く部下をリスペクトし、評価する。だからといって現場で褒めたり持ち上げたりすることはない。
■褒めるだけでは成長が止まってしまう理由
わたしはそれと同じことを学園の指導員に訊ねてみた。
「学園では生徒に対して、褒めたり、叱責したりという指導をしているのですか?」
すると、次のような答えだった。
「褒めることはもちろんあります。褒めることは、その本人がしっかりと仕事をこなせていることの実感につながりますし、重要です。しかし、褒めるだけですと、その後どうカイゼンしていけばいいのかわからず、カイゼンが止まってしまう恐れがあります。
そこでカイゼンを続けるためには『見守る』ことが重要になってきます。そのため、弊社および学園では『褒める』、『見守る』。どちらも重視しております」
褒めるだけでは人間の成長は止まってしまう。褒めたら見守る。見守りながら褒めるのがトヨタ、学園の人づくりだ。
■不安定な状況をつくる
トヨタは変化する会社だ。なかでも生産現場はトヨタ生産方式が定着しているからつねにカイゼンして、変化させている。
学園も同じだ。時代に合わせて授業内容を変えている。ヤスリがけのような基本実技はそのままやっているが、今では組み立てのようなメカニカルな授業よりもむしろパソコンを使ったソフト開発、コードリーディングなどの授業を増やしている。クルマがモビリティに変わるのだから授業内容もまた従来と同じというわけにはいかない。
トヨタの現場では仕事のやり方を変える際に決まりごとがある。
それは状況を不安定にすること。
状況を不安定にするとムダがあぶりだされてくる。たとえば、10人で担当していた生産ラインからひとり抜いてみる。すると、半日ほどは残りの9人は大忙しの様相を呈するけれど、いつの間にか平然と仕事をするようになる。一度、不安定な状況をつくると、人間は考え始める。自然のうちにムダを省いて9人でできるようになる。
人間は自分からはなかなか変わろうとしない。変わるには外的な条件を与えて、その対処を促す。対処した行動がすなわち変化後の作業となる。
変化するには外から刺激を与えるしかない。教育、指導とは外からの刺激であり、教師が「自分から変われ」と言い放つのは無責任だ。変わる、新しい行動を促すには指導するしかない。学園やトヨタの現場では教員や上司が刺激という指導を与えている。
■困りごとをなくす
トヨタの現場で見ていると、カイゼンとは小さな発見から始まっていることがわかる。建屋の通路にねじが1本落ちていたとする。それを見つけて「どうして落ちたのか、どこから落ちたのか」と考えることがカイゼンの第一歩だ。そして、原因を特定し、再発防止策を決めて実行することが問題の解決だ。
ちなみに、わたしは他の自動車会社の工場も3社、見学したことがあるが、どこでも、ねじの1本くらいは落ちている。建屋の隅にはさまざまな用具や部品が立てかけてあったり、置かれていたりする。それが普通の工場だ。
だが、トヨタの工場では通常、ねじは落ちていない。たったの1本も落ちていない。だからこそ作業者は足を止めて、考え始める。他の工場では、ねじの1本くらいは落ちていることがあるから問題の発見にならない。話はそれるけれど、トヨタの工場、オフィスへ行って天井の蛍光灯(LED)が切れているのを見たことがない。これまた他の工場やオフィスではひとつくらいは切れていたり、切れかかっていたりする。
ねじが落ちていることなど、目の前の問題発見ができたら、次は自分から問題を探して解決を考える。
学園で指導員が教えようとしているのは問題の発見と解決だ。つまり、困りごとをなくすことにある。
そう考えていくと、トヨタという会社の使命は困りごとをなくすことにある。
■関東大震災からトヨタは生まれた
自動織機の優秀なエンジニアだった豊田喜一郎が「日本人の手で自動車をつくろう」と思ったのは金もうけでもなければ、自動車マニアだったからでもない。関東大震災で被災した人が病院へ行こうにも、クルマが足りなかったからだ。クルマが足りないという困りごとを解決するために純国産乗用車の開発に着手したのである。
そう聞くと、人は「できすぎた美談だ」と感じて、一片の疑いの心を持つ。しかし、どんな人でも仕事をしていて最大の喜びとは他人からの感謝なのである。他人の困りごとを解決して感謝してもらうことができたら、それは金銭には代えられない最大の報酬だ。
「困っていたところを助けてくれてありがとう」と言われたことのある人は理解できるだろう。仕事を通じてお金を得ることはありがたい。しかし、人間は欲が深いから仕事の対価としてお金だけでは満足できない。他人の笑顔、感謝は生きていること、仕事をすることで得られる収穫なのである。
■講話がもっとも役に立つ
学園の特徴の7番目は講話だ。同校では人間について教える授業があり、講話と呼んでいる。専門部では毎週、金曜日に行う。時間は少なくとも2時間。午前、午後に続けて講話を行うことだってある。講師は外部の専門講師ではない。トヨタの現役社員だ。
話す内容は多岐にわたっている。社会人としてのマナー、実際の仕事における問題解決の方法、トヨタ生産方式とは何か、トヨタ生産方式を通じたカイゼンのやり方……。
講話と聞くと精神論と思いがちだが、学園の講話は精神論ではない。そして、現役社員の自慢話でもない。どちらかといえば失敗談、開発における苦労話が多い。
卒業生たちに「学園で覚えている授業は?」と訊ねると、大半の人間は「講話です」と答える。そして、「自分がトヨタに入社して講話で聴いたことがもっとも役に立った」とも教えてくれた。
身近なこと、小さな問題の解決について社員の目線で話すことが講話なのだろう。
■「わからない」は上司が悪い
学園の授業や実習で生徒が「わかりません」「ちょっとわかりづらいです」と答えたとする。一般の学校ならば教師は「どうして、わからないんだ。あれほど説明したじゃないか」と言う。それから、もう一度、教えようとなる。ただし、教え方は前と同じだから、生徒は何べん聴いてもわからない。
トヨタ、学園では「わからないと答えた部下(生徒)が悪いわけではない」というのが共通の理解だ。部下に物事を理解させることができなかった上司が悪いとされる。
部下が「わかりません」と答えたとする。トヨタの上司であれば、「どこがどのようにわからなかったのか?」を部下に訊ねる。そうして、わからなかった箇所を特定して、あらためて説明する。もしくは説明の仕方が悪いと言われたとする。その場合は、違う説明の仕方をする。あるいは、説明を受ける部下が理解できる用語だけで説明する。たとえ話が「古い」と言われたら、昭和の出来事や人物を引き合いに出すのではなく、令和の出来事や人物をたとえ話に使う。
■人に教えるとはどういうことなのか
人は自分が知っていることしか教えられない。昭和に生まれた上司は令和の人物についてよく知らないから、たとえ話に持ち出すことができない。しかし、そういう場合、上司は勉強しなくてはならない。ユーミン(松任谷由実)や中島みゆきの曲を引き合いに出すのではなく、YOASOBIやKing Gnuを知っていなくてはいけない。……だからといって懇親会でみんなの前で披露することまではしなくていいけれど。
学園の指導員のなかには実際にKing Gnuの曲を聴いて生徒に授業をする人間もいる。わざとらしい行動かもしれない。「ハズす」ことだってあるだろう。けれど、生徒たちは指導員の情熱だけは感じる。
人に教えるとは聴く人の立場になることだ。「わからない」と答えた部下や生徒を叱責するよりも、教え方、伝え方を変えることだ。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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