思考の負のループから抜け出すには何をすればいいか。心療内科医の鈴木裕介さんは「自分に対するネガティブな考えを頭の中で繰り返しジャグリングしているだけの『反芻思考』は、気づきや学びがない損な時間である。
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■反芻思考は全く建設的な振り返りではない
見えない敵【反芻思考】
「ネガティブ時間」を長引かせる厄介者
本稿では、負のパターンをつくってしまう原因になる、特定の行動・思考パターンを「見えない敵」と名づけ、そのうちの1つである「反芻(はんすう)思考」を見ていきたいと思います。
自分の欠点や不安、過去の失敗やつらい出来事を、何度も何度も繰り返し頭の中で考え続けてしまうことをいいます。嫌なことがあった時に「くよくよ」「うじうじ」と考えてしまう、あの感じですね。
反芻思考の頻度が高い人ほど、生きづらさは増し、問題解決能力は下がり、睡眠不足やうつが多くなり、幸福度が低くなることが知られています。
反芻思考の厄介な点は、なんとなく「建設的な振り返りをしている」ように勘違いをしてしまうことです。今後の自分に活かすために反省していたつもりが、気がつくと「自分のダメさ」だけに焦点が当たってしまっているのです。
もちろん、反省したり自分を批判的に振り返ること自体は、素晴らしい成長の機会になり得ます。非常にエネルギーが必要なことですが、うまくいかなかった原因や具体的な課題を特定できれば、大きく方向修正することができます。
ただし、反芻と反省はまったくの別物です。自分一人で「なんで私はこんな失敗をするのだろう」という、自己否定的かつ具体性のない問いのスイッチを入れた途端、ネガティブな記憶がどんどん活性化し、ネガティブな感情がどんどん引き出されてきます。
未来に活かすための建設的な反省ではなく「なんで私はこんなにダメなんだ」という自己否定の繰り返しにすり替わってしまうのですね。そうなると、具体的な改善点や的を射た気づきを得ることは、とても難しくなります。
「反芻思考」とは、思考しているようでいて、自分に対するネガティブな考えを頭の中で繰り返しジャグリングしているだけなのです。「反省」とはまったく異なり、学習の役に立たないことが知られています。
深い洞察をすることなく、ただ「自己否定のループ」にはまり込んでいるだけですから、気づきや学びがありません。反芻「思考」とは言うものの、実はほとんど実のあることを考えてはいないのが特徴です。
■「過去の嫌な出来事の記憶」や「未来の不安」と結びつける
人間なので、ネガティブな気分になってしまうことは度々あるでしょう。でも、普通はちょっと時間が経てば、気分は移り変わっていき、落ち込みが長引くことはありません。しかし、その落ち込みがやたらと続いてしまう時があります。
それが、「落ち込み」という現在の気持ちを、「過去の嫌な出来事の記憶」や「未来の不安」と結びつけてしまった時です。反芻は、過去と未来が大好きなのです。
何かを失敗してしまい「ダメだなあ」と落ち込んでいるところに、「そういえば、昔もこんなことをしたなあ」「昔から進歩がないなあ」といった「過去」の失敗や、「こんなことじゃ、この先社会人としてやっていけないぞ」といった「未来」の不安と結びつけてしまう。
すると、反芻思考のループはターボエンジンのようにガンガン回り出して止まらなくなります。しかも、自己否定には一種の「酔い」みたいな症状が伴うため、ハマったらなかなか抜けられないのです。
自分を改善しようとして「反省」しているはずなのに、気がついたらそれが「反芻」になっている。自己否定モードがいったん「オン」になると、もはや客観的視点を持って自分の課題や改善点を見出すどころではなく、「ダメな自分」にひたすら注目してしまうので、やればやるほど自分のことが嫌になっていきます。
■“自己嫌悪の沼”にハマらないための「絶対ルール」
落ち込む時間が長くてしんどいわりには、自己理解は深まらない。つまり、「反芻思考には得がない」わけで、まずはそれにしっかりと気づくことが重要です。反芻思考に入っていると気づいたら、いかに短時間で切り替えるかが重要になります。
僕はよく「ピン芸での内省は危険です」という言い方をしています。なぜかというと、一人で自分に対する「なぜ」という問いを向けても、傷つくことが多いだけで実りのある答えを得られる可能性は低いからなんですよね。
「なぜ自分は○○なのだろう」系の問いは、夜ではない時間帯に、第三者とやったほうが、はるかに生産的です。自分とは異なる視点からアプローチすることで、より客観性のある、的を射た気づきが得やすいからです。
一人で考え込んでしまうと、単純に知識や経験などの情報が足りず、答えのない問いから抜け出せなくなってしまうということもあるでしょう。
それを一人ではなく、メンタルヘルスやキャリアの専門家、コーチング職といった「その道のプロ」と一緒に考えると、まったく違う進み方になります。
専門家でなくても内省の場に第三者がいることで、その思考のめぐりが妥当かどうかのツッコミを入れてもらいやすく、仮に沼にハマっていたとしても抜け出しやすくなるでしょう。
■感覚を「今」に引き戻す効果のある活動
また、「ストレスフルな感情や出来事を書き出す」というのも有効でしょう。「筆記療法」という言葉があるくらい、書き出すことの効能は強力です。
頭の中にわらわらと問題がジャグリングされた状態から、それが紙の上に置かれただけで、「問題」と「自分」の間にだいぶ距離ができ、客観的に問題を見られるようになるのでラクになります。また、書いたものを誰かに見てもらうというのも、思考の整理法として優れた方法です。
さらに、瞑想やヨガ、深呼吸、有酸素運動なども反芻思考から抜け出すためには有効です。なぜかというと、自分の体を動かしたり、呼吸に集中したりすることは「今」の身体感覚を感じることにつながるからです。
先ほど「反芻は、過去と未来が大好物」であり、落ち込んだ「今」の気分を「過去」や「未来」と結びつけることでネガティブ思考の増幅回路が発動し、不安が長期化するとお話ししました。
体を動かしたり瞑想などで集中したりすることは、ついつい結びつけてしまったその回路の接続をぶった切り、過去や未来にタイムトラベルしてしまっている感覚を「今」に引き戻してくれる効果があるのです。
■この二つの質問に「NO」なら要注意
「モヤモヤしたら駅の階段で、もも上げ本気ダッシュをするんですよ」と言っている人もいましたね。とてもいい方法だと思います。
繰り返しになりますが、反芻とは基本的に「損な時間」であり、変えられない「過去の記憶」や予測できない「未来の不安」と「今」のネガティブな気分を結びつけることに、なんの生産性も意味もありません。
それどころか、ネガティブな記憶を掘り返すことでダメージがどんどん蓄積していく、恐るべき「敵」です。相当な労力を割いてでも、いち早く抜けたほうがいい状態であると心得ましょう。
今の自分が「反芻モード」に入っているかどうか気づくのに便利な質問が二つあるのでシェアします。
それは、「今考えていることに、答えがあるだろうか」「今考えていることは、具体的な行動や問題解決につながっているだろうか」の二つです。この二つが「NO」であれば、それは反芻思考である可能性が高いです。
■悩みが面白いほど消えていく「シリアス子ちゃん仮説」
反芻のループにハマっている時、「その状況を客観視」したり、「誰かと一緒に笑う」ことができると、悩みのシリアス度は一気に下がります。そういう話を友人としていた時に思いついたのが、「シリアス子ちゃん」仮説です。
要するに、「落ち込みが長引いているのは自分が悪いからではなく、『シリアス子ちゃん』という妖精がいて、そいつが悪さをしている」という設定にしてしまうのです。
黒い妖精のようなシリアス子ちゃんが、頭にちょこんと乗っていると、人は途端に「シリアスモード」になってしまいます。
先日も、がっつり反芻モードで落ち込んでいた友人と話していた時に、「あ、今シリアス子ちゃんがとり憑いているね~」なんて言って、笑いに変えたりしていました。
何人かの友人の間で、この「シリアス子ちゃん」というのが共通語になっていて、友人が落ち込みモードの時に、「シリアス子ちゃん来てるね」「そうだね」みたいなことを5分くらい話すことがあります。
すると、シリアスになっていたのがちょっとバカバカしくなってきて、「復活時間が短縮する」と喜んでもらっています(シリアスな悩みを笑い合えるくらいの関係性が必要なので、相手は選びます)。
とてもバカバカしい話なのですが、「バカバカしさ」をもって「シリアスさ」に対抗するのは、実はかなり的を射ている方策ではないかと、経験的に思っています。
絶望的な局面ほど不謹慎なジョークを言ったりして、過度にシリアスにならないようにしているのは、僕自身もそのようにしてもらうことで助けられた経験が何度もあるからです。
「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ」とは、強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルの言葉です。しびれますよね。僕自身、座右の銘にしている大切な言葉です。
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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)
そういうときは、『シリアス子ちゃん』という妖精がいて、そいつが悪さをしているという設定にしてしまうといい」という――。
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■反芻思考は全く建設的な振り返りではない
見えない敵【反芻思考】
「ネガティブ時間」を長引かせる厄介者
本稿では、負のパターンをつくってしまう原因になる、特定の行動・思考パターンを「見えない敵」と名づけ、そのうちの1つである「反芻(はんすう)思考」を見ていきたいと思います。
自分の欠点や不安、過去の失敗やつらい出来事を、何度も何度も繰り返し頭の中で考え続けてしまうことをいいます。嫌なことがあった時に「くよくよ」「うじうじ」と考えてしまう、あの感じですね。
反芻思考の頻度が高い人ほど、生きづらさは増し、問題解決能力は下がり、睡眠不足やうつが多くなり、幸福度が低くなることが知られています。
反芻思考の厄介な点は、なんとなく「建設的な振り返りをしている」ように勘違いをしてしまうことです。今後の自分に活かすために反省していたつもりが、気がつくと「自分のダメさ」だけに焦点が当たってしまっているのです。
もちろん、反省したり自分を批判的に振り返ること自体は、素晴らしい成長の機会になり得ます。非常にエネルギーが必要なことですが、うまくいかなかった原因や具体的な課題を特定できれば、大きく方向修正することができます。
ただし、反芻と反省はまったくの別物です。自分一人で「なんで私はこんな失敗をするのだろう」という、自己否定的かつ具体性のない問いのスイッチを入れた途端、ネガティブな記憶がどんどん活性化し、ネガティブな感情がどんどん引き出されてきます。
未来に活かすための建設的な反省ではなく「なんで私はこんなにダメなんだ」という自己否定の繰り返しにすり替わってしまうのですね。そうなると、具体的な改善点や的を射た気づきを得ることは、とても難しくなります。
「反芻思考」とは、思考しているようでいて、自分に対するネガティブな考えを頭の中で繰り返しジャグリングしているだけなのです。「反省」とはまったく異なり、学習の役に立たないことが知られています。
深い洞察をすることなく、ただ「自己否定のループ」にはまり込んでいるだけですから、気づきや学びがありません。反芻「思考」とは言うものの、実はほとんど実のあることを考えてはいないのが特徴です。
■「過去の嫌な出来事の記憶」や「未来の不安」と結びつける
人間なので、ネガティブな気分になってしまうことは度々あるでしょう。でも、普通はちょっと時間が経てば、気分は移り変わっていき、落ち込みが長引くことはありません。しかし、その落ち込みがやたらと続いてしまう時があります。
それが、「落ち込み」という現在の気持ちを、「過去の嫌な出来事の記憶」や「未来の不安」と結びつけてしまった時です。反芻は、過去と未来が大好きなのです。
何かを失敗してしまい「ダメだなあ」と落ち込んでいるところに、「そういえば、昔もこんなことをしたなあ」「昔から進歩がないなあ」といった「過去」の失敗や、「こんなことじゃ、この先社会人としてやっていけないぞ」といった「未来」の不安と結びつけてしまう。
すると、反芻思考のループはターボエンジンのようにガンガン回り出して止まらなくなります。しかも、自己否定には一種の「酔い」みたいな症状が伴うため、ハマったらなかなか抜けられないのです。
自分を改善しようとして「反省」しているはずなのに、気がついたらそれが「反芻」になっている。自己否定モードがいったん「オン」になると、もはや客観的視点を持って自分の課題や改善点を見出すどころではなく、「ダメな自分」にひたすら注目してしまうので、やればやるほど自分のことが嫌になっていきます。
■“自己嫌悪の沼”にハマらないための「絶対ルール」
落ち込む時間が長くてしんどいわりには、自己理解は深まらない。つまり、「反芻思考には得がない」わけで、まずはそれにしっかりと気づくことが重要です。反芻思考に入っていると気づいたら、いかに短時間で切り替えるかが重要になります。
僕はよく「ピン芸での内省は危険です」という言い方をしています。なぜかというと、一人で自分に対する「なぜ」という問いを向けても、傷つくことが多いだけで実りのある答えを得られる可能性は低いからなんですよね。
「なぜ自分は○○なのだろう」系の問いは、夜ではない時間帯に、第三者とやったほうが、はるかに生産的です。自分とは異なる視点からアプローチすることで、より客観性のある、的を射た気づきが得やすいからです。
一人で考え込んでしまうと、単純に知識や経験などの情報が足りず、答えのない問いから抜け出せなくなってしまうということもあるでしょう。
それを一人ではなく、メンタルヘルスやキャリアの専門家、コーチング職といった「その道のプロ」と一緒に考えると、まったく違う進み方になります。
専門家でなくても内省の場に第三者がいることで、その思考のめぐりが妥当かどうかのツッコミを入れてもらいやすく、仮に沼にハマっていたとしても抜け出しやすくなるでしょう。
■感覚を「今」に引き戻す効果のある活動
また、「ストレスフルな感情や出来事を書き出す」というのも有効でしょう。「筆記療法」という言葉があるくらい、書き出すことの効能は強力です。
頭の中にわらわらと問題がジャグリングされた状態から、それが紙の上に置かれただけで、「問題」と「自分」の間にだいぶ距離ができ、客観的に問題を見られるようになるのでラクになります。また、書いたものを誰かに見てもらうというのも、思考の整理法として優れた方法です。
さらに、瞑想やヨガ、深呼吸、有酸素運動なども反芻思考から抜け出すためには有効です。なぜかというと、自分の体を動かしたり、呼吸に集中したりすることは「今」の身体感覚を感じることにつながるからです。
先ほど「反芻は、過去と未来が大好物」であり、落ち込んだ「今」の気分を「過去」や「未来」と結びつけることでネガティブ思考の増幅回路が発動し、不安が長期化するとお話ししました。
体を動かしたり瞑想などで集中したりすることは、ついつい結びつけてしまったその回路の接続をぶった切り、過去や未来にタイムトラベルしてしまっている感覚を「今」に引き戻してくれる効果があるのです。
■この二つの質問に「NO」なら要注意
「モヤモヤしたら駅の階段で、もも上げ本気ダッシュをするんですよ」と言っている人もいましたね。とてもいい方法だと思います。
繰り返しになりますが、反芻とは基本的に「損な時間」であり、変えられない「過去の記憶」や予測できない「未来の不安」と「今」のネガティブな気分を結びつけることに、なんの生産性も意味もありません。
それどころか、ネガティブな記憶を掘り返すことでダメージがどんどん蓄積していく、恐るべき「敵」です。相当な労力を割いてでも、いち早く抜けたほうがいい状態であると心得ましょう。
今の自分が「反芻モード」に入っているかどうか気づくのに便利な質問が二つあるのでシェアします。
それは、「今考えていることに、答えがあるだろうか」「今考えていることは、具体的な行動や問題解決につながっているだろうか」の二つです。この二つが「NO」であれば、それは反芻思考である可能性が高いです。
■悩みが面白いほど消えていく「シリアス子ちゃん仮説」
反芻のループにハマっている時、「その状況を客観視」したり、「誰かと一緒に笑う」ことができると、悩みのシリアス度は一気に下がります。そういう話を友人としていた時に思いついたのが、「シリアス子ちゃん」仮説です。
要するに、「落ち込みが長引いているのは自分が悪いからではなく、『シリアス子ちゃん』という妖精がいて、そいつが悪さをしている」という設定にしてしまうのです。
黒い妖精のようなシリアス子ちゃんが、頭にちょこんと乗っていると、人は途端に「シリアスモード」になってしまいます。
先日も、がっつり反芻モードで落ち込んでいた友人と話していた時に、「あ、今シリアス子ちゃんがとり憑いているね~」なんて言って、笑いに変えたりしていました。
何人かの友人の間で、この「シリアス子ちゃん」というのが共通語になっていて、友人が落ち込みモードの時に、「シリアス子ちゃん来てるね」「そうだね」みたいなことを5分くらい話すことがあります。
すると、シリアスになっていたのがちょっとバカバカしくなってきて、「復活時間が短縮する」と喜んでもらっています(シリアスな悩みを笑い合えるくらいの関係性が必要なので、相手は選びます)。
とてもバカバカしい話なのですが、「バカバカしさ」をもって「シリアスさ」に対抗するのは、実はかなり的を射ている方策ではないかと、経験的に思っています。
絶望的な局面ほど不謹慎なジョークを言ったりして、過度にシリアスにならないようにしているのは、僕自身もそのようにしてもらうことで助けられた経験が何度もあるからです。
「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ」とは、強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルの言葉です。しびれますよね。僕自身、座右の銘にしている大切な言葉です。
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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)
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