人間関係がラクになるにはどうしたらいいか。心療内科医の鈴木裕介さんは「不安型愛着スタイルの人は『見捨てられる』という強い恐怖を感じやすいことから相手の好意を試す行動をすることがある。
その原因は『どこかに100%理解してくれる人が存在する』という幻想を捨てきれないことにあるが、そうして相手との距離を詰めようとすると、見捨てられるという不安はどんどん高まる」という――。
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■友達からメールの返信が遅いと過度に心配になる
【見捨てられ不安】

あなたを孤立化させる「危険な依存」
本稿では、「見えない敵」といえる特定の行動・思考パターンとして、「見捨てられ不安」について見ていきます。見捨てられ不安とは、親密な人間関係が断ち切られ、見捨てられてしまうのではないかという不安や孤立感のこと。
例えば、こんなことを感じたことはないでしょうか。
●恋人が少しでも自分を否定する言葉を発すると、「別れよう」と言われるのではないかと不安でたまらなくなり、何も手につかなくなる

●友達からメールの返信が遅いと「私のことが嫌いになってしまったかもしれない」と過度に心配になってしまう

●仕事でミスをすると「こんなミスをする奴はもう必要ない」と思われているに違いないと感じ不安になる
先の記事で「不安型愛着スタイル」を説明しましたが、その「不安」とはまさにこの「見捨てられ不安」のことを指します。
見捨てられ不安を感じる人は、幼少期に次のような経験をしていることが多いといわれています。
●親の離婚や死別

●本当は親に甘えたかったのに、諸事情で十分に甘えられなかった

●他の兄弟姉妹よりもないがしろにされていると感じた

●仲間外れやいじめ

●家に帰っても誰もいないことが多かった
こうした傷つき体験によって埋め込まれた寂しさや疎外感が、地雷のように体の奥深くに眠っていて、ことあるごとに爆発してしまうようなイメージです。
こと「別れる」「見捨てられる」ことが想定されるような場面においては、不安と呼ぶには生易しいほどの、切迫した恐怖感、緊張感を感じます。
これは、生育環境における傷つきによって影響を受けた脳神経系の生理学的な反応といわれており、通常の人が感じる「不安」とは根本的に性質が違うものです。
見捨てられ不安がある人にとって、別れとはまさに「この世の終わり」のように感じられることなのです。
■好きな人に気に入られるために異様なほど尽くす
見捨てられ不安に駆られた時、その人がとる典型的な行動パターンを説明します。

①狂気じみた努力
見捨てられ不安は、「共依存」の症状の一つといわれています。
共依存とは、一言で言うと「自分がヘトヘトになっているのに、人のために尽くすことをやめられない」といった行動パターンのこと。自分の居場所を守るために体力を無視して驚異的なペースで仕事をしたり、好きな人に気に入られるために異様なほど尽くしたりします。
②試し行動
相手が自分に対して、ちゃんと信頼や好意を持っているかどうかを確かめたいがために、わざと相手の嫌がる言動をとったりします。相手が離れていかないことを確認するために、様々な形での「試練」を与えようとするのです。
交際相手であれば、電話やメッセージを何度も送る、行動すべてを監視する、あえて「別れよう」と言う、わざとヤキモチを妬かせるようなことを言う、などの行為に当たります。
これらは、注意を引いてつながりを取り戻す目的で行なわれるものです。
③断れない、離れられない
相手の要求が過度なものであっても、嫌なことをされても、相手が自分の前からいなくなってしまうほうが怖いため、断ることや離れることができません。いなくなったほうが苦しまなくて済むような不誠実な相手であっても、関係を継続しようとしてしまいます。その行為は、なかなか周囲の人から理解を得ることは難しいのです。
④否定的にとらえてしまう
他人の言葉を否定的にしかとらえられなくなり、褒められても裏があるように感じてしまいます。親切にされても、「あとで何か要求をされるのではないか」という疑いの目で見てしまい、自分にも他人にも否定的な見方をしてしまうのです。

しかも、その否定のスタイルは「私のこの部分が足りないから」という具体性を持った自己批判ではなく、「全部私が悪いから」という「漠然とした自己否定」であることが多いため、苦しみが深いわりには事態を改善するのにあまり役に立ちません。
■「100%理解してくれる人が存在する」という幻想
この見捨てられ不安の攻略ポイントを語る前に、先ほど説明した「二分法的認知」、「理想化」との関連について知る必要があります。
繰り返しになりますが、不安型愛着スタイルの人には、「私の不安をなんとかわかってほしい」という非常に強い願望があります。
それが果たされず、少しでも自分にとって気に入らないことや満足できないことがあると、「見捨てられる!」という強い恐怖を感じ、深い絶望感を感じたり、恐怖に身を任せて相手を強く非難したり暴言を吐いたりしてしまいます。
しかし、本当に伝えたいことは相手への怒りではないため、怒った後は罪悪感や自己嫌悪に苦しんでいます。
「誰もわかってくれない」と嘆いても、わかってくれない相手を責めても、事態は前に進まないのですが、それをやめることができません。
その最大の原因は「どこかに100%理解してくれる人が存在する」という幻想を捨てきれないことにあります。
相手との距離が近づいて同一化すれば「完全に理解してもらえた」と感じられるはずだと信じて、「融合する」ほどの密な関係性をつくろうとします。
しかし、100%幻想を追い求めて相手との距離を詰めようとすればするほど、「見捨てられ不安」はどんどん高まってしまいます。なぜでしょうか。
■「心の距離」が近づくほど、不安は増していく
その理由について、精神科医の崔炯仁(チョンヒョンイ)先生は「引力」にたとえて説明しています。
物理学では、「二つの物体の間に働く引力は距離の2乗に反比例する」という法則があります。

距離が半分になれば、その間に働く引力は2倍ではなくて4倍になり、距離が4分の1になれば、その間の引力は16倍になる、といった法則です。
「100%幻想」と、それに伴う「見捨てられ不安」は、引力と同じ性質を持つと崔先生は言います。
つまり、相手への信頼度が上がり体重をかけていくほど(=つまり相手との心の距離が近づくほど)、「この人がいなくなった時の不安」は増大するということです。
最初は100あった心の距離が半分の50になったとします。すると、見捨てられ不安は4倍に膨れ上がります。
さらに心の距離が4分の1になると、見捨てられ不安は16倍に膨れ上がる。
そうやって信頼を深めて相手との距離が縮まっていくごとに、見捨てられ不安は飛躍的に高まり、自力ではどうにも制御できないほど、試し行動が荒れ狂ってしまうことがあるのです。最終的には、「この人を失ったら生きていけない」という極度の不安が、憤怒や死の恐怖に近いような凄まじさを帯びてきます。
しかし、不安を解消しようとして心の距離を近づけていったはずなのに、それが「100%」に至ることは決してない。
そればかりか、それに反比例するように「見捨てられ不安」がどんどん増大していくのですから、不安を感じている側が満足することは永遠にありません。応える側も、この人の不安をなんとか理解したい、支えたいと頑張るがゆえに、どんどん振り回されていきます。
こうして、二人の間のやりとりはどんどん苛烈(かれつ)なものになっていきますが、異なる人間の交流である以上、その信頼度が100%に至ることは永遠になく、「終わりのない苦しみ」が延々と続くという状態になってしまいます。

■「私もあなたも、不完全な人間である」
この事態を打開するには、まずは「見捨てられ不安」の裏側にある「100%幻想」が諸悪の根源である、という視点を持つことが必要です。
苦悩の原因は「理解してくれない相手」なのではなく、「自分の抱えている幻想」なのだ、という視点の切り替えは、問題解決の可能性を大幅に高めるでしょう。「相手の問題」には手をつけられませんが、「自分の問題」なら自力で取り組めるからです。
これを、「課題に対するオーナーシップ(所有権)を持つ」と言います。自分の課題をなんとかできるのは、他の誰でもない、自分だけなのです。
きっと、不安に駆られているあなたが本当に求めているのは、「安定した、離れていかない人間関係」のはずです。
しかし、「100%安心できる相手でないと許せない」という仮定を手放さない限り、見捨てられ不安から解放される日は永遠に来ないという構図を理解しましょう。
とはいえ、「自分を100%理解してくれる人は、世の中のどこにもいない」という現実を認めることは、ものすごくつらいことだと思います。これまで生きてきたストーリーを大幅に改変しなければいけなくなるでしょう。
それを手放すことは容易ではないものの、ヒントはあります。
100%しか認められないのは、前述した「100か0か」という二分法的認知にも関連しています。相手を理想化するというのはつまり、こちらは人間であるのに対し、相手に「神」の役割を据えることですから、決してフェアな人間関係ではありません。

対して、「私もあなたも、不完全な人間である」という現実的な認識に立つことができれば、多くのことはラクになります。
■「試し行動をすると愛される」は大間違い
また、見捨てられ不安の典型的な行動パターンである「試し行動」は比較的すぐに手放すことができる、と崔先生は言います。
そもそも「試し行動」で得られる満足感は一時的で、酒やタバコのような嗜癖(しへき)的なものです。長きにわたって本当の安心や豊かさを与えてくれる暖炉のようなものではありません。
それに試す側も、なにも好きでやっているわけではなく、「試し行動をしないと愛されていると確信を持てない」という不安が根底にあることが多いのです。
しかし、実際は逆で、「試し行動をしないほうが愛される」ということを経験的に知ることができれば、手放すことができます。
「試し行動が自分にとって長期的にはよくないもの」という認識を持てれば、相手と協力して「『試し行動』をなるべくしない」「『試したほうが得』にならないようにする」というルールをつくるなどして、落ち着いて考えたり話し合ったりすることもできるでしょう。
■本当の自立とは「60%の依存先が三人」
「100%幻想」がある限り、理想的な人間関係は、100%を実感できる相手と「1対1の関係」に“閉じている”状態になります。
実際、不安型愛着スタイルの人が恋愛モードに入ると、友人関係がおろそかになることが多いのです。「100%」がたった一人いれば賄えるのですから、それは合理的な考えです。
しかし、残念ながら現実に「100%」の人はいないのでしたね。だとすると、「100%ではない依存関係を複数つくる」ことが次点の最適解になります。

金融の世界では、破産のリスクを回避するため、資産を複数の金融商品に分散して投資することがあります。
手持ちの卵を一つのカゴだけに入れて保管しておくと、そのカゴが落ちた時にすべての卵が割れてしまいますが、複数のカゴに入れておけば、たとえ一つカゴを落としたとしても、他の卵は無事です。
人間関係も同じように、一つの関係に依存しすぎると、それがうまくいかなくなった時のダメージは甚大(じんだい)です。見捨てられ不安が強い人は、親密な関係の人との関係の質が自分の体調にもろに影響を与えるので、心身ともに不安定な状態になります。
熊谷晋一郎先生は、「自立とは、依存先を増やすこと」と言いました。
親や恋人など、特定の人だけに依存していては、その人を失うかもしれないという不安は拭えません。依存できる先を増やしていけば、生きていけるという感覚は強まっていきます。頼れる相手が増えれば、一人ひとりとの関係にも余裕が生まれます。
持つべきイメージは、「100%の依存先が一人」ではなく、「60%の依存先が三人」です。
逆説的ですが、「この人がいなくなっても、なんとか生きていける」という状態になって初めて、相手のことを自分の居場所や執着の対象として見るのではなく、「相手にとっての幸せ」も考えられるようなフェアな関係になれるのではないでしょうか。

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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)

内科医・心療内科医・産業医

2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。

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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)
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