人生で大切にするべき仲間の特徴は何か。心療内科医の鈴木裕介さんは「向かうべき方向を指し示してくれるような『愛のある批判者』から率直なフィードバックをくれる人は、もしかしたらただ自分のことを肯定してくれる人よりも、貴重な存在だ」という――。
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■どんな時でもあなたの味方でいてくれる「白魔道士」
冒険には仲間が必要です。生きづらさからの回復の旅に、必要な仲間とはどういう人なのかについて、今一度、整理していきたいと思います。
ゲームにおいても、冒険を始めたばかりの主人公はレベルが低くて弱いです。力やHPは少なく、打たれ弱いため、すぐピンチになってしまいます。そうした状態で旅の安定度を高めるためには、回復魔法(白魔法)の使い手が不可欠です。
現実でも同様に、生きづらさから抜け出すために最初に仲間にすべきは、白魔法の使い手である「白魔道士」のような存在だと思います。言い換えると、どんな時でもあなたの味方でいてくれる、安心を提供してくれる人のことです。
自分のいびつな面を受け入れてくれる「善き友」であり、そうした人とのコミュニケーションが「安全基地」になっていくため、まさにそんな人が「白魔道士」と言えるでしょう。
■人生を好転させる「信頼できる人間関係」のつくり方
こうした人を見つけるのはとても難しいのですが、それでも、見つかる可能性が少しでも高まるであろう方法をお伝えしたいと思います。
まず一つ目は、なるべく直接の利害関係がない人間関係の中から、健全な依存先候補を探すことです。利害関係がある相手だと、弱みを見せると不利益が生じるかもしれないという心理的ハードルがあり、自己開示が難しくなります。
二つ目は、本当の気持ちを打ち明けるのはリスクを伴いますので、自信がないうちは、有料の資源(カウンセリングやスナック、占い師など)に頼ることです。自分の痛みをうまく他人に話すには技術がいりますが、お金を払うことで言語化の練習の機会を得ることができるからです。
それだけでなく、カウンセリングやスナック、占い師などは「聴く」ことを仕事にしている方々なので、あなたを傷つける可能性が低い。いわば、ウレタンマットという安全な場所でバク転の練習をするような感じです。それを、徐々にリアルで身近な人間関係でも少しずつ試していけるようになるといいでしょう。
他人への信頼がない状態でそれをやり続けるのは、絶望的な道のりに感じられるかもしれませんが、「他人を頼ってよかった」という成功体験を一度得られさえすれば、その後の生きやすさは桁違いになります。なんとかその一例目を出してほしいと願うばかりです。
精神科医の松本俊彦(まつもととしひこ)先生は、「信頼できる大人は10人のうち3人くらいしかいないから、1人に話してダメでも8人目までSOSを出し続けてほしい」と言います。「今あなたの目の前にいる人は、もしかしたら今までの大人とは違うかもしれない」という可能性を捨てずにいてほしいと思います。
いつでも戻ってこられる安全基地を得ると、人はチャレンジができるようになります。変化と成長に必要な心の強さを得られるようになるのです。
■「耳の痛いアドバイス」をしてくれる人ほど大切に
次に仲間にすべきは、「見えない敵」の存在を気づかせ、自分の課題を明らかにしてくれる黒魔法の使い手、「黒魔道士」です。
どの方向を目指したらよりよい方向に変われるのかを、自分の力だけで正しく判断することはとても困難です。そこで、ただあなたのありのままを受け入れてくれる「白魔道士」だけでなく、向かうべき方向を指し示してくれるような存在「黒魔道士」が必要になります。
黒魔道士は「愛のある批判者」と言い換えてもいいでしょう。自分の信奉者やイエスマンでもなく、過度に批判的な人物でもない。人間の心のことをよく理解している知性があり、かつ心底こちらのことを考えたうえで、言いにくいことでも正直に伝えるというコミュニケーションリスクをとってくれる人のことです。
そのような「愛のある批判者」から率直なフィードバックをもらうことは、人が成長するうえでとても有益です。
それは今の時代において、もしかしたらただ自分のことを肯定してくれる人よりも、貴重な存在なのかもしれません。
なぜなら、フィードバックを与えるということは、損することも多いからです。
「あなたのここが課題です」ということを伝えるのは、とても大きなコミュニケーションリスクがあります。
たとえそれが事実であっても、フィードバックは相手に少なからずショックや不快感を与えるもの。相手が受け止めきれなければ、嫌われてしまうかもしれません。
そういうリスクを払ってでも、「この人に真実を告げなければ」という気持ちと、それを伝えきる技術を持った人というのは、ものすごくレアな存在であることは間違いありません。
■自分の課題を引き受けようとする「誠実さ」はあるか
フィードバックを求めることも、受けることも、できればしたくないというのが自然な心理だと思います。治療が必要であることはわかっていても、歯医者になかなか行きたがらない人が多いのと同じで、痛いことが目に見えているからです。
しかし、フィードバックによって得られる気づきには、それ以上の価値があります。
課題に向き合うということは、「できていない」ということを認めることであり、それには勇気と謙虚さが必要です。
謙虚であるとは、自分の足りないところや至らないところから目を背けないことであり、「弱点」を認めることです。
自分の不完全さをそのまま受け入れることでもあるので、「完璧主義(二分法的認知)」や達成欲が強い人ほど難しくなるでしょう。そこに必要なのは自分の課題を引き受けようとする「誠実さ」です。
■適応障害を発症した患者さんの変化
「誠実さ」について、印象的だった患者さんのお話をします。
Mさんは、適応障害を発症しては休職を繰り返している人でした。
知人の紹介で僕のクリニックを受診してくれたのですが、「知人が言うんで仕方なく来ました」感が表情からも目に見えて、「なぜ私が心療内科に来なければならないのか」と受診自体にもやや不服そうな様子でした。
しばらく話していると、「完璧主義(二分法的認知)」など、考えに凝り固まった点が見受けられたので、「もしかして、そういった考え方があなたを苦しめているのかもしれませんね」とお話ししました。
Mさんは「え、そうなんですかね……」とあまりピンときていない様子でしたが、僕は「まあ、ちょっと考えてみてください」と伝えて初回の診察が終わりました。
あまり釈然とした様子でなかったので、「もう来てくれないかなあ」なんて思っていましたが、次回もちゃんと来てくれました。
「家に帰ってゆっくり考えたんですけど、やっぱり先生の言うことも一理あるかなと思って……」「本当は認めたくないんですけど」と、完璧主義であると同時に臆病で繊細な自分の一面を、自分の理想のイメージとは違っても、少しずつ受け入れるようになってくれました。
「この考え方があなたを苦しめているのでは?」という問いを投げると、Mさんは毎回「うーん」という納得いかない表情をしながらも持ち帰り、次に来た時には「やっぱそうかも」と少しずつ受け入れてくれました。
そういうサイクルを繰り返し、その都度、着実に変化を見せてくれたのです。もちろん、「それは私には当てはまらないと思います」と言ってくれたこともあります。
■「変われる人」は「誠実な人」
ある日、Mさんは「今まで結果を出さなきゃって強がってきたけど、本当は人の視線ばかり気にしてしまう弱い自分が嫌で、今ここでなんとかしないと、他の職場に行ってもまた同じことを繰り返してしまう気がするんです。それが一番怖い」と泣きながら本音を語ってくれました。
課題を指摘されて、葛藤しない人はいないと思います。
自分に対して否定的なイメージを持っている人は、「責められた」「人格を否定された」と感じてしまうこともあるでしょう。受け止めるのには、それなりに時間がかかると思います。
しかし、時間がかかっても、Mさんは提示した問いに対して、必ず一度は真正面から向き合うスタンスを守り続けてくれました。
それは「言うことを聞いてくれる」とか「素直である」ということとは、少し違います。
誠実であるとはどういうことかを、僕はMさんから教わりました。
■ポイントは「いったん、受け入れる」
「変われる人はどんな人ですか?」という質問をよく受けます。今は「自分に誠実な人」と答えています。
自分に誠実になるとは、自分の不完全さを受け入れることから始まります。「できていない」ということも含めた、自分という不完全な存在を客観的に理解すること。
もちろん、将来はもっと素晴らしい人間になれるかもしれない。その可能性は捨てなくてもいい。でも、今の時点では「それなり」でしかない。大したことはない。でも、今はそれでいいじゃないか――そう思えて初めて、今の「絶望的な」自分を、認めてあげられるようになるのだと思います。
課題を伝えられた時に、怒りが湧いてくることもあるでしょう。
「この人は自分のすべてを見ていないくせに、なんでこんなことを言うのだろう」
「こいつに、この私の何がわかるのだろう」
そういう気持ちです。それこそ、自分がその指摘を課題として受け入れなくてもいいと判断するために、最も用いられる「言い訳」になります。
■信頼関係がある人からのフィードバックは意外と当たる
僕自身も、耳の痛いことを指摘された時に「何も知らないくせに」「自分が体験したことを、VRで全部見せてやりたい」という気持ちになったことが何度もあります。最近もあります。わりとしょっちゅうあります。
そういう時は、大体自分に余裕がない時です。必死になっている時ほど、自分に落ち度がある可能性を見失い、「自分が一番自分のことをわかっているのだ」という甘言(かんげん)にすがりたくなります。でも、半年くらい経って振り返ってみると、「あの時の指摘は正しかった」「自分が間違ってたな」と思わされることがいかに多いことか。
たとえ自分のすべてを見ていなくても、信頼関係がある人からのフィードバックというのは、「意外と当たっている」ものなのです。
自分に対して厳しくも愛のあるフィードバックをくれる、「黒魔道士」としての素養と能力がある人は稀です。仮にそうした人がいたとしても、自分がそれを受け入れられるタイミングではないこともあるでしょう。
しかし、その「タイミング」と「相手」は、自分自身で決めるべきことだと思います。もちろん、ふさわしい相手を選別するスキルがとても重要である、ということは言うまでもありません。そして、その人が放つ「黒魔法」を、「あなたが言うなら、もしかしたらそうなのかも」と、いったんは受け入れてみる。
それができるようになれば、変化のための準備は十分すぎる状態になっていると思います。
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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■どんな時でもあなたの味方でいてくれる「白魔道士」
冒険には仲間が必要です。生きづらさからの回復の旅に、必要な仲間とはどういう人なのかについて、今一度、整理していきたいと思います。
ゲームにおいても、冒険を始めたばかりの主人公はレベルが低くて弱いです。力やHPは少なく、打たれ弱いため、すぐピンチになってしまいます。そうした状態で旅の安定度を高めるためには、回復魔法(白魔法)の使い手が不可欠です。
現実でも同様に、生きづらさから抜け出すために最初に仲間にすべきは、白魔法の使い手である「白魔道士」のような存在だと思います。言い換えると、どんな時でもあなたの味方でいてくれる、安心を提供してくれる人のことです。
自分のいびつな面を受け入れてくれる「善き友」であり、そうした人とのコミュニケーションが「安全基地」になっていくため、まさにそんな人が「白魔道士」と言えるでしょう。
■人生を好転させる「信頼できる人間関係」のつくり方
こうした人を見つけるのはとても難しいのですが、それでも、見つかる可能性が少しでも高まるであろう方法をお伝えしたいと思います。
まず一つ目は、なるべく直接の利害関係がない人間関係の中から、健全な依存先候補を探すことです。利害関係がある相手だと、弱みを見せると不利益が生じるかもしれないという心理的ハードルがあり、自己開示が難しくなります。
二つ目は、本当の気持ちを打ち明けるのはリスクを伴いますので、自信がないうちは、有料の資源(カウンセリングやスナック、占い師など)に頼ることです。自分の痛みをうまく他人に話すには技術がいりますが、お金を払うことで言語化の練習の機会を得ることができるからです。
それだけでなく、カウンセリングやスナック、占い師などは「聴く」ことを仕事にしている方々なので、あなたを傷つける可能性が低い。いわば、ウレタンマットという安全な場所でバク転の練習をするような感じです。それを、徐々にリアルで身近な人間関係でも少しずつ試していけるようになるといいでしょう。
他人への信頼がない状態でそれをやり続けるのは、絶望的な道のりに感じられるかもしれませんが、「他人を頼ってよかった」という成功体験を一度得られさえすれば、その後の生きやすさは桁違いになります。なんとかその一例目を出してほしいと願うばかりです。
精神科医の松本俊彦(まつもととしひこ)先生は、「信頼できる大人は10人のうち3人くらいしかいないから、1人に話してダメでも8人目までSOSを出し続けてほしい」と言います。「今あなたの目の前にいる人は、もしかしたら今までの大人とは違うかもしれない」という可能性を捨てずにいてほしいと思います。
いつでも戻ってこられる安全基地を得ると、人はチャレンジができるようになります。変化と成長に必要な心の強さを得られるようになるのです。
■「耳の痛いアドバイス」をしてくれる人ほど大切に
次に仲間にすべきは、「見えない敵」の存在を気づかせ、自分の課題を明らかにしてくれる黒魔法の使い手、「黒魔道士」です。
どの方向を目指したらよりよい方向に変われるのかを、自分の力だけで正しく判断することはとても困難です。そこで、ただあなたのありのままを受け入れてくれる「白魔道士」だけでなく、向かうべき方向を指し示してくれるような存在「黒魔道士」が必要になります。
黒魔道士は「愛のある批判者」と言い換えてもいいでしょう。自分の信奉者やイエスマンでもなく、過度に批判的な人物でもない。人間の心のことをよく理解している知性があり、かつ心底こちらのことを考えたうえで、言いにくいことでも正直に伝えるというコミュニケーションリスクをとってくれる人のことです。
そのような「愛のある批判者」から率直なフィードバックをもらうことは、人が成長するうえでとても有益です。
それは今の時代において、もしかしたらただ自分のことを肯定してくれる人よりも、貴重な存在なのかもしれません。
なぜなら、フィードバックを与えるということは、損することも多いからです。
「あなたのここが課題です」ということを伝えるのは、とても大きなコミュニケーションリスクがあります。
たとえそれが事実であっても、フィードバックは相手に少なからずショックや不快感を与えるもの。相手が受け止めきれなければ、嫌われてしまうかもしれません。
そういうリスクを払ってでも、「この人に真実を告げなければ」という気持ちと、それを伝えきる技術を持った人というのは、ものすごくレアな存在であることは間違いありません。
■自分の課題を引き受けようとする「誠実さ」はあるか
フィードバックを求めることも、受けることも、できればしたくないというのが自然な心理だと思います。治療が必要であることはわかっていても、歯医者になかなか行きたがらない人が多いのと同じで、痛いことが目に見えているからです。
しかし、フィードバックによって得られる気づきには、それ以上の価値があります。
課題に向き合うということは、「できていない」ということを認めることであり、それには勇気と謙虚さが必要です。
謙虚であるとは、自分の足りないところや至らないところから目を背けないことであり、「弱点」を認めることです。
自分の不完全さをそのまま受け入れることでもあるので、「完璧主義(二分法的認知)」や達成欲が強い人ほど難しくなるでしょう。そこに必要なのは自分の課題を引き受けようとする「誠実さ」です。
■適応障害を発症した患者さんの変化
「誠実さ」について、印象的だった患者さんのお話をします。
Mさんは、適応障害を発症しては休職を繰り返している人でした。
知人の紹介で僕のクリニックを受診してくれたのですが、「知人が言うんで仕方なく来ました」感が表情からも目に見えて、「なぜ私が心療内科に来なければならないのか」と受診自体にもやや不服そうな様子でした。
しばらく話していると、「完璧主義(二分法的認知)」など、考えに凝り固まった点が見受けられたので、「もしかして、そういった考え方があなたを苦しめているのかもしれませんね」とお話ししました。
Mさんは「え、そうなんですかね……」とあまりピンときていない様子でしたが、僕は「まあ、ちょっと考えてみてください」と伝えて初回の診察が終わりました。
あまり釈然とした様子でなかったので、「もう来てくれないかなあ」なんて思っていましたが、次回もちゃんと来てくれました。
「家に帰ってゆっくり考えたんですけど、やっぱり先生の言うことも一理あるかなと思って……」「本当は認めたくないんですけど」と、完璧主義であると同時に臆病で繊細な自分の一面を、自分の理想のイメージとは違っても、少しずつ受け入れるようになってくれました。
「この考え方があなたを苦しめているのでは?」という問いを投げると、Mさんは毎回「うーん」という納得いかない表情をしながらも持ち帰り、次に来た時には「やっぱそうかも」と少しずつ受け入れてくれました。
そういうサイクルを繰り返し、その都度、着実に変化を見せてくれたのです。もちろん、「それは私には当てはまらないと思います」と言ってくれたこともあります。
■「変われる人」は「誠実な人」
ある日、Mさんは「今まで結果を出さなきゃって強がってきたけど、本当は人の視線ばかり気にしてしまう弱い自分が嫌で、今ここでなんとかしないと、他の職場に行ってもまた同じことを繰り返してしまう気がするんです。それが一番怖い」と泣きながら本音を語ってくれました。
課題を指摘されて、葛藤しない人はいないと思います。
自分に対して否定的なイメージを持っている人は、「責められた」「人格を否定された」と感じてしまうこともあるでしょう。受け止めるのには、それなりに時間がかかると思います。
しかし、時間がかかっても、Mさんは提示した問いに対して、必ず一度は真正面から向き合うスタンスを守り続けてくれました。
それは「言うことを聞いてくれる」とか「素直である」ということとは、少し違います。
問われたものを、その都度、自分の考えるべき課題として正面から引き受けようとする姿勢がMさんにはありました。それは、「自分の荷物は自分で背負うのだ」という気持ちがないとできないことです。
誠実であるとはどういうことかを、僕はMさんから教わりました。
■ポイントは「いったん、受け入れる」
「変われる人はどんな人ですか?」という質問をよく受けます。今は「自分に誠実な人」と答えています。
自分に誠実になるとは、自分の不完全さを受け入れることから始まります。「できていない」ということも含めた、自分という不完全な存在を客観的に理解すること。
もちろん、将来はもっと素晴らしい人間になれるかもしれない。その可能性は捨てなくてもいい。でも、今の時点では「それなり」でしかない。大したことはない。でも、今はそれでいいじゃないか――そう思えて初めて、今の「絶望的な」自分を、認めてあげられるようになるのだと思います。
課題を伝えられた時に、怒りが湧いてくることもあるでしょう。
「この人は自分のすべてを見ていないくせに、なんでこんなことを言うのだろう」
「こいつに、この私の何がわかるのだろう」
そういう気持ちです。それこそ、自分がその指摘を課題として受け入れなくてもいいと判断するために、最も用いられる「言い訳」になります。
■信頼関係がある人からのフィードバックは意外と当たる
僕自身も、耳の痛いことを指摘された時に「何も知らないくせに」「自分が体験したことを、VRで全部見せてやりたい」という気持ちになったことが何度もあります。最近もあります。わりとしょっちゅうあります。
そういう時は、大体自分に余裕がない時です。必死になっている時ほど、自分に落ち度がある可能性を見失い、「自分が一番自分のことをわかっているのだ」という甘言(かんげん)にすがりたくなります。でも、半年くらい経って振り返ってみると、「あの時の指摘は正しかった」「自分が間違ってたな」と思わされることがいかに多いことか。
たとえ自分のすべてを見ていなくても、信頼関係がある人からのフィードバックというのは、「意外と当たっている」ものなのです。
自分に対して厳しくも愛のあるフィードバックをくれる、「黒魔道士」としての素養と能力がある人は稀です。仮にそうした人がいたとしても、自分がそれを受け入れられるタイミングではないこともあるでしょう。
しかし、その「タイミング」と「相手」は、自分自身で決めるべきことだと思います。もちろん、ふさわしい相手を選別するスキルがとても重要である、ということは言うまでもありません。そして、その人が放つ「黒魔法」を、「あなたが言うなら、もしかしたらそうなのかも」と、いったんは受け入れてみる。
それができるようになれば、変化のための準備は十分すぎる状態になっていると思います。
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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)
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