駅で目にする、どの車両に乗ればエレベーターに近いかがわかる「のりかえ便利マップ」や、駅のどこにトイレやエスカレーターがあるかを示す構内図は、主婦だった福井泰代さんが立ち上げた企業「ナビット」が調査、アップデートして鉄道会社やGoogleなどに情報を提供している。「不便を解決する」発明が趣味だった福井さんは、こうした発明をどのようにビジネスにつなげ、発明家から経営者に変わっていったのか。
■趣味の“発明”が仕事になった
全国6万人以上の登録在宅ワーカーによる草の根調査を基に精密なデータベースを構築し、幅広い企業に提供している「ナビット」。85種類にものぼるデータベースは検索エンジンや鉄道駅など幅広いシーンで活用されており、特に駅の構内図は全国で76%ものシェアを誇る。
同社の出発点は、電車の何両目に乗れば目的駅の階段やエスカレーターに近いかがわかる「のりかえ便利マップ」だ。代表取締役の福井泰代さんが、約30年前、専業主婦だったころに発明したもので、出版社や鉄道会社に粘り強く営業をかけ続けて商品化に成功した。
「発明に夢中になったのは、まだ子どもが小さかったころ。最初は発明品で月3万円ぐらいロイヤルティーをもらえるようになったらいいなという程度でしたが、マップの提供先が思いのほか広がったことで起業を決めました」
当初は子育てで感じた不便を解決しようと、独自の工夫を加えたおしゃぶりや靴などを作っていたが、駅でベビーカーを押しながらの乗り換えに苦戦したことでのりかえ便利マップを発案。これを軸にアイデアママという小さな会社を起業したところ、「そこから趣味が仕事になっちゃったんです」と笑う。
■発明家から起業家へ
起業して事業を軌道に乗せようと奮闘していたある日、取り引き先のソフト会社の人から「これからはマンナビの時代が来る」と聞いた。
マンナビとは「マン(人)ナビゲーション」の略で、人を目的地まで導く技術やサービスのこと。これを聞いた福井さんは、だったら自分のマップのような“情報”が、多くの企業から必要とされるようになるかもしれないと思い始めた。
そんなとき、テレビである経営者が、発明家と起業家の違いについて話しているのを目にする。
「発明家は、今日はサンダル、明日は扇風機……とバラバラなものを考え出していく人だが、起業家は1本の木を林にして、森にして森林にしていける人だ」
その話を聞いて、福井さんは初めて「私も発明するだけじゃなくて起業家になりたい」と思ったという。起業はしたものの、これまでは発明品とその契約先を増やすことだけに没頭してきた。それが、一つの商品を「事業」として育て上げることの重要性に気づいたのだ。
■“ガラクタ発明”はすっぱりやめた
スタッフを増員し、マップだけでは皆にご飯を食べさせていけないかもしれないと不安に思っていたところだった。では、自社で森林にしていけそうなものは何か。マンナビの時代が来るなら、今からそれに必要な情報を作り始めれば、将来的に1番になれるのではないか――。
「そう思って、それまでの“ガラクタ発明”はすっぱりとやめたんです。情報に特化したビジネスに全振りすると決めて、社名もナビットに改めました」
このとき35歳。2人の子どもは小学生で、学童保育を利用していたはいたが、まだ手のかかる時期だった。そんな中で自ら発明家から起業家へと舵を切り、デザイナーやシステムエンジニアなど十数人の従業員を率いながら、企画担当兼売り込み隊長として奔走し続けた。
■主婦ネットワークを立ち上げ
ところが、やがてメイン事業ののりかえ便利マップが壁にぶつかる。正確な情報を提供し続けるには定期調査と改訂が欠かせない。
そこで福井さんは調査を全国の大学の鉄道研究会に依頼し、駅以外の調査依頼も舞い込むようになると、今度は近所の主婦に声をかけて調査してもらう形にシフト。その後インターネットが普及し始めると、これを活用して全国の主婦に協力してもらおうと「Sohos-Style」というサイトを立ち上げる。
登録を呼びかけるキャッチフレーズは「月3万円稼ごう」「あなたの稼ぎでグアムに家族旅行に行こう」。自身の主婦経験を生かしたこの言葉は大きな共感を呼び、全国から予想を上回る応募が殺到した。
「登録者には優秀な人もたくさんいました。だから、この人たちに辞めてほしくないな、じゃあ仕事を増やさなくちゃと思って、以前にも増して一生懸命事業アイデアを出しては仕事をとって回るようになりました」
■起業家から経営者へ
しかし、やみくもに事業の数を増やしてもそれが企業成長につながるとは限らない。この点に気づいたのは、経営者向けの勉強会に参加したときだった。事業は雪玉のようなものだから、いくつもの雪玉を作るのではなく一つ作ってそれを転がしながら大きくしていくことが大切だ――。そんな話を聞いて、はたと膝を打った。
当時はのりかえ便利マップ以外にも、10ほどの事業を展開していた。思いついたアイデアを片っ端から事業化しようとして、「数が多すぎて何が何だかわからなくなっていた」のだそう。
今まではその発明家気質が事業の推進力になってきたが、話を聞いて「このままではダメだ」と思い始めた。経営者なら、一つの事業でしっかり実績を作ってから次に行くようにするべきなのだと。
事業を立ち上げる「起業家」から、今ある事業を育てていく「経営者」へと、マインドセットが変わった瞬間だった。
これが大きな転機となり、以降は一つひとつの事業に時間をかけて向き合うようになる。おかげで収益は順調に増加していったが、それにつれて経営者としての精神的・体力的負担も増えた。
「やっぱり経営者ってなかなか相談したり弱音を吐いたりできないですし、その意味では孤独ですね。私の場合は失敗も多いですし。その辺は慣れはしましたけど、今も乗り越えられた気はしないですね」
■チームがまるごと退職…「これか!」
現在では事業の柱の一つになっている「Sohos-Style」も、育てる過程では苦い経験をした。
登録者も調査依頼も増えて忙しくなってきたころ、従業員の残業時間が激増したことがあった。部長に改善するよう頼んだが、なかなか動いてくれず一向に改善されない。このままにはしておけないと断腸の思いで辞めてもらったところ、その部署の人たちが一斉に退職してしまったのだ。
一緒に働いてきた仲間と、時間をかけて育て上げた部署を一度に失ってしまった福井さん。「ものすごくつらかった」と振り返るが、このとき、以前にある経営者から聞いた言葉が胸によみがえった。
「経営者になると、ここはどうしても譲れないというときが来る。そこで社員皆が辞めてしまうような修羅場を経験して、それを乗り越えて初めて一人前の経営者だよ」
ついにそのときが来て、「これか!」と思えたことが助けになった。しばらくは落ち込んだが、「経営者ってそういうものなんだ」と思うようにしたことで、再度立ち上がる勇気を得たという。
■撤退したサービスも山ほど
情報、データベースに関わるさまざまなサービスを事業化してきたが、うまくいくものやそうでないものもある。「紆余曲折はたくさんありました。会社の売り上げ規模としては10億~12億円くらいで推移していますが、『軌道に乗る』なんていうことは、これからもないかもしれませんね」と笑う。
マネタイズできずに頓挫した事業も山ほどある。発明の世界では、1000のアイデアを出してもうまくいくのは三つぐらいだと言われているそうで、自身もこれまでいくつもの事業で撤退を決断してきた。
スーパーのお買い得情報を配信する「毎日特売」、官公庁の入札情報を集めた「入札なう」、空き家情報を集めた「空き家なう」……。
いずれも途中ですっぱりあきらめたが、「入札なう」だけは、これの助成金版がほしいと言われたことから「助成金なう」へと形を変え、今も安定化を目指して運営中だ。
■女将は布団も畳まないし、料理もお会計もしない
人のマネジメントについても、福井さんは自分なりの指針を持っている。適材適所を大切に、専門的な仕事は専門家に任せて自分はその人にベストな仕事をしてもらえるよう頭を使うことにしているそうだ。この考え方は自然と身に付いたもので、起業した当初から「そうするものだと思っていた」という。
実家は箱根の旅館で、母親は女将。多くの従業員を取り仕切る母の姿を見ながら育ち、その仕事ぶりに大きな影響を受けた。
「女将って、基本的には布団も畳まないし料理もお会計もしないんですよ。それぞれ専門の人を雇って、自分は全体を見渡しながらどうしたら皆が一番いい形で働けるかを考える。それが仕事なんですね」
福井さんも、全部自分でやらなくてはと思ったことは一度もない。事業でデザインが必要ならデザイナーを雇ってすべて任せ、よほどのことがない限り自分は口を出さずにきた。
「誰かの言葉にもありますよね。専門家の『門』の字には『口』がない、だから専門家には口を出すなってね(笑)」
■クレームやキャンセル、出禁事例も共有
現在、ナビットは約70人の従業員と6万人以上の「Sohos-Style」登録ワーカーを擁する。
もちろん、同社の原点である「発明」も大事にしている。各従業員のデスクに、思いついたことや顧客に言われたことなどのメモを入れるボックスを置くなど、アイデアが生まれやすい仕組みづくりに余念がない。
また、「発明において失敗は勲章」という考え方から、失敗事例はすべて障害報告として残し、社内で保管している。顧客からクレームが来た事例やキャンセルになった事例などをまとめたもので、出入り禁止になった事例も赤裸々に記載。「失敗は恥ではないと知り、先人の知恵として活用してほしいから」と、入社した新人には必ず見てもらっている。
■引退したら発明に戻るかも
今後も“データベースのナビット”として認知度を上げていけるよう、「情報に特化して一点突破でやっていきたい」と語る福井さん。多くの業界でAI化が進む中、足を使った調査から得られる本物の情報は、これからますます重要性を増していくに違いない。
この先も経営者として忙しい日々が続きそうだが、自身の原点である発明家に戻りたいという思いはないのだろうか。そう尋ねると、「もし引退したら、また“ガラクタ発明”に戻るかもしれません」と、笑顔で答えてくれた。
「最近になって孫が生まれたので赤ちゃん用品とか、同世代に向けたシニア用品とか、あとペット用品とか。やっぱり楽しみながらできるものがいいですね」
いつか経営者の役割を終える日が来ても、発明というライフワークの探究は終わらない。この先、福井さんはそこからまた新しい商品やサービスを生み出して、世の中に送り出してくれるのかもしれない。
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辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
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(フリーランスライター 辻村 洋子)
ライターの辻村洋子さんが取材した――。
■趣味の“発明”が仕事になった
全国6万人以上の登録在宅ワーカーによる草の根調査を基に精密なデータベースを構築し、幅広い企業に提供している「ナビット」。85種類にものぼるデータベースは検索エンジンや鉄道駅など幅広いシーンで活用されており、特に駅の構内図は全国で76%ものシェアを誇る。
同社の出発点は、電車の何両目に乗れば目的駅の階段やエスカレーターに近いかがわかる「のりかえ便利マップ」だ。代表取締役の福井泰代さんが、約30年前、専業主婦だったころに発明したもので、出版社や鉄道会社に粘り強く営業をかけ続けて商品化に成功した。
「発明に夢中になったのは、まだ子どもが小さかったころ。最初は発明品で月3万円ぐらいロイヤルティーをもらえるようになったらいいなという程度でしたが、マップの提供先が思いのほか広がったことで起業を決めました」
当初は子育てで感じた不便を解決しようと、独自の工夫を加えたおしゃぶりや靴などを作っていたが、駅でベビーカーを押しながらの乗り換えに苦戦したことでのりかえ便利マップを発案。これを軸にアイデアママという小さな会社を起業したところ、「そこから趣味が仕事になっちゃったんです」と笑う。
■発明家から起業家へ
起業して事業を軌道に乗せようと奮闘していたある日、取り引き先のソフト会社の人から「これからはマンナビの時代が来る」と聞いた。
マンナビとは「マン(人)ナビゲーション」の略で、人を目的地まで導く技術やサービスのこと。これを聞いた福井さんは、だったら自分のマップのような“情報”が、多くの企業から必要とされるようになるかもしれないと思い始めた。
そんなとき、テレビである経営者が、発明家と起業家の違いについて話しているのを目にする。
「発明家は、今日はサンダル、明日は扇風機……とバラバラなものを考え出していく人だが、起業家は1本の木を林にして、森にして森林にしていける人だ」
その話を聞いて、福井さんは初めて「私も発明するだけじゃなくて起業家になりたい」と思ったという。起業はしたものの、これまでは発明品とその契約先を増やすことだけに没頭してきた。それが、一つの商品を「事業」として育て上げることの重要性に気づいたのだ。
■“ガラクタ発明”はすっぱりやめた
スタッフを増員し、マップだけでは皆にご飯を食べさせていけないかもしれないと不安に思っていたところだった。では、自社で森林にしていけそうなものは何か。マンナビの時代が来るなら、今からそれに必要な情報を作り始めれば、将来的に1番になれるのではないか――。
「そう思って、それまでの“ガラクタ発明”はすっぱりとやめたんです。情報に特化したビジネスに全振りすると決めて、社名もナビットに改めました」
このとき35歳。2人の子どもは小学生で、学童保育を利用していたはいたが、まだ手のかかる時期だった。そんな中で自ら発明家から起業家へと舵を切り、デザイナーやシステムエンジニアなど十数人の従業員を率いながら、企画担当兼売り込み隊長として奔走し続けた。
■主婦ネットワークを立ち上げ
ところが、やがてメイン事業ののりかえ便利マップが壁にぶつかる。正確な情報を提供し続けるには定期調査と改訂が欠かせない。
これには多くのマンパワーが必要で、そのうち社内だけでは対処しきれなくなった。
そこで福井さんは調査を全国の大学の鉄道研究会に依頼し、駅以外の調査依頼も舞い込むようになると、今度は近所の主婦に声をかけて調査してもらう形にシフト。その後インターネットが普及し始めると、これを活用して全国の主婦に協力してもらおうと「Sohos-Style」というサイトを立ち上げる。
登録を呼びかけるキャッチフレーズは「月3万円稼ごう」「あなたの稼ぎでグアムに家族旅行に行こう」。自身の主婦経験を生かしたこの言葉は大きな共感を呼び、全国から予想を上回る応募が殺到した。
「登録者には優秀な人もたくさんいました。だから、この人たちに辞めてほしくないな、じゃあ仕事を増やさなくちゃと思って、以前にも増して一生懸命事業アイデアを出しては仕事をとって回るようになりました」
■起業家から経営者へ
しかし、やみくもに事業の数を増やしてもそれが企業成長につながるとは限らない。この点に気づいたのは、経営者向けの勉強会に参加したときだった。事業は雪玉のようなものだから、いくつもの雪玉を作るのではなく一つ作ってそれを転がしながら大きくしていくことが大切だ――。そんな話を聞いて、はたと膝を打った。
当時はのりかえ便利マップ以外にも、10ほどの事業を展開していた。思いついたアイデアを片っ端から事業化しようとして、「数が多すぎて何が何だかわからなくなっていた」のだそう。
もともと、0を1にするのは得意でも、1を10にするとなると途中で飽きてしまうタイプ。
今まではその発明家気質が事業の推進力になってきたが、話を聞いて「このままではダメだ」と思い始めた。経営者なら、一つの事業でしっかり実績を作ってから次に行くようにするべきなのだと。
事業を立ち上げる「起業家」から、今ある事業を育てていく「経営者」へと、マインドセットが変わった瞬間だった。
これが大きな転機となり、以降は一つひとつの事業に時間をかけて向き合うようになる。おかげで収益は順調に増加していったが、それにつれて経営者としての精神的・体力的負担も増えた。
「やっぱり経営者ってなかなか相談したり弱音を吐いたりできないですし、その意味では孤独ですね。私の場合は失敗も多いですし。その辺は慣れはしましたけど、今も乗り越えられた気はしないですね」
■チームがまるごと退職…「これか!」
現在では事業の柱の一つになっている「Sohos-Style」も、育てる過程では苦い経験をした。
登録者も調査依頼も増えて忙しくなってきたころ、従業員の残業時間が激増したことがあった。部長に改善するよう頼んだが、なかなか動いてくれず一向に改善されない。このままにはしておけないと断腸の思いで辞めてもらったところ、その部署の人たちが一斉に退職してしまったのだ。
一緒に働いてきた仲間と、時間をかけて育て上げた部署を一度に失ってしまった福井さん。「ものすごくつらかった」と振り返るが、このとき、以前にある経営者から聞いた言葉が胸によみがえった。
「経営者になると、ここはどうしても譲れないというときが来る。そこで社員皆が辞めてしまうような修羅場を経験して、それを乗り越えて初めて一人前の経営者だよ」
ついにそのときが来て、「これか!」と思えたことが助けになった。しばらくは落ち込んだが、「経営者ってそういうものなんだ」と思うようにしたことで、再度立ち上がる勇気を得たという。
■撤退したサービスも山ほど
情報、データベースに関わるさまざまなサービスを事業化してきたが、うまくいくものやそうでないものもある。「紆余曲折はたくさんありました。会社の売り上げ規模としては10億~12億円くらいで推移していますが、『軌道に乗る』なんていうことは、これからもないかもしれませんね」と笑う。
マネタイズできずに頓挫した事業も山ほどある。発明の世界では、1000のアイデアを出してもうまくいくのは三つぐらいだと言われているそうで、自身もこれまでいくつもの事業で撤退を決断してきた。
スーパーのお買い得情報を配信する「毎日特売」、官公庁の入札情報を集めた「入札なう」、空き家情報を集めた「空き家なう」……。
いずれも途中ですっぱりあきらめたが、「入札なう」だけは、これの助成金版がほしいと言われたことから「助成金なう」へと形を変え、今も安定化を目指して運営中だ。
転んでもただでは起きないところは、起業家としてはもちろん経営者としても大きな強みだろうと思う。
■女将は布団も畳まないし、料理もお会計もしない
人のマネジメントについても、福井さんは自分なりの指針を持っている。適材適所を大切に、専門的な仕事は専門家に任せて自分はその人にベストな仕事をしてもらえるよう頭を使うことにしているそうだ。この考え方は自然と身に付いたもので、起業した当初から「そうするものだと思っていた」という。
実家は箱根の旅館で、母親は女将。多くの従業員を取り仕切る母の姿を見ながら育ち、その仕事ぶりに大きな影響を受けた。
「女将って、基本的には布団も畳まないし料理もお会計もしないんですよ。それぞれ専門の人を雇って、自分は全体を見渡しながらどうしたら皆が一番いい形で働けるかを考える。それが仕事なんですね」
福井さんも、全部自分でやらなくてはと思ったことは一度もない。事業でデザインが必要ならデザイナーを雇ってすべて任せ、よほどのことがない限り自分は口を出さずにきた。
「誰かの言葉にもありますよね。専門家の『門』の字には『口』がない、だから専門家には口を出すなってね(笑)」
■クレームやキャンセル、出禁事例も共有
現在、ナビットは約70人の従業員と6万人以上の「Sohos-Style」登録ワーカーを擁する。
事業の軸はこのネットワークを生かした調査とデータベースの販売・メンテナンスで、今では売り上げのおよそ7割を継続契約が占めるまでになった。のりかえ便利マップや、駅構内図のほか、各地の店舗の開店・閉店情報、不動産の物件写真、サービスの覆面調査などの実地・Web調査を行う。まさに1本の木を森林に、一つの雪玉を大きな玉にした好例と言えるだろう。
もちろん、同社の原点である「発明」も大事にしている。各従業員のデスクに、思いついたことや顧客に言われたことなどのメモを入れるボックスを置くなど、アイデアが生まれやすい仕組みづくりに余念がない。
また、「発明において失敗は勲章」という考え方から、失敗事例はすべて障害報告として残し、社内で保管している。顧客からクレームが来た事例やキャンセルになった事例などをまとめたもので、出入り禁止になった事例も赤裸々に記載。「失敗は恥ではないと知り、先人の知恵として活用してほしいから」と、入社した新人には必ず見てもらっている。
■引退したら発明に戻るかも
今後も“データベースのナビット”として認知度を上げていけるよう、「情報に特化して一点突破でやっていきたい」と語る福井さん。多くの業界でAI化が進む中、足を使った調査から得られる本物の情報は、これからますます重要性を増していくに違いない。
この先も経営者として忙しい日々が続きそうだが、自身の原点である発明家に戻りたいという思いはないのだろうか。そう尋ねると、「もし引退したら、また“ガラクタ発明”に戻るかもしれません」と、笑顔で答えてくれた。
「最近になって孫が生まれたので赤ちゃん用品とか、同世代に向けたシニア用品とか、あとペット用品とか。やっぱり楽しみながらできるものがいいですね」
いつか経営者の役割を終える日が来ても、発明というライフワークの探究は終わらない。この先、福井さんはそこからまた新しい商品やサービスを生み出して、世の中に送り出してくれるのかもしれない。
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辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
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(フリーランスライター 辻村 洋子)
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