東京近郊で住む場所を決める際に重要なことは何か。不動産事業プロデューサーの牧野知弘さんは「東京に無数に張り巡らされている鉄道路線にはそれぞれイメージがある。
西や南に伸びる路線は特にイメージが良く、不動産会社の社員もよく住んでいる」という――。
※本稿は、牧野知弘『不動産の教室』(大和書房)の一部を再編集したものです。
■「24時間戦えますか」は過去の話
平成バブルの絶頂期である1989年11月。三共(現在の第一三共)の栄養ドリンク「リゲイン」のCMソング「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」を時任三郎が勇ましく歌い上げ、大流行しました。その歌詞は当時の日本の活況を物語るものでした。
「黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦えますか」で始まり「アタッシュケースに勇気のしるし、はるか世界で戦えますか」と気分を高揚させ「ビジネスマン、ビジネスマン、ジャパニーズ・ビジネスマン」と叫ぶ、現代ではありえない歌詞です。
この時代から30年以上が経過、干支が3周する間に日本社会は大きく変わりました。
特に変わったのが働き方です。私は大企業サラリーマンを離れて長くなってしまいましたが、先日、友人の大企業社員(人事部)から聞いた話では、以下のような状況があたりまえになったとのことで、少々驚かされました。
◆転勤を打診したら拒否された

◆ある大きなプロジェクトが成功したので部長が夜、部員の慰労会を開くと言ったら、部員たちから「それって残業代は出るのか?」と聞かれた

◆昼間に緊急の打ち合わせが入ったのでお弁当を注文してランチミーティングをしようとしたら、担当者から「残業時間にしてよいですよね?」と確認された

◆部下を叱るときには、上司はまず「自分が怒ってはいない」ということを宣言し、「なぜそうなったかを一緒に考えよう」と言わなければならない
■仕事第一から趣味・家族第一の街選びへ
このように時代の変遷とともに働き方も変わります。
そして価値観が変わることは住まい方にも影響を与えるようになります。
会社で過ごす時間が短くなり、社内での濃い人間関係を築くことを拒否する現代人は自分の時間を大切にします。

そして彼らは自分の趣味や関心事を大切にする、また家族を第一に考えて生活するための街選びを行うようになってきています。
こうしたニーズを確実に受け入れるには、これまでの通勤時間ファーストの街ではなく、生活するのにいかに快適であるかが、住宅選びの大きなポイントになってきています。
街がそこで生活する人にとっていかに魅力的であるかが問われる時代になったということは、街と街の間で格差がついていくことを意味しています。
街の魅力は生活するのに楽しいという要素だけではありません。では東京のどこに住むのが良いのかをみていきましょう。
■東京都の「いい地盤ランキング」
東京に限った話ではありませんが、日本国内ではどこに居を構えるにしても、大地震の可能性について考えないわけにはまいりません。
特に東京では関東大震災以降、大きな地震といえば2011年に発生した東日本大震災の時の震度5強が最大ですが、今後南海トラフ地震や首都直下地震が発生する確率が年々高まっています。
いくら建築技術が進歩した現代とはいえ、地盤の悪い埋立地などでは、先述したように土地の激しい液状化現象などが起こり得ます。建物自体に損傷がなくても実際に生活を維持することが困難になるのです。
地震の影響を極力小さくするのは地盤の強固さです。
東京の地盤に関しては様々なデータが存在しますが、わかりやすいのは、地盤ネットが公表している東京都区市町村「いい地盤ランキング」です。
これは同社が持つビッグデータをもとに算出した地盤安心スコアを集計してランキング化したもので、80点以上が安全、55点以上が普通、55点未満が注意とされています。
ちなみに東京都全体平均のスコアは71.8点です。
2018年9月に発表されたランキングでは、1位国分寺市86.68点を筆頭に、3位小平市、5位立川市など武蔵野台地上の自治体名が並びます。
23区では「安全」レベルに達したのは練馬区80.59点(16位)のひとつだけです。「普通」にランクインしたのは杉並区77.32点(23位)から大田区56.49点(45位)までの14区。
残りの8区は葛飾、足立、台東、江戸川、荒川、墨田、中央、江東区43.82点(53位、最下位)の順に順位が落ちていきます。
このようにみてくると、東京で安全に住むなら山の手から多摩方面ということになります。下町は沖積地や埋立地が多く、大地震が発生した場合、被害を受けるリスクは各段に高いということになります。
■東京に家を持つなら武蔵野台地の上
もう一つの災害で恐ろしいのが台風やゲリラ豪雨による浸水です。
東京都内には現在、一級河川として多摩川水系、利根川水系、荒川水系、鶴見川水系という4つの水系があります。この水系を中心に92の一級河川が展開します。
これに二級河川を含めると都内にはなんと107もの河川が存在し、その延長距離は858kmにも及んでいます。
こうした河川沿いは洪水の危険性が高いところが多く、本来は居住地としては避けるべき場所です。
浸水危険個所は各自治体が発行するハザードマップで確認できます。
2019年10月に関東地方を襲った台風19号で、川崎市武蔵小杉にあるタワマンで浸水があり、長時間にわたって停電する事故がありましたが、このエリアはハザードマップと照らし合わせると浸水が想定されるエリアになっています。
地震、洪水リスク双方を避けるという意味では、やはり、東京に家を持つなら武蔵野台地上というのが基本なのです(実際の災害リスクには、地盤以外にもさまざまな要因が関係します。また、武蔵野台地においてもすべてが強固ではないという見解もあるようです。あくまで原則論としてご理解ください)。
■東京に乗り入れる鉄道路線の「イメージ」
東京には毎日多くの人が電車に乗って集結してきます。
東京を囲む神奈川、千葉、埼玉からが中心ですが、千葉の先の茨城や奥多摩の先の山梨からも集まってきます。
こうした現象は地方都市ではなかなか見られないものです。これらの人たちはそのほとんどが東京に通勤や通学でやってくる人たちです。そして彼ら彼女らが乗車する鉄道は、沿線の雰囲気をそのまま電車に詰め込んで東京との間を行き来します。
鉄道社会である東京の街を語る場合、各鉄道路線が持っている雰囲気は非常に大切です。いわば東京の街は鉄道路線によって様々な顔を持っていると言えます。

ここでは東京人が抱く各鉄道路線に対するイメージを東京に乗り入れるJRや私鉄各線について考えてみましょう。
■山手線は「特徴はないがカオス」、中央線は「退屈」
東京の交通体系はすべて皇居を中心に形作られています。
皇居の廻りを一周するのがJR山手線です。山手線は東京人にとっては「交通の基本の基」ともいえる存在です。
山手線と一口に言ってもいろいろな駅があります。
山手線は恵比寿や渋谷、原宿といった華やかでお洒落なイメージがありますが、環状線の右上になると田端や日暮里、上野といった下町となります。
また、山手線は新宿や池袋、品川、東京、秋葉原、上野などのターミナル駅から乗り継いでくる人で電車内は埋め尽くされていますので、私から見れば「もっとも特徴のない」カオスな路線に見えます。
山手線を離れて東京に乗り入れる主な鉄道沿線に対するイメージについて、誤解を恐れずに語ってみると次のようになります。
東京から西への幹線といえばJR中央線です。
東京は東西に細長く、東京駅から中央線快速の終着駅である高尾まで鉄道距離にして53.1kmもあります。どこまで行っても東京都というのが中央線の特徴です。
中央線に対する私のイメージは、似たような印象の駅が並ぶ路線です。
特に高円寺から吉祥寺あたりまではどの駅も全く同じような印象の駅が並びます。吉祥寺から先も八王子までとにかく路線が長く退屈な電車です。この傾向は同じく西へ西へとひた走る京王線にも同じような傾向があります。
■田園都市線、東横線は「イメージ最高」
新宿から南西部を走り、神奈川県を貫いていくのが小田急線です。
和泉多摩川駅を越えると多摩川を渡ってしまうので、新宿からはわずか15分程度で東京を抜けていきますが、町田で少しだけ東京に戻ります。
神奈川県内は新百合ヶ丘や相模原などの衛星都市が続き、海老名から厚木へと神奈川県のど真ん中を貫いていきます。
都内はブランド住宅地の成城や経堂など世田谷区を通過していくためハイソなイメージがあります。また下り電車の終着が箱根湯本や江の島などの行楽地を擁するのも特徴の一つです。
なんといっても一般の人たちにとって沿線イメージが良いのが、東急田園都市線と東急東横線です。田園都市線は渋谷から多摩川べりの二子玉川までわずか6駅しかありませんが、用賀や駒沢大学といったブランド住宅地、若者に人気が高い三軒茶屋など多彩な駅が並びます。また渋谷からは半蔵門線に乗り入れるため、交通利便性の良さも人気の理由の一つかもしれません。
いっぽう、東横線は田園都市線よりも歴史が古いこともあり、沿線は落ち着いた住宅街になっています。

渋谷から多摩川までの都内では代官山や自由が丘といったお洒落タウン、都立大学、学芸大学などの閑静な住宅街、そして田園調布というブランド住宅地を抱える東横線のイメージは老舗の持ついぶし銀のイメージでしょうか。
この両線は乗客の服装が良いのも特徴です。田園都市線と東横線では年齢層が違いますが、いずれも富裕層でちょっと良いデザインの衣装を身にまとった紳士淑女の電車です。
■イメージに天と地の差がある東海道線・京浜東北線
神奈川県に向かう大動脈がJRの東海道線と京浜東北線です。
沿線イメージなどの各種調査によると、この両線は横浜駅まではほぼ同じ路線であるのにもかかわらず、イメージは天と地ほどの差があります。
東海道線は言わずと知れたJRの大動脈。常に新型車両が導入され、JRの力の入れようが違うことも特筆されます。この路線の特徴は大手町や丸の内に通うエリートサラリーマンのための電車といったところでしょうか。
ところがこれが京浜東北線になると、東京までの通勤時間も東海道線に比べてかかることもあって評点が落ちます。実は大井町や大森も海側と山側でかなり趣の異なる街で、大森駅西側の山王などはブランド住宅地なのですが、沿線イメージにつながらないようです。
■千葉・埼玉方面の鉄道路線イメージは高くない
JR横須賀線は、大船駅までは東海道線と京浜東北線とほぼ同経路をたどり、大船からは鎌倉や逗子などの観光地に行くイメージの良い電車のはずなのですが、総武線と接続することが路線のイメージを悪くしているように思われます。
その他神奈川県方面には海沿いを走る京浜急行があります。この電車は遅延が少ないことが有名でそれなりに快適な電車なのですが、品川から蒲田に至る沿線のイメージは、工場などが多く殺風景であるためか人気がありません。
この路線は神奈川県内を三浦半島へ南下して三崎口という城ケ島のたもとまでつながっています。また蒲田から羽田空港に直接アプローチが可能です。
さらに都営地下鉄浅草線を経由して京成電鉄に乗り入れ成田空港までつながる大動脈であるなど鉄道としての発展可能性は高い路線だと言えます。
千葉や埼玉方面につながる鉄道路線のイメージは総じてあまり高くないというのが東京人のほぼ共通した見方です。
千葉はJR総武線など、国鉄時代には労働組合運動が激しいところで、ストライキも頻発したイメージが残っています。
またJRになってからも総武線の混雑は常に激しく、並行して走る東京メトロ東西線の混雑とあいまって沿線イメージを悪くしています。
総武線は、千葉県内では船橋や津田沼といったサラリーマンが買うには手ごろな住宅地が多かったことも電車の混雑率を上げている原因といえます。
同じく千葉の沿岸部を走るJR京葉線は、ディズニーランドがある舞浜駅の好印象とお隣の新浦安の高層マンションが路線イメージを向上させています。
しかし、海側は湾岸部の倉庫街であること、新浦安から先の検見川浜や稲毛海岸といったあたりまでくると街としての華やかさにやや欠けるところがあり、路線としての評価はゲタをはかせすぎの感もあります。
■不動産関係者は東京の西・南に住む
また京成線は成田空港にも接続しスカイライナーは快適なのですが、東京人の印象は薄いようです。
JR常磐線や東北線、高崎線は2015年から東海道線と接続して東京上野ラインになりましたが、都内の下町を通過していくために沿線イメージは高くありません。
埼玉県に向かう西武線や東武線についても沿線住民の方にはいろいろな評価があるかと思いますが、東京人からみればどれも一緒というのが正直なところです。
鉄道のイメージというのは人それぞれであり、地元に対する愛着もありイメージは異なるものです。
しかし不動産屋でもある私からみると、これまで住宅は都心の西から南が選ばれてきたというのが正直な感想です。
それは私が以前勤めていた三井不動産の社員の住所を見れば明らかです。
彼らのほとんどが、住所は東京の西から南および神奈川県内にありました。いわば鉄道イメージも、あえて「選ばれる」ことから独自のイメージが植えつけられていくものです。
東京の街も鉄道を介して大量の人が流入することで変わっていきます。沿線イメージも頭に置きながら東京の街を考えていくとよいでしょう。

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牧野 知弘(まきの・ともひろ)

不動産事業プロデューサー

東京大学経済学部卒業。ボストンコンサルティンググループなどを経て、三井不動産に勤務。その後、J-REIT(不動産投資信託)執行役員、運用会社代表取締役を経て独立。現在は、オラガ総研代表取締役としてホテルなどの不動産事業プロデュースを展開している。著書に『不動産の未来』(朝日新書)、『負動産地獄』(文春新書)、『家が買えない』(ハヤカワ新書)、『2030年の東京』(河合雅司氏との共著)『空き家問題』『なぜマンションは高騰しているのか』(いずれも祥伝社新書)など。

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(不動産事業プロデューサー 牧野 知弘)
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