マンションポエムとしてすっかり定着した感のあるマンションの広告コピー。千葉県出身のライター、大山顕さんは「習志野市の一部がマンションコピーに合わせて正式な地名を変えたのには驚いた。
※本稿は、大山顕『マンションポエム東京論』(本の雑誌社)の一部を再編集したものです。
■マンションポエムは防災を謳わないのか
2011年の震災後に集めようと思ったものが、「帰宅ログ」のほかにもうひとつある。防災を謳うマンションポエムである。ところがそういうマンションポエムはあまりない。もちろん、どの物件広告ウェブサイトにもある「構造」ページには、免震構造を採用していることなどが説明されているが、トップページのキャッチコピーに防災を謳う文言はほとんど見られない。これは震災前と震災後でほとんど変化していない。
これはディベロッパーが防災に及び腰であるということではなく、広告というものが持つ性質に由来していると考える。つまり、免震について強調すると、見た人の意識が地震に向いてしまい、それはマンション広告がアピールしたいこととはかけ離れてしまう。
もちろん防災は重要で、実際に対策は施されている。しかしそれを言うことは必ずしも宣伝として有利に働かない。注意をひくという広告の基本機能がアダになるわけだ。
■免震をポエム調でPRするとおかしなことに
とはいうものの、ときおり免震をポエム調で謳う物件はある。これがまた味わい深い。
「地震の備えには、過保護でいいと思う。」(「パークシティ武蔵小山 ザ タワー」三井不動産レジデンシャル/旭化成不動産レジデンス・2019年築)
「免震タワーレジデンスが、神戸をワタシ色に染めてゆく。」(「ジ・アーバネックスタ
ワー神戸元町通」大阪ガス都市開発/大林新星和不動産/大和ハウス工業・2016年築)
「ヴィンテージの資質。洗練の赤坂に、やすらぎの免震。」(「フォレセーヌ赤坂氷川町」
フォレセーヌ・2009年築)
「眺望を日常に。安心を免震で。」(「ノブレス藤沢鵠沼」ナイスエスト・2017年築)
「白金の空と大地に、新たな迎賓を紡ぐ免震タワーレジデンス。」(「ザ・パークハウス
白金2丁目タワー」三菱地所レジデンス/ 野村不動産・2018年築)
「POWER LIFEを堪能する人々に相応しい超高層免震タワーレジデンス」(「グラン
ドミレーニア」住友不動産・2015年築)
一生に一度の高額商品購入にあたって暗い気分にさせてはいけない。あくまで高揚感のあるテイストを保ったまま、地震対策について触れなければならないという、両立しがたい難しい問題に対する回答がこれらである。
難題に対して考えすぎたのか、ちょっと妙なことになってしまったポエムもある。
「日本の災害から逃げないタワー。」(「Brillia Tower 聖蹟桜ヶ丘 BLOOMING RESIDENCE」東京建物/東栄住宅/京王電鉄/伊藤忠都市開発・2022年築)
いや、逃げようよ。
■「災害から逃げないタワー。」に込められたこと
言いたいことは分かる。「あなたの想いとこの国の災害にきちんと向き合い、真剣に日々の安心安全について考えました」と続くことからも「逃げない」の意味するところは明らかだが、それにしてももうちょっと誤解のない表現にできなかったのか。
もうひとつ、マンションではなく1戸建て分譲住宅の広告なのだが、防災に関して衝撃を受けた表現があったので紹介したい。「街並みに、様式という美景。暮らしに、スタイルという美学。」と謳う東急不動産の「ブランズガーデン あすみが丘東」(2002年販売開始)。房総半島の中央部、最寄り駅が土気駅となる立地は「海抜80メートル」を売りにしている。物件の場所を示す地図を見ると、関東平野がブルーに塗られ「海面が60m上昇した場合の海岸線予想図」とキャプションが付いている。温暖化の影響にしてもすさまじい。縄文海進の時代より遥かに水面が高い。
もちろん東京都心部は全て水没。こうなったらおそらく日本は終わりなので、自宅が水没するかどうかはさして問題ではないのではないか。「タワーマンションの上層階は水没しません」と言っているようなものだ。小松左京を読んだほうがいい。
■マンションポエムはやたらと「奏でる」
マンションポエムはなにかというと「奏でる」。
「そのタワーレジデンスは美しい調和を奏でる。」(「ブランズタワーみなとみらい」東急不動産・2016年築)
「TOKI――刻の奏――刻を奏でる駅徒歩4分の私邸」(「デュオヒルズ東川口」フージャースコーポレーション・2017年築)
「奥ゆかしく奏でる春の調べ。」(「プレミスト京都 烏丸御池」大和ハウス工業・2016年築)
「個性が奏でるソナタ。」(「フェアロージュ神宮前」新日本製鐵・1998年築)
「洗練と品格を奏でる全63邸」(「ジオ御苑内藤町」阪急不動産・2016年築)
ご覧の通り、たいへん奏でがちだ。
■習志野市の「谷津」が「奏の杜」になった
ここで震災に関連してとりあげたい「奏」がある。それは「奏であう洗練の邸。」だ。これは三井不動産レジデンシャルの「パークホームズ津田沼奏の杜」(2013年築)という物件のポエム。ぼくはこのマンションが建つ一帯にはなじみがある。ここ習志野市はぼくが子供のころからアマチュアオーケストラの活動が盛んな地域。物件の近くにコンサートホールがあって、「奏」はそこから来ている。ぼくもここで演奏したことがある。
2007年、複数ディベロッパーが参画する大規模開発が始まったのは、駅からほど近く、ここだけぽっかりと畑が広がる、起伏のあるちょっと不思議な場所。分譲開始とともに、ここでさまざまなマンションポエムが奏でられることとなった。
そしてなんとこの「奏の杜」が実際の地名になったのだ。
■ついにマンションポエムが地名を変えた?
震災後、地名を安易に変更することを疑問視する声があがり、関連する記事・報道や書籍が出回った。古くからの地名には、その場所の災害の履歴や地形・地盤を表す意味が含まれている、という内容だ。たとえば「クボ」と読む地名は窪地で、地盤が軟弱である、云々。もちろん事はそう簡単ではなく「この字/読みだからここは危険」などと一般化できるものではない。
「谷津」も、文字通り谷戸地形を示す地名だが、だからといって即危険な土地ということにはならない。習志野市による、2023年の奏の杜地区における各種災害評価では、地震にともなう揺れ・液状化による建物全半壊率は4.0パーセントとされ、危険度を表す等級は最も低い「1」である。
「谷津」という地名には色々な思い出があるので、それが変わってしまうことは残念ではあるが、一方で「ポエム」が地名になった事例としてたいへんおもしろくも思う。なぜならこの「ポエムの地名化」はマンションの立地が何を理想としているかをよく表しているからだ。
■公式の地名を商品化するのは品がない
ポエムは何かを隠している。民間ディベロッパーによる地名の変更とは、まさに旧地名の隠蔽である。
場所とはほんらい、地理的位置のみならず、地形、風土、歴史そして地名、など様々な要素が組み合わさって、他とは交換不可能な個別性をもつものである。一方、マンションポエムが謳う立地とは、都心主要駅から「時間のかかるワープ」をしてたどり着く飛び地のようなものであろうとする。
「中心地から同じ地理的/時間的距離にある街は同じ」という考え方は、立地から場所性を漂白して交換可能なものにする。別の言い方、あえて大げさな言い方をするのならそれは「どこか分からなくする」ということだ。街が選択肢になるというのはそういうことである。マンションポエムの手練手管が行き着いた先のひとつ。それがこの「ポエムの地名化」なのである。だからおもしろいと思う。
ぼくは古い地名の変更それ自体に一律反対するものではない。ただ、現在行われる地名変更のほとんどは、それが公共によってなされるものであっても、このような「ポエム化」の性質を帯びていて、それには首をかしげざるを得ない。率直に言って品がない。その命名においてはもっぱら、当世における商品性が判断基準になるからだ。マンションをはじめとして、こんにちの住宅がインフラではないように、地名ももはや「商品」だということだ。商品はいつか時代遅れになる。
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大山 顕(おおやま・けん)
写真家、ライター
1972年生まれ。千葉大学工学部卒業後、松下電器株式会社(現Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。出版、イベント主催なども行っている。著書に『工場萌え』(石井哲との共著、2007年)、『団地の見究』(2008年)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、2016年)、『立体交差』(2019年)などがある。
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(写真家、ライター 大山 顕)
しかし、それでいいのかという疑問も感じる」という――。
※本稿は、大山顕『マンションポエム東京論』(本の雑誌社)の一部を再編集したものです。
■マンションポエムは防災を謳わないのか
2011年の震災後に集めようと思ったものが、「帰宅ログ」のほかにもうひとつある。防災を謳うマンションポエムである。ところがそういうマンションポエムはあまりない。もちろん、どの物件広告ウェブサイトにもある「構造」ページには、免震構造を採用していることなどが説明されているが、トップページのキャッチコピーに防災を謳う文言はほとんど見られない。これは震災前と震災後でほとんど変化していない。
これはディベロッパーが防災に及び腰であるということではなく、広告というものが持つ性質に由来していると考える。つまり、免震について強調すると、見た人の意識が地震に向いてしまい、それはマンション広告がアピールしたいこととはかけ離れてしまう。
もちろん防災は重要で、実際に対策は施されている。しかしそれを言うことは必ずしも宣伝として有利に働かない。注意をひくという広告の基本機能がアダになるわけだ。
だから、ことさら強調しないほうがいいということになる。ひととおり立地の素晴らしさについて見た後、「ところで防災についてはどうだろう」と思った購入検討者に対しては「それはこちらに詳しく説明があります」と誘導すればいい。
■免震をポエム調でPRするとおかしなことに
とはいうものの、ときおり免震をポエム調で謳う物件はある。これがまた味わい深い。
「地震の備えには、過保護でいいと思う。」(「パークシティ武蔵小山 ザ タワー」三井不動産レジデンシャル/旭化成不動産レジデンス・2019年築)
「免震タワーレジデンスが、神戸をワタシ色に染めてゆく。」(「ジ・アーバネックスタ
ワー神戸元町通」大阪ガス都市開発/大林新星和不動産/大和ハウス工業・2016年築)
「ヴィンテージの資質。洗練の赤坂に、やすらぎの免震。」(「フォレセーヌ赤坂氷川町」
フォレセーヌ・2009年築)
「眺望を日常に。安心を免震で。」(「ノブレス藤沢鵠沼」ナイスエスト・2017年築)
「白金の空と大地に、新たな迎賓を紡ぐ免震タワーレジデンス。」(「ザ・パークハウス
白金2丁目タワー」三菱地所レジデンス/ 野村不動産・2018年築)
「POWER LIFEを堪能する人々に相応しい超高層免震タワーレジデンス」(「グラン
ドミレーニア」住友不動産・2015年築)
一生に一度の高額商品購入にあたって暗い気分にさせてはいけない。あくまで高揚感のあるテイストを保ったまま、地震対策について触れなければならないという、両立しがたい難しい問題に対する回答がこれらである。
難題に対して考えすぎたのか、ちょっと妙なことになってしまったポエムもある。
「日本の災害から逃げないタワー。」(「Brillia Tower 聖蹟桜ヶ丘 BLOOMING RESIDENCE」東京建物/東栄住宅/京王電鉄/伊藤忠都市開発・2022年築)
いや、逃げようよ。
■「災害から逃げないタワー。」に込められたこと
言いたいことは分かる。「あなたの想いとこの国の災害にきちんと向き合い、真剣に日々の安心安全について考えました」と続くことからも「逃げない」の意味するところは明らかだが、それにしてももうちょっと誤解のない表現にできなかったのか。
ぼくが知る限りもっとも味わい深い防災ポエムである。
もうひとつ、マンションではなく1戸建て分譲住宅の広告なのだが、防災に関して衝撃を受けた表現があったので紹介したい。「街並みに、様式という美景。暮らしに、スタイルという美学。」と謳う東急不動産の「ブランズガーデン あすみが丘東」(2002年販売開始)。房総半島の中央部、最寄り駅が土気駅となる立地は「海抜80メートル」を売りにしている。物件の場所を示す地図を見ると、関東平野がブルーに塗られ「海面が60m上昇した場合の海岸線予想図」とキャプションが付いている。温暖化の影響にしてもすさまじい。縄文海進の時代より遥かに水面が高い。
もちろん東京都心部は全て水没。こうなったらおそらく日本は終わりなので、自宅が水没するかどうかはさして問題ではないのではないか。「タワーマンションの上層階は水没しません」と言っているようなものだ。小松左京を読んだほうがいい。
■マンションポエムはやたらと「奏でる」
マンションポエムはなにかというと「奏でる」。
「そのタワーレジデンスは美しい調和を奏でる。」(「ブランズタワーみなとみらい」東急不動産・2016年築)
「TOKI――刻の奏――刻を奏でる駅徒歩4分の私邸」(「デュオヒルズ東川口」フージャースコーポレーション・2017年築)
「奥ゆかしく奏でる春の調べ。」(「プレミスト京都 烏丸御池」大和ハウス工業・2016年築)
「個性が奏でるソナタ。」(「フェアロージュ神宮前」新日本製鐵・1998年築)
「洗練と品格を奏でる全63邸」(「ジオ御苑内藤町」阪急不動産・2016年築)
ご覧の通り、たいへん奏でがちだ。
■習志野市の「谷津」が「奏の杜」になった
ここで震災に関連してとりあげたい「奏」がある。それは「奏であう洗練の邸。」だ。これは三井不動産レジデンシャルの「パークホームズ津田沼奏の杜」(2013年築)という物件のポエム。ぼくはこのマンションが建つ一帯にはなじみがある。ここ習志野市はぼくが子供のころからアマチュアオーケストラの活動が盛んな地域。物件の近くにコンサートホールがあって、「奏」はそこから来ている。ぼくもここで演奏したことがある。
2007年、複数ディベロッパーが参画する大規模開発が始まったのは、駅からほど近く、ここだけぽっかりと畑が広がる、起伏のあるちょっと不思議な場所。分譲開始とともに、ここでさまざまなマンションポエムが奏でられることとなった。
そしてなんとこの「奏の杜」が実際の地名になったのだ。
もともと「谷津」という地名だったものが、2012年、習志野市議会によって正式に「奏の杜」への変更が認められた。いわば、ポエムの地名化である。
■ついにマンションポエムが地名を変えた?
震災後、地名を安易に変更することを疑問視する声があがり、関連する記事・報道や書籍が出回った。古くからの地名には、その場所の災害の履歴や地形・地盤を表す意味が含まれている、という内容だ。たとえば「クボ」と読む地名は窪地で、地盤が軟弱である、云々。もちろん事はそう簡単ではなく「この字/読みだからここは危険」などと一般化できるものではない。
「谷津」も、文字通り谷戸地形を示す地名だが、だからといって即危険な土地ということにはならない。習志野市による、2023年の奏の杜地区における各種災害評価では、地震にともなう揺れ・液状化による建物全半壊率は4.0パーセントとされ、危険度を表す等級は最も低い「1」である。
「谷津」という地名には色々な思い出があるので、それが変わってしまうことは残念ではあるが、一方で「ポエム」が地名になった事例としてたいへんおもしろくも思う。なぜならこの「ポエムの地名化」はマンションの立地が何を理想としているかをよく表しているからだ。
■公式の地名を商品化するのは品がない
ポエムは何かを隠している。民間ディベロッパーによる地名の変更とは、まさに旧地名の隠蔽である。
隠された古い地名は、商売上不都合だからそうされる。「奏の杜」はそこが「谷」であることを隠している。実際に危険な地名でなくても、そう疑われてはならない。重要なのは、駅から近く、東京駅まで30分足らず、という位置座標であって、谷津の「場所」には商品性がない。
場所とはほんらい、地理的位置のみならず、地形、風土、歴史そして地名、など様々な要素が組み合わさって、他とは交換不可能な個別性をもつものである。一方、マンションポエムが謳う立地とは、都心主要駅から「時間のかかるワープ」をしてたどり着く飛び地のようなものであろうとする。
「中心地から同じ地理的/時間的距離にある街は同じ」という考え方は、立地から場所性を漂白して交換可能なものにする。別の言い方、あえて大げさな言い方をするのならそれは「どこか分からなくする」ということだ。街が選択肢になるというのはそういうことである。マンションポエムの手練手管が行き着いた先のひとつ。それがこの「ポエムの地名化」なのである。だからおもしろいと思う。
ぼくは古い地名の変更それ自体に一律反対するものではない。ただ、現在行われる地名変更のほとんどは、それが公共によってなされるものであっても、このような「ポエム化」の性質を帯びていて、それには首をかしげざるを得ない。率直に言って品がない。その命名においてはもっぱら、当世における商品性が判断基準になるからだ。マンションをはじめとして、こんにちの住宅がインフラではないように、地名ももはや「商品」だということだ。商品はいつか時代遅れになる。
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大山 顕(おおやま・けん)
写真家、ライター
1972年生まれ。千葉大学工学部卒業後、松下電器株式会社(現Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。出版、イベント主催なども行っている。著書に『工場萌え』(石井哲との共著、2007年)、『団地の見究』(2008年)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、2016年)、『立体交差』(2019年)などがある。
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(写真家、ライター 大山 顕)
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