ドナルド・トランプとは何者か。『アメリカの新右翼』(新潮選書)を書いた神戸大学大学院の井上弘貴教授は「アメリカでは文化戦争と言うべき内戦が起き、その深刻さは増している。
■トランプ大統領には一貫した思想はない
――トランプ支持者とされる人々や、政権周囲に集まる人々は、陰謀論者やオルタナ右翼といった過剰な人たちばかりではないのですね。
【井上】トランプ支持の思想は突如としてゼロから生まれたものではなく、さまざまな思想的潮流を背景にして姿をあらわしてきました。そこを踏まえたうえでの分析でなければ、トランプ現象そのものを見誤ってしまうでしょう。
日本のインテリ層は多くがリベラルですから、米国右派の思想家やその潮流についてはあたかも存在しないものと見なしがちですが、全くそんなことはありません。
戦後の米国史上、3度目の右派思想の潮流が台頭する、「第三のニューライト(新右翼)」と呼ばれるダイナミックな動きがあり、傍からは一つの勢力にみえる右翼の間でも活発な議論、バチバチの対立が起きています。
――のサブタイトルは「トランプ『を』生み出した思想家たち」ですが、あとがきで「本来はトランプ『が』生み出した……」の方が実態に即していると述べられています。
【井上】2016年の大統領選挙でトランプが勝った後、あるいは第一次トランプ政権の最中だったら、そうだったと思います。しかし現在は、むしろサブタイトルに近くなっていると言えます。
右派の中でもいろいろな思想の持ち主がトランプ大統領や政権の周囲に集まって、大統領としての彼に肉付けをおこなっており、しかも本来ならば相矛盾する立場にある多様な人たちが結集して、新しい動きを作り出しています。大統領としてのトランプをつくりだしているのは周囲の人びとなのです。
私はある時期までトランプ氏自身の思想、つまりトランピズムが存在するのではないかと思っていました。確かにディールを好むといったビジネスマンとしての嗅覚が彼にはあります。
しかしどうもトランプ自身には一貫した思想はなく、その時々でこれはと思ったものを政策やメッセージとして採用しているのではないかという考えに今は傾いています。それゆえに、ある意味で節操なくさまざまな人や意見を許容できる面もあります。
■なぜイーロン・マスクと決裂したのか
――トランプ自身は中空……。イーロン・マスクはテック右派としてトランプ政権の一員化していましたが、で〈今この瞬間にも両者の関係が破綻し、マスクがトランプから離れる可能性がある〉と書かれていた通り両者は決裂。さらにマスクは新党「アメリカ党」を結成すると宣言しています。
【井上】ふたりの仲があとでどのように変化しても大丈夫なように書いておこうと思ったのは確かです(笑)。半分は冗談ですが、決裂した直接の理由は単純で、お互いのキャラが濃すぎるからです。
ただ意外かもしれませんが、トランプは一度自分から離れたり、批判した人間であっても、頭を下げて戻ってくるなら受け入れるところがあります。DOGEの活動でかなりのフラストレーションをためたであろうマスクがすぐに戻ってくることはないでしょうが、将来的にも仲たがいしたままかというと、必ずしもそうではないのではないかと思っています。
――J・D・ヴァンス副大統領も、もともとは反トランプで「トランプは文化的ヘロイン」とまで言っていたとか。
【井上】ヴァンスはアメリカでも変節などと批判的に見られていますが、彼が今、担っているのはトランプのその場その場の思いつきや判断を言語化することです。もちろん批判的な人たちからすれば、言語化されたものも詭弁やこじつけだということになるのでしょう。
しかし何とか言葉にしようとすることで、これまでは異質だった立場や思想をつなぎ、新しい理念やコンセプトが生まれるきっかけになってもいます。
■ヴァンス副大統領の意外な役割
【井上】例えば右派の中でもピーター・ティールに代表されるテック右派系の思想と、スティーブ・バノンに代表されるポピュリズム・陰謀論的思考を持つオルタナ右翼系の思想は相容れず、対立も激しいのですが、ヴァンスは両者を移民反対論でつなぎ、「不法移民のせいで賃金上昇が抑えられてしまっている、移民に代わってテクノロジーを重視してイノベーションを起こすことでアメリカは繫栄できる」との論を展開しています。
相容れない潮流をつなぎあわせることのできる接点を見出そうとしており、まさにトランプ政権の番頭としての役目を果たしています。
■政権に近づく一部のテック企業
――テック右派のティールは、技術信奉と宗教観が相まった思想を持ち、中国の台頭を警戒しています。
【井上】ティールは自身をリバタリアンだとも言っており、宗教的価値観に加え、ランダムな逆張りを行う性格もあるとの指摘もあり、全体像を把握するのは容易ではありません。が、中国にたいして非常に批判的であるのは確かです。
また、ティールが共同創業者である企業のパランティアは、アメリカの諜報機関にサービスを提供しています。ベンチャーキャピタルのアンドリーセン・ホロウィッツの関係者は、ビックテックだけでなく今やスタートアップ企業もまた、とくに国防やインテリジェンスの分野で米政府を支える重要なパートナーになっていると言っています。
いわば、シリコンバレーとワシントンD.C.はタッグを組み、一蓮托生の関係になりつつあります。だとすると、今後ますます一部の企業が愛国的な姿勢を打ち出すことで政府と一体になって事業を展開するという傾向が強まる可能性があります。
■アメリカが向かう「民主主義はオワコン」
――テクノロジーによる諜報技術の強化や政府と企業の一体化は、中国の軍民融合を想起させます。中国がそうである以上、アメリカも軍民融合的な体制でないと対抗できないと考えているのでしょうか。
【井上】これからの国際社会において、中国のように官僚的エリートが政治を担うのか、アメリカの右派が思い描くようにリベラリズムと決別した新しいエリートが担うのか。違いはありますが、いずれの方向も「異なる考えをじっくりとすり合わせていく必要はない」「技術を発展させなければならない」という点では共通しています。
その行きつく先は、ともに「民主主義やめますか」「デモクラシーはオワコン」という方向でもあります。
――米国内では「相容れない考えを持つ他者」との分断が激化しています。
【井上】アメリカの右派と左派は話し合いどころか、互いにもう口もきかない状態です。背景にあるのは文化戦争ですが、これは非常に多様な争点があり、移民、中絶、同性婚、LGBTQなどが含まれます。
特に中絶、同性婚、LGBTQに関しては宗教的価値観が影響しており、日本で想像されているよりもずっと深刻な状況にあります。
■根深い右派と左派のミゾ
【井上】キリスト教右派からすれば、神が男と女を作った以上、生物学的な性別を越境することは神への冒涜になります。あるいは聖書には「産めよ増やせよ、地に満ちよ」と書いてあるように生殖が神の栄光とつながっており、聖書的な意味でのファミリーという単位がそれを体現していると捉えます。トランスジェンダーや、胎児の命を奪う中絶の問題は聖書の教えを覆すものですから、右派は易々と許容できません。
文化戦争的な対立は1960年代ごろから始まったと言われ、社会保守あるいは宗教保守と言える、第二のニューライトと呼ばれる右派の思想潮流が生まれるのも、1960年代から1970年代にかけてです。文化戦争が激しくなってきたのは1990年代です。現在の第三のニューライトもこの頃からの流れを汲んでいますが、さらに先鋭化しています。
日本でも近年、Woke(人種差別や性的少数者をめぐる社会正義の問題に「目覚めた」人)という言葉が聞かれるようになっていますが、Wokeのように問題意識をもって、社会全体の価値観を一気にひっくり返そうというラディカルな左派に対する右派や保守の危機感は強まってきました。
■「内戦」が停止する気配はない
――2016年のトランプ大統領誕生、そして2024年のトランプ大統領誕生は、それぞれオバマ政権、バイデン政権の影響があってのことでしょうか。
【井上】ある程度はそうだと思います。オバマ政権が取り組んできたことは、同性婚の推進など、右派にとってはまさに価値観を根底から覆されるようなものばかりでした。また、新型コロナの流行は第一次トランプ政権期に始まりましたが、バイデン政権期にも終息することなく、右派は「マスクを強要された。これは自由を制限する猿ぐつわに等しい」と反発しました。
反ワクチンの立場に立つ人々はトランプを支持する人びとのなかに多くいます。こうした状況が危機感の醸成に影響した面は大いにあります。
――まさに文化戦争という「内戦」状態ですが、「停戦交渉」は期待できないのでしょうか。
【井上】なかなか難しいですね。例えば2015年にはコロラド州で中絶手術を行うクリニックに中絶反対の男が銃を持って押し入り、警官と銃撃戦になり死者が出る事件が発生しました。「中絶は胎児を殺す殺人だ」と言っている人が殺人事件を起こすのは矛盾していますが、彼らにとっては自分たちの価値観を守るための「よい殺人」であると言わんばかりです。
■意見が合わない人とは話さないのが正解
【井上】文化戦争は「戦争」と銘打たれているように、相手を殲滅しなければ終わらない戦いになってしまっています。その意味では停戦交渉が必要ですが、さてそれを誰が担うのか。
例えば経済問題などで超党派の活動を行うことは考えられますが、今は左派の間でも「ノーディベート」、つまり右派とは話をしないことが正しい振る舞いだと考える人もいます。相手と話し合いの場を持っただけで「敵の味方をするのか」と言われかねません。
政治の場面でも、共和党・民主党双方に穏健派の議員はいますが、うかつなことをすると味方から批判されてしまいます。
――多種多様な立場の人たちが議論し合って、振り子のように揺れたり、時にはぶつかっても前に進んでいく、それがアメリカの強さの理由のひとつでもあると思っていたのですが……。
【井上】今は、悪い意味での振り子になってしまっていますね。穏健派同士が話をしようと思っても、両極にいる極端な人たちが遠心力を働かせてしまいます。
でも紹介したように、アメリカはいつからアメリカなのかについても、黒人奴隷がやってきた1619年だと考える人と、アメリカ独立宣言が出された1716年だという人が激しく争っています。
■トランプと「ハンガリーのトランプ」の違い
――本書には右派ながらアメリカの状況に失望しハンガリーに移住した宗教右派のロッド・ドレアも登場します。ハンガリーと言えば「ハンガリーのトランプ」と呼ばれるオルバン首相がいますが、むしろトランプよりもオルバンの方が先行している部分もあるようです。
【井上】トランプ自身には確固たる思想はない可能性が高いと先ほども申し上げました。それにたいしてオルバンは読書家で、教養もあり、一貫した信念の持ち主です。
リベラルからすれば、オルバンは権威主義的で独裁的な傾向がある危険な政治家ということになりますが、アメリカの保守系の知識人からすれば、キリスト教的な価値観を重視し、LGBTQやフェミニズムに明確に批判的であり、魅力的な政治家です。
かつて左派にとって北欧の福祉国家が理想郷だったように、アメリカの右派にとってハンガリーはまさに理想郷になりつつあります。
――ハンガリーだけでなく、欧州では右派の台頭が指摘されます。
【井上】例えばドイツの極右政党と言われるAfDの共同代表のアリス・エリーザベト・ワイデルはレズビアンを公表しています。また、先ほど来、名前の出ているティールもゲイであることを公表していますし、フランスの極右政党と言われる国民連合の現党首であるジョルダン・バルデラは、移民二世と、これまでであればリベラルになりそうな属性を持つ人たちが右派的な思想を訴えています。
■従来の常識では考えられない事態
――アイデンティティ・ポリティクスの時代だと言われてきましたが、性的少数者や移民にルーツのある人たちが右派の運動を牽引している。従来のリベラルの主張では回収できないものがあるのでしょうか。
【井上】自分の属性やアイデンティティと、重んじる価値や主張は必ずしも一致していなくて良いということなのでしょう。
――アメリカの右翼の潮流や、分断の現状から日本が学べることは何でしょうか。
【井上】SNSやプラットフォームの設計によって分断が深まり、さらにはアメリカの文化戦争がグローバル化している傾向もあります。
日本はカルチャーの違いもあり、まだ回避できる可能性が残っていますが、そのためにはアメリカと我々とは何が違い、その違いを活かして分断を回避するには何が必要かを考えなければなりません。
でも最終章の最後に「他山の石とすべし」と書きましたが、理想だったはずのアメリカが迎えている困難を知ったうえで、我々はどうすべきなのか。これは私自身も考えていきたい課題です。
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井上 弘貴(いのうえ・ひろたか)
神戸大学大学院教授
1973年、東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。博士(政治学)。早稲田大学政治経済学術院助教、テネシー大学歴史学部訪問研究員などを経て、神戸大学大学院国際文化学研究科教授。専門は政治理論、公共政策論、アメリカ政治思想史。著書に『アメリカの新右翼』(新潮選書)、『ジョン・デューイとアメリカの責任』(木鐸社)、『アメリカ保守主義の思想史』(青土社)、訳書に『市民的不服従』(共訳、人文書院)など。
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梶原 麻衣子(かじわら・まいこ)
ライター・編集者
1980年埼玉県生まれ、中央大学卒業。IT企業勤務の後、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経て現在はフリー。雑誌やウェブサイトへの寄稿のほか、書籍編集などを手掛ける。
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(神戸大学大学院教授 井上 弘貴、ライター・編集者 梶原 麻衣子)
ただ、その中心にいるトランプ自身には確固たる思想がない可能性が高い」という。ライターの梶原麻衣子さんが聞いた――。
■トランプ大統領には一貫した思想はない
――トランプ支持者とされる人々や、政権周囲に集まる人々は、陰謀論者やオルタナ右翼といった過剰な人たちばかりではないのですね。
【井上】トランプ支持の思想は突如としてゼロから生まれたものではなく、さまざまな思想的潮流を背景にして姿をあらわしてきました。そこを踏まえたうえでの分析でなければ、トランプ現象そのものを見誤ってしまうでしょう。
日本のインテリ層は多くがリベラルですから、米国右派の思想家やその潮流についてはあたかも存在しないものと見なしがちですが、全くそんなことはありません。
戦後の米国史上、3度目の右派思想の潮流が台頭する、「第三のニューライト(新右翼)」と呼ばれるダイナミックな動きがあり、傍からは一つの勢力にみえる右翼の間でも活発な議論、バチバチの対立が起きています。
――のサブタイトルは「トランプ『を』生み出した思想家たち」ですが、あとがきで「本来はトランプ『が』生み出した……」の方が実態に即していると述べられています。
【井上】2016年の大統領選挙でトランプが勝った後、あるいは第一次トランプ政権の最中だったら、そうだったと思います。しかし現在は、むしろサブタイトルに近くなっていると言えます。
右派の中でもいろいろな思想の持ち主がトランプ大統領や政権の周囲に集まって、大統領としての彼に肉付けをおこなっており、しかも本来ならば相矛盾する立場にある多様な人たちが結集して、新しい動きを作り出しています。大統領としてのトランプをつくりだしているのは周囲の人びとなのです。
私はある時期までトランプ氏自身の思想、つまりトランピズムが存在するのではないかと思っていました。確かにディールを好むといったビジネスマンとしての嗅覚が彼にはあります。
しかしどうもトランプ自身には一貫した思想はなく、その時々でこれはと思ったものを政策やメッセージとして採用しているのではないかという考えに今は傾いています。それゆえに、ある意味で節操なくさまざまな人や意見を許容できる面もあります。
■なぜイーロン・マスクと決裂したのか
――トランプ自身は中空……。イーロン・マスクはテック右派としてトランプ政権の一員化していましたが、で〈今この瞬間にも両者の関係が破綻し、マスクがトランプから離れる可能性がある〉と書かれていた通り両者は決裂。さらにマスクは新党「アメリカ党」を結成すると宣言しています。
【井上】ふたりの仲があとでどのように変化しても大丈夫なように書いておこうと思ったのは確かです(笑)。半分は冗談ですが、決裂した直接の理由は単純で、お互いのキャラが濃すぎるからです。
ただ意外かもしれませんが、トランプは一度自分から離れたり、批判した人間であっても、頭を下げて戻ってくるなら受け入れるところがあります。DOGEの活動でかなりのフラストレーションをためたであろうマスクがすぐに戻ってくることはないでしょうが、将来的にも仲たがいしたままかというと、必ずしもそうではないのではないかと思っています。
――J・D・ヴァンス副大統領も、もともとは反トランプで「トランプは文化的ヘロイン」とまで言っていたとか。
【井上】ヴァンスはアメリカでも変節などと批判的に見られていますが、彼が今、担っているのはトランプのその場その場の思いつきや判断を言語化することです。もちろん批判的な人たちからすれば、言語化されたものも詭弁やこじつけだということになるのでしょう。
しかし何とか言葉にしようとすることで、これまでは異質だった立場や思想をつなぎ、新しい理念やコンセプトが生まれるきっかけになってもいます。
■ヴァンス副大統領の意外な役割
【井上】例えば右派の中でもピーター・ティールに代表されるテック右派系の思想と、スティーブ・バノンに代表されるポピュリズム・陰謀論的思考を持つオルタナ右翼系の思想は相容れず、対立も激しいのですが、ヴァンスは両者を移民反対論でつなぎ、「不法移民のせいで賃金上昇が抑えられてしまっている、移民に代わってテクノロジーを重視してイノベーションを起こすことでアメリカは繫栄できる」との論を展開しています。
相容れない潮流をつなぎあわせることのできる接点を見出そうとしており、まさにトランプ政権の番頭としての役目を果たしています。
■政権に近づく一部のテック企業
――テック右派のティールは、技術信奉と宗教観が相まった思想を持ち、中国の台頭を警戒しています。
【井上】ティールは自身をリバタリアンだとも言っており、宗教的価値観に加え、ランダムな逆張りを行う性格もあるとの指摘もあり、全体像を把握するのは容易ではありません。が、中国にたいして非常に批判的であるのは確かです。
また、ティールが共同創業者である企業のパランティアは、アメリカの諜報機関にサービスを提供しています。ベンチャーキャピタルのアンドリーセン・ホロウィッツの関係者は、ビックテックだけでなく今やスタートアップ企業もまた、とくに国防やインテリジェンスの分野で米政府を支える重要なパートナーになっていると言っています。
いわば、シリコンバレーとワシントンD.C.はタッグを組み、一蓮托生の関係になりつつあります。だとすると、今後ますます一部の企業が愛国的な姿勢を打ち出すことで政府と一体になって事業を展開するという傾向が強まる可能性があります。
■アメリカが向かう「民主主義はオワコン」
――テクノロジーによる諜報技術の強化や政府と企業の一体化は、中国の軍民融合を想起させます。中国がそうである以上、アメリカも軍民融合的な体制でないと対抗できないと考えているのでしょうか。
【井上】これからの国際社会において、中国のように官僚的エリートが政治を担うのか、アメリカの右派が思い描くようにリベラリズムと決別した新しいエリートが担うのか。違いはありますが、いずれの方向も「異なる考えをじっくりとすり合わせていく必要はない」「技術を発展させなければならない」という点では共通しています。
その行きつく先は、ともに「民主主義やめますか」「デモクラシーはオワコン」という方向でもあります。
――米国内では「相容れない考えを持つ他者」との分断が激化しています。
【井上】アメリカの右派と左派は話し合いどころか、互いにもう口もきかない状態です。背景にあるのは文化戦争ですが、これは非常に多様な争点があり、移民、中絶、同性婚、LGBTQなどが含まれます。
特に中絶、同性婚、LGBTQに関しては宗教的価値観が影響しており、日本で想像されているよりもずっと深刻な状況にあります。
■根深い右派と左派のミゾ
【井上】キリスト教右派からすれば、神が男と女を作った以上、生物学的な性別を越境することは神への冒涜になります。あるいは聖書には「産めよ増やせよ、地に満ちよ」と書いてあるように生殖が神の栄光とつながっており、聖書的な意味でのファミリーという単位がそれを体現していると捉えます。トランスジェンダーや、胎児の命を奪う中絶の問題は聖書の教えを覆すものですから、右派は易々と許容できません。
文化戦争的な対立は1960年代ごろから始まったと言われ、社会保守あるいは宗教保守と言える、第二のニューライトと呼ばれる右派の思想潮流が生まれるのも、1960年代から1970年代にかけてです。文化戦争が激しくなってきたのは1990年代です。現在の第三のニューライトもこの頃からの流れを汲んでいますが、さらに先鋭化しています。
日本でも近年、Woke(人種差別や性的少数者をめぐる社会正義の問題に「目覚めた」人)という言葉が聞かれるようになっていますが、Wokeのように問題意識をもって、社会全体の価値観を一気にひっくり返そうというラディカルな左派に対する右派や保守の危機感は強まってきました。
■「内戦」が停止する気配はない
――2016年のトランプ大統領誕生、そして2024年のトランプ大統領誕生は、それぞれオバマ政権、バイデン政権の影響があってのことでしょうか。
【井上】ある程度はそうだと思います。オバマ政権が取り組んできたことは、同性婚の推進など、右派にとってはまさに価値観を根底から覆されるようなものばかりでした。また、新型コロナの流行は第一次トランプ政権期に始まりましたが、バイデン政権期にも終息することなく、右派は「マスクを強要された。これは自由を制限する猿ぐつわに等しい」と反発しました。
反ワクチンの立場に立つ人々はトランプを支持する人びとのなかに多くいます。こうした状況が危機感の醸成に影響した面は大いにあります。
――まさに文化戦争という「内戦」状態ですが、「停戦交渉」は期待できないのでしょうか。
【井上】なかなか難しいですね。例えば2015年にはコロラド州で中絶手術を行うクリニックに中絶反対の男が銃を持って押し入り、警官と銃撃戦になり死者が出る事件が発生しました。「中絶は胎児を殺す殺人だ」と言っている人が殺人事件を起こすのは矛盾していますが、彼らにとっては自分たちの価値観を守るための「よい殺人」であると言わんばかりです。
■意見が合わない人とは話さないのが正解
【井上】文化戦争は「戦争」と銘打たれているように、相手を殲滅しなければ終わらない戦いになってしまっています。その意味では停戦交渉が必要ですが、さてそれを誰が担うのか。
例えば経済問題などで超党派の活動を行うことは考えられますが、今は左派の間でも「ノーディベート」、つまり右派とは話をしないことが正しい振る舞いだと考える人もいます。相手と話し合いの場を持っただけで「敵の味方をするのか」と言われかねません。
政治の場面でも、共和党・民主党双方に穏健派の議員はいますが、うかつなことをすると味方から批判されてしまいます。
――多種多様な立場の人たちが議論し合って、振り子のように揺れたり、時にはぶつかっても前に進んでいく、それがアメリカの強さの理由のひとつでもあると思っていたのですが……。
【井上】今は、悪い意味での振り子になってしまっていますね。穏健派同士が話をしようと思っても、両極にいる極端な人たちが遠心力を働かせてしまいます。
でも紹介したように、アメリカはいつからアメリカなのかについても、黒人奴隷がやってきた1619年だと考える人と、アメリカ独立宣言が出された1716年だという人が激しく争っています。
もはや「我々アメリカ」という意識さえ、日に日にやせ細っているのです。
■トランプと「ハンガリーのトランプ」の違い
――本書には右派ながらアメリカの状況に失望しハンガリーに移住した宗教右派のロッド・ドレアも登場します。ハンガリーと言えば「ハンガリーのトランプ」と呼ばれるオルバン首相がいますが、むしろトランプよりもオルバンの方が先行している部分もあるようです。
【井上】トランプ自身には確固たる思想はない可能性が高いと先ほども申し上げました。それにたいしてオルバンは読書家で、教養もあり、一貫した信念の持ち主です。
リベラルからすれば、オルバンは権威主義的で独裁的な傾向がある危険な政治家ということになりますが、アメリカの保守系の知識人からすれば、キリスト教的な価値観を重視し、LGBTQやフェミニズムに明確に批判的であり、魅力的な政治家です。
かつて左派にとって北欧の福祉国家が理想郷だったように、アメリカの右派にとってハンガリーはまさに理想郷になりつつあります。
――ハンガリーだけでなく、欧州では右派の台頭が指摘されます。
【井上】例えばドイツの極右政党と言われるAfDの共同代表のアリス・エリーザベト・ワイデルはレズビアンを公表しています。また、先ほど来、名前の出ているティールもゲイであることを公表していますし、フランスの極右政党と言われる国民連合の現党首であるジョルダン・バルデラは、移民二世と、これまでであればリベラルになりそうな属性を持つ人たちが右派的な思想を訴えています。
■従来の常識では考えられない事態
――アイデンティティ・ポリティクスの時代だと言われてきましたが、性的少数者や移民にルーツのある人たちが右派の運動を牽引している。従来のリベラルの主張では回収できないものがあるのでしょうか。
【井上】自分の属性やアイデンティティと、重んじる価値や主張は必ずしも一致していなくて良いということなのでしょう。
――アメリカの右翼の潮流や、分断の現状から日本が学べることは何でしょうか。
【井上】SNSやプラットフォームの設計によって分断が深まり、さらにはアメリカの文化戦争がグローバル化している傾向もあります。
日本はカルチャーの違いもあり、まだ回避できる可能性が残っていますが、そのためにはアメリカと我々とは何が違い、その違いを活かして分断を回避するには何が必要かを考えなければなりません。
でも最終章の最後に「他山の石とすべし」と書きましたが、理想だったはずのアメリカが迎えている困難を知ったうえで、我々はどうすべきなのか。これは私自身も考えていきたい課題です。
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井上 弘貴(いのうえ・ひろたか)
神戸大学大学院教授
1973年、東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。博士(政治学)。早稲田大学政治経済学術院助教、テネシー大学歴史学部訪問研究員などを経て、神戸大学大学院国際文化学研究科教授。専門は政治理論、公共政策論、アメリカ政治思想史。著書に『アメリカの新右翼』(新潮選書)、『ジョン・デューイとアメリカの責任』(木鐸社)、『アメリカ保守主義の思想史』(青土社)、訳書に『市民的不服従』(共訳、人文書院)など。
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梶原 麻衣子(かじわら・まいこ)
ライター・編集者
1980年埼玉県生まれ、中央大学卒業。IT企業勤務の後、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経て現在はフリー。雑誌やウェブサイトへの寄稿のほか、書籍編集などを手掛ける。
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(神戸大学大学院教授 井上 弘貴、ライター・編集者 梶原 麻衣子)
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