■私の心の隙間にすっと入り込んだ室蘭出身の“怪優”
昭和の二枚目風で妙な色気はあるけれど、万人受けする陽気なセクシーではない。仏像のような半眼、老獪さすら感じる口元、穏やかなロートーンボイスとアクの強いダミ声を使い分ける。
名演技で主役を食うこともしばしば、脇を固めるだけでなく、主演作もここ数年で倍増。印象としては、気づいたらそこにいた。「この役者は己をかなぐり捨てることができる」といつの間にか信頼を置く自分がいた。でもいつからだったのか。
ドラマの視聴ノートを見返してみると、初登場はNHKの特集ドラマ「風をあつめて」(2010年)だった。障害のある子をもつ父親を演じていたのだが、泣く姿が印象に強く残ったようだ。『週刊新潮』の連載原稿で触れたのは、杉本哲太と古田新太のW主演作「隠蔽捜査」(TBS・2014年)だ。
もうこの時点でヤスケンが演じるやさぐれ刑事に期待を寄せている。どうやらこの間にすっかり虜になった模様。
■「ホントに僕、なにも考えてないんです」
朝ドラに大河、日曜劇場と、役者なら一度は出たい大きな枠のドラマに出演し、名実ともに人気俳優となったわけだが、光を当てるとスッと避ける、そんな印象もある。華やかな芸能界のど真ん中にいるはずなのに、虚ろな目をして膝を抱えて座っているような、不思議な存在感。
ヤスケンという怪優を見出した鈴井貴之(現・クリエイティブオフィスキュー会長)は最も冷静に見ていたようだ。北海道ウォーカー特別編集『ヤスケンと呼ばれて』のインタビューでこう述べている。
「常に稽古場の隅っこにいるっていうイメージなんですよね。体育座りして爪かんでるの。おれが話してるのに、隅っこで遠くを見てるから、『言いたいことがあるなら言え』って何回も怒ったことありますよ。なにか反抗的な態度に映ったんですよね。そしたら、『あぁ……ホントに僕、なにも考えてないんです』って(笑)」
また、あまり前に出て行くタイプではないヤスケンが、TEAM NACKS(大泉洋・森崎博之・音尾琢真・戸次重幸)の中で見つけたポジションが「陰・鬱・暗」だった、とも話している。ぼんやりしているように見えても、ちゃんと周囲を見て、調和を重んじる人だということが暗に伝わってくるではないか。
トーク番組に出ても前に出ず、あまり自分語りをしない。
■陽気で快活、飾らないユーモラスな父親
ヤスケンの著書『北海道室蘭市本町一丁目四十六番地』(幻冬舎)を読んでみた。主に、父親の弘史さんとのやりとりや思い出が淡々とつづられている(つうか、このヒロシがめちゃくちゃチャーミングな人なの)。
溶接工だったヒロシは陽気でおしゃべりで、飾らない人のようだ。子どもたちの前で全裸で踊ったりする茶目っ気もある。何より酒好きで、酒にまつわるエピソードも数多ある。そんな父を見て育った顕少年はどんな子だったのか……。
「教室の中で一番お気に入りの場所は、隅っこに置かれた掃除用具のロッカーと窓に挟まれた隙間。テストの答案や成績表は、人目を気にして、そこでこっそりうずくまって見ておりました。『隅っこ&隙間フェチ』な私です」
そういえば、「ボクらの時代」(2022年12月)に出演したヤスケンが子供時代を振り返って、こう答えている。「30分かかる通学路をひとりで帰ることによって『僕は独りぼっちなんだ』という寂しさを抱えることが好きだったんです。寂しいものを抱えながら歩いている自分に酔いしれてるんですね」
■演技の源流にある人物
かといって、引っ込み思案というわけでもなさそうだ。
小学校で朗読を褒められ、学芸会ではしっぽをつけた猫を演じて拍手喝采を浴びた顕少年。母親と観に行った児童劇団で着ぐるみの中の人に興味をもち、顔の部分をつかんで取ろうとしたこともあったという。
役者を目指した直接のきっかけではないものの、「お芝居を観るのではなく、演じる側に興味を抱いた原体験はこのときだったのかもしれません」と書いている。その後、まさか着ぐるみ(北海道テレビのマスコットキャラ・onちゃん)に入ることになろうとは……。
役者の自叙伝は、影響を受けた映画や俳優の話が必ずといっていいほど出てくるのだが、ヤスケンの著書で登場するのは、主に調子のいい父・ヒロシ。ちびまるこちゃんか。でも、愛とユーモアのある飾らない父の影響が、ヤスケンの演技の源流にあるのではないかと勝手に推測。
この本は雑誌の連載をまとめた1冊ではあるが、後日談として父ヒロシとの電話対談も掲載されている。原稿に冗舌にダメ出しする父親、淡々と受けとめる息子。なんかいいんだよなぁ、この父子。
■いつ見ても、何をやっても違う人
演技に幅も奥行きもないため、「いつ見ても何をやっても○○」と呼ばれる人がいるが、ヤスケンは真逆だ。いつ見ても違う人で新鮮。
ダメ夫や情けない父、あるいは変人や心がないサイコパスなど、やや似た設定であっても、背景や信条の微妙な違いを表現できる。たぶん半眼の使い分けができるのだと思う。仏像のように、開いているかいないかの半眼で、こんなに異なる人物描写ができるのかと感心する。
たとえば、「PICU 小児集中治療室」(フジ・2022年)では思慮深さが滲み出る人格者、小児科医・植野を演じた。主人公の新米医師・志子田武四郎(吉沢亮)が小児救急の現場で壁にぶち当たるわけだが、植野先生は慈悲の心と厳しい現実を客観視する冷静さをもって、根気強く後輩を育てていく。決して威圧的でも感情的でもない、穏やかな人格者に半眼のヤスケンがしっくり。
逆に、慈悲の心も良心の欠片もない人間や、無敵の人、狂気の人も演じてきた。
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(フジ・2016年)では初回に登場。貧しく不遇な育ちのヒロイン、21歳の音(有村架純)に結婚を申し込んだ46歳の傲慢な男(地元の金持ちな)の役だ。
音の養父(柄本明)を金の力でまるめこんだものの、音には直接断られる。養父に対して腹いせに「娘さん、股のほうのしつけもしたほうがよかったんじゃないですかね」と酷いセリフを吐いて、強烈な嫌悪感を残した。
人を見下すことがデフォルトの半眼。でも、あの存在は「日本社会の象徴であり、深刻な病巣」だなと、後からジワジワきたんだよね。
■「間違いなく家で爆弾を作ってる感じ」
最もわかりやすく狂気といえば、『変態仮面』(2013年)における教師・戸渡役。夜の屋上で戸惑う主人公(鈴木亮平)に、ささやくように変態の真髄を語るヤスケンは一生忘れられない。お行儀のいい映画界では評価されない役だが、あの姿は「超自我」を超えて快楽を追求する、真の変態を体現していたと思う。
また、「スニッファー 嗅覚捜査官」(NHK・2016年)では、二者択一の殺害予告を送り付けるトリッキーな殺人犯役。強いコンプレックスから「無敵の人」となり、主人公の捜査官(阿部寛)と刑事(香川照之)を愚弄&翻弄。双子の境遇格差を体現していた。爆弾魔とか知能犯に説得力をもたらすのよね。
そういえば、TEAM NACKSの戸次重幸は、ヤスケンの印象をこう述べていた。
「(写真で見た)第一印象はね、テロリスト(笑)」「間違いなく家で爆弾を作ってる感じなんですよ(笑)」(『ヤスケンと呼ばれて』より抜粋)
成田凌主演の「逃亡医F」(日テレ・2022年)では絵に描いたようなマッドサイエンティスト役。長年の芸歴で培った“変態色”を前面に出し、随所で振り切った演技が光り、最終話まで全力で狂っていた。
罪を犯す背景が身勝手ではあるが明確、というか、そこに至るまでの思考回路が常人ではない、そんな知的なつみびとを多彩な表現で魅せてくれるのである。
■絶望と虚無を経験した人の「方向転換」
絶望を経験し、主体性をもって生きることや正しく生きることを諦めた人を演じることも多い。逆に、苦悩を経たからこその優しさにも深みがある。虚無の境地に陥った人がもつ特有の陰影を出せるヤスケンには、難役が託され続けている。
「重版出来!」(TBS・2016年)では新人漫画家の才能やチャンスをつぶすことで有名な編集者・安井役。陰湿で数字至上主義の自分勝手な人間として、眉や唇の角度を微妙に上げ、邪と険の表情を作り出したヤスケン。
嫌悪感を催させておいて、第6話でその背景がわかると、心揺さぶられた。熱血&気骨ある編集者が打算的なヒールに転化した複雑な心模様は、目元に滲ませた涙で伝わってきた。必要悪・忌み嫌われ役の本懐をきっちり演じきった名作である。
また、「問題のあるレストラン」(フジ・2015年)で演じた女装のゲイ・几ハイジ役は男社会で傷つけられて貶められた過去をもつパティシエ。歪んだ性差の社会で被害者は女だけではない、という象徴的かつ重要な存在だった。
さらに「満願」(NHK・2018年)の第2夜「夜警」で演じた交番警察官は、後輩の死を経験した元刑事でもある。人間の脆さと狡さを看破できなかった後悔や自責の念など、複雑に混じった感情をタバコと嘲笑で表現したのは見事としか言いようがない。
■長セリフよりもひと言の方が好き
映画『ラーゲリより愛を込めて』(2022年)では、ソ連軍に後輩の情報を密告するも日々拷問を受けて廃人状態になった捕虜を、『35年目のラブレター』(2025年)では学級崩壊を経験し、休職に追い込まれたが、夜間中学で再び教壇に立った教師を演じた。
NHKのドラマ「天使の耳~交通警察の夜」(2023年)では小芝風花とバディを組む捜査官の役だが、驚くほど苦い結末に驚いた。それこそヤスケンの本領発揮。心が壊れる経験をした人間の虚ろさや不安定さを緻密に表現してきたのだ。
演技論を熱く語るタイプではないヤスケンの、納得のいくこだわりを聞けたことがあった。WOWOWで舞台「スマートモテリーマン講座」を放送した際、脚本・演出の福田雄一監督と対談したときの話だ。
この舞台はヤスケンが演じるモテリーマンなる奇天烈な人物が、講師として男性諸氏にモテの秘訣を伝授する講座、という設定だ。膨大なセリフの量だが、観客に「大変そう」と思わせてはいけない。その狙いをヤスケンが見事にこなしたと福田監督が賞賛。
ところが、ヤスケンは超絶長いセリフよりも、たったひと言、「など」が好きだったと話す。マスクの用途を説明するセリフの中で「など」の表現を微妙に変えることで、観客に想像させる面白さがあったというのだ。
■監督の演出に意見は言わない
また、TEAM NACKSの舞台「COMPOSER」では、大劇場を回る全国公演の途中で芝居のアプローチを変えたとも話していた。
「『怒鳴ってダメならささやいてみるか』とやってみたことがあるんです。その時に『ああ、そうか』と、人間というのは感情の起伏によって大きな声も出れば小さな声も出るんだなと。それが追いつかないでどれだけ大きな声を出したってしょうがない。逆に、感情にちゃんと沿ってさえいればたとえ小さな声でも届くということに気付きました」(『SWITCH』2021年7月号より)
ひそかに表現をマイナーチェンジして、観客の温度変化を確かめているヤスケンだが、演出にはほとんど提案しないようだ。前述の「ボクらの時代」でもこのことに触れていた。
監督の演出に対して、撮影現場で疑問や意見をぶつける役者がいることに対して、「言うってことは(作品を)背負うってことじゃないですか。言ったからには『俺、背負うからね』ってことでしょ。怖くて(言えない)背負えないですよ。だって監督のものだし」と話していた。責任をとりたくない逃げの姿勢に聞こえるが、重要なのは「作品は監督のもの」という点。これがヤスケンの信条。
■特技は「死んだふり」
与えられたタスクを十二分に果たしながらも、微細な表現力の違いでひそかな愉悦を見つけていくスタイル。隙間に挟まったり、隅っこで体育座りしたり、寂しさを抱える自分に酔いしれていた少年が、演技の世界で見つけたのは「誠実で謙虚だがひそかに貪欲」。
それでも、作り手の想像をはるかに超えてくる表現力が、引く手あまたの名役者として評価されているのだろう。
今年の大河「べらぼう」でも平賀源内を演じ、凄絶な最期を演じきったばかりだ。名優・安田顕としてもう少し調子に乗ってもよさそうなものだが、そういう性分ではないようだ。
若い頃に北海道ウォーカーで連載していたコラム「安田顕のマグナムトーク‼」(2005年、第104回)では当時、占いで「大殺界で運気は最低、ひっそりと過ごせ」と言われたことを綴っていた。
「元来“ひっそり”過ごすのが好きな僕。大して苦でもない。“隠れる”“潜める”“気配を消す”。全部僕の日常を表す代名詞。特技は『死んだふり』」
このコラムの最後に気になる文言も。
「とある占いによると、21歳からずっと運気が下がりっぱなしとか。上がり始めは42歳からの大器晩成型だそう。あと10年はあせらず“ひっそり”すごしなさいとのこと……。こんな僕の好きな言葉は『運命は自分で切り拓く』です」
■真夏のヤスケン祭り開催中
42歳=2015年。テレビドラマでいえば「問題のあるレストラン」(フジ)、「不便な便利屋」「廃墟の休日」(テレ東)、そして「下町ロケット」(TBS)に出演した年である。この、とある占い師、当たってんなぁと一瞬思ってしまったが、いやいや、ヤスケンが自分で切り拓いてきたからこその今があるわけで。
今夏は2本のドラマに出演、いわば真夏のヤスケン祭りが開催中。「奪い愛、真夏」(テレ朝系、金曜23時15分~)は愛憎劇に巻き込まれる腕時計メーカーの社長役。松本まりかと高橋メアリージュンという濃厚な布陣、ヤスケンにしては珍しく二枚目役で、歯が浮くような恋愛モノに挑んでいる。コメディとして愛でるのが「奪い愛」シリーズのお作法だが、コメディ筋肉を封印したヤスケンの右往左往を楽しみにしている。
もう1本はWOWOW「怪物」だ。25年前、双子の妹が斬り落とされた指だけ残して行方不明に。優秀な妹にふがいない兄、一度は容疑者として逮捕された経験がある警察官という役どころ。ヤスケンの不穏な立ち位置と目線に注目だ。
他におすすめしておきたいのは、ヤスケンの魅力が全部盛りの映画2本。『俳優 亀岡拓次』(2016年)と『愛しのアイリーン』(2018年)だ。まったく趣の異なる2本だが、匂い立つ生活臭と滲み出す欲望、それでも「切なさ」という後味が残る。ヤスケンがこっそり仕掛ける演技の罠は、我々の想像力をあらぬ方向にかきたてる。そして、気づけば心の隙間に入り込んでいるから、実に、厄介だ。
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吉田 潮(よしだ・うしお)
ライター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。2010年4月より『週刊新潮』にて「TVふうーん録」の連載開始。2016年9月より東京新聞の放送芸能欄のコラム「風向計」の連載開始。テレビ「週刊フジテレビ批評」「Live News イット!」(ともにフジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。
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(ライター 吉田 潮)
昭和の二枚目風で妙な色気はあるけれど、万人受けする陽気なセクシーではない。仏像のような半眼、老獪さすら感じる口元、穏やかなロートーンボイスとアクの強いダミ声を使い分ける。
人気番組「水曜どうでしょう」の牛乳早飲み対決で、豪快に本気で吐いていたあの人。もうおわかりですね。ヤスケンこと安田顕である。
名演技で主役を食うこともしばしば、脇を固めるだけでなく、主演作もここ数年で倍増。印象としては、気づいたらそこにいた。「この役者は己をかなぐり捨てることができる」といつの間にか信頼を置く自分がいた。でもいつからだったのか。
ドラマの視聴ノートを見返してみると、初登場はNHKの特集ドラマ「風をあつめて」(2010年)だった。障害のある子をもつ父親を演じていたのだが、泣く姿が印象に強く残ったようだ。『週刊新潮』の連載原稿で触れたのは、杉本哲太と古田新太のW主演作「隠蔽捜査」(TBS・2014年)だ。
もうこの時点でヤスケンが演じるやさぐれ刑事に期待を寄せている。どうやらこの間にすっかり虜になった模様。
心の隙間にすっと入り込んだ怪優・安田顕の軌跡を個人的趣味で振り返ってみる。
■「ホントに僕、なにも考えてないんです」
朝ドラに大河、日曜劇場と、役者なら一度は出たい大きな枠のドラマに出演し、名実ともに人気俳優となったわけだが、光を当てるとスッと避ける、そんな印象もある。華やかな芸能界のど真ん中にいるはずなのに、虚ろな目をして膝を抱えて座っているような、不思議な存在感。
ヤスケンという怪優を見出した鈴井貴之(現・クリエイティブオフィスキュー会長)は最も冷静に見ていたようだ。北海道ウォーカー特別編集『ヤスケンと呼ばれて』のインタビューでこう述べている。
「常に稽古場の隅っこにいるっていうイメージなんですよね。体育座りして爪かんでるの。おれが話してるのに、隅っこで遠くを見てるから、『言いたいことがあるなら言え』って何回も怒ったことありますよ。なにか反抗的な態度に映ったんですよね。そしたら、『あぁ……ホントに僕、なにも考えてないんです』って(笑)」
また、あまり前に出て行くタイプではないヤスケンが、TEAM NACKS(大泉洋・森崎博之・音尾琢真・戸次重幸)の中で見つけたポジションが「陰・鬱・暗」だった、とも話している。ぼんやりしているように見えても、ちゃんと周囲を見て、調和を重んじる人だということが暗に伝わってくるではないか。
トーク番組に出ても前に出ず、あまり自分語りをしない。
「陽気で快活」とは程遠いエピソードが周囲から漏れてくるのだが、ヤスケンはどんな幼少期を送り、なぜ人前で裸になることも厭わない職業を選んだのだろうか。
■陽気で快活、飾らないユーモラスな父親
ヤスケンの著書『北海道室蘭市本町一丁目四十六番地』(幻冬舎)を読んでみた。主に、父親の弘史さんとのやりとりや思い出が淡々とつづられている(つうか、このヒロシがめちゃくちゃチャーミングな人なの)。
溶接工だったヒロシは陽気でおしゃべりで、飾らない人のようだ。子どもたちの前で全裸で踊ったりする茶目っ気もある。何より酒好きで、酒にまつわるエピソードも数多ある。そんな父を見て育った顕少年はどんな子だったのか……。
「教室の中で一番お気に入りの場所は、隅っこに置かれた掃除用具のロッカーと窓に挟まれた隙間。テストの答案や成績表は、人目を気にして、そこでこっそりうずくまって見ておりました。『隅っこ&隙間フェチ』な私です」
そういえば、「ボクらの時代」(2022年12月)に出演したヤスケンが子供時代を振り返って、こう答えている。「30分かかる通学路をひとりで帰ることによって『僕は独りぼっちなんだ』という寂しさを抱えることが好きだったんです。寂しいものを抱えながら歩いている自分に酔いしれてるんですね」
■演技の源流にある人物
かといって、引っ込み思案というわけでもなさそうだ。
小学校で朗読を褒められ、学芸会ではしっぽをつけた猫を演じて拍手喝采を浴びた顕少年。母親と観に行った児童劇団で着ぐるみの中の人に興味をもち、顔の部分をつかんで取ろうとしたこともあったという。
役者を目指した直接のきっかけではないものの、「お芝居を観るのではなく、演じる側に興味を抱いた原体験はこのときだったのかもしれません」と書いている。その後、まさか着ぐるみ(北海道テレビのマスコットキャラ・onちゃん)に入ることになろうとは……。
役者の自叙伝は、影響を受けた映画や俳優の話が必ずといっていいほど出てくるのだが、ヤスケンの著書で登場するのは、主に調子のいい父・ヒロシ。ちびまるこちゃんか。でも、愛とユーモアのある飾らない父の影響が、ヤスケンの演技の源流にあるのではないかと勝手に推測。
この本は雑誌の連載をまとめた1冊ではあるが、後日談として父ヒロシとの電話対談も掲載されている。原稿に冗舌にダメ出しする父親、淡々と受けとめる息子。なんかいいんだよなぁ、この父子。
■いつ見ても、何をやっても違う人
演技に幅も奥行きもないため、「いつ見ても何をやっても○○」と呼ばれる人がいるが、ヤスケンは真逆だ。いつ見ても違う人で新鮮。
「この役、ヤスケンがやればよかったのになぁ」と思うこともしばしば。
ダメ夫や情けない父、あるいは変人や心がないサイコパスなど、やや似た設定であっても、背景や信条の微妙な違いを表現できる。たぶん半眼の使い分けができるのだと思う。仏像のように、開いているかいないかの半眼で、こんなに異なる人物描写ができるのかと感心する。
たとえば、「PICU 小児集中治療室」(フジ・2022年)では思慮深さが滲み出る人格者、小児科医・植野を演じた。主人公の新米医師・志子田武四郎(吉沢亮)が小児救急の現場で壁にぶち当たるわけだが、植野先生は慈悲の心と厳しい現実を客観視する冷静さをもって、根気強く後輩を育てていく。決して威圧的でも感情的でもない、穏やかな人格者に半眼のヤスケンがしっくり。
逆に、慈悲の心も良心の欠片もない人間や、無敵の人、狂気の人も演じてきた。
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(フジ・2016年)では初回に登場。貧しく不遇な育ちのヒロイン、21歳の音(有村架純)に結婚を申し込んだ46歳の傲慢な男(地元の金持ちな)の役だ。
音の養父(柄本明)を金の力でまるめこんだものの、音には直接断られる。養父に対して腹いせに「娘さん、股のほうのしつけもしたほうがよかったんじゃないですかね」と酷いセリフを吐いて、強烈な嫌悪感を残した。
人を見下すことがデフォルトの半眼。でも、あの存在は「日本社会の象徴であり、深刻な病巣」だなと、後からジワジワきたんだよね。
■「間違いなく家で爆弾を作ってる感じ」
最もわかりやすく狂気といえば、『変態仮面』(2013年)における教師・戸渡役。夜の屋上で戸惑う主人公(鈴木亮平)に、ささやくように変態の真髄を語るヤスケンは一生忘れられない。お行儀のいい映画界では評価されない役だが、あの姿は「超自我」を超えて快楽を追求する、真の変態を体現していたと思う。
また、「スニッファー 嗅覚捜査官」(NHK・2016年)では、二者択一の殺害予告を送り付けるトリッキーな殺人犯役。強いコンプレックスから「無敵の人」となり、主人公の捜査官(阿部寛)と刑事(香川照之)を愚弄&翻弄。双子の境遇格差を体現していた。爆弾魔とか知能犯に説得力をもたらすのよね。
そういえば、TEAM NACKSの戸次重幸は、ヤスケンの印象をこう述べていた。
「(写真で見た)第一印象はね、テロリスト(笑)」「間違いなく家で爆弾を作ってる感じなんですよ(笑)」(『ヤスケンと呼ばれて』より抜粋)
成田凌主演の「逃亡医F」(日テレ・2022年)では絵に描いたようなマッドサイエンティスト役。長年の芸歴で培った“変態色”を前面に出し、随所で振り切った演技が光り、最終話まで全力で狂っていた。
罪を犯す背景が身勝手ではあるが明確、というか、そこに至るまでの思考回路が常人ではない、そんな知的なつみびとを多彩な表現で魅せてくれるのである。
■絶望と虚無を経験した人の「方向転換」
絶望を経験し、主体性をもって生きることや正しく生きることを諦めた人を演じることも多い。逆に、苦悩を経たからこその優しさにも深みがある。虚無の境地に陥った人がもつ特有の陰影を出せるヤスケンには、難役が託され続けている。
「重版出来!」(TBS・2016年)では新人漫画家の才能やチャンスをつぶすことで有名な編集者・安井役。陰湿で数字至上主義の自分勝手な人間として、眉や唇の角度を微妙に上げ、邪と険の表情を作り出したヤスケン。
嫌悪感を催させておいて、第6話でその背景がわかると、心揺さぶられた。熱血&気骨ある編集者が打算的なヒールに転化した複雑な心模様は、目元に滲ませた涙で伝わってきた。必要悪・忌み嫌われ役の本懐をきっちり演じきった名作である。
また、「問題のあるレストラン」(フジ・2015年)で演じた女装のゲイ・几ハイジ役は男社会で傷つけられて貶められた過去をもつパティシエ。歪んだ性差の社会で被害者は女だけではない、という象徴的かつ重要な存在だった。
さらに「満願」(NHK・2018年)の第2夜「夜警」で演じた交番警察官は、後輩の死を経験した元刑事でもある。人間の脆さと狡さを看破できなかった後悔や自責の念など、複雑に混じった感情をタバコと嘲笑で表現したのは見事としか言いようがない。
■長セリフよりもひと言の方が好き
映画『ラーゲリより愛を込めて』(2022年)では、ソ連軍に後輩の情報を密告するも日々拷問を受けて廃人状態になった捕虜を、『35年目のラブレター』(2025年)では学級崩壊を経験し、休職に追い込まれたが、夜間中学で再び教壇に立った教師を演じた。
NHKのドラマ「天使の耳~交通警察の夜」(2023年)では小芝風花とバディを組む捜査官の役だが、驚くほど苦い結末に驚いた。それこそヤスケンの本領発揮。心が壊れる経験をした人間の虚ろさや不安定さを緻密に表現してきたのだ。
演技論を熱く語るタイプではないヤスケンの、納得のいくこだわりを聞けたことがあった。WOWOWで舞台「スマートモテリーマン講座」を放送した際、脚本・演出の福田雄一監督と対談したときの話だ。
この舞台はヤスケンが演じるモテリーマンなる奇天烈な人物が、講師として男性諸氏にモテの秘訣を伝授する講座、という設定だ。膨大なセリフの量だが、観客に「大変そう」と思わせてはいけない。その狙いをヤスケンが見事にこなしたと福田監督が賞賛。
ところが、ヤスケンは超絶長いセリフよりも、たったひと言、「など」が好きだったと話す。マスクの用途を説明するセリフの中で「など」の表現を微妙に変えることで、観客に想像させる面白さがあったというのだ。
■監督の演出に意見は言わない
また、TEAM NACKSの舞台「COMPOSER」では、大劇場を回る全国公演の途中で芝居のアプローチを変えたとも話していた。
「『怒鳴ってダメならささやいてみるか』とやってみたことがあるんです。その時に『ああ、そうか』と、人間というのは感情の起伏によって大きな声も出れば小さな声も出るんだなと。それが追いつかないでどれだけ大きな声を出したってしょうがない。逆に、感情にちゃんと沿ってさえいればたとえ小さな声でも届くということに気付きました」(『SWITCH』2021年7月号より)
ひそかに表現をマイナーチェンジして、観客の温度変化を確かめているヤスケンだが、演出にはほとんど提案しないようだ。前述の「ボクらの時代」でもこのことに触れていた。
監督の演出に対して、撮影現場で疑問や意見をぶつける役者がいることに対して、「言うってことは(作品を)背負うってことじゃないですか。言ったからには『俺、背負うからね』ってことでしょ。怖くて(言えない)背負えないですよ。だって監督のものだし」と話していた。責任をとりたくない逃げの姿勢に聞こえるが、重要なのは「作品は監督のもの」という点。これがヤスケンの信条。
■特技は「死んだふり」
与えられたタスクを十二分に果たしながらも、微細な表現力の違いでひそかな愉悦を見つけていくスタイル。隙間に挟まったり、隅っこで体育座りしたり、寂しさを抱える自分に酔いしれていた少年が、演技の世界で見つけたのは「誠実で謙虚だがひそかに貪欲」。
それでも、作り手の想像をはるかに超えてくる表現力が、引く手あまたの名役者として評価されているのだろう。
今年の大河「べらぼう」でも平賀源内を演じ、凄絶な最期を演じきったばかりだ。名優・安田顕としてもう少し調子に乗ってもよさそうなものだが、そういう性分ではないようだ。
若い頃に北海道ウォーカーで連載していたコラム「安田顕のマグナムトーク‼」(2005年、第104回)では当時、占いで「大殺界で運気は最低、ひっそりと過ごせ」と言われたことを綴っていた。
「元来“ひっそり”過ごすのが好きな僕。大して苦でもない。“隠れる”“潜める”“気配を消す”。全部僕の日常を表す代名詞。特技は『死んだふり』」
このコラムの最後に気になる文言も。
「とある占いによると、21歳からずっと運気が下がりっぱなしとか。上がり始めは42歳からの大器晩成型だそう。あと10年はあせらず“ひっそり”すごしなさいとのこと……。こんな僕の好きな言葉は『運命は自分で切り拓く』です」
■真夏のヤスケン祭り開催中
42歳=2015年。テレビドラマでいえば「問題のあるレストラン」(フジ)、「不便な便利屋」「廃墟の休日」(テレ東)、そして「下町ロケット」(TBS)に出演した年である。この、とある占い師、当たってんなぁと一瞬思ってしまったが、いやいや、ヤスケンが自分で切り拓いてきたからこその今があるわけで。
今夏は2本のドラマに出演、いわば真夏のヤスケン祭りが開催中。「奪い愛、真夏」(テレ朝系、金曜23時15分~)は愛憎劇に巻き込まれる腕時計メーカーの社長役。松本まりかと高橋メアリージュンという濃厚な布陣、ヤスケンにしては珍しく二枚目役で、歯が浮くような恋愛モノに挑んでいる。コメディとして愛でるのが「奪い愛」シリーズのお作法だが、コメディ筋肉を封印したヤスケンの右往左往を楽しみにしている。
もう1本はWOWOW「怪物」だ。25年前、双子の妹が斬り落とされた指だけ残して行方不明に。優秀な妹にふがいない兄、一度は容疑者として逮捕された経験がある警察官という役どころ。ヤスケンの不穏な立ち位置と目線に注目だ。
他におすすめしておきたいのは、ヤスケンの魅力が全部盛りの映画2本。『俳優 亀岡拓次』(2016年)と『愛しのアイリーン』(2018年)だ。まったく趣の異なる2本だが、匂い立つ生活臭と滲み出す欲望、それでも「切なさ」という後味が残る。ヤスケンがこっそり仕掛ける演技の罠は、我々の想像力をあらぬ方向にかきたてる。そして、気づけば心の隙間に入り込んでいるから、実に、厄介だ。
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吉田 潮(よしだ・うしお)
ライター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。2010年4月より『週刊新潮』にて「TVふうーん録」の連載開始。2016年9月より東京新聞の放送芸能欄のコラム「風向計」の連載開始。テレビ「週刊フジテレビ批評」「Live News イット!」(ともにフジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。
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(ライター 吉田 潮)
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