義父母との同居を余儀なくされた女性は、公務員の夫の代わりに介護の重責を担うことに。ところが、姑からは「隣市の風俗店で体を売っている」などと誹謗中傷され、傷つけられた。
途中から介護を拒否した女性は恨みや憎しみを募らせ、姑の遺体や遺影の前に座るとこみ上げる感情をこらえられず、あることをしてしまった――。
■「ビールなんか飲ませなくていい、しっしっ」と言われた嫁の逆襲
本連載で以前、中部地方在住の佐倉美香さん(仮名・当時50代)が高齢の義両親の介護に奮闘する様子を前後編の2記事でレポートした。
前編 「嫁にビールなんか飲ませなくていい、しっしっ」25年間、義母に虐げられてきた"公務員の嫁"の怨嗟(2022年3月20日配信) 
後編 「台所はゴキブリの巣窟、冷蔵庫は液状化した野菜の海」最期を迎える姑の介護を一切拒否した嫁の逆襲(同上)
「嫁にビールなんか飲ませなくていい、しっしっ」とあしらわれ、義父が亡くなったあとには、風俗店でいかがわしい商売に従事している」と事実無根なことを実母が電話で伝えられるなど、つらい介護の現場を伝えた記事は多くの反響を呼び、POLで配信された2022年上半期ベスト記事にも選ばれた。
「主人公」の佐倉さんは3年半近く経過した今、どうしているのか。追跡取材した。
【前回配信した記事の要約】佐倉美香さん(仮名・60代・既婚)は公務員の男性とお見合い結婚。義両親と同じ敷地内の母屋と離れで別々に住むことに。夫は子どもが生まれても育児家事に協力せず趣味のスキー三昧。妻が義母にいびられても我関せず。義母の尻に敷かれて言いなり状態の義父は、教員を定年退職後に大切にしていた本を義母に大量に捨てられてうつ病になるが、その看病も佐倉さんに丸投げ状態。やがて義父は認知症や心筋梗塞になり、86歳で亡くなる。
その後、義母はクリプトコックス症になり入院している間に、佐倉さんは義父母が暮らし、ゴミ屋敷状態になっていた離れを片付けた。
同じ頃、実母から電話があり、佐倉さんが結婚してから27年以上、定期的に義母から電話があり、佐倉さんの悪口を聞かされ続けてきたことを知る。中でも驚愕したのは、「あなたの娘と孫娘、隣の市の風俗店でいかがわしい商売に従事しているわよ」と伝えてきたこと。これには怒りに震えたが、義母を問いただすと「あんたらのことを心配してやった」と平然と言う。夫に「病気なら病院へ、そうでないならきちんと謝罪させて!」と訴えても、「仕事が忙しい」「本人が納得しないと……」などと言い訳三昧。
怒りを通り越して呆れ果てた佐倉さんは、義母の介護からは一切手を引くことを宣言。慌てた夫は自分の姉に助けを求めるが、取り合わない。佐倉さんの宣言後、義母は持病のリウマチや骨粗しょう症などが急激に悪化。トイレの失敗が増えるなど、坂道を転げ落ちるかのように衰えていった――。

■電話が鳴る度に「お!危篤の知らせか?」と心騒ぐ
中部地方在住の佐倉美香さん(仮名・60代・既婚)の義父が他界した後、90歳の義母は特養に入所した。だが、誤嚥性肺炎を繰り返し、その度に入院して点滴を受けていた。何度か主治医に胃ろうを勧められたが、その度に公務員の夫(当時62歳)は断った。
何度目かの誤嚥性肺炎での入院中、夫が特養と話し合ったところ、
「点滴、喀痰吸引などの医療的処置はできませんが、看取りはします」
と言われたという。
つまり、義母はもう口から食べることができないため、退院して特養に帰ってきたら、日々のお世話はするが、「枯れていくまま死を待つ」ということだ。
それに対して夫は、
「ただ死を待つのはあんまりだから、医療的処置をしてもらえる療養型の施設を探してもらうことにする」
と佐倉さんに伝えた。
義母の暴言(佐倉さんが隣の市の風俗店で働いているというデマを流した)事件以降、佐倉さんは義母の介護を完全拒否。それでも夫は義母の体調の変化を伝書鳩のように佐倉さんに話した。
「さすがに自分の母親を何もせずに送り出すのはしのびないのでしょう。私が義母の妄言や暴言で悩んでいた時には自分は何もせず、私にも何もしてくれなかったのに、いざ自分が介護の当事者になると態度を変えて、義母にはいろいろしてやりたいんですね。ため息しか出ません」
当時の義母の状況から考えて、特養へ帰れば1~2週間もつかどうか。受け入れてくれる療養型施設を探している間に、命尽きることも考えられる。
義母の暴言事件から「義母の介護はしない」と宣言した佐倉さんは、子どもたちが小学校に上がってから取得したヘルパー2級の資格と約5年の経験を活かし、認定調査員として働きながら介護福祉士の資格を取るために実務者研修に通い始めていた。
「当時の私は契約社員のような雇用形態だったので忌引休暇はなく、正直、義母の葬式ごときで有休を使いたくありませんが、義母に何かあれば有給で対応することになります。ブドウ糖の点滴でも1カ月は(命は)大丈夫と聞きますし、高カロリー輸液だったらもっともつかもしれません。今は胃ろう以外に中心静脈栄養という方法もあります……と、大嫌いな義母のことをふと考えてしまっては、時間を奪われることに苛立つ日々を過ごしていました」
そんな2020年2月。
義母は佐倉さんの予想通り、中心静脈栄養にするための手術を受けることになった。
中心静脈栄養とは、経口摂取が困難な場合に心臓近くの太い血管(中心静脈)にカテーテルを挿入し、点滴で必要な栄養を投与する方法だ。延命治療と捉えられることもあるが、栄養状態を改善して体力や免疫力を高めることで病気の治療を促し、QOL(生活の質)を向上させるために選択されるケースもある。
しかし中心静脈栄養にすると特養には戻れないため、療養型病院に転院が決まった。
「私の母は80歳と2カ月で亡くなったので、『憎まれっ子、世に憚るだな。10歳も長生きしやがって!』と思っていました。2021年の12月は電話が鳴る度に『お! 危篤の知らせか?』と心騒いでいましたが、これで3カ月はお預けかとがっかりしました」
佐倉さんが結婚してから27年以上、義母から電話で佐倉さんの悪口を聞かされ続けてきた母親は、2018年5月にこの世を去っていた。義母の「仕打ち」にとことん苦しめられてきた佐倉さんの憎しみは尋常ではなかった。
■親の介護を嫁に押し付ける実子たち
義母が最初に介護認定調査を受けたのは2016年の5月頃。結果は要支援1。その後、要介護1になるまで3年かかり、佐倉さんが関わりを絶ってから2年もの間に、義母は持病のリウマチや骨粗しょう症が急激に悪化し、2019年の3月頃に要介護3。2020年の6月には要介護5になっていた。

「まだ私が義母の世話をしていた頃、義母の介護度がなかなか上がらなかった理由が、その後に判明しました。義母は『空想虚言症』と診断されたにもかかわらず、そのことを隠したがり、どんなに私が泣きながら訴えても、夫は調査員にそれを話そうとはしなかったのです。義母の暴言事件から私が義母との関わりを断ち、夫は自分が義母のオムツを変えなければならなくなってようやく、要介護認定を自分ごととして捉えるようになったようです。自分が困ってなければきちんと実態を伝えようとしない夫には心底がっかりしました」
同年3月。義母はインフルエンザに罹ったものの、隔離病室から大部屋に戻れたことで、夫は病院から「生活に必要なものは持ち込みますか? レンタルしますか?」と聞かれたという。
「さすがに学習したようで、私にまだ頭を下げないと準備できない夫は、お金はかかりますがレンタルを選択しました。もちろんレンタル代は義母の年金から払います。義母のお金が残っても、何もしない義姉に半分持っていかれるだけですから」
佐倉さんが義母の介護から手を引き、困り果てた弟(佐倉さんの夫)から協力を求められた義姉は、
「あんたらだってばあちゃんから良くしてもらったんやろ?」
と拒んだ。65歳で教職を定年し、時間はあるにもかかわらず、義母の見舞いすらこなかった。
「散々、嫁と嫁の実家を蔑んでおきながら、『やっぱりアンタに面倒みてもらわなあかんわ』と口走った義母も義母ですが、自分の親のことなのに、『弟夫婦の言うことを聞かなあかんよ』と義母に言うだけで何もしない義姉も義姉です。義姉は何度か、リゾート地に建つ高級老人ホームのパンフレットを我が家に送り付けてきました。自分がお金を出す気もないのに、何のつもりだろうと思いました」
義姉は、義姉夫の親が要介護状態に陥った時、「あなたの親なんだからあなたが看なさい」と言い放ったという。

佐倉さんは、「もう私は仕事を辞めてまで義母の介護はしませんよ。。実子さんたちでやってください」と言って断ったが、義姉は実子であるにもかかわらず、弟とその嫁である佐倉さんに介護を押し付けたのだった。
■義母の遺体を前で気持ちが込み上げ…嫁はきっぱり言った
2022年3月31日午前10時半過ぎ。佐倉さんが仕事をしていると、夫から義母の訃報が入った。
佐倉さんは翌日、翌々日の休みを申請し、事務所を後にした。
通夜の日。朝から家事を済ませた佐倉さんは、役所へ行った夫に代わり、葬儀会館で留守番をすることに。義母の遺体を前に、どうしようもなく悔しい気持ちが込み上げ、こらえきれなくなった佐倉さんは、義母に問いかけた。
「義姉さんとその娘さんが風俗店で売春してるそうですよ? 私にしたみたいに、『もう2度と行かへんか』って恫喝しなくていいんですか?」
役所から戻ってその光景を目にした夫は「ごめん。本当にごめん」と繰り返した。やがて夕方になると、義姉と義姉夫が到着。

義姉が何もしてこなかったことを知っている義姉夫は、「何もできず、すみません」と佐倉さんと目が合うとすぐに頭を下げたが、当の義姉はそっぽを向いていた。その様子に苛立った佐倉さんが義姉に、
「今ここで義母に言われたことと同じことを言ってあげましょうか?」
と訊ねると、即座に義姉夫は、
「私たちは遠くに住んでいたので、よく知らなくてすみません!」
と繰り返し頭を下げ続けた。いわば義姉夫も佐倉さんも、義母をはじめとする義家族に振り回された被害者同士だった。
「義姉夫は『自分の妻や娘が風俗店で売春している!』なんて、言葉だけでも聞きたくはなかったんでしょう。かなり必死でした。でも私からすれば、本来謝る必要のない義姉夫が謝って、頭のおかしい義母の肩を持ち続けた挙句、その介護を押し付けた義姉がひたすらそっぽを向き続けるという滑稽な状況。馬鹿らしくなりました。もう、『これが済んだら全てが終わる』それだけで平静を保っていました」
通夜が終わり、誰もいなくなった式場で、佐倉さんは義母の遺影に向かい、焼香台の灰をひとつまみぶつけた。
■「夫を捨てます」と決意も離婚しない妻が心待ちにすること
義母の暴言事件以降、夫に再三「お義母さん、骨になっても我が家には入れないからね」と言い続けてきた佐倉さんだったが、初七日が終わった後、義母の骨壷は義父母が暮らしていた離れに置くことを許した。だが、夫への気持ちは完全に冷め切っていた。
「義母の遺骨は、一方はお墓に入れ、もう一方は早く本山に持って行かないといけないのですが、夫は一向に動きません。このまま放置するなら、私がゴミとして捨てるつもりです。また、義母の法事は今後、夫ができなくなっても、私は絶対にしません。今からお寺に断るのが楽しみです。もちろん、夫が要介護になっても、私は関わらない宣言をするつもりです」
佐倉さんは自分のお人好しさを悔やみ、そのお人好しさを利用してきた夫をはじめとした義家族たちを心の底から恨んでいた。
「義母の通夜の時、義姉夫は『自分の妻や娘が親子で売春している』なんて、嘘でも言われたくなくて、自分が謝ることで家族を守ったのです。でも夫は、一度も私たちを守ってくれませんでした。義母だけでなく、義父や義父母のきょうだい、その子どもたちまでもが、義母の妄言を信じて私を後ろ指でさし、悪口を垂れ流すのをずっと見て見ぬ振りしてきたのです。もう取り返しはつきません。私は夫を捨てます」
佐倉さんは何度も離婚を考えたが、仲良くしている近所の先輩たちに、「旦那さん67でしょう? もう少し我慢すれば全部あなたのものなんだから」と助言され、その時を心待ちにしている。
「誰が悪いんでしょうか? 私は鬼嫁でしょうか? 義母はもちろんですが、義母の実子さんたち、中でも息子である夫が『嫁にさせとけ!』で乗り切れると勘違いした馬鹿だったんでしょうね。私は男を見る目がありませんでした。PTSDなのか、時々、当時を思い出しては湧き上がってくる怒りや悲しみで、5年経った今でも私は苦しみ続けています」
現在60代の佐倉さんは、義母が亡くなった翌年に介護福祉士試験に合格。現在は市の委託先で介護認定調査員の仕事をしている。
「介護認定調査員をしていると、私以上に厄介な義父母を抱えるお嫁さんもいらっしゃいます。アセスメント(評価や査定)はできない仕事なので、質問されたら答えるくらいしか力になれませんが、何かしら助けになればと思いながら仕事に向き合いつつ、いずれデイサービスの生活相談員への転職を考えています」
佐倉さんのように、親の介護がきっかけで夫婦仲や家族仲に亀裂が入るケースは少なくない。自分の親の介護を“長男の嫁”に押し付ける悪弊は、構成員である一人ひとりの認識が変わらないことには完全には終わらない。自分が築いた家族の関係は、親が亡くなったとしても続いて行く。優先すべきはどちらかは明らかだろう。
何も難しいことではなく、「自分がされて嫌なことは、他人にもしない」。たったこれだけのことで、介護に苦しむ人を減らすことができる。たとえ、かつて自分が上の世代からされたことでも、負の連鎖をそこでたち切る勇気が必要だ。
自分がしてあげたい介護をする人に反対するつもりはない。だが、苦しいだけの介護となるのなら“しなくていい”のである。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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