2016年3月、福岡県筑後市にプロ野球ソフトバンクホークスのファーム施設が竣工した。スポーツライターの喜瀬雅則さんは「施設ができる以前とその後で、街は大きく変化した。
プロ野球の育成拠点が存在する効果は絶大だった」という――。
※本稿は、喜瀬雅則『ソフトバンクホークス 4軍制プロジェクトの正体』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■ソフトバンクの球場ができた自治体におきたこと
2022年11月30日。
ソフトバンクは2023年から「4軍制」を本格稼働させることになり、拠点である「HAWKSベースボールパーク筑後」で記者発表会が行われた。
会見に列席した筑後市長の西田正治は、挨拶の中で、筑後の育成拠点が稼働して以来「全国的に名前が認知された」と、その絶大なPR力について言及した。
「周りの人口が減っているところで、筑後市は人口が増えました。周りの首長さんたちからも『ホークスさんが来たもんね』『活気があるよね』と」
西田の手応えは、何も単なる印象だけではない。きちんとした数字の裏付けもある。
特筆すべきは「人口」だ。
日本は「人口減少時代」に突入したといわれ、地方の市町村は、少子高齢化の趨勢とともに、いかにしてその衰退の流れを食い止めるかで、それこそ四苦八苦している。そんな中で、筑後市は「2016年」を挟んで人口が増え、世帯数も伸びている。
2024年4月12日、総務省が発表した2023年10月1日現在の「人口推計」によると、外国人を含む日本の総人口は、前年比59万5千人減、0.48%減の1億2435万2千人で、減少は13年連続となった。

都道府県別の前年比でも、増加は東京都のみで、0.34%増の1408万6千人。他の46道府県は例外なく減少している。コロナ禍で東京から人口が流出する動きが一時、強まったこともあったが、東京のみの2年連続の人口増加は、再び「一極集中」の流れが加速し、地方の過疎化が進んでいることの、まぎれもない証左である。
■市役所の担当者「奇跡的です」
その“減りゆく人口”を巡って、地方の各自治体での人口争奪戦は、激しさを増す一方だ。5年に一度行われる「国勢調査」の人口数に基づき、その人数分に定められた金額をかけたものが、国からの交付金になる。だから、一人でも人口を増やすことが、自治体にとっては死活問題でもある。
定住支援策や子育て世代への厚遇策など、いかにして自分たちの街に人を呼び込むか。住民サービスを手厚くすることによる競争だが、結局は減りゆく人口の取り合いであり、先行きはじり貧になるばかりだという。
その「人口減」というトレンドの中で、福岡県筑後市は、その逆の「人口増」という、他の自治体にしてみれば、羨ましい限りの現象が起こっている。
「平成30年(2018年)前後のところで、どの自治体も(人口の)将来勾配は全部右肩下がりになっているので、その中で維持、増加というのはほとんどない。なので奇跡的です。増えない中で増えているので。
(ホークスが)その直接的原因かどうかは分かりません。その一部ではあるんでしょうけど。もちろん、全然それが関与していないとは、施策を推進している立場上は思っていないです。ただ、子育て支援策とかも、市長マニフェストとかでもやっていますので」
筑後市役所の商工観光課で、ホークスファーム事業推進担当を務める水田進は、慎重な言い回しで断言こそは避けた。それでも「それらも含めた中で、ホークスのことも入っていておかしくないですよね」と私が更問いすると、小さくうなずいた。
「おかしくないですね、はい。そう思いますね」
■起爆剤としての「プロスポーツ」
ソフトバンクの育成施設「HAWKSベースボールパーク筑後」が本格稼働する前年、2015年の国勢調査で、筑後市の人口はその5年前より173人減の4万8339人。そこから一転、2020年の国勢調査で、筑後市の人口は488人増の4万8827人、世帯数も1373世帯増の1万8752世帯となった。
2015年から20年までの5年間で、全国の市町村の82%が人口減少している中で、たとえ500人足らずとはいえ、人口5万人前後の筑後市だと1%の伸び率になる。しかも2024年1月31日現在、住民台帳による人口は4万9259人、2万980世帯と、さらに増加傾向にあるのだ。
とはいえ、育成施設だ。1軍ではないのだ。

それでも「筑後」の名前が普及し、人口流入が増える。それはイコール、税収も増え、国からの交付金も増え、観光人口も増える。その起爆剤としての「プロスポーツ」という視点で見ると、筑後の育成施設が存在する効果は絶大なものがある。
■市の認知度が急上昇
「地域ブランド調査」と呼ばれる、日本最大規模の消費者調査のデータがある。
全国の1000市区町村、および47都道府県を調査対象に、全国の3万人が各地域のブランド力を評価するもので「魅力度」「認知度」「観光意欲度」といった各地域のイメージに関する調査は全90項目。全国順位がつけられた上で公表されるから、その推移は各自治体にとって、街のイメージやパワーを示す指標として、注目されるものでもある。
筑後市における「ホークス」の効果の大きさは、同調査による順位の推移で明確になる。
【認知度】

2014年「513位」 2016年「469位」 2022年「400位」
【居住意欲度】

2014年「690位」 2016年「409位」 2019年「304位」
【魅力度】

2016年「455位」 2019年「404位」 2022年「425位」

つまり、ソフトバンクの育成拠点が筑後で稼働した2016年を挟み、筑後市のイメージやブランド力、関心度はほぼ右肩上がり。自治体がいくらイベントやプロモーションをかけても、これだけの効果が明確に表れるのは難しいのだという。
「最終的には『認知度』。筑後市が知られた、というところがグッと上がっている。もう絶大なPR力を持っているんです。
一つのスポンサーになってもらうとかいう話ではなく、拠点が1つあることで、露出の仕方も全然違うんです」(水田氏)
■高額納税者が毎年転入してくる
2016年1月18日、筑後の開業を2カ月後に控え、市と球団は「地域包括連携協定」を結んでいる。
球団の育成・選手強化はもちろんだが、地域の活性化、市民へのサービス向上を図るために、球団と市との連携事業として「6項目・32事業」が明記されている。
その中に「筑後市への住所異動」という事業名がある。
筑後の「若鷹寮」には、原則として高卒選手は5年、大卒、社会人出身選手は2年、寮生活を行うというルールがあるが、それに伴い、新人選手は筑後市へ住民票を移すことが決められているのだ。
当然ながら選手の納税地となる。これが、市にとって強大なメリットになるのだ。
ドラフト1位なら、それこそ1億円近い契約金になる。下位指名でも、数千万円単位の契約金になるため「ドラフト上位の選手は、高額納税者みたいな感じになるんです」と水田はいう。つまり、その契約金に課税され、これが筑後市の税収となるわけだ。
「税金は大きいんです。定期的に入ってくるわけですから」
■安くない投資に見合う恩恵
水田によると、新人選手の契約金にかかる課税は、全体で4千万円ほど、多い時には6千万円近く入ってくることになるという。これは、他の自治体がいくらやりたいと思ってもやれることではない。
プロ野球球団がある街の恩恵である。
球場などが建つ約7ヘクタールの土地は20年間の無償貸与。ファーム施設は開業後3年間の固定資産税放棄。それを“誘致への投資”と考えれば、そのリターンも、きちんと見込めるだけのシステムになっているわけだ。
さらに、市への転入者が1人でも増えることで、1人あたり数万円の、国からの交付税が増える仕組みになっている。5年に一度行われる「国勢調査」。この調査時の人口数に基づき、国は補助金や事業予算の配分を決めるのだ。
ドラフトの本指名、育成指名で、毎年15人程度の新人選手が入団してくる。地域包括連携協定に基づけば、そのルーキーたちはイコール、市への転入者となる。
市の収入の中で、地方交付税の割合は大きい。
毎年1月、新人選手の「転入手続き」を行う日がある。午前中に高卒選手、午後から社会人、大卒の選手に分かれているが、国民健康保険への加入は「親の扶養から離れるので、社会保険の喪失届を持ってきてくださいねと選手に言っても、なかなか分からないですよね」と水田。

■新人選手は全員「筑後市民」
面倒な手続きとあって、高卒の選手の場合は、両親が寮見学に来るタイミングで、必要な書類の説明なども行うのだという。
以前は市役所の職員が寮に出向いていた。市民課の住民担当、国民健康保険、国民年金の担当者が出向き、書類の書き方を指導し、その場で提出してもらった後、市役所に持ち帰って手続きをしていたという。ところが昨今は「マイナンバーの関係で、市役所にある機械を通すしかないので、来てもらわないといけないんですよ」
水田のこうした説明にも、時代の流れを感じる。
こうして、鷹のルーキーたちが続々と「筑後市民」になっていく。
「自治体は人が増えて、交付税が上がってなんぼ、なんですよ。そこが増えない限りは、内部でいかに歳出抑制をしても、国から来る交付金が人口の減少に合わせて減るだけなんで、増減の帳尻が合うだけなんです。人が増えたら、全体のパイも増えていく。だから、人を増やさないといけない。他のところは、全体のパイが下がって、交付税も下がるので、苦労されていると思います」

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喜瀬 雅則(きせ・まさのり)

スポーツライター

1967年神戸市生まれ。関西学院大学経済学部卒。90年に産経新聞社入社。94年からサンケイスポーツ大阪本社で野球担当として番記者を歴任。2008年から8年間、産経新聞大阪本社運動部でプロ・アマ野球を担当。産経新聞夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で11年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。17年7月末に産経新聞社を退社。以後はフリーランスとしてプロ野球界の取材を続けている。

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(スポーツライター 喜瀬 雅則)
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