肩書にこだわり偉そうに振る舞う人にはどう対処するといいか。プロ司会者で作家の鹿島しのぶさんは「『人を評価するのに、相手の肩書や実績など一切関係ない』といい切る人がいるが、それでは極端で窮屈ではないか。
※本稿は、鹿島しのぶ『ワンランク上のおとなの礼儀』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■宴席で作法を守るように、人生の作法を守る
「宴席で作法を守るように、人生の作法を守ることを忘れてはならない。ごちそうが回ってきたら、礼儀正しく一人分を取る。次に回るのを滞らせないように。まだ回ってこないうちから欲しそうにしないで、自分の前に来るまで待つように。地位や富、妻や子どもについても同じこと」
これは古代ギリシアの哲学者、エピクテトスの言葉で、人生における礼節の大切さを教える言葉とされています。「宴席で作法を守るように、人生の作法を守ることを忘れてはならない」というわけです。
実際、宴席でのシーンを思い浮かべると、「どうぞ」「お先に」「恐れ入ります」などというフレーズが出てきませんか?
目の前にごちそうが回ってきたとき、日本人なら、「どうぞ」「お先に」という言葉を自然に口にする人が多いと思います。さらに、先に料理を取るときには、「失礼します」と一言添えるのでは?
そういう、いわゆる“クッション言葉”を口にすることで、相手を敬っている気持ちを表現できますし、そんな丁寧な言葉遣いに品性や礼儀正しさが表れるものです。
相手を思いやる言葉を発することで、心に余裕が生まれ、ごく自然に相手に譲ることができるようになるでしょう。それは、人生の過ごし方にも通じることだというわけです。
■「譲る人」は、とても美しい
私は、エピクテトスのこの言葉は、「譲ることの大切さ」にも通じるのではないかと思います。
譲るという行動は最も美しい礼儀作法の一つだと思いますし、日本人のなかには、そんな文化がしっかりと根づいているはずです。
ようするに、気持ちが伝わるのが大事なので、それが「どうぞ」とか「お先に」とか「恐れ入ります」という言葉であってもいいし、所作とか行動とか、そういうものでもいいと思います。
たとえば、エレベーターに乗るときに、「どうぞお先に」と、ちょっと手を動かして身振りで示せるかどうか――。
そういうちょっとした言葉、行動の積み重ねが大切なような気がします。そんな言葉や行動をぜひ身につけたいものです。
最初はなかなか難しいかもしれませんが、意識して使っているうちに自然にできるようになりますし、一度身についたら、意識しなくてもできるようになります。
この礼儀正しさは、一生の宝物になるはずです。
■肩書や実績に敬意を払うのはバカバカしいことなのか
人間は悲しいもので、やっかみや妬みと無縁ではいられません。そして気をつけているつもりでも、ついつい他人をうらやましいと思って、素直に敬意を示すことができなくなってしまいます。
そんな人のなかには、「人を評価するのに、相手の肩書や実績など一切関係ない」といい切る極端な人もいます。
「組織における肩書や実績は、あくまでもその人の一部にすぎないのだから、それに対していちいち敬意を払うなんてバカバカしい」というわけです。
でも、そんなところで片意地を張る生き方は窮屈じゃないでしょうか。
私自身は、肩書にとらわれるのはよくないと思っているタイプの人間ですが、世の中には、肩書だけで相手を評価する人がいくらでもいます。
また、ある程度の地位に就いて周囲からチヤホヤされているうちに、錯覚して自分を過大評価しているような人も少なくありません。
そんな人と接するたびにイライラしていては、自分自身がつらくなるばかりですし、周囲の人たちとうまく人間関係を築いていくこともできなくなってしまいます。
■「相手を立てる」と仕事は好転する
たとえば結婚式の司会をしていると、なかには肩書にこだわって、ことさら偉そうにふるまう人もいないではありません。
でも、そんな人の人間性をどう評価するかは自分のなかでジャッジすればいいだけのことですし、そんな小さなことに目くじらを立て、腹を立てていては自分が損するばかりでしょう。
そこは大人の対処法で「とりあえず相手を立てる」ようにすればいいのです。それは、特定の相手への礼儀というより、周囲の人に対する礼儀ですし、そうすることで周囲の人との人間関係をうまく維持していけるはずです。
だいたい、まわりにヨイショされて偉そうにしている人は悪目立ちするもので、周囲の人もわかっています。
そんな人を相手に正面からぶつかって損をする必要なんてありません。「それだけの肩書を持っている人はそれなりに、見えないところで努力をしてきたのだろう」ととらえて、その点については敬意を表そうではありませんか。
人の実績を素直に認め、受け入れ、相手を立てる。そうすることによって、人間関係はスムーズになりますし、ラクになります。
卑屈な考え方は、人間関係を悪化させ、負のスパイラルに陥る要因にもなりかねません。どんなときも明るく健全な心で人と接することで物事は好転していくものと、私は信じています。
■「ねぎらいの言葉」で人を動かす
よほどのひねくれ者でない限り、人は誰でも、自分を助けてくれた人に対して感謝の気持ちを持つものです。
しかし、それを言葉にして表現するのが苦手な人もいるようです。たとえば立場の違いを気にする人もいます。
上司たるもの、感謝はしているものの、部下に対して軽々しくお礼をいうのは気恥ずかしいと思っている人もいるようです。
あるいは同僚同士だと、なんとなく負けたような気になるから、感謝はしているのだけれど、正面切ってお礼の言葉なんていいたくない、という人もいます。でも、それでは相手に本当の気持ちは伝わりません。
「ありがとう」という一言は人間関係における大切な潤滑油です。立場の違いなどにためらうことなく、意識して感謝の気持ちを伝えるようにしたいものです。
また、部下を持ったら「ねぎらいの言葉」も大切です。「ねぎらう」は漢字で「労う」と書きますが、辞書を引くと、「苦労や骨折りに感謝し、いたわる。現代では、同等または下の人に対して用いる」と書かれています。
私は、「ねぎらい」という言葉には、自分自身に対してというよりも、組織や社会への貢献に対する敬意の表明といった意味合いが強く含まれているように感じます。
そういう意味では、上に立つ者は広い視野を持って部下に目配りし、貢献した者を的確に評価して、きちんとねぎらうべきだと思います。
■職場でも夫婦でも相手に対する敬意を示せるか
上司は往々にして、部下がどんなに努力しても「そんなの仕事のうちだ」「俺たちだって、そんな苦労を乗り越えてきたんだ」「乗り越えてこそ一人前になれるんだ」などといって、あまり褒めたりねぎらったりしないものです。
そんなの、いつの時代の理屈でしょうか。それでは組織はうまく回りません。部下は自分が軽視されたと感じるばかりでしょう。
きちんと仕事をした部下には、きちんとねぎらいの言葉をかけましょう。
「おつかれさま」「がんばったね」「たいしたもんだ」「助かったよ」「頼りにしているよ」「ありがとう」……心から部下の成長を期待しているのなら、やはり、きちんと言葉にしないと、伝わることも伝わりません。
それが職場であっても、親子であっても夫婦であっても同じです。
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鹿島 しのぶ(かしま・しのぶ)
プロ司会者、作家
白百合女子大学文学部英語英文学科卒業後、会社員を経てプロの司会者として活動を開始。(株)総合会話術仟言流の代表を務め、ブライダルプランナーの役割も兼ね備えたプロ司会者の育成にも力を注いでいる。また、2017年まで駿台トラベル&ホテル専門学校ブライダル学科長を務め、ブライダル関連、接遇会話、ビジネスマナーの授業を担当した。『「また会いたい」と思われる人』『「品がいい」と言われる人』『99%人に好かれる「礼儀正しい人」』(以上、三笠書房)など著書多数。
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(プロ司会者、作家 鹿島 しのぶ)
とりあえず人の実績を素直に認め、受け入れ、相手を立てるといい」という――。
※本稿は、鹿島しのぶ『ワンランク上のおとなの礼儀』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■宴席で作法を守るように、人生の作法を守る
「宴席で作法を守るように、人生の作法を守ることを忘れてはならない。ごちそうが回ってきたら、礼儀正しく一人分を取る。次に回るのを滞らせないように。まだ回ってこないうちから欲しそうにしないで、自分の前に来るまで待つように。地位や富、妻や子どもについても同じこと」
これは古代ギリシアの哲学者、エピクテトスの言葉で、人生における礼節の大切さを教える言葉とされています。「宴席で作法を守るように、人生の作法を守ることを忘れてはならない」というわけです。
実際、宴席でのシーンを思い浮かべると、「どうぞ」「お先に」「恐れ入ります」などというフレーズが出てきませんか?
目の前にごちそうが回ってきたとき、日本人なら、「どうぞ」「お先に」という言葉を自然に口にする人が多いと思います。さらに、先に料理を取るときには、「失礼します」と一言添えるのでは?
そういう、いわゆる“クッション言葉”を口にすることで、相手を敬っている気持ちを表現できますし、そんな丁寧な言葉遣いに品性や礼儀正しさが表れるものです。
相手を思いやる言葉を発することで、心に余裕が生まれ、ごく自然に相手に譲ることができるようになるでしょう。それは、人生の過ごし方にも通じることだというわけです。
■「譲る人」は、とても美しい
私は、エピクテトスのこの言葉は、「譲ることの大切さ」にも通じるのではないかと思います。
譲るという行動は最も美しい礼儀作法の一つだと思いますし、日本人のなかには、そんな文化がしっかりと根づいているはずです。
ようするに、気持ちが伝わるのが大事なので、それが「どうぞ」とか「お先に」とか「恐れ入ります」という言葉であってもいいし、所作とか行動とか、そういうものでもいいと思います。
たとえば、エレベーターに乗るときに、「どうぞお先に」と、ちょっと手を動かして身振りで示せるかどうか――。
そういうちょっとした言葉、行動の積み重ねが大切なような気がします。そんな言葉や行動をぜひ身につけたいものです。
最初はなかなか難しいかもしれませんが、意識して使っているうちに自然にできるようになりますし、一度身についたら、意識しなくてもできるようになります。
この礼儀正しさは、一生の宝物になるはずです。
■肩書や実績に敬意を払うのはバカバカしいことなのか
人間は悲しいもので、やっかみや妬みと無縁ではいられません。そして気をつけているつもりでも、ついつい他人をうらやましいと思って、素直に敬意を示すことができなくなってしまいます。
そんな人のなかには、「人を評価するのに、相手の肩書や実績など一切関係ない」といい切る極端な人もいます。
「組織における肩書や実績は、あくまでもその人の一部にすぎないのだから、それに対していちいち敬意を払うなんてバカバカしい」というわけです。
たしかにそういう考えもあるでしょう。
でも、そんなところで片意地を張る生き方は窮屈じゃないでしょうか。
私自身は、肩書にとらわれるのはよくないと思っているタイプの人間ですが、世の中には、肩書だけで相手を評価する人がいくらでもいます。
また、ある程度の地位に就いて周囲からチヤホヤされているうちに、錯覚して自分を過大評価しているような人も少なくありません。
そんな人と接するたびにイライラしていては、自分自身がつらくなるばかりですし、周囲の人たちとうまく人間関係を築いていくこともできなくなってしまいます。
■「相手を立てる」と仕事は好転する
たとえば結婚式の司会をしていると、なかには肩書にこだわって、ことさら偉そうにふるまう人もいないではありません。
でも、そんな人の人間性をどう評価するかは自分のなかでジャッジすればいいだけのことですし、そんな小さなことに目くじらを立て、腹を立てていては自分が損するばかりでしょう。
そこは大人の対処法で「とりあえず相手を立てる」ようにすればいいのです。それは、特定の相手への礼儀というより、周囲の人に対する礼儀ですし、そうすることで周囲の人との人間関係をうまく維持していけるはずです。
だいたい、まわりにヨイショされて偉そうにしている人は悪目立ちするもので、周囲の人もわかっています。
そんな人を相手に正面からぶつかって損をする必要なんてありません。「それだけの肩書を持っている人はそれなりに、見えないところで努力をしてきたのだろう」ととらえて、その点については敬意を表そうではありませんか。
人の実績を素直に認め、受け入れ、相手を立てる。そうすることによって、人間関係はスムーズになりますし、ラクになります。
卑屈な考え方は、人間関係を悪化させ、負のスパイラルに陥る要因にもなりかねません。どんなときも明るく健全な心で人と接することで物事は好転していくものと、私は信じています。
■「ねぎらいの言葉」で人を動かす
よほどのひねくれ者でない限り、人は誰でも、自分を助けてくれた人に対して感謝の気持ちを持つものです。
しかし、それを言葉にして表現するのが苦手な人もいるようです。たとえば立場の違いを気にする人もいます。
上司たるもの、感謝はしているものの、部下に対して軽々しくお礼をいうのは気恥ずかしいと思っている人もいるようです。
あるいは同僚同士だと、なんとなく負けたような気になるから、感謝はしているのだけれど、正面切ってお礼の言葉なんていいたくない、という人もいます。でも、それでは相手に本当の気持ちは伝わりません。
「ありがとう」という一言は人間関係における大切な潤滑油です。立場の違いなどにためらうことなく、意識して感謝の気持ちを伝えるようにしたいものです。
また、部下を持ったら「ねぎらいの言葉」も大切です。「ねぎらう」は漢字で「労う」と書きますが、辞書を引くと、「苦労や骨折りに感謝し、いたわる。現代では、同等または下の人に対して用いる」と書かれています。
私は、「ねぎらい」という言葉には、自分自身に対してというよりも、組織や社会への貢献に対する敬意の表明といった意味合いが強く含まれているように感じます。
そういう意味では、上に立つ者は広い視野を持って部下に目配りし、貢献した者を的確に評価して、きちんとねぎらうべきだと思います。
■職場でも夫婦でも相手に対する敬意を示せるか
上司は往々にして、部下がどんなに努力しても「そんなの仕事のうちだ」「俺たちだって、そんな苦労を乗り越えてきたんだ」「乗り越えてこそ一人前になれるんだ」などといって、あまり褒めたりねぎらったりしないものです。
そんなの、いつの時代の理屈でしょうか。それでは組織はうまく回りません。部下は自分が軽視されたと感じるばかりでしょう。
きちんと仕事をした部下には、きちんとねぎらいの言葉をかけましょう。
「おつかれさま」「がんばったね」「たいしたもんだ」「助かったよ」「頼りにしているよ」「ありがとう」……心から部下の成長を期待しているのなら、やはり、きちんと言葉にしないと、伝わることも伝わりません。
それが職場であっても、親子であっても夫婦であっても同じです。
最後は、相手に対する敬意を示せるか、礼儀正しく接することができるかで、大人の品位が問われることになるのです。
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鹿島 しのぶ(かしま・しのぶ)
プロ司会者、作家
白百合女子大学文学部英語英文学科卒業後、会社員を経てプロの司会者として活動を開始。(株)総合会話術仟言流の代表を務め、ブライダルプランナーの役割も兼ね備えたプロ司会者の育成にも力を注いでいる。また、2017年まで駿台トラベル&ホテル専門学校ブライダル学科長を務め、ブライダル関連、接遇会話、ビジネスマナーの授業を担当した。『「また会いたい」と思われる人』『「品がいい」と言われる人』『99%人に好かれる「礼儀正しい人」』(以上、三笠書房)など著書多数。
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(プロ司会者、作家 鹿島 しのぶ)
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