賃上げが続く一方で、個人消費の伸びは鈍い。なぜ日本人はお金を使わなくなったのか。
消費経済ジャーナリストの松崎のり子さんは「100円ショップを見れば理由は明らかだ。『失われた30年』と呼ばれるデフレ時代に、人々の努力によって安くていいものが手に入るようになったからだ」という――。
■日本人は「お金を使わない族」になった
100円ショップの前に、別の話から始めよう。私たちがどれほど「お金を使わない族」になったかだ。内閣府が7月29日に公開した「令和7年度(2025年度) 経済財政報告(経済財政白書)」によると、賃上げの伸びは順調で、近年にない明るい動きが続いているという。
しかし、対照的に消費は弱いまま。「勤労世帯の平均消費性向は、コロナ禍で大きく低下した後も回復せず、コロナ禍前の水準を下回って推移」しているのだとか。新型コロナが上陸した2020年から、もう5年も経つというのにだ。
確かに、飲食や旅行、そして一見推し活で賑わっているエンタメ業界でも、まだコロナ以前の市場規模に戻りきっていないという悲観的な声を耳にする。なぜ、そんなに我々は消費をしなくなったのか。今回の白書では、その理由として大きく3点を挙げている。
① 賃金や所得が増えたとしても、それは一時的なものだと感じている

② 食品など生活必需品の価格上昇に対する節約意識の強まり

③ 老後の生活に対する備えや漠然とした不安により、消費より貯蓄志向が高まっている
つまり、わが国ではあまりにも長くデフレが続いたせいもあり、「給料が増えます」「手取りも増えます」と言われても、にわかに信じがたいと考える国民が多いということだ。

■所得が増えても“節約”と“貯蓄”に回す
そもそも日産の工場閉鎖やらパナソニックHDの早期退職募集やら、日本を代表する大企業が人員削減に踏み切っている報道を目にして、「景気が上向いてきた、どんどん消費しよう」なんて気になるだろうか。
白書にはさらに興味深い記述もある。
内閣府が行った「家計の消費・貯蓄行動に関する調査」では、もし仮に所得が増加した場合、人々はどんな消費支出を増やそうと考えるのかを聞いている。
当然「食費(外食以外)」「旅行やレジャー」といった、現在節約しているものがトップに上がるが、一方で「特に増やすものはない」と回答した割合が26%、「貯蓄」が19%と、すぐに使う気はありませんという答えを合わせれば5割近い。
たとえ手元のお金が増えても消費意欲はわかないのが現実らしい。
■給料が増えても貯蓄に回るだけ?
とはいえ、継続的に給料が増加していけば消費も増やしたいと答えた家計は7割近くに上っている。問題は、この先も給料が上がるとは信じられていないことだ。
「あなたの世帯での給与所得は、5年後にどの程度になると思いますか」という質問には、4割弱の家計が「今と変わらない」と答えている。これから賃金が伸びそうな20代(世帯主の場合)だけを見ても、「変わらない」が約3割、「低下する」と答えた人も1割以上いる。
一番消費をしてくれそうな20代が「給料は今度もそれほど増えないだろう」と思えば、それこそ消費は伸び悩む。“賃金の据置きを想定するという意味でのデフレマインドが依然として一定程度染みついている様子がうかがえる”と白書にあるように、「貧しいニッポン」の残像が、若者をはじめ我々の手足をがっちりと縛っているのだ。
さらに、賃金が上がっても、消費ではなく貯蓄に回そうとするバイアスも無視できない。
老後をはじめとする「将来に対する不安」に備える意識を持つ人は、そうでない人に比べて貯蓄率も高い。
■老後の不安がつきまとう
それはそうだろうと思うが、さらに気がかりなのは、単身世帯の方がより貯蓄率が高くなっている点だ。配偶者がいないと、老後に起きうる介護や病気などのリスクを自分一人で負わなくてはいけなくなる。ますます貯蓄が必要だと考え、消費に気持ちが向かわない。
今後どんどん単身世帯が増えると想定される日本において、「一人の老後が不安」という要因で、所得が増えてもそのまま貯蓄に回るとなると、どうなるか。消費が活発化し給料も上がるといった好循環は本当に期待できるのか。先行きはどうも怪しい。
ちなみに、「社会保険料を引き下げて手取りを増やす」という主張を聞くことがあるが、もし実現されればいざという時に受けられる医療や介護サービスの質も今より下げざるえない。ない袖は振れないからだ。
すると、自己負担の金額が上がるだろう。民間保険でも、払う保険料を減らせば受け取れる保険金も減るのが道理だ。せっかく手取りを増やしたところで、将来不安のための貯蓄をますます増やさなくてはならないだろう。

■「失われた30年」で日本人は貧しくなったのか
ではバブル以前と比べて、日本人は本当に貧しくなったのか。給料はそんなに使えないのか。
筆者自身は「失われた30年」よりも少し前に社会人になった。確かに給料は毎年(ほんの少額だが)増えていた。しかし、ちょっと外食すればすぐに1万円札が消えたし、スーツを買うと5万円が飛ぶ。住宅ローンの金利だって、今と比べ物にならないくらい高かった。
当時の筆者は雑誌編集者だったが、「食費節約」「家計簿診断」「今年こそ100万円貯める」等の記事をどれほど作って来たか。昭和バブル前後でも庶民は節約に励んできたのだ。
生活実感でも、今より豊かで暮らしが楽だったというわけでもない。それどころか、当時はプチプラやファストファッションなんて言葉もないし、なんといっても今のような大規模100円ショップがなかったのだ。
100円ショップの代表格ダイソーが常設店の本格展開を始めのたが1987年。直営の第一号店を開店したのが1991年だ。
まさにデフレとともに成長してきたといっていい。
キッチングッズをはじめとする日用品、文房具、DIYの道具類、そして食品までが一つの店舗で100円で買えた。そんな小売店が、日本中のあちこちに登場したのだ。
■デフレ時代に急成長した100円ショップ
しかも、長引くデフレの間に、どんどん100円ショップは進化した。
地方のロードサイドサイド店舗は大型化し、品数も種類も豊富で迷子になるほどだ。かつて、百もの商品を扱うから百貨店と言われたが、今や100円ショップこそ百貨店と言っていい(実際にワンフロアを100円ショップが占めるデパートもある)。
デフレで給料が増えない、可処分所得が少ない、そういう時代に庶民の暮らしを支えてきたのが100円ショップだ。安く買える店があったからこそ、たとえ手取りが少なくても潤沢にモノを手に入れることができたのだ。
■お金がかかるレジャーも100均で十分
家計費の中でまっさきに節約対象になるのがレジャー費だろう。冒頭で新型コロナに触れたが、当時は「密」を避けるためにアウトドアレジャーが注目された。中でも盛り上がったのはキャンプや釣りだった。
そのブームを敏感につかんだのが100円ショップだ。
本格的に始めようとするとアイテムをそろえるだけでもお金がかかる。そこで100円ショップの店頭にはバーベキューセットや食器類、一人用のミニテントなどがどんどん並んだ。もちろん全て100円ではなかったが、専門店での価格に比べたら格安だ。
釣り道具も同様で、釣具店なら安くても1000~2000円以上するリールが500円で並んでいたのを見た時は驚いた。昭和だったら、まず専門ショップに相談して、初心者向けの手ごろなものを選んでもらうしかなかっただろう。
下手をすると一万円札がどんどん消えてしまう。しかし、平成・令和になると、「とりあえず100円ショップへ行って道具を買おう」が合言葉になる。本格的にアウトドアに取り組みたい人以外は、100円ショップの「なんちゃってアウトドア」で十分なのだ。
そして今は夏真っ盛り。100円ショップの店頭を覗いてみると、花火に水鉄砲、ヨーヨー、スーパーボールすくい用のポイなど、楽しいレジャー用品が所せましと並んでいる。マリンレジャーに使えるゴーグルやビーチサンダル、魚すくい網や子ども用のビーチボートもそろう。100円ショップさえあれば、コストをかけることなく、夏休みを満喫することができるのだ。

■政府が描く「物価と賃金の好循環」は簡単ではない
この頃SNSに上がってくるのが
「100均のカフェカーテンを材料にしてバッグを作りました」

「100均のコットン糸で夏用の帽子を編む」

「100均で売っている手拭いでショートパンツをソーイング」
といった手作り動画の数々だ。
100円ショップを覗くと、手芸用の売り場が賑やかだ。冬には編み物がブームになり、100円ショップの棚から毛糸が消えたとのニュースも目にしたほど。手芸は自宅にいながら楽しめて、材料も道具もすべて100均でそろう。
作り方はオンライン上で探せるし、100円ショップのセリアでは公式ホームページ上で「手作りレシピ」を公開してもいる。端切れでちくちく小物を縫うなんて、まるで昭和のような風景だが、SNSでは皆さん楽しそうだ。100円ショップのおかげで、わざわざ遠出しなくても豊かな余暇時間を過ごすことができる。
つまるところ、所得が増えなかったデフレの間に、日本は低価格・高品質な業態やサービスをがっつり作り上げてしまったのだ。
給与が増えれば消費が伸びるだろうと期待する政府には申し訳ないが、100円ショップが身近にある限り、それは難しいかもしれない。他にも洋服ならユニクロやしまむらがあるし、食ならサイゼリヤやファストフードチェーンに行けばいい。
また、物価高への対抗策として手ごろな価格で買える中古品の取引が伸びている。いくらでも安く買えるステージが整ってしまったのだ。
お金をかけなくてもそれなりに豊かに暮らせるのが、令和の社会だ。100円ショップが盛況である限り、政府が期待するような物価と賃金の好循環で個人消費がどんどん伸びていく……とは都合よくいかないかもしれない。

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松崎 のり子(まつざき・のりこ)

消費経済ジャーナリスト

『レタスクラブ』『ESSE』など生活情報誌の編集者として20年以上、節約・マネー記事を担当。「貯め上手な人」「貯められない人」の家計とライフスタイルを取材・分析してきた経験から、「消費者にとって有意義で幸せなお金の使い方」をテーマに、各メディアで情報発信を行っている。著書に『定年後でもちゃっかり増えるお金術』『「3足1000円」の靴下を買う人は一生お金が貯まらない 』(以上、講談社)ほか。

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(消費経済ジャーナリスト 松崎 のり子)
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