■「日米関税交渉の合意を着実に実行する」
日本政治が中長期にわたって不安定化する局面に入った。当面、衆参両院の過半数を1~2党で制することはないだろう。
酷暑の夏の決戦となった第27回参院選(7月20日投開票)は、自民、公明両党が大敗し、衆院に続いて少数与党に転落した。
石破茂首相(自民党総裁)は、自ら必達目標に掲げた「自公50議席を下回る47議席にとどまったが、開票速報中のNHKやTBSで「比較第1党の責任がある」「政治空白を作らない」として続投を表明した。限りなく「自分ファースト」である。
自民党内には、石破首相の退陣、それに伴う総裁選の実施を求める声は旧安倍派や麻生派などに強く、旧派閥単位の権力闘争の様相を呈している。党内の一部には下野論も出ているが、立憲民主党など野党に政権を形成する準備ができない現況では、「石破降ろし」の一環とみられている。
7月28日の自民党両院議員懇談会では、石破首相の責任を問う声が8割近くに上ったが、首相は続投の理由を「日米関税交渉の合意を着実に実行する」などと説明した。森山裕幹事長は党内に参院選総括委員会を設けて8月中に報告書をまとめ、その段階で「自らの責任については明らかにしていきたい」と辞任を示唆した。だが、「石破降ろし」の動きは収まらず、自民党は翌29日の役員会で、重要事項の議決権を有する両院議員総会を8月8日に開催することを決定した。
石破首相や森山氏は、政権の安定運営を目指し、自公連立に日本維新の会や国民民主党を参加させようとしているが、首相の進退と絡むだけに水面下の交渉の行方は見通せない。
■国家戦略なきポピュリズムの時代に
今回の参院選は多党化が進み、既成(老舗)政党の自公、共産、社民各党が軒並み議席と票を減らし、立民党は現状維持、新興政党の国民民主党、参政党が議席を大きく伸ばした。2大政党制は一旦終焉を迎え、連立政権作りの政策合意に向け、各党が官僚批判や財源軽視の政策を前面に出してくる、国家戦略なきポピュリズムの時代に入ったと言えよう。
参院選の改選議席は、自民39議席(公示前から-13議席)、公明8(-6)、立民22(±0)、維新7(+2)、共産3(-4)、国民17(+13)、れいわ新選組3(+1)、参政14(+13)、社民1(±0)、保守2(+2)、無所属野党系7(+2)、その他2(-1)の計125議席となった。
自民、公明の与党は非改選と合わせて122議席で、過半数(125)を割り込んだ。「保守(右派)層、若年層、経済政策重視派が離れた」(自民党筋)のが直接の敗因だろう。
■与野党第1党の得票率の合計は34%
比例選の議席と得票数、得票率は、自民12(1280万票=21.6%)、国民7(762万=12.9%)、参政7(742万=12.5%)、立民7(739万=12.5%)、公明4(521万=8.8%)、維新4(437万=7.4%)、れいわ3(387万=6.5%)、保守2(298万=5.0%)、共産2(286万=4.8%)、チームみらい1(151万=2.6%)、社民1(121万=2.0%)、諸派0(188万=3.2%)だった。
比例選の投票先は分散した。与党第1党の自民党と野党第1党の国民党の得票率の合計は34%にとどまり、現行制度が導入された2001年以降の最低を記録した。2000年代は自民、民主両党で3分の2程度の投票を得て、それぞれが政権交代の受け皿になったことを考えると、隔世の感がある。今後、中期的には3党以上で過半数を作って連立しないと、安定政権が樹立できないことになるからだ。
今回の参院比例選は、立民党が「野党第3党」に転落したほか、公明党が500万票台前半にとどまり、共産党が300万票を切った。公明党の比例票は2005年衆院選の898万票、共産党は1998年参院選の820万票をピークに下降線をたどっている。
これに加え、比例選で得票率5%以上の党が右派から左派まで8党にも上ったことは、価値の多元化を反映した、多党化の時代を表徴していると言えよう。
■「これを出さなかったら意味がない」
石破首相としては、衆参で少数与党になっても、政権のバトンを放り投げるわけにはいかず、次の「保守リベラル」政権にきちんと引き継ぐまでは続投する、との心境だという。
周辺には「地位に恋々としているわけではない」と繰り返し語っている。
これを探る手がかりがある。一つは、戦後80年談話に代わる首相の「見解」だ。首相は、8月15日の終戦記念日ではなく、日本が降伏文書に調印した、国際法上の終戦の日である9月2日に閣議決定を伴わない形で発出する意向だった。「ただ、日本の調印は、他国にとっては戦争に勝ったということで、どの時期が最も適当なのかよく考えたい」(8月5日の参院予算委員会)とも述べている。
首相は、北岡伸一東大名誉教授、井上寿一学習院大教授ら有識者からの個別ヒアリングを経て、日本はなぜあの無謀な戦争に突入したのかを検証し、「歴史の教訓に学んで平和を実現するために最大の力を尽くす」(3月の党大会)との見解を明らかにするという。「これを出さなかったら、戦後80年の節目に私が首相になった意味がない」と意気込み、8月4日の衆院予算委員会では「形式はともかく、風化を避け、戦争を二度と起こさないために必要だ」と位置付けている。
■「森山さんなくして政権は運営できない」
政治的には、安倍晋三首相による戦後70年談話を踏襲することに大きな意味があるだろう。70年談話は、国内的には歴史認識を巡る左右の対立に一定のピリオドを打ち、国民のコンセンサスが生まれる契機と土台になったもので、未来に受け継いでいくべき責任が我々にあると思うからだ。
この80年見解をめぐって、党内外の安倍氏支持勢力から「出すべきではない」と牽制する声があるが、首相は「70年談話を上書きすることはない」と関係者に伝えている。
もう一つは、森山幹事長が委員長を務める参院選総括委が8月末までにまとめる報告書だ。森山氏がこれを踏まえて首相に辞任を申し出れば、首相が退陣表明に傾く可能性も大きくなる。
仮に首相が8月末に退陣表明しても、総裁選を経て、9月下旬以降に新首相が臨時国会で指名されるまで首相の座にとどまるというのが現在のスケジュール感なのではないか。
■「1週間前に言ってくれれば勝ったのに」
参院選後の政局が大きく動いたのが7月23日だ。読売新聞が同日朝刊1面で「首相、近く進退判断」「関税協議を見極め」という見出しで報じたのが始まりだった。石破首相が22日夜、周辺に「関税交渉は国益がかかっている。参院選の責任の取り方について交渉中は明言できないが、メドがつけば説明する。まだ対外的に『辞める』とは言えない」と伝えたという。
同じ1面には、読売新聞世論調査(21~22日)で、石破内閣の支持率が22%(6月調査32%)に急落し、首相は辞任すべきだと「思う」が54%に達した、との記事が並んだ。
23日朝(米時間22日)、日米関税交渉が合意した、とトランプ米大統領が、自身のSNSで発表した。日本に対する「相互関税」は通告していた25%から15%に下がる。輸入自動車への追加関税は25%から12.5%に半減させる。乗用車の関税率も元々の2.5%と合わせて15%になる。
石破首相は23日午前、首相官邸で記者団に「守るべきは守ったうえで、両国の国益に一致する合意が実現する。対米黒字を抱える国の中では最も大きな成果を得た」と説明した。その後、赤沢亮正経済再生相を評価しつつ、「1週間前に言ってくれれば、参院選勝ったのに」と周辺に苦笑いする場面もあった。
東京株式市場はほぼ全面高だった。自動車業界からは「納得感のある数字だ」と歓迎する声が上がった、と報じられている。
■毎日・読売が「首相退陣へ」と報道
23日午前11時過ぎ、毎日新聞電子版が「石破首相、退陣へ」「8月末までに表明」とスクープを放った。読売新聞が続いて「石破首相退陣へ」「月内にも表明」「関税合意・参院選引責」との見出し(夕刊)で、「石破首相(自民党総裁)は23日、米国の関税措置を巡る日米協議が妥結したことを踏まえ、退陣する意向を固め、周辺に伝えた。月内にも退陣を表明する方向だ」とギアを上げて報じ、午後1時ごろに号外を配布した。
23日昼、東京・赤坂の中華料理店に旧安倍派幹部の萩生田光一元政調会長、松野博一前官房長官、西村康稔元経済産業相、世耕弘成前参院幹事長(現無所属衆院議員)が集まった。「石破首相は交代すべきだ」という認識で一致し、次期総裁候補として、高市早苗前経済安保相らの名前も挙がったという。
その高市氏は、昼過ぎに議員宿舎で黄川田仁志衆院議員や山田宏参院議員ら10人と会合し、今後の対応を協議したとされている。
石破首相は午後2時から党本部で、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の3人の首相経験者との協議に臨んだ。会合を調えた森山氏も同席した。1時間20分に及んだ会合で、麻生氏が「石破自民党では選挙に勝てない」とやんわり退陣を促し、岸田氏が「今後の道筋を示さないといけない」と同調したが、菅氏は「党が割れないようにしなければいけない」と危機感を示したという。
首相は会合後、記者団に「私の出処進退については一切、話は出ていない。一部でそういう報道があったが、私がそのような発言をしたことは一度もない」と断定した。岸田氏は「我々が続投にお墨付きを与えたことになる」と不満を示したが、後の祭りだった。首相は政局の大きな山場を乗り切った。
■「裏金問題のけじめがついていない」
石破首相は23日夜、両院議員総会開催を求める署名活動などの「石破降ろし」に麻生、旧安倍、旧茂木各派の影を見て「古い自民党に戻したくない」と述懐したとされる。
真の参院選の敗因は、旧安倍派の政治資金収支報告書「不記載」議員が引き起こした「政治とカネ」の問題を引き摺っていたからではないのか。不記載の現職・新人15人のうち、当選は10人、落選は5人(昨年の衆院選では非公認を含めて46人中、28人が落選)だった。首相としては、その旧安倍派幹部に「辞めろ」とは言われたくない、と周辺が明かす。
首相の気分を代弁するように、比例選で当選した鈴木宗男参院議員が23日午前、党本部で森山氏との面会後、記者団にこう語った。「選挙期間中、全国を歩いて『裏金(不記載)問題のけじめがついていない』と非常に厳しい声があり、去年の衆院選や今回の参院選の結果につながったと思う。明確な責任を取らない(旧安倍派の)連中が石破首相に反発するような話は、すり替えの議論だ」
7月25日夜には首相官邸前で「石破辞めるな」デモが行われた。参加者は立民やれいわなどの野党支持者が多く、首相が自民党の中でまだましな方だという主張なのだが、首相にとっては心の「援軍」になっているらしい。
■敗因は「自民全体に問題がある」が81%
旧安倍派などが主導する「石破降ろし」の動きに、世論の風向きが変わる。28日の朝日新聞世論調査(26~27日)では、参院選の結果、石破首相が「辞めるべきだ」が41%で、「その必要はない」が47%と上回った。自民党大敗の要因を聞くと、「自民全体に問題がある」が81%を占め、「首相個人に問題がある」は10%にとどまった。自民党支持層に限っても「自民全体に問題がある」が81%に達した。
石破首相は、28日の両院議員懇談会で「なぜこのような結果になったのか。政策が届かなかったのか、党のあり方に批判があったのか」と問い掛け、退陣要求が続出する中、続投する考えを崩さなかった。4時間半に及んだ懇談会終了後、記者団に「自分自身の責任については、国民世論と党の考え方が一致するのが大事だ」と語ったが、自分に都合よく世論の追い風を感じているのだろう。
民意(選挙)が世論に優先するのは言うまでもない。「参院選大敗は石破首相1人の責任ではないが、組織のトップとして責任は取るべきだ」というのが党内世論や全国紙の論調だろう。勘違いしてはならない。
■「選挙をなめないでほしい」
石破首相の続投で、連立拡大の協議や補正予算編成への影響が出始めている。立民党の野田佳彦代表が8月4日の衆院予算委で、給付付き税額控除や企業・団体献金のあり方を協議することを呼び掛け、首相が応じる考えを示したが、これは例外で、国民党や維新の会は首相に協力姿勢を示していない。石破政権が早晩、行き詰まるのは間違いない。
4日の衆院予算委では、立民党の渡辺創氏が、2011年7月の衆院予算委で当時、自民党政調会長だった石破氏が10年参院選で敗北した民主党の菅直人首相に「政権を正せというのが選挙結果で、選挙をなめないでほしい。主権者たる国民の選択だ」と進退を迫ったことを取り上げた。石破首相は「その時その時の発言に責任を持つのは当然だ」と述べたが、間の悪さは否めない。
■「私なら即座に辞めて落ちた人に謝る」
石破首相は、07年7月の参院選で自民党が大敗した際も、当時の安倍首相に退陣を要求している。
産経新聞が先に配信した07年8月2日の夕刊フジのインタビューで、石破氏は「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」と自民党を批判し、安倍首相が続投の意向を示したことについては「理解できない。使命は国民が与えるもの。参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」などと非難したという。
石破氏は「首相は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない。首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」とも語っていた。当時の安倍首相はその後、内閣改造・党人事を断行しながら、9月12日に退陣表明している。
石破首相にとって、政敵であり、導師でもあるのは、以前の自分自身なのだろう。
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小田 尚(おだ・たかし)
政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員
1951年新潟県生まれ。東大法学部卒。読売新聞東京本社政治部長、論説委員長、グループ本社取締役論説主幹などを経て現職。2018~2023年国家公安委員会委員。
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(政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚)
日本政治が中長期にわたって不安定化する局面に入った。当面、衆参両院の過半数を1~2党で制することはないだろう。
酷暑の夏の決戦となった第27回参院選(7月20日投開票)は、自民、公明両党が大敗し、衆院に続いて少数与党に転落した。
石破茂首相(自民党総裁)は、自ら必達目標に掲げた「自公50議席を下回る47議席にとどまったが、開票速報中のNHKやTBSで「比較第1党の責任がある」「政治空白を作らない」として続投を表明した。限りなく「自分ファースト」である。
自民党内には、石破首相の退陣、それに伴う総裁選の実施を求める声は旧安倍派や麻生派などに強く、旧派閥単位の権力闘争の様相を呈している。党内の一部には下野論も出ているが、立憲民主党など野党に政権を形成する準備ができない現況では、「石破降ろし」の一環とみられている。
7月28日の自民党両院議員懇談会では、石破首相の責任を問う声が8割近くに上ったが、首相は続投の理由を「日米関税交渉の合意を着実に実行する」などと説明した。森山裕幹事長は党内に参院選総括委員会を設けて8月中に報告書をまとめ、その段階で「自らの責任については明らかにしていきたい」と辞任を示唆した。だが、「石破降ろし」の動きは収まらず、自民党は翌29日の役員会で、重要事項の議決権を有する両院議員総会を8月8日に開催することを決定した。
石破首相や森山氏は、政権の安定運営を目指し、自公連立に日本維新の会や国民民主党を参加させようとしているが、首相の進退と絡むだけに水面下の交渉の行方は見通せない。
■国家戦略なきポピュリズムの時代に
今回の参院選は多党化が進み、既成(老舗)政党の自公、共産、社民各党が軒並み議席と票を減らし、立民党は現状維持、新興政党の国民民主党、参政党が議席を大きく伸ばした。2大政党制は一旦終焉を迎え、連立政権作りの政策合意に向け、各党が官僚批判や財源軽視の政策を前面に出してくる、国家戦略なきポピュリズムの時代に入ったと言えよう。
参院選の改選議席は、自民39議席(公示前から-13議席)、公明8(-6)、立民22(±0)、維新7(+2)、共産3(-4)、国民17(+13)、れいわ新選組3(+1)、参政14(+13)、社民1(±0)、保守2(+2)、無所属野党系7(+2)、その他2(-1)の計125議席となった。
自民、公明の与党は非改選と合わせて122議席で、過半数(125)を割り込んだ。「保守(右派)層、若年層、経済政策重視派が離れた」(自民党筋)のが直接の敗因だろう。
■与野党第1党の得票率の合計は34%
比例選の議席と得票数、得票率は、自民12(1280万票=21.6%)、国民7(762万=12.9%)、参政7(742万=12.5%)、立民7(739万=12.5%)、公明4(521万=8.8%)、維新4(437万=7.4%)、れいわ3(387万=6.5%)、保守2(298万=5.0%)、共産2(286万=4.8%)、チームみらい1(151万=2.6%)、社民1(121万=2.0%)、諸派0(188万=3.2%)だった。
比例選の投票先は分散した。与党第1党の自民党と野党第1党の国民党の得票率の合計は34%にとどまり、現行制度が導入された2001年以降の最低を記録した。2000年代は自民、民主両党で3分の2程度の投票を得て、それぞれが政権交代の受け皿になったことを考えると、隔世の感がある。今後、中期的には3党以上で過半数を作って連立しないと、安定政権が樹立できないことになるからだ。
今回の参院比例選は、立民党が「野党第3党」に転落したほか、公明党が500万票台前半にとどまり、共産党が300万票を切った。公明党の比例票は2005年衆院選の898万票、共産党は1998年参院選の820万票をピークに下降線をたどっている。
これに加え、比例選で得票率5%以上の党が右派から左派まで8党にも上ったことは、価値の多元化を反映した、多党化の時代を表徴していると言えよう。
■「これを出さなかったら意味がない」
石破首相としては、衆参で少数与党になっても、政権のバトンを放り投げるわけにはいかず、次の「保守リベラル」政権にきちんと引き継ぐまでは続投する、との心境だという。
周辺には「地位に恋々としているわけではない」と繰り返し語っている。
首相が退陣を表明するXデーはいつなのか。
これを探る手がかりがある。一つは、戦後80年談話に代わる首相の「見解」だ。首相は、8月15日の終戦記念日ではなく、日本が降伏文書に調印した、国際法上の終戦の日である9月2日に閣議決定を伴わない形で発出する意向だった。「ただ、日本の調印は、他国にとっては戦争に勝ったということで、どの時期が最も適当なのかよく考えたい」(8月5日の参院予算委員会)とも述べている。
首相は、北岡伸一東大名誉教授、井上寿一学習院大教授ら有識者からの個別ヒアリングを経て、日本はなぜあの無謀な戦争に突入したのかを検証し、「歴史の教訓に学んで平和を実現するために最大の力を尽くす」(3月の党大会)との見解を明らかにするという。「これを出さなかったら、戦後80年の節目に私が首相になった意味がない」と意気込み、8月4日の衆院予算委員会では「形式はともかく、風化を避け、戦争を二度と起こさないために必要だ」と位置付けている。
■「森山さんなくして政権は運営できない」
政治的には、安倍晋三首相による戦後70年談話を踏襲することに大きな意味があるだろう。70年談話は、国内的には歴史認識を巡る左右の対立に一定のピリオドを打ち、国民のコンセンサスが生まれる契機と土台になったもので、未来に受け継いでいくべき責任が我々にあると思うからだ。
この80年見解をめぐって、党内外の安倍氏支持勢力から「出すべきではない」と牽制する声があるが、首相は「70年談話を上書きすることはない」と関係者に伝えている。
もう一つは、森山幹事長が委員長を務める参院選総括委が8月末までにまとめる報告書だ。森山氏がこれを踏まえて首相に辞任を申し出れば、首相が退陣表明に傾く可能性も大きくなる。
首相はかねて「森山さんなくして政権は運営できない」と語っているからだ。
仮に首相が8月末に退陣表明しても、総裁選を経て、9月下旬以降に新首相が臨時国会で指名されるまで首相の座にとどまるというのが現在のスケジュール感なのではないか。
■「1週間前に言ってくれれば勝ったのに」
参院選後の政局が大きく動いたのが7月23日だ。読売新聞が同日朝刊1面で「首相、近く進退判断」「関税協議を見極め」という見出しで報じたのが始まりだった。石破首相が22日夜、周辺に「関税交渉は国益がかかっている。参院選の責任の取り方について交渉中は明言できないが、メドがつけば説明する。まだ対外的に『辞める』とは言えない」と伝えたという。
同じ1面には、読売新聞世論調査(21~22日)で、石破内閣の支持率が22%(6月調査32%)に急落し、首相は辞任すべきだと「思う」が54%に達した、との記事が並んだ。
23日朝(米時間22日)、日米関税交渉が合意した、とトランプ米大統領が、自身のSNSで発表した。日本に対する「相互関税」は通告していた25%から15%に下がる。輸入自動車への追加関税は25%から12.5%に半減させる。乗用車の関税率も元々の2.5%と合わせて15%になる。
「日本は私の意向に沿って5500億ドル(80兆円)を米国に投資し、米国は利益の90%を得る」とも書き込んだ。合意内容が発効する時期は決まっていないという。
石破首相は23日午前、首相官邸で記者団に「守るべきは守ったうえで、両国の国益に一致する合意が実現する。対米黒字を抱える国の中では最も大きな成果を得た」と説明した。その後、赤沢亮正経済再生相を評価しつつ、「1週間前に言ってくれれば、参院選勝ったのに」と周辺に苦笑いする場面もあった。
東京株式市場はほぼ全面高だった。自動車業界からは「納得感のある数字だ」と歓迎する声が上がった、と報じられている。
■毎日・読売が「首相退陣へ」と報道
23日午前11時過ぎ、毎日新聞電子版が「石破首相、退陣へ」「8月末までに表明」とスクープを放った。読売新聞が続いて「石破首相退陣へ」「月内にも表明」「関税合意・参院選引責」との見出し(夕刊)で、「石破首相(自民党総裁)は23日、米国の関税措置を巡る日米協議が妥結したことを踏まえ、退陣する意向を固め、周辺に伝えた。月内にも退陣を表明する方向だ」とギアを上げて報じ、午後1時ごろに号外を配布した。
23日昼、東京・赤坂の中華料理店に旧安倍派幹部の萩生田光一元政調会長、松野博一前官房長官、西村康稔元経済産業相、世耕弘成前参院幹事長(現無所属衆院議員)が集まった。「石破首相は交代すべきだ」という認識で一致し、次期総裁候補として、高市早苗前経済安保相らの名前も挙がったという。
その高市氏は、昼過ぎに議員宿舎で黄川田仁志衆院議員や山田宏参院議員ら10人と会合し、今後の対応を協議したとされている。
石破首相は午後2時から党本部で、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の3人の首相経験者との協議に臨んだ。会合を調えた森山氏も同席した。1時間20分に及んだ会合で、麻生氏が「石破自民党では選挙に勝てない」とやんわり退陣を促し、岸田氏が「今後の道筋を示さないといけない」と同調したが、菅氏は「党が割れないようにしなければいけない」と危機感を示したという。
首相は会合後、記者団に「私の出処進退については一切、話は出ていない。一部でそういう報道があったが、私がそのような発言をしたことは一度もない」と断定した。岸田氏は「我々が続投にお墨付きを与えたことになる」と不満を示したが、後の祭りだった。首相は政局の大きな山場を乗り切った。
■「裏金問題のけじめがついていない」
石破首相は23日夜、両院議員総会開催を求める署名活動などの「石破降ろし」に麻生、旧安倍、旧茂木各派の影を見て「古い自民党に戻したくない」と述懐したとされる。
真の参院選の敗因は、旧安倍派の政治資金収支報告書「不記載」議員が引き起こした「政治とカネ」の問題を引き摺っていたからではないのか。不記載の現職・新人15人のうち、当選は10人、落選は5人(昨年の衆院選では非公認を含めて46人中、28人が落選)だった。首相としては、その旧安倍派幹部に「辞めろ」とは言われたくない、と周辺が明かす。
首相の気分を代弁するように、比例選で当選した鈴木宗男参院議員が23日午前、党本部で森山氏との面会後、記者団にこう語った。「選挙期間中、全国を歩いて『裏金(不記載)問題のけじめがついていない』と非常に厳しい声があり、去年の衆院選や今回の参院選の結果につながったと思う。明確な責任を取らない(旧安倍派の)連中が石破首相に反発するような話は、すり替えの議論だ」
7月25日夜には首相官邸前で「石破辞めるな」デモが行われた。参加者は立民やれいわなどの野党支持者が多く、首相が自民党の中でまだましな方だという主張なのだが、首相にとっては心の「援軍」になっているらしい。
■敗因は「自民全体に問題がある」が81%
旧安倍派などが主導する「石破降ろし」の動きに、世論の風向きが変わる。28日の朝日新聞世論調査(26~27日)では、参院選の結果、石破首相が「辞めるべきだ」が41%で、「その必要はない」が47%と上回った。自民党大敗の要因を聞くと、「自民全体に問題がある」が81%を占め、「首相個人に問題がある」は10%にとどまった。自民党支持層に限っても「自民全体に問題がある」が81%に達した。
石破首相は、28日の両院議員懇談会で「なぜこのような結果になったのか。政策が届かなかったのか、党のあり方に批判があったのか」と問い掛け、退陣要求が続出する中、続投する考えを崩さなかった。4時間半に及んだ懇談会終了後、記者団に「自分自身の責任については、国民世論と党の考え方が一致するのが大事だ」と語ったが、自分に都合よく世論の追い風を感じているのだろう。
民意(選挙)が世論に優先するのは言うまでもない。「参院選大敗は石破首相1人の責任ではないが、組織のトップとして責任は取るべきだ」というのが党内世論や全国紙の論調だろう。勘違いしてはならない。
■「選挙をなめないでほしい」
石破首相の続投で、連立拡大の協議や補正予算編成への影響が出始めている。立民党の野田佳彦代表が8月4日の衆院予算委で、給付付き税額控除や企業・団体献金のあり方を協議することを呼び掛け、首相が応じる考えを示したが、これは例外で、国民党や維新の会は首相に協力姿勢を示していない。石破政権が早晩、行き詰まるのは間違いない。
4日の衆院予算委では、立民党の渡辺創氏が、2011年7月の衆院予算委で当時、自民党政調会長だった石破氏が10年参院選で敗北した民主党の菅直人首相に「政権を正せというのが選挙結果で、選挙をなめないでほしい。主権者たる国民の選択だ」と進退を迫ったことを取り上げた。石破首相は「その時その時の発言に責任を持つのは当然だ」と述べたが、間の悪さは否めない。
■「私なら即座に辞めて落ちた人に謝る」
石破首相は、07年7月の参院選で自民党が大敗した際も、当時の安倍首相に退陣を要求している。
産経新聞が先に配信した07年8月2日の夕刊フジのインタビューで、石破氏は「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」と自民党を批判し、安倍首相が続投の意向を示したことについては「理解できない。使命は国民が与えるもの。参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」などと非難したという。
石破氏は「首相は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない。首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」とも語っていた。当時の安倍首相はその後、内閣改造・党人事を断行しながら、9月12日に退陣表明している。
石破首相にとって、政敵であり、導師でもあるのは、以前の自分自身なのだろう。
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小田 尚(おだ・たかし)
政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員
1951年新潟県生まれ。東大法学部卒。読売新聞東京本社政治部長、論説委員長、グループ本社取締役論説主幹などを経て現職。2018~2023年国家公安委員会委員。
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(政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚)
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