日本代表キャプテンの運命は…オランダ人監督に「プライドをズタボロ」にされ人生が変わった世界的スター5名
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サッカー史に残る伝説的な選手を何人も生み出してきたオランダ。

彼らは17世紀に世界で最も有力な国家の一つとなったように、小さな国でありながらその自由な風土と独創性によってサッカー界でも高い地位を保ち続けている。

一方、その自由な風土が生み出した突飛な発想やはっきりとした主張、そしてあまりに率直な物言いは、同じヨーロッパの国においても衝突を生むことがある。

リヴァプールに所属する日本代表MF遠藤航も、オランダ人のアルネ・スロット新監督のゆるぎない哲学によってほとんど出番を与えられない状況となっている。

今回は、オランダ人の指揮官からプライドを傷つけられ、キャリアの修正を余儀なくされたサッカー界のレジェンドたちをご紹介しよう。

クリスティアーノ・ロナウド

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ポルトガル代表:216試合133得点(2003~)

対立したオランダ人:エリック・テンハフ監督

クリスティアーノ・ロナウドは、マンチェスター・ユナイテッドに所属していた2022年末、オランダ人指揮官と喧嘩別れする形でチームを去った。

衝突したのは、先日ユナイテッドの指揮官を更迭されたエリック・テンハフ監督。

当時すでにキャリアの晩年を迎えていたロナウドはテンハフ監督から先発を外されており、2022年10月に行われたトッテナム戦では途中出場を拒否した。

ロナウドは1か月後に「挑発されたように感じた。僕にああいう反応をさせるためのクラブの戦略だったと思う」とテンハフを批判しているが、指揮官は規律を乱したスターをチームから除外した。

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追放中のロナウドは一瞬だけでもロッカールームに入ることが許されなかったそう。これには、当初は制裁処分を支持していた選手たちもさすがにやり過ぎだと否定的に捉えるようになっていったという。

元オランダ代表MFヴェスリー・スナイデルは「そこで全員のリスペクトを失った。彼はその逆になると思っていたが、もちろんそうではなかった。ロッカールームのやつらは『この男は狂っている』と思っただろう」と話している。

ユナイテッドを追い出されたロナウドのヨーロッパでのキャリアは終わり、中東・サウジアラビアへ活路を見出している。

アンヘル・ディマリア

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アルゼンチン代表:145試合31得点(2008-2024)

対立したオランダ人:ルイス・ファンハール監督

2014年夏、レアル・マドリーから当時のイングランド歴代最高額である5,970万ポンド(およそ101億円)でマンチェスター・ユナイテッドに加入したアンヘル・ディマリア。

しかし自身が「僕のキャリアの中でベストな時ではなかったし、むしろ最高の時を過ごさせてもらえなかった」と語っている通り、十分な活躍をできずにわずか1シーズンでクラブを去った。

その理由は、オランダ人の指揮官だった。

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「ファン・ハールは自分のキャリアの中で最悪の監督だった。僕は得点とアシストを決めたが、次の日に見せられたのは失敗したパスの場面だった。そして次の日には僕をチームから外した」

当時のルイス・ファンハール監督からミスばかりを指摘され、次第にパフォーマンスを落としていった。

ディマリアは繰り返しファンハールを非難しており、「最悪なのはファン・ハールだ。それは間違いない」「選手が自分よりも重要な存在になるのを好まない人物」と酷評している。

リオネル・メッシ

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アルゼンチン代表:189試合112得点(2005~)

対立したオランダ人:ロナルト・クーマン監督

サッカー史上最高の選手の一人であるメッシも、オランダ人指揮官から屈辱を味わった。

現在オランダ代表を率いるクーマン監督は、ヨハン・クライフが作った伝説的ドリームチームの中心選手であり、バルセロナ史上初のヨーロッパ制覇に貢献したレジェンド中のレジェンド。

そんな彼は指揮官としてオランダでは成功しているものの、国外ではその独善的かつ高圧的な振る舞いによってたびたび選手と衝突している。

2020年夏、古巣バルセロナの監督に就任した際には、メッシに対して「君のチーム内での特別扱いは終わりだ。チームのためにできることをすべてやらなければならない」と伝えたとされ、退団騒動が勃発することに。

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その後メッシは一転して残留を表明し、クーマンも「(騒動はあくまで)メッシとクラブの対立」と報道を一蹴した。

しかし結局メッシは翌年夏、誰よりも愛し愛されたバルセロナを退団してフランスのPSGへ移籍。クラブのシンボルを失ったクーマンはバルセロナ再建に失敗し、職を追われている。

小野伸二

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日本代表:56試合6得点(1998-2008)

対立したオランダ人:ベルト・ファンマルワイク監督

確執ほどではなかったが、日本の天才・小野伸二もオランダ人の指揮官から厳しい言葉を浴びせられている。

高卒1年目の1998年に18歳でワールドカップのメンバーに選出された小野。卓越したテクニックと創造性に富んだ“ベルベットパス”で浦和レッズを牽引し、2001年夏にはオランダの強豪フェイエノールトへ移籍した。

中村俊輔とともに日本で天才の名を欲しいままにしていた小野だったが、当時の指揮官だったベルト・ファンマルワイク監督からはきつい一言。

「サーカスのようなプレーは必要ない。フットボールをしろ」

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後にオランダ代表を率いて2010年ワールドカップ準優勝に導いた名将は、技術をひけらかすのではなく、堅実にフットボールすることを求めた。

ただ指揮官の姿勢は小野を変えるキッカケとなった。それまで古典的なトップ下だった極東の天才は、ファンマルワイクのもとでセントラルMFとして新境地を開くことに。

ファンマルワイクは2020年、当時の小野を振り返り「信じられないほど素晴らしかった」と褒めたたえている。

リヴァウド

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ブラジル代表:74試合35得点(1993-2003)

対立相手:ルイス・ファンハール

20世紀末に世界最高の選手だったリヴァウドは、ルイス・ファンハールと犬猿の仲だ。

二人はともに1997年夏にバルセロナへ加入。クラブはその後リーグ連覇を達成し、リヴァウドは1998-99シーズンにバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞している。

しかし、ここから二人の確執は始まった。

アヤックスで大成功を収めていたファンハールは、ブラジルの天才にさえ自由を許さず左サイドに固定していた。それを不満に思っていたリヴァウドは、バロンドールを受賞した翌日に「もう左サイドではプレーしない。これからは“10番”でプレーする」と指揮官に通達したのだ。

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すると、ファンハールも「君はもうトップチームではプレーしない。チームメイトのおかげ、そして左サイドにいたからこそ君は世界最高の選手に選ばれたのだ」と応戦する。

メディアはプライドが高く鼻持ちならない指揮官ではなく、人気選手だったリヴァウドを擁護した。批判にさらされたファンハールはその後成績不振によって解任され、「マスコミの皆さん、おめでとうございます」と皮肉を述べて去っていた。

だがファンハールもやられたままでは終わらず、2002-03シーズンに再招聘された際にはリヴァウドを構想外にして復讐。リヴァウドは追い出される形でミランへ移籍することとなった。

リヴァウドは当時「私はファンハールが好きではないし、彼も私を好きではないと確信している」と話しており、20年以上が経過した現在にいたるまで何度も批判している。

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