【インタビュー】タビナス・ジェファーソンが語るフィリピン代表挑戦、タイ移籍の背景、ビスマルクへの思い
【インタビュー】タビナス・ジェファーソンが語るフィリピン代表挑戦、タイ移籍の背景、ビスマルクへの思い

今年1月7日、J2水戸ホーリーホックで守備の要として活躍してきたフィリピン代表DFタビナス・ジェファーソンがタイ1部2連覇のブリーラム・ユナイテッドに完全移籍した。

東南アジア屈指の強豪への電撃移籍に多くのJリーグファンが驚いたニュースだった。これまでJ2では優れた身体能力を生かした力強い守備と相手を弾き飛ばすフィジカルの強さは一級品の輝きを見せた。

東南アジア屈指の強豪へ電撃移籍したタビナスに、Qolyが単独インタビューを敢行。

後編はフィリピン代表選択の経緯、フィリピン代表での出会い、ブリーラム・ユナイテッド移籍の背景、実弟ビスマルクへの思いなどを語った。

フィリピン代表を選んだ理由

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フィリピン代表に招集されたタビナス(右から6人目)

――フィリピン代表に選出されたときは、どのような気持ちが沸き上がってきましたか。

選出されたときというよりかは、元々岐阜のときからずっと協会の人に打診してもらっていていました。「来ないか?」と言われていたんです。登録のために自分のパスポート写真などを送らなきゃいけないんですけど、そのときに「この決断で良かったのかな?」と思いながら送った記憶があります。

「もしかしたら日本代表になって、もっと高みでやれたんじゃないかな?」と思いましたし、正直フィリピンと日本だったらいまの時点ではすごく差がある。それはすごく思いました。でも逆にこの決断を正解にするために頑張っていかないといけないと思いました。

――お母さんはフィリピンを選択したときは喜ばれましたか。

はい(笑)。「やっとか!」と喜んでいましたね。

――フィリピンで実際プレーしてカルチャー面でのギャップはありましたか。

チャンスになるときに歓声が沸くのがめっちゃ早いし、大きいんですよ。一人、一人がサッカーを知らないけど、「勝つ姿を見たいんだよ」という感じです。日本よりサッカーを理解するよりも勝ち負けに対して「勝ったの?負けたの?どっちなの?」と。

そっちのほうが強いし、プラスで楽しめたらいいな。みんな踊りや歌とか面白い感じが好きなお国柄なので、また日本と違うと思いましたね。

――フィリピン代表の愛称はAzkals(アズカルズ)、『雑種の犬』という意味で、様々なルーツの方がいます。ブンデスリーガでプレーしている選手もいますが、初招集されたときと現在では印象が変わりましたか。

変わりましたね。日本のサッカーは独特でみんな基本的に上手い。逆にそういう海外でやっている選手はトラップ、パスは別にそんなに上手くないんですけど、「このタイミングでここ行かれたらちょっと相手にしたら難しいし、味方にとってはうれしい」というタイミングで動く。

サッカー自体を理解している人がすごく多い。特に上のレベルから来れば来るほど。そういうのは行ってみないと分からないことだと思います。シンプルにキャリアがある選手もいる。そういう選手たちはお手本になるというか見習っていますね。

――今後のフィリピン代表での目標を教えてください。

現実的に2026年(ワールドカップ)は厳しいので、2030年のワールドカップの舞台に立つことが俺のフィリピン代表での最終目標です。

そうなったらあと6年ですよね。31(歳)で俺のキャリア的にも終盤。俺もそう長くできるとは思ってないんで、31でそのときにはベストかつキャリアのピークをそこに持ってきてワールドカップに出るというのは一つ大きな目標です。

そのために一つ、一つの代表の試合を大事にして、まずは次のアジアカップですね。いまワールドカップ予選をやっているんですけど、もちろんそれでワールドカップに出られたらいいですけど、そんな簡単な話じゃない。アジアカップ、ワールドカップ出場と積み重ねていければいいと思っています。

ガーナ代表の可能性もあった

2つのルーツを持ちながら日本で生まれ育ったタビナスは日本代表入りを目指していたが、母の母国で戦うことを決意した。外国人として生きる難しさも経験したが、自身を助け、支えてくれた人たちにはいまも感謝している。

――キャリア初期は日本代表を目標とされていましたね。

最初は自分の中にフィリピン代表という選択肢はなくて、「日本代表になってワールドカップに出る」ことが1番の目標でした。そのために20歳になったときに帰化申請をしなきゃいけませんでした。実際にそれを知ったのが17歳のときでした。

U-17日本代表の打診が(高校の)監督のもとに来て、「国籍はどうなっているの」と聞かれたときに、「俺はフィリピン人です」と話しました。そこで「20歳になったときに帰化しなきゃいけないんだな」と初めて知りました。

川崎に入ってから帰化(申請)を手伝ってもらったんですけど、どれくらいかかるか分からない。半年で行けるかもしれないし、逆に5年かかるかもしれないという。キャリアで大事な時期の23~25のときに代表に。はっきり言ったら忍耐がなかったし、そのときはガンバ(トップチーム)で試合にも出られてないときにフィリピンサッカー協会から「フィリピン代表になって試合に出ないか?」と言われました。

そのときに「それでも評価してくれている」、「それでも呼んでくれようとしている」ので、フィリピン代表に行くことは一つの選択肢になるんじゃないかと思い始めました。水戸に行ったときに正式に話があって、あのときはワールドカップ予選かな。ワールドカップ予選で中国開催だったんですけど、それがコロナでカタール開催になったときに行きました。それが初めての試合(対中国戦)ですね。

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――お父さんの母国であるガーナ代表の選択もありましたか。

パスポートの問題はなかったので、(ガーナ代表選択も)ありました。でも僕はガーナに行ったことがなかった。日本からガーナまで行くのに2日くらいかかります。行ったことがないし、その国のことをよく知らないから正直思い入れみたいなのがあまりなかった。

逆にフィリピンは毎年帰っていましたし、家族もフィリピンにいます。親戚、兄貴もいます。フィリピンはすごく思い入れがある国というか、『自分の帰る場所』は日本でもあり、フィリピンでもあると思っています。

多くの人に助けられてきたから見えた景色

――さまざまなルーツを持つ方や外国籍を持つ方が日本で差別に直面することをよく耳にします。外国人として日本で生きた苦悩はありましたか。

本当にありがたいことに僕は周りの人にすごく恵まれました。俺のことを知らない人からはそういう目で見られることは慣れではないんですけど、嫌なものは嫌ですね。実際そういう目で見られることは、仕方ないというかそういう目で見る人はいつまでもそういう目で見ます。

外見とかで判断するような人に僕はロクな人がいないなと思っています。この肌の色やルーツのお陰でそういう人を見る目が肥えたなと思っています。逆にそういったことに関係なく優しくしてくれる人、無条件の愛じゃないですけど、困っている人を助ける人をたくさん見てきました。

両親は日本語を話せません。それで近所の人、学校の周りの友達に助けられました。いまはフィリピンに住んでいて行けていないですけど、いまでも1年に1回ぐらい高校のお母さんの集まりがあるらしくて、僕の母さんはそれをすごく楽しんでいます。こうやってすごく優しくしてくれる人がいる日本は本当に人情味のある国です。

みんな「自分が肌の色で差別された」と苦しいことばっかり言いますけど、それよりもいい思いのほうが絶対していると思う。もちろんどの国にもいい面も、悪い面もあります。海外に出たら差別がないのかといえば、そんなことはないと思います。俺はそれを体感しているので、日本だけが特別敏感というわけじゃない。

俺は苦しんだ部分もありますけど、それよりも良くしてもらった人、良くしてもらったことのほうが多いです。本当に周りに恵まれたと思います。

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――外国人として外国で生きることは難しさも良さもありますよね。

『外国人として生きる』ことは多分日本の人はあまりないのかな。パスポート取得率も20%以下と聞いたので、あまり海外に出ない人が多いのかなと思っています。僕もフィリピン代表で何回か海外に行っているんですけど、海外に暮らすのは今回タイに来て初めての経験です。

それを経験したら価値観、人生観が変わります。僕の奥さんも絶賛壁にぶち当たり中なんですけど、なんとか楽しんでやっているみたいで良かったです。

頼れる兄貴分と愛嬌のある弟

2021年にフィリピン代表に招集されたタビナスは、現在まで13試合に出場した。チームには多様な国籍を持つ選手が多く、ドイツ、スペイン、イングランド、フィンランド、デンマークと国際色豊かだ。

その中で日本にルーツを持つ佐藤大介、嶺岸光(2023年引退)は代表活動に参加する上で頼りになる存在となったという。

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佐藤大介

――フィリピン代表の佐藤大介選手は代表チームに入ったらレベルの高さに衝撃を受けたみたいですが、そういう経験はありましたか。

僕はゲリット・ホルトマンという浅野(拓磨)さんと同じブンデス1部ボーフムでプレーして、トルコへ行って、いまブンデス戻ったのかな(※2024年にローンでダルムシュタット加入)。ドイツ1部でバイエルン・ミュンヘンから点取ったりしているんですけどね。

その選手はウインガーなんですけど、速いし、シュートが上手い。走りたくないときはうまくサボるからズル賢い。そういった点はめっちゃ上手いと思いましたし、衝撃を受けましたね。

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嶺岸光(右、白)

――フィリピン代表には佐藤大介選手、嶺岸光選手と日本語話者もいます。彼らはタビナス選手にとってどのような存在ですか。

僕が初めて大さんと会ったのは、いつだっけ(笑)。忘れちゃうくらい仲良くしてもらっているんですけど、大さんでいったら「ザ・陽キャラ」みたいな(笑)。二人とも頼りになる兄貴たちって感じですね。「何かあったら何でも言って来いよ~」みたいな感じですね。大さんはいまもすぐ何かあったら連絡します。

ピカ(嶺岸光の愛称)も引退しちゃったけど、フランクな方です。俺が活躍したら「ナイス!」と言ってくれるんですよ。お兄ちゃんたちと接している感じですね。1、2週間ずっと英語を喋ってる中、日本語で話ができると「あぁ、安心するなあ」と思います。

サッカーでいったら大さんはやりやすいです。あの記事(※Qolyの佐藤大介インタビュー)読んだんですけど言ってくれたじゃないですか。「(タビナスとは)日本っぽい守備がちゃんとできる」と。国によって守備の仕方が若干違うけど、俺が左のセンターバックで大さんは左のサイドバックでプレーしていて、大さんに「日本っぽい守備にしてや」と言ったら上手く合してくれたので、すごくやりやすいですね。

そして兄を追うようにしてフィリピン代表入りを果たした弟ビスマルク(クロアチア2部NHKヴゴヴァル1991)もタビナスにとって特別な存在だ。2022年10月に岩手県内でビスマルクは警察から酒気帯び運転の疑いで任意捜査を受け、同月31日に当時所属していたいわてグルージャ盛岡との契約解除が発表された。愛する弟について心境を吐露した。

――弟のビスマルク選手もフィリピン代表を選択されました。

俺の弟は基本的にすごく優しいんですよ。ただ飲酒運転をしてしまった。(犯罪は)駄目なことなんですけど、「これくらいいいでしょう」という詰めの甘さが出てしまった。それでも俺から見るとすごく尊敬できる男なんです。(クロアチア)2部のチームで昇格を狙える位置で、いまはばりばり試合に出ています。この夏にステップアップしていくんじゃないかと俺は思っています。

そのくらい逆境に立たされても負けない強さを持っている。ヘナヘナになりながらも、それでも食いしばって付いていける。人間的に魅力のある人間なんです。ほぼ毎日連絡していますし、そこでも愛嬌のある弟です。

俺にとってはポジションが違いますからライバルとは言い難いですけど、でも少なからず弟が試合に出て「90分無失点で抑えたよ」と連絡が来たら刺激になりますし、「俺も負けてられないな」と思います。

――青森山田高時代から存じていますけど、真面目でいい選手ですよね。

本当にそうなんですよ。真面目でいい子なんです。彼も反省していまやり直して、また新たなキャリアを歩んでいます。

水戸からタイへ渡った経緯

そして今年に入って3季過ごした水戸からタイの強豪ブリーラム・ユナイテッドへ完全移籍した。ブリーラム移籍の経緯、そしてキャリアの展望を語った。

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――ブリーラム・ユナイテッド移籍の経緯を教えてください。

タイに来たときに「なんで日本からわざわざタイに来たの?」と聞かれました。「なんでだろう」と確かに思ったけど、でもACL(AFCチャンピオンズリーグ)に出ているクラブだから別にタイに行ったからキャリアの終盤になるわけじゃないと思ったんです。

逆にここで活躍してまたJ1の舞台に戻ることや、ヨーロッパに行ったりと。実際に去年(タイに)いた選手でいまベルギーのチームにローンしているタイ人選手がいるので、ヨーロッパへの道が閉ざされたわけでもないです。

新たなチャレンジとして自分がどこまでやれるのかを示せたらと思っています。オファーが来たときにすごく悩みました。水戸から出ることは決めていたんですけど、Jのクラブとブリーラムでどうしようかと悩んで、今回(タイ行きを)決断しました。

――欧州移籍、タイでもプレー経験のあるフィリピン代表の同僚である佐藤大介選手にも今回の移籍を相談されていたと聞きました。

はい、「どうなの?」と相談しました。僕が1番怖かったことはサッカーに専念できない環境が1番嫌だったんです。それこそ給料の未払いも何チームかまだタイ1部でも下のほうではあるみたいです。そうなったらサッカーに集中できないし、家族にも迷惑かけてしまうからそれは嫌だなと思っていました。それで色々相談させていただきました。

――実際にタイの環境はいかがですか。

「こんなクラブがアジアに何チームあるんだろう?」というくらい環境は申し分ないですね。ブリーラムはバンコクから車なら6時間ぐらいで、飛行機だと飛んだら50分くらいで着きます。ブリーラムの練習場、スタジアム、クラブハウスと施設もあって、バンコクで2試合連続試合があるときはバンコクにも宿泊施設が付いている練習場もあります。基本的にサッカーをするには申し分ない環境だし、すごく衝撃を受けました。

――ブリーラムでの目標を教えてください。

「3年連続3冠」がブリーラムでのいまの目標ですね。ブリーラムは昔「2年連続3冠」を取ったときがあるんです。「3年連続3冠」はまだタイリーグ史上ないらしくて、(現タイ代表監督)石井(正忠)さんときから(数えて)3年目になります。リーグでいま2位(3月28日時点で首位)に付けているんですけど、「3年連続3冠」を取るチャンスがまだ残っています。そのタイミングで加入できたことはもちろん「3年連続3冠」を取るために呼んでいただいたというのもありますし、そのミッションを果たすためにも頑張りたいです。

※FAカップは2月28日に3次ラウンドで敗退

――最後にキャリアの目標を教えてください。

サッカーというより、僕は水戸のときにフィリピンの子供たちやフィリピンの孤児院の子供たちにTシャツプレゼントをさせていただいていたんですけど、これを自分の規模でもっと多くの人たちを巻き込めるようにやっていきたいです。

そのくらいのことをするためには、もっと影響力のある選手にならないといけないし、そうなったら必然的にサッカーでもっと上に行く必要があると思っています。

まだヨーロッパに行くことを諦めてないし、ヨーロッパの舞台で活躍できるようなサッカー選手になりたいです。

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育成年代ではフィジカルモンスターとして注目を浴びたタビナスは、川崎や岐阜での挫折も経験しながら逞しく成長した。

現在はフィリピン代表の守備の要として、東南アジア有数のセンターバックとして注目を浴びている。だが男の歩みはまだまだ止まる気配はない。さらなる成長を遂げて、旅路の先にある成すべき夢を叶えて見せる。