台湾では1日、鄭麗文氏が中国国民党主席(党首)に就任した。ドイツメディアのドイチェ・ベレは、鄭氏が党首選挙の当選を決めた後に単独取材を行い、10月31日付で記事を発表した。
大陸とのあらゆる問題は平和的方法で解決可能
取材した記者は質問の多くを台湾と中国大陸側の関係(両岸関係)に充て、鄭主席も自分の政治目標として両岸関係に重きを置いていることを強調した。
鄭主席は「(台湾海峡の)両岸は必ず平和的な方法であらゆる問題を解決できると深く信じます」と表明した上で、「現状維持が唯一の選択肢」と述べ、さらに、問題は両岸でさまざまな認識の違いがあることと主張した。認識の違いについてはまた、第二次世界大戦終戦前の50年にわたった日本による植民地統治の時代を含めれば100年以上の分断があると指摘し、「私たちは善意と誠意を示すべきであり、この隔たりは1日や2日で解消できるものではありません。努力して解消せねばならず、現状の隔たりの上にさらに憎しみや敵意を積み重ねるべきではありません」と述べた。
こちらから「誠意」を示さねば
台湾では世論調査により、自分について「台湾人であり中国人ではない」と考える人が増えていることが分かっている。鄭主席は「それは事実です」と述べた上で、「もし私たちが中国を仇敵として見なさず、障害や重荷とも考えず、むしろ中国を本来私たちが受け継いできた資産と見なすことができれば、状況は変わってきます」と、台湾人が「自分は中国人だ」との認識を持てば、中国との関係は改善すると主張した。
鄭主席は、習近平氏との会談を望むと公言してきた。ドイチェ・ベレの取材に対しても、具体的な内容や会談についての準備はまだ始めていないと説明した上で、会談を望むと表明することは大陸側に向けて誠意を示すものであり、誠意を示すことが平和の維持につながるとの見方を示した。会談の目的についてはさらに、「過去の歴史的な認識の違いや対立を解消する」「善意を積み重ねて蓄積していきます」と説明した。
ただし、大陸側が主張してきた台湾との「1国2制度方式」については、トウ小平時代からの提案だが「台湾の民衆の受け入れの度合いは非常に低い」として、現実的な方策ではないとの考えを示した。
「女戦将」が取材の記者ともバトる
話題が「台湾の民意の主流」になった際に、記者が台湾の政治大学による世論調査の結果として、統一を望まないと明言した人が26%で現状維持を支持する人が26%で、統一を望む人が極めて少数であると指摘すると、鄭主席は強烈に反発した。「私のさきほどの発言に間違いはありません。私のすべての用語の使い方は間違っていません。もう一度繰り返します。
鄭主席はまた、民進党の両岸関係政策を極めて厳しく批判した。「民進党は憎しみと不必要な対立を積み重ねる上で、非常に重要な役割を果たしています」「民進党は両岸のあらゆるつながりを断ち切ることを望んでいるのです」と述べ、台湾で「自分は中国人ではない」と考える人が増えてきたことについても、民進党からのさまざまな意見表明や教育のカリキュラム改訂を通じて中国色を排除しようとしてきたことが理由であり、意図的な政治関連の論述と操作によって、大陸側との対立や憎しみの気持ちが煽(あお)り立てられていると主張した。
当時の国民党政権はひどかった
鄭主席は大学生時代など若い時期に、国民党を厳しく批判し、台湾独立を目指す活動に力を入れたことで知られている。鄭主席は1988年に撮影された映像で、「国民党も共産党も同じだ。国民党は台湾人を人間として見ていない。これは天に背く残虐な政権だ」と述べ、「台湾建国」を主張していた。
鄭主席は当時の状況について、まず、国民大会(国会)が形骸化していたことを挙げた。当時の国民大会は、中国大陸部を代表する「議員」が多く、「台湾社会とは乖離」の印象が強かった。鄭主席は加えて「総統も直接選挙ではありませんでした」と指摘し、当時は国民党が堅持していた体制が台湾の民主化にとって最大の障害だと考えられていたと説明した。
民進党は堕落していった
また、鄭主席によると、国民党主席でもあった李登輝総統が1999年に「台湾と中国は別の国」とする「二国論」を打ち出した際は、独立を目指す民進党にとって絶好のチャンスだったはずだが、米国から「絶対に同調するな」「絶対に火に油を注ぐな」「全面的に冷静に処理せよ」との要望を受けた民進党は、すぐに受け入れた。鄭主席にとっては大きな衝撃だったという。
鄭主席はその後、民進党の多くの政治家にとって台湾独立は「神聖な使命でも荘厳な信念でもなく、単なる政治的な道具」になった、すなわち民進党は堕落したと感じるようになったと主張した。さらに、「台湾独立(の主張)は行き止まりの袋小路です。
賴清徳はゼレンスキーに似てきたとの指摘あり
中国による台湾への武力侵攻の可能性に関連して、ロシアによるウクライナへの侵攻に話が及ぶと、鄭主席は、戦争勃発の原因はそもそもが、NATOがそれまでの約束を破って加盟国を東に広げ続けたことが原因であり、ウクライナのNATO加盟の問題が出なければ「戦争はそもそも発生しなかった」と主張した。
鄭主席は「独裁者たるプーチンがウクライナを攻める戦争を始めた」との言い方を、西側によるプロバガンダであり事実でないと主張した。鄭主席はさらに、「台湾が第2のウクライナになる可能性は非常に高い。なぜなら、今や多くの海外の評論家が、賴清徳総統を見るとますますゼレンスキーに似てきたと感じているからです。私はこれは良くない傾向だと思います」「賴清徳総統や民進党政権が台湾を第2のウクライナにしたいとは思っていないと信じたい。しかし問題は、彼らのやり方や発言が台湾を第二のウクライナにしてしまう可能性があるということです。彼らがこの点を認識しているかどうかが重要であり、私たちは民進党が目を覚ますことを願っています」と述べた。(翻訳・編集/如月隼人)











