中国のポータルサイト・捜狐に、「『チェンソーマン レゼ篇』でなぜレゼとデンジをもう一度会わせなかったのか」と題した記事が掲載された。

記事は、「最近、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の入場者プレゼント第7弾の冊子・メモリアルコレクションに収録された作者・藤本タツキ氏のインタビューの一節が、日本のネットユーザーによって掘り起こされ、繰り返し話題にされている。

理由はいたって単純だ。藤本氏が自分自身の描いた物語について『マキマ余計な事をしてくれたな』『何でこの作者はレゼとデンジを会わせてあげなかったんだろう?と考えて眠れなくなる』などと愚痴をこぼし始めたからである。これを読んだ多くの読者の第一声は『いや、あなたが作者でしょう!?』だったに違いない」と述べた。

そして、「『チェンソーマン レゼ篇』を読んだことがある人なら、この『なぜレゼとデンジをもう一度会わせなかったのか』という問いがどれほど胸に突き刺さるか分かるはずだ。レゼは通りすがりの人物でも、一度きりの敵役でもなく、デンジの人生において初めて『普通の幸せ』に最も近づいた可能性そのものであった。デートをし、一緒に逃げ、未来を夢見る。しかしすべてが唐突に失われたことで、読者は『なぜ?』と問い掛けた。そして今、藤本氏自身もまた、読者と同じ立場に立ち、同じ問いを投げ掛けている。そして最も残酷なのは、その作者が他ならぬ藤本氏自身であるという点だ」と言及した。

記事は、「この藤本氏の発言は、多くの創作者が一度は直面する瞬間を的確に言い当てている。物語を書き進めるうちに、当初設計した展開が次第にうまくかみ合わなくなり、キャラクターが作者の手を離れていくのだ。作者が彼らを動かしているのではなく、作者自身が彼らについていくようになるのだろう。

理性では『こう書くべきだ』と理解していながら、感情では『このキャラクターは、こんな扱いを受けるべきではない』と感じてしまうのである。ただし、これは創作者が制御を失っているという話ではない。むしろ、キャラクターを本当に『人』として描けている証しなのだ」と論じた。

そして、「最後に一つだけ付け加えるなら、作者が観客の視点に立ち、自分の作品に対して眠れぬほど悩み、葛藤し、愚痴をこぼし始めた時、それはまさに、物語が『創作』という枠を超え、リアルな感情の投影になったことを意味している。だからこそ、読者は割り切れない思いを抱く。そして、藤本氏もまた同様だ。レゼとデンジの関係とは、おそらく『もう二度と会わないからこそ、人生らしい』関係だったのだろう」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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