中国ではこのところ、インターネットを通じて日本の市川市動植物園で飼育されている、パンチという名のニホンザルの子ザル(以下、サルと略記)に対する関心が高まっている。パンチは母親に「育児放棄」をされ、他のサルにも受け入れてもらえない状態が続いた。そして、園側が与えたオランウータンのぬいぐるみと離れようとしない。中国人はパンチの哀れさに、自分自身の苦境を重ねているとみられる。中国メディアの中国新聞社は中国人専門家によるパンチの状況の説明を詳しく紹介し、パンチに関心を持つ中国人の心理を分析する記事を発表した。

パンチが生まれたのは2025年の7月だった。出産時は猛暑に見舞われており、パンチの母親は高温の中で長時間苦しんでパンチを生んだ。そして出産後には、パンチに強い拒絶反応を示した。園側は、高温時の出産が母親の態度に関係がある可能性があると考えているが、確証はない。また、サルの出産時の気象が母親の態度に影響したことを示す研究は見当たらないという。

飼育員は何度も、母子を一緒に過ごさせようとしたが、母親はパンチをかんだり突きとばしたりするだけで、失敗した。

鄭州大学生命科学学院の田軍東准教授は、中国中北部にある太行山脈に生息するアカゲザルについて社会生物学と人の干渉による影響の研究を続けてきた。アカゲザルとニホンザルは同じマカク属のサルであり、アカゲザルについての研究成果は、ニホンザルの行動分析についても、大いに参考になるとされる。

田准教授の研究では、野生環境下のメスのサルは、さまざまな程度の育児放棄をする場合があり、「虐待」行為さえも出現する。特に、母ザルにとって初めての出産であり、育児経験が不足している場合に多い。また健康状態の良くない母ザルにも見られる現象だ。

田准教授によると、母ザルの育児放棄や虐待は、子ザルの性別にも関係する。雄の子ザルの方が雌の子ザルよりも育児に労力が伴うために、母親の健康状態がよくないと、雄の子ザルの方が母ザルから放棄される場合が多い。

中国人ユーザーの「涙」をさらに誘うことになったのは、パンチが常にオランウータンのぬいぐるみを引きずっていることだ。パンチの飼育員は、母ザルにパンチを受け入れさせることに失敗した後に、パンチに「なぐさめ」を与えようとして、丸めたタオルや動物のぬいぐるみをいくつか与えた。するとパンチは、その中の赤いオランウータンのぬいぐるみを一目で気に入った。パンチは時々、ぬいぐるみの手を自分の体に巻き付けることがあり、母親に抱きしめられるような感覚を得ているとみられている。また夜寝るときもそのぬいぐるみを抱きしめるようになった。

田准教授はパンチのぬいぐるみへの愛着について、動物心理学の専門家であるハリー・ハロー教授の研究結果を紹介した。ハロー教授は生まれて数時間の子ザルを母ザルから引き離した。そして子ザルには人工代理母2体を用意した。いずれも針金で作られたものだが、1体には胸の位置に哺乳瓶が取り付けられていた。もう1体には哺乳瓶がないが、体全体が柔らかいネルの生地で覆われていた。

すると子ザルは長い時間「ネル生地のサル」の体にしがみつき、空腹になった時だけ「針金のサル」の胸にミルクを飲みに行くようになった。ハローはこの実験を通じて、乳児の愛着は空腹や渇きといった生理的欲求を充足しようとするだけの反応ではなく、授乳だけで乳児の求めをすべて満たすことはできないと結論付けた。

この実験では、子ザルを驚かせた場合、子ザルはやはり「針金のサル」ではなく「ネル生地のサル」にしがみついた。田准教授は、ハローのこの実験が、パンチのぬいぐるみに対する依存を説明できるかもしれないと述べた。

園側は26年1月になってから、何度もパンチを群れの中に入れようと試みたが、パンチが大きなサルに近づこうとすると、大きなサルはパンチを威嚇したり、引きずり回したり殴ったりした。この様子を見た中国人ネットユーザは、あらためて絶望を感じることになった。

多くのネットユーザーは、パンチは母親から「社会化の方法」を教わっていないため、サルの群れに溶け込むことができないとの見方を示した。しかし田准教授の考えでは、マカク属のサルは比較的早熟であり、彼らの社会行動の形成は母親の教えに依存するだけでなく、群れの中の同年齢のサルなど他の個体への模倣や学習からも得られる。したがって、パンチがなかなか群れに溶け込めなくても、群れの周囲で生活して同年齢のサルの日常生活を目にすることができれば、群れに受け入れられる行動様式を学習することは、それほど大きな問題にならないはずという。

最新の情報によれば、パンチはすでに群れの一部のサルと友好的な接触を始めており、さらには受け入れられた兆候もあるという。パンチがいったん群れに完全に受け入れられれば、生活は劇的に改善されるはずだ。

中国人の間でパンチが注目されて話題になったのは、実際には現代人による集団的な心理投影のようなものだ。おそらくは、誰もがパンチの物語に自分自身を投影し、共鳴したはずだ。社会に溶け込めないことに苦しむ人もいれば、家庭での温かさの欠如に悩む人もいる。そして、「針金のサル」の体にあるあの哺乳瓶にはありついたが、その哺乳瓶に自分が縛られるだけで、「ネル生地のサル」は自分の周辺に存在しない人もいる。

あるネットユーザーは「私たちが自分自身にパンチを哀れに思うことを許すのは、『弱さは恥ではない』と認めることを自分で自分に許すことなのだ。耐え抜けば、おそらく道は開ける」と投稿した。

なお、日本でもパンチは「大の人気者」になり、それまでは比較的閑散としていた市川市動植物園には、多くの人が詰めかけることになった。(翻訳・編集/如月隼人)

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