斬新で才気あふれるプログレッシヴ・ロックの巨匠、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの輝かしい瞬間を振り返る。

「俺はひどく怯えていたよ」故キース・エマーソンは01年、モジョ誌のインタヴューで、77年の全米ツアー当初を振り返った。
この時、途方もなく贅沢なロック・ツアーを敢行したエマーソン・レイク・アンド・パーマーが、大群のスタッフ、カール・パーマーの空手インストラクター、そして最も非現実的なフル・オーケストラまで同行したのは有名な話だ。ツアーに伴う莫大な費用や困難にもかかわらず、メンバーは”ファンに対して誠実でなければならない”と考えていたという。「このツアーでフィーチャーしたアルバム『ELP四部作』のピアノ協奏曲で、俺はオーケストラを従えて演奏したんだ。チケットを買ったファンは、レコードで聴くのと同じものをコンサートでも期待するだろ!」

これがELPの偉大なる所以なのかもしれない。ザ・ナイスで演奏していたエマーソン、アトミック・ルースター出身のパーマー、そしてキング・クリムゾンのグレッグ・レイク。60年代のイギリスのバンドでそれぞれ活躍していた3人は、70年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーを結成し、ロックでは初のスーパーグループとなった。
実際、ELPがこの用語を定義したといってもいい。パンクが誕生し、プログレッシヴ・ロックを打ち負かす以前の、ミュージシャンが2分程度の長さのシングルや、ダンス・ビートに傾注していた時代、トリオは70年代にしか起こり得なかった成功を手にした。

思いがけずラジオでヒットした70年の哀愁漂う『ラッキー・マン』をはじめ、ETPは次々とアルバムを発表し、人々が地下室のブラックライトの下で聴いていたプログレッシヴ・ロックは、スタジアムいっぱいに広がる音楽へと様変わりした。メンバーの中心的存在であったエマーソンは、より偉大で壮大なサウンドを追及し続け(ステージ上で要塞のように立ち並ぶオルガンとシンセサイザーのおかげで)、ELPは最も魅力的で熟練したロック・グループの1つとなった。

それでは、彼らの輝かしい瞬間の数々を紹介しよう。

『ラッキー・マン/Lucky Man』(1970)

グレッグ・レイクが12歳で初めてギターを買ってもらった時に書いた『ラッキー・マン』。
彼によると、ちょっとした中世のファンタジーをかいつまんだものだという。レイクは昔の記憶からこの曲を掘り起こし、トリオのデビュー・アルバムに収録した。曲のエンディングでは、キース・エマーソンが導入したばかりのシンセサイザーでソロを披露している。ファースト・テイクで収録したこの印象深いソロのおかげで、モーグのシンセサイザーは飛躍的進歩を遂げるこことになった。エマーソンはセカンド・テイクを録りたかったのだが、トラックが残っていなかったので、"このソロで我慢するしかなかった! "と言う。人々が『ラッキー・マン』の歌詞をジョン・F・ケネディ大統領のような公人のイメージと結びつけ始め、この曲独自の神話が生まれた。


『未開人/The Barbarian』(1970)

この時代の多くのプログレッシヴ・ロック・グループと同様、ELPも個別に演奏することが少なかったバンドだ。ELPの初期のヒット曲、『ラッキー・マン』は別として、彼らの圧倒的な可能性を存分に見せつけたという意味では、『未開人』が人々に向けた真のイントロダクションといえる。この曲は、激しいプロトメタルから、軽快なジャズ、そしてハチャトゥリアンの『剣の舞』へのオマージュのようなエマーソンのピアノ主奏へと、わずか4分半の間に切れ目なく移行していく。70年、エマーソンはイギリスのサウンズ誌でこう語った。「ニュー・アルバムのA面は、エマーソン、レイク、パーマーの、それぞれのバックグラウンドから生まれたそれぞれの発想が、グループとして音を作り出しているんだ。ELPの良いところは、互いの音楽に対して柔軟だってことだよ」

『タルカス/Tarkus』(1971)

ELPは決して控えめなグループではない。
『タルカス』を聴けばそれが明白に分かるはずだ。彼らのセカンド・アルバムのA面は、全7楽章からなる組曲で、演奏時間は20分を超える。想像上の生き物を中心に展開する神話的なプログレのスプロールに、フュージョンとクラシックの要素を取り入れた楽曲である。イギリスのディスク誌のインタヴューによると、"タルカス"は、エマーソンがひらめいた名前だという。「俺はこの生き物に名前をつけるのに、ありとあらゆるギリシャ神話の本を読んだよ」彼は語った。「でも何も思いつかなかった。
だけどある晩、ギグが終わって車で家に帰る途中にふと浮かんだんだ。俺が"タルカスにしよう"というと、他のメンバーは"タルカス? "って。まあそんなところだよ」ウィリアム・ニールがアルバムのジャケットに描いたこのタルカスのストーリーは、エマーソンの巧みで聴きごたえのあるキーボードが特徴的な曲の中で展開する。

『フロム・ザ・ビギニング/From the Beginning』(1972)

アルバム『トリロジー』に収録されている『フロム・ザ・ビギニング』は、グレッグ・レイクの移り気なアコースティック・ギターとヴォーカルのショーケースそのものだが、ラストに注目すべきエマーソンのソロ・パートが入っている。曲の終盤になると、まばらでシンプルなサウンドは、エマーソンが演奏する宇宙音のようなシンセサイザー・ジャムによって異次元へと導かれる。シンセサイザーがランダムに作りだす多重音効果で、ドーン・コーラスのようなシンフォニーは、親近感のあるラブソングから、ビッグ・バンに何か関係があるような音楽へと、曲のスケールを広げていく。
全米シングル・チャートでバンドの最高記録を打ち出した『フロム・ザ・ビギニング』。この曲により人々のモーグへの関心が高まり、エマーソンのシンセサイザーと共に、ELPは伝説に残るバンドへと成長していった。

『ホウダウン/Hoedown』(1972)

ELPに負けず劣らず自己顕示が強い作曲家、アーロン・コープランド。トリオが初めて彼の曲をカヴァーしたのが、この『ホウダウン』だ。ショー・ストッパー(拍手喝采でショーが一時中断されるほどの演奏)として有名だが、いくつかのツアーではショー・スターターとして起用されたこともあったという。キース・エマーソンはルーマニアで開催されたクラシック・フェスティバルから帰ってくると、すぐこの作品に取り掛かった。そのためか、『ショートニン・ブレッド』や『藁の中の七面鳥』といったアメリカン・フォークに近いロック・オルガンとモーグのアレンジに、東ヨーロッパ的な要素が入り込んでいる。エマーソンは、この曲の特徴ともいうべきシンセサイザーのサウンドを偶然見つけたという。「俺たちがこのアレンジに取り組んでいる最中にふと思いついたんだ。自分でもわかなないまま、ブルーのボタンを入れて、パッチコードを挿してみると、やったぜ!という感じの音に出会えたんだ」

『トリロジー/Trilogy』(1972)

ELPのサード・アルバムの中で最も長く、大掛かりな楽曲『トリロジー』は、エマーソンの軽快なピアノの旋律で幕を開ける。エマーソンとグレッグ・レイクの共作であるこの曲は、彼らにそぐわない抑制を効かせた、独創性に乏しく単純で生気のないラブ・バラードのようだ。だがこれは斬新なリブとバロック風のシンセサイザーが何層にも重なる複雑な構成を支配するまでの序奏に過ぎない。『トリロジー』を発売した72年、エマーソンはディスク誌にこう語った。「俺はあらゆる要素を自分の音楽に取り入れようとしているんだ。だから、もう少し時が過ぎてから、いろいろと分かることもあるだろう。リスナーが曲を聴くたびに、何か新しい発見があるというは、音楽の素晴らしさの1つだと思うんだ」

『トッカータ/Toccata』(1973)

ELPのクラシック音楽への情熱と、最先端の音楽技術に対する強い関心を組み合わせた結果、キース・エマーソンの、大胆で遊び心に満ちたアルベルト・ヒナステラのピアノ協奏曲第1番、第4楽章のアレンジが出来上がった。また、予めプログラムされた電子ドラムをフィーチャーした商業レコーディングは、この曲が初めてだといわれる。73年のアルバム『恐怖の頭脳改革』にこの楽曲を収録する際、ELPはヒナステラの出版社から抵抗を受けた。そこでエマーソンは、スイスにあるヒナステラの自宅まで赴き、直々に使用許可を願い出た。「アルベルトと彼の奥さんと一緒に昼食を取った後、テープを聴かせたんだ」14年、エマーソンは当時を振り返った。「曲が終わると、アルベルトは妙な表情を浮かべているんだよ、痛みに顔をゆがめるみたいに。そこで彼が何か言ったんだ、正確な言葉は思い出せないけど、"これはひどい!"みたいな感じさ。"くそっ! 失敗した"と俺は思ったね。それでそのまま帰ろうとしたんだ。すると奥さんが、"勘違いしないで、彼は良い意味で”恐ろしい"と言ったの。"信じられないほど素晴らしいってことよ"」こうしてヒナステラの支持を得て、アルバムの解説文には"キース・エマーソンは原曲の精神を見事に捉えている"と彼の言葉が掲載されることになった。

『スティル、ユー・ターン・ミー・オン/Still… You Turn Me On』(1973)

「ロックの技術はまだそんなに進んじゃいない」73年、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで、エマーソンはこう嘆いた。エマーソンをはじめとするメンバーは、ELPのさらなる進化に繋がる新たなイノヴェーションを常に模索していた。そんなテクノロジー主導で有名な彼らだが、4枚目のアルバム『恐怖の頭脳改革』の『スティル、ユー・ターン・ミー・オン』は、これまでと少し作風が異なる。あくまでも相対的に言えばの話だが、レイクが作ったこの楽曲は、技術を駆使する代わりに、甘い旋律とエマーソンが奏でる上品で華麗なシンセサイザーのサウンドを重んじている。とは言え、この曲ではファンクという新しい要素をふんだんに取り入れているので、ELPにとってはこれもイノヴェーションと呼べるのかもしれない。『スティル、ユー・ターン・ミー・オン』が時代を超えた作品に仕上がっているのは、レイクの曲作りとエマーソンが生み出す雰囲気のバランスに負うところが大きい。次世代のサウンドに夢中いなっている時でさえ、優れた曲はいつも彼らの芸術の中心にあることを、ELPは知っていたのだ。

『悪の教典#9/Karn Evil 9』(1973)

プログレッシヴ・ロックの象徴的な作品である『悪の教典#9』は、このスタイルが支持される、または非難される全てを体現している。3つの"印象"から構成される、この驚くほど複雑で大掛かりな楽曲は、73年のアルバム『恐怖の頭脳改革』の中心的な作品で、人間対テクノロジーという重いテーマを探求する一方、メンバーが高度な演奏技術を披露する機会を与えている。バンドを批判する人々にとっては、まさに"終わりのない演奏"であるが、30分近いディストピア・ファンタジーは、今になってみると、先見の明があるようにも感じる。「コンピューター・テクノロジーは始まったばかりだったけど、その技術を取り入れたことで、すでに非難を浴びていたよ。ステージで演奏しているのは俺たちじゃないと考える人がいたくらいさ」2000年、キース・エマーソンは当時を振り返った。「ライブが終わってステージを去る時、俺はモーグを観衆に向けて派手な音を立てたものだったよ。これからはコンピューター・テクノロジーの時代だと言わんばかりにな」

『庶民のファンファーレ/Fanfare for the Common Man』(1977)

メンバーのソロが中心の2枚組アルバム『ELP四部作』の中で、トリオが揃って演奏するD面の1曲目に収録されている『庶民のファンファーレ』。キース・エマーソンが"アメリカン・ミュージックそのもの"と称えるアーロン・コープランドが42年に書いた楽曲をアレンジしたものだ。エマーソンはコープランドの楽譜をEのキーに転調し、メンバーはファンファーレの旋律をシンプルに演奏した。そして曲の合間にブルース・シャッフルを入れた見事なファースト・テイクをレコーディングした。これに対しコープランドは、「彼らの曲の合間の演奏が、私の音楽とどう繋がるのかよくわからないが(笑)、まあどうにかやるんだろうよ」と述べた。コープランドの承認を得た約10分という長さの『庶民のファンファーレ』は、テレビ放送されるさまざまなスポーツ・イベントで、勝利を象徴する馴染みの曲となった。