リヴァース・クオモは、サンタモニカ・ピアの近くにあるホットドッグ・オン・ア・スティックの売店の側の日陰と日差しの間をのんびり歩いている。
その後20年間、バンドにはリーダーの気まぐれ次第で、初期の不思議な力を取り戻すという見込みのない希望を持ち続ける時期と、一切気にかけない時期が交互に訪れた。彼は今45歳の既婚者で、9歳の娘と3歳の息子を持つ2児の父親だ。子供たちは夫妻と同じ部屋で寝るというが、そうしてはいけない理由などあるだろうか?
今日、彼は7時頃に起床して夜に見た夢を思い出そうとしたが無理だった。マネージャーから彼が送った新曲(「俺たちは皆バイセクシュアルだ!」という歌詞が入った曲)についてメールの返信が来ているかどうか確認すると、(「クレイジーだ、クレイジーすぎるかも」という)返信が来ていた。
青白く痩せ細った脚でベッドから出てトイレを済ませると、キッチンへ行き、STARBUCKS VIAのインスタント・コーヒーを魔法瓶に振り入れた。そして、植物でいっぱいのジメジメしたガレージ・スタジオへ向かい、25分ほど意識の流れのままに言葉を書き綴り、1時間瞑想を行った。それから、上部にたくさんの穴が開いた迷路が付いている小さな木箱の前に腰かけると、無脂肪のギリシャ・ヨーグルトと固ゆで卵、トレイル・ミックスという、いつもの朝食をとった。
迷路に小さな鋼鉄のボールを入れ、60個ある落とし穴にボールを落とさないようにしながら、ノブで表面のボードを動かしてボールを進路に運んでいった。ラビリンスというこのゲームは、娘へのクリスマス・プレゼントだった。彼女は2回ゲームをしたが、それ以降は毎日彼が遊んでいる。
そして今、彼はバイクに乗ったブロンド美女や、真っ黒に日焼けした物乞いが集まる遊歩道に来ている。「俺たちは1年前に新しいマネージャーを迎えたんだけど、彼から「君たちはビーチ・アルバムを作るべきだ」と言われたんだ。俺たちはザ・ビーチ・ボーイズが大好きでここで暮らしていることを考えると、そのアイデアは刺激的ですごく当然だった。自分たちにとって身近すぎて、今まで気づかなかったよ」。
その結果、現在発売中のウィーザー10枚目のフルアルバムは、クオモとベーシストのスコット・シュライナー、ドラマーのパトリック・ウィルソン、ギタリストのブライアン・ベルが白い砂浜の監視塔の前に並んで立つ姿を写したジャケットが付き、クオモがホワイト・アルバムと呼ぶ作品に仕上がった。音楽的には、初期のウィーザーのようなパワー・ポップに戻った感じがあるが、そうなったのも、その時代への回帰を望んだプロデューサーのジェイク・シンクレアの手腕によるところが大きい。一方、歌詞はクオモがあらゆるところからインスピレーションを得て書いたものである。ツアー中、出会い系アプリのTinderでいろいろな人と知り合ったのもそのひとつだ。といっても、出会い目的ではなく、一緒に出かけたりできる面白い人を見つけ、経験を得るのが目的だが。
彼は、さまざまな海辺のサブカルチャーや、クオモという自身の立場を離れてできる経験を模索するために、今日来ている遊歩道にも訪れた。日の当たらない場所に座りながら、「人々を眺めても、彼らと関わることはできなかった。そういうのはずっと前に諦めたよ。俺は消極的だから」と彼は述べる。それがもし事実だとしても、彼はほぼ全生涯にわたって、それとは正反対にアクティヴな人生を送ってきた。『ブルー・アルバム』で最初に成功を収めた後、ハーバード大学に入学し、そこで左右の足の長さが2インチ近くずれているという先天異常を治す手術を受けた後は、松葉杖で足を引きずって歩き回っていた。数年後、彼は瞑想プログラムに参加するため禁欲生活を誓ったことを公表した。(彼は瞑想が大好きなのだ。)かつて、ペットのヤモリを除いて、基本的に誰とも話さず1年間過ごしたこともあった。ファンとの興味深い関係も保っている。シェークスピア劇の観劇にファンを大勢招待したことがあったが、その一方で、ファンの多くが過去に執着していることを死ぬほど鬱陶しく感じている。
「皆いつも自分のウィーザー・エピソードを話したがるんだ。

1985年頃、スターダムを夢見る異端児だった10代のリヴァース・クオモ。「80年代は、ロックスターになって女の子に囲まれるのを夢見るのが一般的だったけど、思い通りにはいかなかった」と語る。(Photo by Rivers Cuomo)
もちろん、彼自身のエピソードはそれとは対極的なものだ。コネティカットの僧院で彼を育てるという変わり者の両親の元に生まれ、その隠とん生活は11歳になるまで続き、通っていた公立の学校ではかなりいじめに遭い仲間外れにされていたが、それでもガールフレンドには不自由しないタイプだった(彼は「かなり遅い」と主張するが、童貞を失ったのは17歳の時だった)。最初はプロのサッカー選手になりたかったが、ずれた足と低身長が支障になり始めると、夢をロックスターに切り替え、高校を卒業してすぐにLAに引っ越して夢の実現の準備を始めた。決断力だけが取り柄だったが、「現存する中で最も洗練されたスピード・メタル」という自身のブランドで契約を獲得することができなかったため、そのアプローチを見限り、幼い頃の自分の写真を研究して元の姿に完全に戻った。
「これは誰にも理解できない話だよ」と、バンドのルーツについて新たな観点で見直しながら彼は説明する。「ウィーザーはギター技術や曲の構造、歌詞の登場人物の質を意図的に下げていた。
だから、レズビアンであると判明した女の子や別の意味で手に届かない女の子とのぎこちなく、もどかしい出会いを経験して、余計に状況が悪化するような、思春期後の自己不安を抱える時をテーマにした歌詞の内容のせいで、ウィーザーが若い頃のクオモの姿をありのままに映し出だけの存在なのではないかと皆が疑ってきたように、オタクとしての幸せな様子や気取り屋のような振る舞いを一切感じさないのだ。そのため、他の人たちは当然のようにしていたのに、クオモだけ神の特別な恩恵を受け、セックスで仙骨神経を少しも痙攣させることのできない、ロックスター史上で唯一のロックスターであるという印象が彼にはあるのだ。
「うん、まあ80年代って、俺に限らず、たいていの人がロックスターになって女の子に囲まれるのを夢見ていたよね」と彼は述べる。「でも思い通りにはいかなかった」。
フライド・クラムのレストランの正面にあるベンチに鳥のように腰を落ち着かせ、クオモはこう話を続ける。「理由のひとつは、1994年までの俺たちのファン基盤は10歳以下の女の子だったことだ。彼女たちはまず他のバンドメンバーの下に駆け寄った。それから、ウィーザーは「女性ファンを搾取しない」と言えるような存在だという新しい革命みたいなものがあって、たぶん女性ファンもそういうことを嫌っていた。
それはどんな結果をもたらしたのだろうか?
彼は顔をしかめる。「あのアルバムがどんな受け止め方をされたのかは知っての通りだよ。それほど上手くいかなかった。要するに、アルバムの結果は良かったけど、俺が街に出ても言い寄って来る人はいないってこと。一度もなかった。認知されていようがいまいが、違いはない。俺たちの女性ファンは一緒にセルフィーを撮りたがるだけで、たいてい立ち去ってしまうよ」。

「ウィーザーはギター技術や曲の構造、歌詞の登場人物の質を意図的に下げていた」。
「うーん、嫌な感じではないよ。気まずい感じとか妙な雰囲気は好きだからね。「そういう店なのかそうじゃないのか、誰が話題を切り出すんだろう?」って」と彼は述べる。
彼はそういう店が好きなのか?
「うん。好きかな」と言って、少しためらった後でこう続ける。「今でもマッサージ・パーラーに行くよ」。
上限なしのサービスを受けているとすれば、彼が既婚者であることを考えると、実に落ち着かない。何秒か時計が進んでいく。
マッサージを受けるだけですよね?
「ああ。俺がそういう申し出を受けるかどうか知りたいなら、一箇所だけあったよ。ただ指輪を指差すだけだ」。
やれやれ。ここからは、今まで比較的言及されてこなかった結婚についての話題に変えよう。2003年、プロデューサーのリック・ルービンから瞑想を紹介され、クオモはすぐに45日間の瞑想期間に入ることを決意したが、プログラム参加の許可を得るには、結婚するか、もしくは2年間セックスなしの生活を送る必要があった。最初は、自慰行為も禁止される禁欲生活が唯一実行可能な選択だと感じた。「自分自身を拷問にかけるようなものだから、ポルノはどんなものでも見るのを止めた」と彼は言うが、その後すぐに、生まれて初めて夢精を経験することになった。すぐに禁欲についての考え方が変わった。「開始して数日で、「分かった、結婚すべきだ」って思った」と彼は話す。だが、相応しい相手を見つけるのはそれほど容易ではなかった。出会い系サイトeHarmonyに参加しようとして、はねつけられた。「驚くほどたくさんの項目を入力したのに、「申し訳ありません。eHarmonyではあなたに相応しい相手が見つかりませんでした」という返事をもらった」。数ヶ月経ち、不順な考えを頭から消し去るよう努めながら、結婚相手を探す努力を続けた。最終的に彼は過去に目を向け、1997年頃に付き合っていた日本人女性キョウコのことを思い出した。
「あれは2005年、禁欲生活に入って2年目の年だったと思う。ハーバードで彼氏持ちのある女の子を好きになって、とてつもなく苦しい思いをしたよ。背徳瞑想コースの8日目で、頭の中のスイッチを押されたみたいな感覚だった。そのハーバードの子を忘れ、キョウコのことがふと頭に浮かんで、彼女に電話をかけたんだ。俺たちはまた話をするようになり、将来一緒にいたらどうなるかなどと真面目に話し合うようにもなった」。1年後に2人は結婚し、揺るぎなく、かつて不安や苦悩を感じていたクオモを安心させるような人生を共に歩み始めた。
「夜にひとりでいることや、人と付き合うこと、相手を探すこと、そういったことで生じる劇的な出来事すべてがあまり気にならないよ」と彼は語る。「俺には安定感が大事なんだ」
だが、悪魔は決して休むことがないので、もし悪魔が彼の肩に飛び乗ったら、悪魔が彼の耳元で何を囁くのか気になる人もいるだろう。
「悲しいことに、俺の悪魔は恐ろしい存在ではない」と彼は言う。「こんなか細い声で縮こまっている。「あの子セクシーじゃない?行ってみろよ?」とか、お決まりのセリフを全部言って。今の俺はよく手懐けられた動物だ。未知の悪事を試してみるのも楽しいかもしれないけど、そんな気まぐれにいちいち興じていたら、24時間で自分の人生が壊れてしまうだろう。俺は自分の人生を愛しているからね」。
彼は自分が見た夢を思い出すことができるのだろうか?「普通は無理だよ」と彼は話す。「でも精神分析療法を実行し始めてからは、思い出すよう努力している」。
フロイトの精神分析療法のこと?
彼はうなずく。「数週間前に始めたんだ。以前ライフ・コーチをつけて約5年間夫婦セラピーを受けた。最近の人たちは皆、フロイトの説はすべて間違っていたと考えているよね。女性はペニスの所有を望んでいないし、男性は父親殺しの願望を抱いていないって。でも、フロイトの分析はある程度もしくはそれ以上に認知療法に有効であると証明する新しい研究結果を読んだんだ。オーストリア出身の84歳かそこらのこの伝統的な学者に出会ってから、ソファで仰向けになって自分の夢について議論するようにしている。まるでブラックホールの中で話しているみたいだよ。
ゾッとする。彼の説によると、俺は全般性不安を抱えているらしい。でも、そうじゃない人なんているか」?
彼はほんの一瞬、その診断結果に落胆した様子を見せるが、すぐに、なぜ今そもそも精神分析医に通い始めたのか話し出す。
「自分のいつもとは違うより深く、暗い内面を理解する助けになるものを常に求めているんだ。今、『ブラック・アルバム』という新しいアルバムに着手していて、それには新しい精神的な手法や新しい作曲手法、エコーパークとかシルバーレイクみたいな、ウロウロすることのできる新しい居場所が必要なんだ。精神分析療法は重要な役割を果たしてくれるだろう。この作品は、おそらくウィーザーのアルバムで初めて汚い言葉が出てくる、かなりR指定な内容になるかもね」。
彼は少し間を置いて、素早く息を吸い込む。「メンタル面の健康状態は気にしていないよ。関心があるのは創造的なインスピレーションだけで、心理療法は単に試す価値のあるクールでおかしなものだと思っている」。
そういうわけだったのか。音楽のためだけに精神分析医の診察を受けるという意図だったとは少し期待外れだが、その一方で、いかにも彼らしい話でもある。
だが、明日の朝もまた起きてすぐに、座ってラビリンス・ゲームをすることができるので、まったく問題ではない。このゲームで43個という以前の記録を初めて更新するべく、60個目の最後の落とし穴を目指して迷路の中に入れた小さな鋼鉄ボールの進路を進めていきながら、記録に近づいて失敗した時に彼は叫び声を上げるのだろう。だが、行きたいところに辿り着くまでどんなに時間がかかったとしても、断固たる決意を持って時折叫び声を上げながら、彼がやり通すことは間違いないだろう。
※米ローリングストーン誌1259号(2016年4月21日発売)より