今から25年前、1993年7月27日はスマッシング・パンプキンズ『サイアミーズ・ドリーム』がリリースされた日だ。ここでは94年のローリングストーンに掲載されたビリー・コーガンのインタビューをお届けする。


ビリー・コーガンは2年ぶりの休暇を楽しんでいる。ほんの1週間前、彼のバンド、スマッシング・パンプキンズは14カ月に及んだツアーのあと、ロラパルーザでヘッドライナーを務めたばかりだ。現在、彼はパンプキンズの次のアルバムを計画している。2枚組アルバムになる予定で、『サイアミーズ・ドリーム』を即買いしたファンが大喜びする作品になるだろう。そして、パンプキンズを70年代の派手な模造品とみなす口汚い連中を刺激することだろう。コーガンは人懐こく、利口で、矛盾している。彼はロックが大嫌いで、ロックが大好きだ。彼にとってファンがすべてだが、ファンは自分を理解していないと言う。取材の3日後、コーガンは電話してきた。「ずっと考えていたんだけど、君にありがとうと言うのを忘れてた。いつも忘れちゃうんだよ」。そして一瞬の間があって、「今年は本当に最高の年だったよ」と。


―今でもバンドは健在ですか?

正直に言うと、ここ一年くらいは深刻な状況に陥っていない。「誰が俺の水を盗んだ?」的な小競り合いはあっても、感情的な怒鳴り合いは一切ないよ。ロラパルーザのトリを務めている最中に、僕は「みんなが一緒にいて、本当に、本当にうれしい」って思った。けっこう感極まったよ。

―ロラパルーザに続けて出演して、音楽コミュニティの一員になった気がしましたか? それとも相変わらず疎外感を覚えたとか?

実際はそんな感覚、どんどん軽減してきた。なあ、もう1994年だよ。みんなが何百万枚もレコードを売っている時代だ。みんながビデオを作っている時代だぜ。品位の定義なんて本当に曖昧なんだから。

―1991年頃に状況が劇的に変わって……。

状況の変化はニルヴァーナ以前とニルヴァーナ後で判断できるよ。少なくとも僕の世代と同年代の同業者にとってはね。
ニルヴァーナが完全にターニングポイントだったもの。今ではそれが成長して、その影響が消えないところまで来たし、すぐにディスコが流行ることはないだろうね。だって、これはファッションとして生まれたものじゃないし、単なる流行でもないから。

―自分が生きている時代よりも70年代に傾倒していると思いますか?

残念ながら、そうだね。ボストンがどこで終わって、バウハウスがどこで始まったのか、もう分からない。

―あなたは自分の影響を正直に話しますよね。他の人たちがクールじゃないと思うバンドでも。

ああ、ボストン、ELOだ。自分がクールだって思われないことを理解すれば、真実を話せるようになるってもんだよ。

―自分のバンドの音楽の構成要素として使ったグループは何ですか?

8歳のとき、僕はブラック・サバスのレコードを聞いて、その時点から人生が完全に変わってしまった。彼らのレコードはマジでヘヴィだった。骨の髄までガタガタと揺すられる感じだった。
そのフィーリングが欲しかったね。バウハウスとザ・キュアーからはムードと雰囲気を作る能力だ。空気の重みが増す。ジミ・ヘンドリックスからはギターを別の次元で解釈する能力だ。チープ・トリックからはヴォーカルへの影響。トム・ピーターソンが教えてくれたけど、リック・ニールセンは僕たちを「調子外れでメロディックさはゼロ」と言ってたみただよ。

―最近のロックスターは自分がロックスターでいたくないと世間に知らせたがるのはどうしてなのでしょう?

それの意味するところは、それの元々の意味が示す既存のシステムに巻き込まれたくないからだと思うよ。誰だって自分のプライバシーを侵害されたくないと思うもの。でも誰かが意図を持って「バンドを組んで、バンドを率いて、曲を作るぞ」って決心したら、あるレベルまではそれを欲しがるものだよ。まあ、それが何であれね。

―あなたがこの世代に持ち込んでいるものは何だと思いますか?

確実なのは、僕は政治的な変化を起こしたり、誰かを称賛するような存在じゃないってことだ。僕は気持ちを素直に表現している人間ってだけ。
でも、そうしながら、触れることのできないボタンを押しているとも思う。これについてベッドに座って考えたことがあった。でも、結局は「ちょっと待て、これは笑っちゃうほど巨大なバンドだぜ。偶然の産物じゃない」って思うんだよ。

―お父さんがプロのギタリストだったことが、ミュージシャンになるというあなたの決断にどれくらい影響していますか?

ギターを弾きたいと思ったことに関しては、父の影響はほとんどない。でも、ミュージシャンシップに関しては、かなり影響を受けているね。父は本当に素晴らしいミュージシャンだ。パンクロックが唱えた演奏が下手な方がいいという風潮が世間を支配していたとき、僕はその影響を受けなかった。逆にミュージシャンシップに価値を見出す場所から僕は生まれているから。

―音楽に関してはどうでしたか?

どうして音楽をやるのかについては深くて強い信念がある。音楽は複数の技能が混じり合った一つの形態だ。僕は最高の楽曲を作りたい。
成長するにつれて扱わないといけない問題が出てきて、それを扱う責任があると感じているよ。ファースト・アルバムからセカンド・アルバムの歌詞の変化を分析すると、僕が扱う素材やアイデアの真剣さや強烈さが増していることに気づくはずさ。

―自分個人にとっても強烈な素材やアイデアということ?

今の僕は前よりも大きなテーマやアイデアを提示できていて、それを自分の視点から書いている。もしかしたら、これは僕の世代の特徴と関係しているのかもしれない。今では何かの導き手みたいな感じでコメントできる準備ができたと思う。

―緊急を要する課題は何だと思いますか?

それは非常に些細な違いだ。自分自身の倦怠感と自分の世代の倦怠感の違いだし、自分個人の無関心と自分の世代の無関心の違いでもある。何らかの義務を感じると言っているわけじゃなくて、何かに入り込むことを望んでいる感覚があるってことなんだ。

―ファンも自分と一緒に成長してほしいと思いますか?

それが今現在、僕が持っている一番恐ろしい考えだね。

―つまり、恐ろしいのは、彼らはあなたと一緒に成長しないこと? それとも彼らがあなたに異論を唱えること?

僕のクレイジーさにあまり深入りしないようにしているけど、最近27歳の自分と15歳のファンのリアルな違いが、生まれて初めて見えるようになってきたってことだよ。リアルな距離がある。それは誰が悪いってことでもないけど、15歳が持っている単純で世間知らずな情熱が27歳になると消えてしまう。
だから、ある時点でこう言うわけだ。「おいおい、ついにここまで来ちまったから、このことにはもう触れられないな」って。そして、やめちゃうのかな、きっと。ブルース・スプリングスティーンのような人は、明らかに、自分は一般人と変わらないと見せる努力をしないことに一生懸命なんだ。それってある意味で清々しく見えるね。

―最近の生活は以前よりも正常になりましたか?

ここ一年に関しては、これまで以上に深い悲しみを感じた。カートの死も影響していたね。あれは、自分が生きている世界の本物の悲しみを僕に感じさせたよ。

―カートとは親しかったのですか?

いや、彼は僕を嫌っていたよ。彼が僕のことをよく知っていたとは言えない。こう言うとみんなの反感を買うかもしれないけど、奇妙な形で僕たちは互いの天敵だった。一つのものの陰と陽って感じ。とても個人的なレベルでね。彼はネガティヴで暗澹たる雰囲気を吐き出していて、俺は現実離れした”君が大好きだ”的な雰囲気を吐き出していた。僕が彼と同じレベルだと思わない人もいるって知っているけど、彼との間には奇妙な同族関係があるんだよ。特に成長と孤独という点でね。僕が自分でも何を言っているのか分かっていないと、みんな言うだろう。でも、カートの奥さんとは友達だ。本物の人間をちゃんと把握しているよ。

―現在のミュージシャンは今という時代を代弁していると思いますか?

今のこの時期は、将来的に重要な分岐点と捉えられると思う。

―この流れが今後10年続いて、2000年まで持つと思いますか?

それはどうだろう。確かに今後10年、15年続きそうな才能を持った人が一握りはいる。でも、彼らがそれだけ長い間続けるだけの度胸と根性を持っているかは、また別の話だ。そうだな、ある時点で、クリス・コーネルがスクリーマーじゃなくなる、みたいな。もしくは、トレント・レズナーが網タイツをはいた怒れる男になれない、みたいな。それでも彼らは音楽を続けるかと聞かれたら、僕の答えは、彼らには確実に才能がある、だな。

―40歳の自分は何をしていると思いますか?

その前に死ぬんじゃないかな(笑)。これって、かなりパンクロック的発言だよね。どうなんだろう。そんなこと、考えたこともないから。ローリング・ストーンズを見て、彼らはこれまで5回人生を生きているってわかるだろう。きっと、最近少しずつ見えるようになったと思うけど、彼らはマジで5回も人生を生きてきた。変な考え方だろうけど、音楽というゲーム、キャリア、愚かさに深く入り込むと、過去と未来という概念が乖離して見えるようになる。だから、40歳で何をしているかという考え方は……僕はこの先5カ月生きていられればいいよ。
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