「私が生きてきた41年間において、現在ほど即興音楽のシーンが刺激的だったことはありません」ジャズ評論家のネイト・チネンは本誌にそう語った。
熱心なリスナーでなくとも、そのシーンの盛り上がりには気づいているに違いない。カマシ・ワシントン、エスペランサ・スポルディングに代表されるクロスオーバー系のアーティストたちはもちろん、ピアニストのヴィジェイ・アイヤーやギタリストのメアリー・ハルヴォーソンなど、独創的なプレイヤーたちもメインストリーム級の注目を集めている。一方でサンダーキャットやロバート・グラスパー、テラス・マーティン、クリスチャン・スコットなどは、ヒップホップやR&B、そしてエレクトロニカの要素を持ち込むことで、長い歴史を誇るジャズの魅力を若い世代に伝えてみせた。ニューオーリンズ・ジャズの若き伝道師ジョン・バティステは、週5日放送されているスティーヴン・コルベアの人気トーク番組のハウスバンドを率いている。これらは現在のジャズのシーンの盛り上がりを示す一例に過ぎない。その勢いはどのようにして生まれたのか?
8月14日に発売されたチネンの著書『Playing Changes: Jazz for the New Century』は、現在に至るまでのジャズの歴史を見事に包括してみせる。スポルディングやアイヤー、ハルヴォーソンといった若手アーティストたちから、ピアニストのブラッド・メルドーやジェイソン・モラン、サックス奏者のスティーヴ・コールマンまでに言及しながら、『Playing Changes』は屈強で多様な現在のシーンの動向とコンセプトを分析する。

チネンは同書の冒頭で、ジャズの歴史とマスカルチャーの複雑な関係性を紐解くべく、トランペッターのウィントン・マルサリス(リンカーン・センターでジャズ部門のアーティスティック・ディレクターを務める)とワシントンを比較してみせる。「Learning Jazz」と題された章では、R&Bの伝道師ディアンジェロ、ヒップホップ界の伝説J・ディラ、その盟友であるソウルクエリアンズに言及しながら、ジャズを糧に育まれてきたスタイルの影響力について考察する。さらにアヴァンギャルド界の開拓者ジョン・ゾーン、ポストモダン・ピアノ・トリオのバッド・プラス、21世紀のフュージョン界を牽引するスナーキー・パピー、頭角を現しつつあるイギリスのサックス奏者シャバカ・ハッチングス、唯一無二のスタイルを誇るシカゴ出身ドラマーのマカヤ・マクレイヴンなどを例に挙げながら、同書はジャズという音楽を多角的に捉えようとする。
ネイト・チネンが自ら作成した『Playing Changes』のためのプレイリスト
ニューアークに拠点を置くジャズ専門のラジオ局、WBGOでコンテンツ・ディレクターを務めるチネンは、まだ発展途上にあるそのシーンを誰よりも知る人物の一人だ。
カマシ・ワシントンの存在感、ケンドリック・ラマーとジャズの邂逅
ーこの上ないタイミングで実現したケンドリック・ラマーとのコラボレーション※や、評論家たちによる批判についても言及しながら、あなたはカマシ・ワシントンの躍進を正確かつ慎重に考察されています。彼に対して好意的でない人々も、その快進撃から何かを学びつつあると思いますか?
※カマシやグラスパー、サンダーキャットなど多くのジャズ・ミュージシャンが参加した、ケンドリックの2015年作『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のこと
チネン:特筆すべきことがいくつかあります。カマシはバンドの存在感、技術、イメージ、その全てを磨く方法を熟知しています。彼は一流のサックスプレイヤーであると同時に、極めて優れたバンドリーダーでもある。(彼のアンサンブルである)ザ・ネクスト・ステップの一体感には目を見張るものがあります。またあらゆる発言や行動に、彼の揺るぎない信念が宿っているんです。その前向きな姿勢はオーディエンスを惹きつけ、両者の間に仲間意識を生んでいます。
彼のバンドメンバーたちは、音楽に対する情熱で分かち難く結びついています。ジャズには知的、洗練、そして難解というイメージがつきまといますが、彼らがもたらすカタルシスはそういったものをすべて無効化します。彼らはインディーロック、エレクトロニック、あるいはヒップホップなど、あらゆるタイプのフェスティバルにフィットします。
他のジャズのアーティストに比べて、彼はイメージ戦略やブランディングの面においても非常に意識的です。ブレインフィーダーのアーティスト、あるいは仕事を共にしたポップアクトたちとの交流の中で、彼は神秘性が大きな武器となることを学び、そのミステリアスな魅力を育んでいきました。パフォーマーとして圧倒的なカリスマ性を誇る彼には、もともとある種のオーラが備わっていたことも事実です。彼がステージに姿を見せるだけで、オーディエンスはその存在感に圧倒されるはずです。私はその点に、彼と(サックス奏者の)チャールズ・ロイドの接点を見出しています。両者は多くの点で異なっていますが、フロントマンとしての存在感とカリスマ性は共通しています。60年代から現在に至るまで、チャールズ・ロイドがそれを失ったことはありません。カマシ・ワシントンもそういった存在なのです。
ー同書における章のひとつでは、ソウルクエリアンズが残した功績と、ジャズとヒップホップとR&Bを融合させるロバート・グラスパーのような存在を結びつけています。彼やテラス・マーティンなどが追求するジャズとヒップホップの異種交配は、当時のネオ・ソウル系のシーンに端を発しているとお考えでしょうか?
チネン:そこにルーツがあるとは断言しませんが、ネオ・ソウル系のアーティストたちがそういったフュージョンの先駆者であることは確かです。
あれから何年も経ち、ミュージシャンたちはそういった音楽のリズム感を研究し、体得していきました。それらを最大限に活用したのはジャズのミュージシャンたちで、彼らは身につけた技術を自らのスタイルに落とし込んでいきました。J・ディラのプロダクションと、(ジャズドラム界の巨人である)トニー・ウィリアムスやエルヴィン・ジョーンズのスタイルを同じ目線で捉えるそういった世代のミュージシャンたちは、極めてユニークなリズム感を身につけています。
デヴィッド・ボウイの遺作、シーンとかけ離れた『ラ・ラ・ランド』の描写
ー同書で取り上げられているダニー・マッキャスリンのカルテットは、デヴィッド・ボウイの遺作『★(ブラックスター)』を彼と共にレコーディングしています。ボウイがニューヨークの55バーで彼らの演奏を目にしたというエピソードは広く知られていますが、彼はバンドのどういった部分に魅力を感じたのだと思いますか?
チネン:『★』が世に出る前に、バンドのメンバー全員と(ボウイと長年タッグを組んできたプロデューサーの)トニー・ヴィスコンティと話す機会があったんです。トニーはデヴィッドのことを最もよく知る人物のひとりですが、彼曰くボウイはバンドのエネルギー、そして一体感を気に入っていたようです。ボウイはアルバム制作に着手する前に、ダニー・マッキャスリン・カルテットの『Casting For Gravity』と、(マッキャスリン・カルテットのドラマー)マーク・ジュリアナの『Beat Music』を聴いておくようトニーに指示し、こう語ったそうです。「彼らがどのように音を鳴らすのかを、頭に叩き込んでおいてくれ。このアルバムでやろうとしているのはそういうことなんだ」
デヴィッド・ボウイは極めて優れた耳の持ち主であり、バンドのメカニズムをよく理解していました。マッキャスリンのバンドが持つ何かに、彼の嗅覚が反応したのでしょう。優れたロックのミュージシャンがジャズをやる場合と、優れたジャズのミュージシャンがロックをやる場合では、テンションが全く異なるとトニーは語っていました。彼らは求めるサウンドについて、はっきりとしたイメージを持っていたんです。
『★』はジャズではないけれど、あのアルバムはマッキャスリンたちなしでは生まれなかったはずです。あの作品には、実に多様な音楽の要素が混在しています。レコーディング中、メンバーの誰ひとりとして「これはジャズか否か?」などと考えはしなかったでしょう。
ー本書の前半で、あなたは『ラ・ラ・ランド』と『サタデー・ナイト・ライブ』でのライアン・ゴスリングによるモノローグについて言及しつつ、ジャズを忌まわしきクリシェから「救わねばならない」と主張されています。あの映画はジャズに対する世間一般のイメージを向上させたのか、それとも捻じ曲げてしまったのか、どちらだとお考えですか?
チネン:一概にどちらとは言えないと思います。あの映画を通じて、多くの人々がジャズを身近に感じたのはいいことです。しかしあの映画で描かれているジャズのイメージはあまりに古典的で、現実のそれとはあまりにかけ離れていました。
業界側のメカニズムの改善も含め、ジャズが様々な面でサポートを必要としていることは事実です。難しい状況に置かれているのはジャズだけではありません。メインストリームの食い物にされないよう、我々は自分たちのカルチャーを守っていく義務があります。あの映画で描かれていたジャズのイメージは極めて保守的で、シーンの現状がまるで反映されていませんでした。ジャズのファンの大半は、あの作品に良い印象を持っていないでしょう。たかが映画なんだし気にする必要はないとする人もいますが、私はそうは思っていません。ジャズがあれだけの規模で注目を浴びる機会など、そうはやって来ないのですから。
21世紀における、ジャズと政治の新たな関係
ー同書は1980年代におけるウィントン・マルサリスの台頭を「レーガン時代のジャズ革命」と形容した、作家のデヴィッド・ハジューに言及しています。以降、ジャズはどういった形で政治と関わってきたのでしょうか?
チネン:本書は主にクリントン期からオバマ期、そしてトランプ政権初期のシーンを取り上げています。政治的背景について言及している部分は多くありませんが、本書の主なトピックであるカルチャーは、いつの時代も政治情勢を反映する鏡の役割を果たしてきました。特にオバマ期のレトリックと野心は、ジャズの美学と共鳴する部分が少なくありませんでした。(2016年の)国際ジャズ・デーに、オバマ元大統領がホワイトハウスで披露したスピーチは非常に印象的でした。異文化に目を向け、交流によって相互に成長していくという、バラク・オバマが実践したいちアメリカ国民としての姿勢は、ジャズという文化、そしてそこに生きる人々の価値観と見事にシンクロしていました。
現在の政治情勢がジャズのシーンにどういった影響をもたらすのか、それを見極めるにはまだ時間が必要です。しかしツアーに出るミュージシャンが入出国に関して思わぬトラブルを経験するなど、日常レベルで既に影響が現れ始めていることは事実です。人種などによって人々を隔てようとする動きは、寛容でコスモポリタンなアートフォームであるジャズの対極にあるものです。オバマ政権期だけでなく、部分的であれクリントン政権期にも、そういったジャズの美学に通じる価値観が存在していました。
(作家であり知識人の)アルバート・マレーに大きく影響されたウィントン・マルサリスから、彼が指揮を執る組織Jazz at Lincoln Centerに至るまで、ジャズの根本には民主主義に基づくアメリカ的価値観があります。それは現在も健在ですが、15年前に比べると少し影を潜めてしまっているのは事実です。その理由のひとつは、ジャズのそういった価値観が世に受け入れられるようになったためです。ケン・バーンズの『Jazz』(マルサリスがシニア・クリエイティブ・コンサルタントを務めたドキュメンタリー)は、その決定打となった作品でした。それでも現在のシーンの特徴や、活躍するミュージシャンたちのバックグラウンドに目を向ければ、ジャズが真にグローバルな音楽であることは明らかです。ユネスコのアンバサダーとなったハービー・ハンコックは、公の場でこれまでに何度もその点を強調しています。今やジャズはアメリカだけのものではないのです。
ードナルド・トランプが舵をとる今日のアメリカでは、ミュージシャンたちが現在の政治情勢に異を唱えることをまるで義務のように感じている節があります。
確かにそういうミュージシャンもいるでしょう。中にはそれが求心力に繋がっている人々もいます。ヴィジェイ・アイヤーや(トランペッターの)デイヴ・ダグラスは、ブッシュ政権を声高に批判していました。クリスチャン・スコットも政治意識の高いミュージシャンのひとりです。
しかし、すべてが政治に起因しているわけではありません。たとえば警察による暴力の問題は、オバマ政権期に深刻化しました。現在の頼りない司法制度のせいで、あの問題は完全に政治と結びつけられてしまっています。しかし(トランペッターの)テレンス・ブランチャードやクリスチャン・スコットなどが主張しているように、警察の暴力の犠牲者となるのが常に有色人種であることを考えれば、それは政治よりもむしろ文化における問題なのです。トランプ政権に対する批判的なムードが、ジャズのシーンに明確な変化をもたらしているとは思いません。しかし今後、そういった姿勢をはっきりと示すアーティストたちは増えていくでしょう。
#MeTooムーヴメントを通過した現代における、女性アーティストたちのあり方
ー本書はセシル・マクロリン・サルヴァント、エスペランサ・スポルディング、メアリー・ハルヴォーソンなど、現在のシーンを代表する女性アーティストたちを取り上げています。#MeTooムーヴメントを通過した現代において、ジャズにおける女性アーティストたちのあり方はどう変わりつつあると思いますか?
ジャズに限ったことではありませんが、#MeTooムーヴメントはシーンを大きく揺さぶりました。ジャズの教育機関は非常にパーソナルで、優れた教育を受けようとする生徒は、閉ざされた空間で講師と2人きりの時間を過ごすことを余儀なくされますが、そういう状況ではセクハラやパワハラの問題が発生しやすくなります。生徒の講師に対する信頼につけこもうとする、そういう人物はやはり存在するのです。現在様々な機関が、そういったケースを未然に防ぐ方法を模索していますが、この問題は極めて複雑で、抜本的な解決策が講じられるのはしばらく先になるでしょう。目の届かないところで性差別や偏見は確かに存在しており、与えられるべき機会が奪われてしまっています。
ジャズの世界には明るい兆しも見られます。現在シーンには、驚くべき才能をもった女性アーティストが次々に登場しています。かつて女性アーティストは「女にしては悪くない」などと評されることが少なくありませんでしたが、彼女たちにはそういう人々を黙らせる問答無用の実力があります。女性アーティストに対する偏見は、つい最近まで社会の隅々にはびこっていました。Times Upや#MeTooムーヴメントは、「もう我慢の限界」という女性たちの思いを体現しているんです。
ー本書は『エクスポージャー』のレコーディング過程を生放送したスポルディングや、同じく作品の制作過程をドキュメンタリータッチで綴ったスナーキー・パピーに言及しています。現代のアーティストたちはメディアを積極的に活用することで、ジャズに対するどこか硬派なイメージを変えつつあるように思います。
ジャズは至近距離で楽しむのが一番だという点は、今も昔も変わりません。ここでいう「ジャズ」とは、優れたミュージシャンたちの相互作用による即興演奏を伴う音楽のことを指しています。エスペランサの『エクスポージャー』プロジェクトや、スナーキー・パピーのオンラインドキュメンタリー、あるいはジェイコブ・コリアーがやっていることは、自宅でゆっくりと楽しんでもらうためのものです。安っぽく見えないよう工夫しつつ、作品の制作過程をファンに見てもらうことで、自分たちの音楽をより深くしてもらおうというわけです。彼らのプロジェクトは大きな話題となりましたが、それはオーディエンスが彼らの音楽に反応したからに他なりません。
ー10年後に『Playing Changes』のアニバーサリー版が出ることになれば、あなたは新たに前書きを寄せることになると思いますが、どういった内容を記すことになればいいと考えていますか?
現在盛り上がりを見せているロンドンのシーンがどこに向かったのか、ということですね。(サックス奏者の)ヌビア・ガルシアや、(ドラマーの)ユセフ・デイズがどういう存在になっているのか、個人的にもとても興味があります。シーンに登場したばかりの彼らの動向を追うがあまり、締め切りに遅れそうになりましたからね。
同シーンで特に注目しているのは、シャバカ・ハッチングスです。音源とライブの両方で抜きん出た実力を示している彼は、まさにシーンをリードする存在です。(ニューヨークで開催された)去年のWinter Jazzfestで観たガルシアのライブも素晴らしかった。情熱的な演奏はもちろんのこと、カリスマ性や存在感など、彼女はバンドリーダーに不可欠な要素をすべて備えています。ハッチングスがそのリズム感でオーディエンスを熱狂させるエンターテイナーだとしたら、ガルシアはより伝統的なジャズミュージシャンということになるでしょう。どちらも稀有な才能を持った、既存の枠に当てはめることのできないユニークな存在です。アニバーサリー版が出る際には、彼らがここからどこに向かったのかを記すことになるでしょう。
またアヴァンギャルドなジャズとポストクラシカルを結びつける(マルチ奏者で作曲家の)、タイショーン・ソーリーやヴィジェイ・アイヤーの動向にも注目しています。現在のシーンには、70年代や80年代には見られなかった勢いがあります。それはまだ始まったばかりで、タイショーンをはじめとする若いアーティストたちは、きっとこれから素晴らしい活躍を見せてくれるでしょう。