ザ・ローリング・ストーンズは月曜日、2019年『ノー・フィルター』全米ツアーの日程を発表した。発表前から何か月も噂になっており、ストーンズ自身もおなじみベロマークを全米中のスタジアムに張り出すなどして、人々の憶測を煽っていた。今回のツアーは今までのような長丁場ではなく、13か所を回るのみ。道中ドラマーの78歳の誕生日が控えているので、張り切りすぎないほうがいいだろう。
2012年、5年間の沈黙を経て再結成を果たして以来、ストーンズは毎年必ずツアーを行っている。彼らの復活は2012年10月、ものは試しにという形で行われた。肩慣らしにフランスで2公演、その後ロンドンのO2アリーナで2公演。さらにブルックリンとニューアークでそれぞれ1回ずつコンサートを行った。バンド結成50周年でもあったことから、元ギタリストのミック・テイラーと、元ベーシストのビル・ワイマンをゲストに迎えることにした。珍しく感傷的になったのか、あるいは途方もないチケット料金を正当化しようとしたのか、いずれにしてもストーンズのファンにとっては一大事件だった。テイラーとは1981年カンザスシティーのコンサートで一度共演していたが、ビル・ワイマンとの共演は1990年以来初めてだったからだ。
ワイマンは当初、かつてのバンド仲間と一緒に演奏できることを楽しみにしていた。
「奴らはそれ以上やらせてくれなかった」と、2013年BBCのインタビューでワイマンはこう言った。「多分、俺が脱退したことに対する仕返しだったんだと思う。俺はもっと演奏するつもりでいたんだが、奴らは『2曲演奏してくれればいいんだ』って言ってきた。どの曲を演奏するかは最後の最後まで教えてくれなかった。俺が『サウンドチェックとかやってないぜ』って言うと、奴らは『大丈夫、お前なら大丈夫』って言う始末さ」
ミック・テイラーが演奏させてもらえたのは、「ミッドナイト・ランブラー」の1曲だけ。それでも彼は、バンドと一緒にアメリカにわたり、ニューヨーク公演とニュージャージー公演をやりたがっていた。
ミック・テイラーは2013年から2014年にかけてバンドとともにツアーを回り、バンドも徐々に「スウェイ」「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」そしてフィナーレ「サティスファクション」などの演奏を彼に任せるようになっていった。だがビル・ワイマンは、ロンドン公演以降一度も姿を現していない。この先も復活するつもりはないようだ。「あれは1回限りだ」と本人。「たったの5分間だぜ。
だがその数年後、ワイマンはその友情を危機に陥らせた。ミック・ジャガーとキース・リチャーズとの偶然の出会いから、のちにローリング・ストーンズ結成へと至ることになったダートフォード駅に、記念の銘が掲げられることになったのだが、ワイマンはClash Music誌とのインタビューで不満を漏らした。もともとバンドを立ち上げたのはブライアン・ジョーンズで、彼がミックとキースを引き入れたという事実が覆い隠されてしまっったかのように感じたのだ。「これは間違ってる。俺はこういうのが大嫌いなんだ、みんな自分の都合のいいように歴史を変えちまう」と本人。「絶対におかしい。ガタイのいい奴を2~3人引き連れて、銘板を引っ剥がして、電車でロンドンに戻ってこようかとも考えた。今でもやってやろうかと本気で考えてる。だって、こんなの絶対おかしいぜ」
こっそり銘板をはがすというワイマンの脅しは冗談のつもりだったとしても、ミックとキースには通じなかったようだ。「ミックがある日俺のところに来て、『おい、このたわごとどう思う?』って訊いてきた」と、リチャーズはエスクァイア誌に語った。「ビルは変わり者で、おかしな野郎だったけど、なぜあんなコメントをしたんだろうな。
現在は両サイドともにわだかまりはなさそうだが、2019年のストーンズのツアーにワイマンが同行するとは期待しないほうがいい。だが少なくとも、銘板はいまもダートフォード駅にそのまま残っている。少なくとも今のところはまだ、ワイマンと彼のいかつい仲間たちは銘板をはがすには至っていない。