俳優の浅野忠信(Vo)が率いる4人組ロックバンド、SODA!をプロインタビュアーの吉田豪が直撃。メンバーの高松優(Gt)、松丸裕二(Ba)、村山尚也(Dr)も交え、通算5作目となるニューアルバム『MELODY!』や、浅野の音楽/人生観を掘り下げてもらった。


─御無沙汰してます! 浅野さんと最後にお会いしたのは18年前なんですよね。趣味が近そうなんで、ボクのオススメ漫画を貸すというのが企画になったりして。

浅野:『ばらの坂道』とか。

─そうそう、ジョージ秋山先生のレア作品とかお貸しして。

浅野:「きちがいだから、きちがいだから」ってページがあるんですよね(笑)。

─完全にどうかしてる大好きな作品です(笑)。それっきり接点もないままだったんですけど、SODA!のメンバーの方々と会うのは初めてなので、浅野さんから紹介してもらえますか?

浅野:僕はずっと横浜で生まれ育って。磯子高校っていうローカルな高校に通っていて、その隣に釜利谷高校っていうのがあったんですよ。当時はバンドブームじゃないですか。僕もそうだし、釜利谷に通っていた彼(松丸)もバンドをやってて。そのへんの地域の学校はよく一緒に対バンイベントをやってたので、そこから今のバンド仲間とも知り合って、一緒によく遊ぶようになると。

松丸:それで一緒にバンドをやることになって。


浅野:SAFARIっていうバンドをこの3人(浅野、松丸、高松)とブライアン・バートンルイスでずーっとやってたんですけど、その流れでファンクバンドもやろうとなり、この2人に声をかけて組んだのがSODA!。あと、SAFARIとして対バンツアーを回ってたときに、COKEHEAD HIPSTERSのメンバーでLO-LITEというバンドもやってた村山と意気投合して。彼にドラムをお願いしました。

─じゃあ横浜のハードコア仲間な感じだったんですか? PILE DRIVER周辺というか。

浅野:そうですね、まさに!

─浅野さんが組んでいたPEACE PILLは、ボクもCDを結構買ってて。

浅野:ありがとうございます!

─その頃から浅野さんの音楽活動は、基本的に難解なことをやってるイメージだったんですよ。

浅野:ハハハハハハ!

─で、SODA!もいわゆるハードコアな方々との対バンが多いから、そういう音かと思ったら全然違うじゃないですか。

浅野:そうなんですよ。そっち経由の話で言うと、当時それこそPILE DRIVERとかとつるんでた頃、新宿アンチノックにTHE FOOLSが出たんですよ。THE FOOLSってハードコア周辺の人からすると、やっぱりサウンドはロックじゃないですか。それを観た時に、「ハードコアと同等のパワーで、ロックンロールバンドをやってる人がいる!」と衝撃を受けて。

─ハードコアを通過したロックンロールなんですよね。


浅野:「あっ、こういう事できるんだ!」と思って。あの人たちとやるには、対等のエネルギーを出さないと認めてもらえないんで。そういう意味では、SODA!はそこをかなり意識してます。ハードコアとかパンクっていうものをサウンドの面で打ち出すんじゃなくて、フィーリングの部分で同等のエナジーで立ち向かって、一緒にやるっていうのは重要でしたね。

THE FOOLSが2015年に発表した未発表ライブ音源&映像集『On The Eve Of The Weed War』トレイラー映像

─THE FOOLSはハードコアと対バンやっても、本当に何の違和感もないバンドですよね。

浅野:バッリバリですもんね。

─ハードコアと同等の不良の匂いもするバンドですからね。これは勝てない!っていう悪い空気が出ていて(笑)。

浅野:実際、悪い人たちでしたしね(笑)。何人も亡くなっちゃってるし。

─そこが発端だったんですね。

浅野:あの衝撃はデカかったです。
パンクとかハードコアをそれっぽいファッションやサウンドでやるのは、まあ楽しみやすいとは思うんですけど。そうじゃない形であのシーンでやるとなったら、それ相応でいかないと食らっちゃうんで。

─SODA!でハードコアの方々と対バンしても、違和感はそんなに出ないですか?

浅野:おかげさまで、いい意味で揉まれてきたっていうか。今はもう抜けたんですけど、KATSUTAさん(元鉄アレイ~元EXTINCT GOVERNMENT)とバンドをやってたこともあるので。

─Rのことですよね。すごいことになってるなーと思ってました(笑)。

浅野:そこから、SODA!もKATSUTAさんの「KAPPUNK」に呼んでもらって。こっちのエネルギーがピュアだから、パンクの人も喜んでくれるんですよね。そうするとやり方もわかったというか。やっぱ、動じないことが大事だったんだなって。そこからは全然大丈夫です。

─俳優の世界で、ここまで日本のハードコア的なシーンに足を突っ込んでる人もいないですよね。


浅野:いやー、突っ込まない方がいいと思いますよ(笑)。もしアドバイスするとしたら。

─そうなんですか!

浅野:余計なところに顔出さないほうがいい(笑)。面白いけど、見ての通り不良ばっかりですし。

─でも、そこでもうまくやれてる訳じゃないですか?

浅野:本当にみんな最高ですし。ただ、みなさんクセがありますから(笑)。

─知らずに接したらヤケドする可能性が大っていう(笑)。18年前の時点から、浅野さんはパンクな匂いを出し始めていて、そこを面白がってボクも会いに行ってたわけですけど。その頃から今までブレないですよね。

浅野:そうですかね(苦笑)。磯子高校、釜利谷高校っていうのは、その地域でまあ、一番アタマの悪い学校だったわけですよ。まあ、釜利谷の方が悪いんだけど……。


松丸:いやいやいや! トントン、大差ない(笑)。

浅野:そこの出身なんで、ほかのことにアタマが回らなかったんだなって。オトナになって気づきましたね。知らぬが仏というか、知らないから突っ走れたんだなーみたいな。

浅野忠信率いるSODA!を吉田豪が直撃「バンドの運気が上昇している」

SODA!、左から浅野忠信、高松優、村山尚也、松丸裕二

─メンバーの方から見て、当時の浅野さんはどんな感じだったんですか?

松丸:こんな感じです。全然変わんないですね。背がもっと低かったくらい。

─浅野さんのブレイクダンス時代から知ってるんですか? 

松丸:さすがに小学生のときは知らないですけど(笑)。横浜にジーン・ジニーというライブハウスがあって。ちょうどイカ天ブームの頃だから、高校に上がってバンドやってる奴らがうじゃうじゃいたんです。で、遊びに行ったらそこにいたっていう。みんなブルーハーツやBOØWY、ジュンスカとかのコピーやってて。


─浅野さんのジュンスカのコピーバンド時代を知ってるんですね!

松丸:それはもう、彼の1stライブを観てますから(笑)。

浅野:BOØWYをやってたのは僕らではないですけど、イキがってましたねー。

松丸:服装も変わんないよね。「まだそれ着てるの!?」みたいなTシャツ着てますから。

浅野:今日の革ジャンも、小学生の頃から着てますからね(笑)。その当時、横浜のビブレにあったオクトパスアーミーって古着屋で買ったバッヂがまだ付いてる。

松丸:そういう意味で、全然変わんない。

─お母さんが買ってきたラバーソウルを履いてた時代から(笑)。

浅野:もう、当時からずっと履いてますね。ドクターマーチンも未だに買い替えて履いてる(笑)。

松丸:『青春デンデケデケ』を観るくらいまでは、彼を役者として見てなかったから(笑)。やってるというのは聞いてましたけど、俺らが集まってもバンドの話かくだらない話しかしないし。

─その頃はまだ、俳優業へのやる気もなかったんですよね?

浅野:当時は恥ずかしかったんですよ。中学の時に『金八先生』出たあと、高校に入ると「『金八先生』に出てた奴がいる!」みたいな感じで、人によっては「金八」って呼んできたりするわけですよ。そうやって「テレビに出てる奴」扱いされるうち、どんどんこじれてしまって。しかも、僕ちょっと外人の血が入ってて髪の毛が茶色かったので、よくわかってない奴は「金髪」って呼んでくる(笑)。「金八~」「金髪~」って。

一元ネタも知らずにいじられて(笑)。

浅野:で、だんだん仲良くなってくると「男優やってるんだろ?」と言ってくる奴も出てきて(笑)。AVじゃないんだよ、せめて「俳優」と呼んでくれと。

一それは俳優よりもバンドやらなきゃと思いそうな環境ですよね。

浅野:それこそイカ天ブームだったし、暴走族がラバーソウルを履いてる時代でしたから。パンチパーマにラバーソウルを合わせたりして、今思えば凄かったですよね。特攻服をよく見たら「暴威」と書いてあったり(笑)。

一あの頃の不良は、漢字の「暴威」を書きがちでした!

浅野:そうそう、メジャーデビューする前のBOØWYですよね。

一その頃からの付き合いが、今もこうして続いてるんですね。

浅野:まあ、なかには逃亡して九州で焚火やってるのもいますけど。

松丸:いるね(苦笑)。

浅野:PEACE PILLで高校の頃からやってたメンバーが、いつの間にか宮崎のほうに消えて、焚火ばかりやってるみたいなんです。もしかしたら、家がないんじゃないかって(笑)。キャンプにハマってるふりして、野宿生活してるのかもしれない。なんか怪しいんですよ。

松丸:ほぼ毎日、テント張ってるっぽいしね(笑)。

一そのPEACE PILLは、難解な音楽性だったわけですけど。

浅野:でも、最初はパンクだったんですよ。それがデビューアルバムでオルタナじゃないけど、そういうサウンドになるんですよね。やっぱりロックが好きでしたし、新しいことやってるバンドがいるなかで、自分たちもそういうところに目を向けたかった。PEACE PILLはパンクサウンドじゃないから、違和感を覚えた人もいたと思うんですけど、いち早くそこから抜けたかったというか。

一新しいアルバムが出るたび、不思議なことやってるなーと確認する感じでした。

浅野:今もやりたいんですけど、メンバーが宮崎にいるんで(笑)。

一そこから考えたら、SODA!は本当にポップだと思いますよ。すごくわかりやすい、地上波でもやれる音楽をやってるっていう。

浅野:実際、『スッキリ!』にも出ましたし。僕の家って、加藤(浩次)さんのご自宅の向かいにあるマンションで。6階に住んでるから。加藤さんの家が見下ろせるんです。「あ、ハイヤーが迎えに来てる!」「奥さん美人だな~」とか(笑)。

一素朴な疑問なんですけど、バンドで成功したいっていう気持ちはどれくらいあるんですか?

浅野:いやー、成功したいですね。SODA!で1stアルバム(2014年作『抱きしめたい!』)を出して、ライブをやったことで、今までにない感触を得たというか。僕らの音楽を「楽しい」という人がいて、お客さんともピュアで気持ちいいやり取りができたんですよ。だから、これがもっと広がればいいなって思ったんですね。

一その可能性が見えてきた。

浅野:PEACE PILLをやってた頃とかは、「俳優」っていう手段は使わなかった。できるだけ別物と考えてほしかったんです。でも、SODA!においてはその手段を大いに使おうと。イチイチ切り離すのもウソになると思ってたし、だからこそ『スッキリ!』にも出たんですけど。

一最近も俳優仲間が集まる対バンイベントに、SODA!で出演されたんですよね?

浅野:そうなんですよ。もともとは窪塚洋介くんと映画『沈黙-サイレンス-』で一緒になったときに、「俳優で音楽やってる人がたくさんいるから、俳優だけのフェスがあったら面白いよね」と話していて。そしたら、中村獅童さんがいち早く「ACTORS NIGHT」っていうイベントを立ち上げて。「浅野くん、またやるから来てよ~」と誘ってくれて、(今年3月開催の)「ACTORS NIGHT 2019」に出させてもらいました。そんなふうに、われわれ俳優の力をいい方向に使って、音楽をもっと広げていきたいというか。普段の俳優業とは違った面白さを共有できたらいいですよね。

一結局、SODA!は今まで浅野さんがやってたバンドとどうして違うんでしょう?

浅野:まあ、僕のなかでは全部繋がってるんですけどね。PEACE PILLやSAFARIでそれぞれ追求してきたこともそう。あとは英語の勉強も大きかったですね。(俳優として)アメリカに行って、向こうの作品に出るためには英語の勉強をしないといけない。そういう日々の繰り返しが、作曲にも繋がってるんだと思います。普段から海外に行くことが多いので、向こうに機材を持っていって、空いてる時間にひたすら録音するんですよ。僕はテクノもやっていて、YAMAHA QY100を使ってループを作ってるんですけど、毎日いろいろ追求しているうちに、自分はループが好きなんだと気づいて。SAFARIで「ヤダ」って曲を作った時も、ひたすらループで、なおかつそこにメッセージが乗ってて、凄くファンキーになったんです。

一シンプルな歌詞を繰り返して、どんどんグルーヴを作っていったりで。

浅野:そうですね。そこから、SODA!で最初のほうに作った「GET POWER!」や「FUNK PUNK YEAH!」みたいなアイディアも出てきて。いろいろ追及してきた結果、今までどこか表面的にやってたものが、もっと自分の内面に寄せて作れるようになったんです。そうなると物凄く楽しいし、どんどんエネルギーが広がっていくんですよね。内面から生まれるものだから、隠すこともないし、恥ずかしがる必要もない。だから今は、「俳優で音楽やってます」って堂々と言えるようになったのかなと。

一いままで言えなかったのはなんだったんですかね?

浅野:俳優のほうは(昔から)天邪鬼にできてたと思うんですけど、ロックとかバンドに対しては憧れがあったんでしょうね。憧れがあると、どうしても真似をしちゃう。やっぱり真似をしているうちは本質的なものにはならないじゃないですか。でも、そうやって真似をし続けたことで、自分の本質に近づくことができたんだと思います。表面的にかっこいいバンドを目指すんじゃなくて、「これが言えればいい」「これを繰り返せばいい」と自分のなかで答えを出せるようになり、それが自信に繋がったと言いますか。

一自分の中で、パンクを表現する仕方が変わってきて。

浅野:そうだと思います。例えばイギー・ポップにしたって、今ではパンクの教祖だと言われてますけど、当時はそんな概念もなかったし、彼自身もそういうつもりでやってたわけではないと言ってますよね。ジョニー・ロットンもそう。周りがそう言ってただけで、自分から「俺がパンクだ!」と言ってたわけではない。そういう事だと思うんですよ。「あの人って俳優だよね」「あの人ってキチガイだよね」っていうのは周りが決めることじゃないですか。その方がよりリアルっていうか。それで言うと、僕はパンクのつもりもないし、ロックのつもりもないし、何でもない。誰かが決めてくれたことでありたいなと。そういうふうに「パンク」と向き合いたいっていうか。周りにもそういう方々が多かったですしね、ハードコアの人しかり。

一そうやってパンクをやり続け、絵もずっと描き続けているのはすごいと思いますよ。最近はTwitterも、ほぼ絵を発表する場になってますよね。最初の展覧会のときは、ここまでちゃんとしたものを描くようになるとは思ってなかったです。

浅野:懲りずにやってこれたなと。やっぱりバンドと一緒で、展覧会を何度かやって人に見られるうちに変わったんだと思います。

一ただ、とあるインタビューで、そういう活動全てに飽きたとか言ってましたよね?

浅野:言いましたね(笑)。ただ最近思うのが、飽きても意外と続けられるんだなって。何事も一辺倒じゃないですから。最初のころは引き出しが少なかったけど、続けるうちにジャンルがどんどん増えていったりとか。絵にしても、万年筆で描くのが飽きたから、絵の具に手を出してみたんですよ。難しいから上手く描けないけど、それはそれで面白くて。だから今は、水彩画にめちゃくちゃハマってますね。飽きたら飽きたで、その次が待ってるというのを体感しています。

一「バンドも飽きた」と言ってましたけど。

浅野:いや~(苦笑)。本当に飽きたり、何も浮かばないな~って思うこともありますし。それでも何かは出てくるんですよね。それこそ、この前にROCKINON JAPANのインタビューを受けてて、いろんな若いバンドの音源を聴かせてもらったんですよ。なんだっけ……有名なバンド、フィッシュマンズじゃなくて……。

村山:あ、サカナクション

一フィッシュ違い!

浅野:魚で覚えてた(笑)。サカナクションとか聴かせてもらったらかっこいいし。そうすると飽きてたはずが、まだ面白いことあるな~って。

一刺激を受けると。

浅野:受けますね。で、自分も真似したくなってくるから、実際に真似するうちに自分のできることをまた見つけたりして。

一俳優業よりこっちが楽しくなってる部分とかもあるんですか?

浅野:やっぱり自分でコントロールできるというか。曲作りやライブにしても、自分で脚本を書いたり監督したりするようなものじゃないですか。誰かに指示されるわけでもなく、自分の好きなように動ける。俳優はもう、台本があって監督やプロデューサーがいて。撮影においても、舞台ではないですから。カットかけられてダメ出しされて、監督の求めるものを表現するときもあるわけで。そりゃ、やっぱり疲れるときもありますね。で、こっちがコミュニケーションしようとしても、その言語が通じない場合があったりすると、相手に合わせていくしかないんですよ。それって結構な労力がいるんですよ。もちろん、そこから得るものも大きいですけどね。

一10代のときバンドで生きようとしていた浅野さんが俳優業を選んだのは絶対に正解だったと思うんですけど、やりながらも迷いとかはあるわけですか?

浅野:うーん……ずっと迷ってたと思いますね。これはどこまで話していいのかわからないけど、父親が捕まったじゃないですか。僕はずっと、父親がいなくなったら自分は俳優を続けるんだろうかって思ってたんですよ。そしたら捕まっていなくなったので、続ける必要もなくなった。

一え!

浅野:で、そのあと僕の彼女が占いの先生と会って、僕の写真を見せたら「この人は(今年の)9月から楽になる、人のために生きなくて良くなる」って言われたらしくて(笑)。

一うわー! 

浅野:意外といいな、それって(笑)。ということはもう、僕は誰かのために俳優をやる必要はなくなるわけですよ。さらに、その先生は「この人は音楽やっていますか?」と聞いてきたそうで、やってますと彼女が答えたら、「11月から音楽で成功します」と言われて。じゃあそっちじゃん!って(笑)。

一バンドの運気がどんどん上昇してきている(笑)。

浅野:そうそう。僕は自分で自分をプロデュースできるタイプじゃないから、流れに任せるしかないんですけど、いい流れが来るかもしれないと思っていて。

一浅野さん、意外と占いは好きなんですよね。

浅野:怖いんですけど、意外と嫌いじゃなくて。実はその日、「一緒に行く?」って僕も誘われてたんですよ。でも、男はやっぱり、ハマっちゃうとそれ無しで生きられなくなるから。いやいや自分は行かない、危ないって。

一危ない(笑)。

浅野:で、その占い師さんが言うには、僕の前世は薬剤師らしいんですよ。「25年間、この人はずっと人のために生きてきた。前世で助けを求めてきた人たち全員を助けきれなかった、それを今世で助けないといけない」と。で、まさに僕は父親と25年間会社をやってきたんですよ。やっと終わる!と思って。

一ダハハハハ! 終わらせたかったんですか?

浅野:違和感がどこかに凄くあったんですよね。去年はもう、ずっと自問自答ですよ。はたして父親がいなかったら俳優をやるんだろうか、まさにこのことを(占い師は)言ってるんじゃないかと。だから、もし続けるとしても、それは自分のためだなと思ったんですよ。そしたら、もっと潔くできる気がするんですよね。背負うものがないんで。

一しいたけ占いも好きなんですよね?

浅野:好きですねえ……(しみじみ)。

松丸:俺めっちゃ見てるよ(笑)。

村山:この人(浅野)、送ってくるんだよ!

浅野:彼女は占いの本もよく買ってくるんですけど、それも見まくって。いいところだけ携帯に全部メモして、落ち込むとそれを見るんですよ(笑)。「2月はいける!」とか。

一でも、最近はきっと大変なんだろうなと思ってましたよ。

浅野:いろんなことがボコボコ起こりましたからね。さっきの先生が「この人は3週間、”俺はもう充分、人のために生きた!”と心の中で思い続けなさい」と言ってたらしいんで、最近は事あるごとにそう唱えてるんです。「俺はもう充分、人のために生きた!」って(笑)。

村山:もうハマってるよね。先生と会わずにこれだから、会ったらもうズッポリじゃない?

浅野:いやそれが、車でドライブしてたら、「ここが先生の東京でのアジトで~」とか彼女が言い出して。言わないでくれよ、なんかあったら行っちゃうじゃん!って(笑)。

松丸:でも、占いは怖いよ。19歳くらいの頃に、中華街に先輩がやってたアクセサリー屋があって、店員が可愛かったからよく遊びに行ってたんですよ。その店の横に、手相占いのおばちゃんがいつもいて。「アンタちょっと来なさい、ヒマだからタダで見てあげるわ」とか言ってくるんですよ。それで手相を見せたら、「う~ん、アンタの人生は40代、50代からだわ。それまで何も無いから好きにやればいい」って。

村山:ハハハハハ!

松丸:野心に満ち溢れた19才に向かって、20年何も無いとか言いやがって。「このババア~、当たるかよ!」と思ったけど、実際その歳になってみると、バンドの調子よくなってきちゃって(笑)。最近、あの日のことをすっげえ思い出すんだよね。

浅野:そのおばちゃんに感謝しないとだね(笑)。

松丸:今年の頭に、神戸までライブに行って。そのとき、30年くらいのバンド人生で初めてローディが付いたんですよ。10代の頃は、バンドといえばローディくらいに思っていて。雑誌とか読んでも、悪いバンドマンの人たちが荷物を運ばせる話が載ってるわけですよ。そんなのまったく縁がないバンド生活が続いていたのに、ここにきてローディが俺たちの機材を運んでくれるんですよ。なんかこう……メッチャいい感じです(笑)。

村山:慣れてないから、まだ不安感があるけどね。「荷物を置いとくだけで持って帰ってくれんの?」って。そんなん任せたことないから(笑)。

一浅野さんが元気そうでよかったです。SODA!の昔の曲で、ドラッグなんていらないみたいな曲があったんで、お父さんが捕まったときはドキドキしてましたよ。

浅野:まあ、僕自身はなんもやらないんで。ジョン・レノンも「現実ってのは、ドラッグとうまくやっていけない人のためにあるんだ」と言ってましたけど、僕はシラフでも楽しいし、クラブで踊るときもそのままでハイになれるので。

一お酒もいらない?

浅野:いらないです。もともと呑めないし、何かの力を借りなくても充分ハイになれますから。

一じゃあ完全に、バンド向いてるんじゃないですか。占いが当たる可能性も……。

浅野:そう、大いにありますよ!

編集協力:小鉄 昇一郎(STUDIO MAV)

浅野忠信率いるSODA!を吉田豪が直撃「バンドの運気が上昇している」

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