多くの意味でニルヴァーナは、初期のビートルズ、70年代のパンク、80年代のオルタナティヴなどの数十年にわたる革新的な音楽の集大成であった。
デイヴ・グロール

Kevin Mazur/Getty Images for SiriusXM
ノヴォセリック・グロール&ザ・バッド・コミュニケーター
最近、1992年にカートがくれた手紙を見つけたんだ。もし家が火事になったりしてそれが燃えてしまったらひどく落ち込むよ。当時、彼と全然話をしていなくて俺抜きで決定されるようなことがいくつかあったから俺は怒っていた。俺が怒っているのを誰かに聞いて彼は手紙を送ってくれたんだ。内容は、心配ない、世間が騒いでいるのもそのうち終わってたぶんピクシーズやソニック・ユースのレベルぐらいに落ち着くだろう、それから、ニルヴァーナを解散してノヴォセリック・グロール&ザ・バッド・コミュニケーター(うまくコミュニケーションが取れないやつ)っていうバンドを始めたいと思っている、というものだった。手紙の最後には、距離をおいてしまっていて申し訳ない、メンバーとして、”兄弟”として、このバンドでのおまえの役割は本当に重要だってことを知っておいてほしい、と書いてあった。最後は…、ただバイバイと締めくくられてあった。でも、それが夜寝る時に頭に浮かんでくるようなもの、俺のビジョンだけじゃなくカートのビジョンも思い出させるものとなったんだ。(2002年)
クリス・ノヴォセリック:

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彼の生き方は「自分自身の世界を作れ」だった
カートは変わったユーモアのセンスを持っていた。怪奇と言ってもいいぐらいのものだね。
コートニー・ラヴ

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愛の歌を聞かせてくれた
青いライトが2つ目の前にあるとそれがカートの目のように見えることがよくあった。本当によくあった。特にストリッパーをしていた時にね。
そのエネルギーは届いているわ。私にはそれがわかる。彼がどこにいたとしても、遺したものがなんであったとしても、それが自我を失った霊的なものとか何であったとしても、彼のエネルギーは私とフランシスの中に凝縮されている。そして、それは彼が世界に与えた影響にも凝縮されているわ。私には、人がステージで見せる人格は本当のその人の人格とは正反対である、という持論があるの。カートの場合、それは「ファックユー!」だった。結局のところ、彼の人生での最大の問題は「ファックユー。ファックユー、コートニー。ファックユー、ゲフィン。
一度だけ彼に私の曲のためのリフをお願いした時、彼はクローゼットの中にいたの。私たちの家には大きなクローゼットがあって、彼がそこで「ハート・シェイプト・ボックス 」を作っているのが聞こえて。彼は5分ほどそれをやっていたわ。コンコン、「何?」「そのリフくれない?」「うるさい!」バシャン、って感じだった。彼はコソコソやってるつもりだったけど下の階でも聞こえたわ。(1994年)
ジョシュ・オム(クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ)

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曲はよりよくなっていた
初めて『ブリーチ』を聞いた時、友達に「俺たちはもっといい曲を作っていかないとだめだ」と言ったのを覚えている。「ネガティヴ・クリープ」と「スクール」と「ラヴ・バズ」を聞いてバンドに3人のシンガーがいると思っていた。俺の頭の中のノートに新しい1ページを追加してくれるような、完全に物の見方を変えてくれるようなものだった。
下火になりかけていた頃、俺はそのシーンに関わり始めていてカートとデイヴとクリスに会った。すべてが大きくなりすぎていることにカートがうんざりしているのを見ていたけど、曲はより辛辣でよりよいものになっていた。有名になったことが明らかに彼を苦しめていて、それが複雑すぎて彼にはどう受け止めていいかわからなかったけど、それによって曲が犠牲になることはなかった。それがすごいところだ。今でも俺はニルヴァーナの曲がかかるといつも「ありがとう!何も心配せずにいられる3分間を与えてくれて」って思っているよ。
リヴァース・クオモ(ウィーザー)

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ノスタルジックで甘く悲痛
ある意味、俺は90年代の1番のニルヴァーナのファンだったと思っている。もちろんそういう人は大量にいると思うけど、とにかく俺は彼らの音楽が本当に好きすぎて気分が悪くなるぐらいだった。胸が張り裂けそうな思いだったんだ。
『ネヴァーマインド』は俺がやりたかったものにとても近いものだと感じた。それはちょうどウィーザーを始めた頃だった。『ネヴァーマインド』からそれを目指す強い影響を受けたということは否定しようのない事実だ。
友達にカートが亡くなったと聞かされた時のことも覚えている。めちゃくちゃショックを受けた。俺だけじゃなくてウィーザーのメンバー全員がね。その後、数週間は他の音楽を聞くことができなかった。ニルヴァーナの音楽ほど嘘のない音楽はなかった。他の音楽にも別の良さを見いだせるということを理解するまでに長い時間がかかったよ。自分の音楽も含めてね。
ジョン・マッコーリー(ディアー・ティック)

Tracy Allison
カートの声は希望をくれた
俺が初めて買ったニルヴァーナのアルバムは『イン・ユーテロ』だった。その時、俺はすごく小さかったと思う、7歳ぐらいかな。そういったものは一度も聞いたことがなかった。ギターを「サーヴ・ザ・サーヴァンツ」で始めて、俺はこのバンドにはずば抜けた何かがあると気づき、それによって自分がギターで何ができるか、そして何をすべきかということについての考えまでも変わったと思う。
それ以降、ニルヴァーナは俺の大好きなバンドだった。高校には全く馴染めず、ニルヴァーナがそれにピッタリのサウンドトラックのような感じだったんだ。カートが死んでから長い時間が経っていたけど、俺は他のあまり学校に馴染んでいないやつらと仲良くなって、そいつらもみんなニルヴァーナが好きだった。俺たちは一緒にマリファナを吸ってギターを弾いて学校をサボっていたんだ。
彼の声にはいつも心を打たれた。しゃがれた声の人はよく聞いたけどカートは別次元だった。小奇麗な声ではなく、彼はどう見てもトレーニングを積んだシンガーでもない。でも、それが俺に希望をくれたんだ。
パティ・スミス

Kevin Mazur/WireImage
子どもたちにニルヴァーナがあってよかった
ニルヴァーナが出てきた時、本当にワクワクしたわ。私は音楽に情熱を注いだりバンドの熱狂的なファンになったりするような時代はもう終わっていたから、自分のためではなくてね。私にはザ・ローリング・ストーンズがあった。だから、子どもたちにニルヴァーナがあってよかった。私はカートの苦悩や私生活のことは何も知らなかった。その作品と情熱を見て私はワクワクしたの。彼の死は私にとってもものすごい衝撃だった。
その日、私たちはレコード店に行って、子どもたちが外で泣いていたのを覚えているわ。どうしていいかわからなくなっていたように見えた。私は(スタートレックの)”最優先指令”を犯してはならないピカード艦長のような気分だったわ。私が何かを言えるような状況ではなくて。でも本当は、彼はあんな選択をしてしまったけど大丈夫よ、って慰めてあげたかったわ。(1996年)
ベサニー・コセンティーノ(ベスト・コースト)

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彼は自分が書きたいを書くことを怖れなかった
私の父はミュージシャンでニルヴァーナが大好きだった。私は「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のミュージック・ビデオをMTVでみて「何これ?どんな音楽なの?」って言ったのを覚えているわ。すごく興味がそそられたの。部屋にカート・コバーンのポスターを、ノー・ダウトとかその頃にハマっていたミュージシャンと一緒に額に入れて飾っていたわ。私の一番好きなアルバムはブリーチ。アグレッシブで怒りがこもっているというか。ニルヴァーナはサイケデリックになる前の初期のビートルズのように、感情や人生で経験してきた状況についての曲を書いていたわ。ニルヴァーナもビートルズもそれをしていた。その方が共感できたし、そういう自分が書きたいことを書いて何を言うのも怖れなかったところが、私がずっと作詞家、作曲家としてカート・コバーンを心から尊敬していたところなの。
イギー・ポップ

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彼は世界の傷に触れた
カート・コバーンの才能に気づくことができただろう。妖精のような歌い方だったが自分に酔った感じでもなく、暴れまわってすべての曲に全力を投じていた。邪悪な小人のように背中を丸めて彼はギターを持っていたが、彼のその声が持つ力は確かなものだった。ライブが終わると彼はドラムに突っ込んだ。私がロックンロールで本当に良かったと言える15ぐらいあるライブのうちの1つだった。
私は『ネヴァーマインド』を買って、「これは本当にすばらしい」と思った。ニルヴァーナは真のダイナミックスを実現していた。オーディエンスを落とすところは落とし、上げるところは上げ、スイッチを入れるとさらなる境地へと連れて行ってくれた。彼らは急ぐことなくロックし、すばらしいメロディを作りつづけた。時代遅れ、ダサい、説得力に欠ける、といったこととは無縁のエモーショナルなサウンドであった。
彼はまるで「ジョニー・B.グッド」だった。彼は私が思いつく限り、小さな田舎町出身の家族のいない貧しい子どもが若者の世界に感情を大きく揺さぶる爆発的な影響を与えるような、ロックンロール界最後の実例だった。そこには飾り立てるメッキのパーツは1つもなく、ルーツに根ざしたとてもシンプルなものであった。どこの誰かもわからなかった誰かが世界に飛び出し影響を与えた。彼は世界の傷に触れたのかもしれない。(2008年)
デイル・クローヴァー(ザ・メルヴィンズ)

Tim Mosenfelder/Getty Images
世紀のシンデレラ・ストーリー
俺たちはアバディーン高校の喫煙所で出会ってすぐに友達になった。同じ音楽のジャンルに興味があったからね。パンクのよさは決まったスタイルがなかったことで、俺たちが惹かれたのはそこなんだと思う。
俺は自分がプレイしたから『ブリーチ』に対して偏見があったと思う。でも、『ネヴァーマインド』は彼らの最高のアルバムだと思う。人々は変わる準備ができていて、彼らはちょうどいいタイミングでちょうどいい場所にいた。世紀のシンデレラ・ストーリーだった。ポップ音楽はずっとゴミみたいなのばっかりだったがたまにそこにすばらしいものが出てくるんだ。俺の意見ではニルヴァーナはそのうちの1つだ。
バズ・オズボーン(ザ・メルヴィンズ)

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カートと俺は話が合った
俺はあの出来事に悩まされている。彼が有名になって死ぬぐらいなら無名のまま生きていてほしかった。この立場にいるのはうれしいことではない。楽しい記憶は1つもなくて、あるのは悲劇的な記憶だけ。曲を最後まで聞いているとすべてが思い出されるんだ。
音楽への愛によって俺たちの仲は深まった。わかっていてほしいのは俺たちが住んでいた場所は相当狂っていたということ。かつて栄えていたが完全に活気を失ってしまった地域に住んでいたんだ。俺たちは俺たちがいいと思う音楽を作り、それによって俺たちの人生は救われ、そして、カートは俺たちと話が合った。
彼らが金を稼いだ上に世界的な現象になったことに俺は感心している。俺もかかわらせてもらったからね。当初から俺の音楽的感覚は間違っていなかったということだし、そこには大きな影響力があったんだ。
クリス・コーネル(サウンドガーデン)

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ロックの本来あるべき形
俺のニルヴァーナについての最初の記憶は、最終的に『ブリーチ』になるデモテープをもらった時のものだ。みんなの反応はすばらしいバンドですごい曲だというものだった。それはアメリカの北西部には疑いようのない特別なものがあることを示唆するものでもあった。
スリー・ピースのバンドがあんなサウンドを生み出せるということを目の当たりにするのは相当衝撃的なことだったし、「フロイド・ザ・バーバー」みたいな曲を作るやつの頭の中がどうなっているか知りたかった。あんな曲の核心となるアイデアはどこから来るのかって。
シアトルのシーンはMTVカルチャーによるものが大きく、ニルヴァーナの見え方や見せ方のおかげで世界中の支持を得るようになった。ロックの世界は、35歳の男たちがヘリコプターでステージに下りてきたり、スーパーモデルと付き合ったり、あえてファンと距離を置くような、快楽主義的なものになっていた。ニルヴァーナは、高校の時の同級生ぐらいの普通の雰囲気でありながら、他のどのバンドよりもはるかにロックしていたし、高いオリジナリティを持っていた。それが彼らの秘密だったんだと思う。それが長い間見過ごされていたロックの本来あるべき形だったんだ。
レジェンドとして語られるべきは彼が自ら命を断ったことではなく、いつだってその曲であるべきだと俺は信じている。
サーストン・ムーア(ソニック・ユース)

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カートはエディ・ヴァン・ヘイレンにキスをしたんだ!
俺たちはニルヴァーナとサンフランシスコのウォーフィールドでライブをした。ギターを繋いだら、最初のコードでカートは客席に飛び込んだんだ。彼はクラウドサーフをしながら曲を弾いていた。客が彼をステージに送り戻したらパッと彼は最初のボーカル・ラインを歌い始めたんだ。「クソ、あんなのに勝てるわけないぜ」と思った。
カートに最後にあったのはロサンゼルスとサンディエゴだった。ニルヴァーナの最後のツアーで俺はその両方のライブに行ったんだ。彼はすごく満足している様子だった。特にロサンゼルスではライブを楽しんでいた。エディ・ヴァン・ヘイレンが来てたからね。面白かったよ。カートがホールを歩いていて「おい、エディ・ヴァン・ヘイレンがおまえの楽屋で人に囲まれてるぞ」って言ったら、カートは「まじかよ!」って本当に興奮していた。カートは楽屋に入ってエディのところに歩いていって彼の口にキスしたんだ。彼は思わずしてしまったんだ。(1994年)
カート・カークウッド(ミート・パペッツ)

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グランドキャニオンを説明するようなもの
なぜニルヴァーナがそんなに重要なものになったのか今でもみんな考えているように思う。いろんな意味で彼らが興味深いものとなったのは、今も変わらないその神秘性によるものだ。みんな今でも頭を掻きながら「あれは何だったんだろう?」って言ってるよ。
音楽界における変な時期だったんだ。ポップやロックにはいろんなことが起こっていたけど、オルタナティヴにすら、ニルヴァーナほどのものは現れていなかった。シアトルのシーンにはいい音楽をやってるいいバンドがたくさんいたけど、ニルヴァーナはとにかく既存の枠組みを超越するような次元の違うバンドだったんだ。パンク・ロックでもヘヴィ・メタルでもなく常に変化するようなものだったんだ。
カートの声は完璧なロックの声だった。無理がなくとてもオープンで、とにかく彼は、生の感情で溢れた、申し分ない男だったんだ。それ以上何を求める?彼の歌と演奏も見るといつも思ったんだ。「これ以上できることなんてあるのか?」って。それは見たことない人に対してグランドキャニオンを説明するようなものなんだ。
ジョン・フォガティ

Chelsea Lauren/WireImage
時が止まったようだ
特定の音楽を好きになるっていうのは不思議なことだ。新しいものを受け入れ、好きになり、自分のものにする。ニルヴァーナは多くの人たちが”自分のもの”にした。まるで永久不滅かのように、まるでずっとそこにあるかのように。『ネヴァーマインド』がいかにすばらしいバンドかを考えると時が止まったような感じに思えてくるんだ。それはもしかしたら私が年を取ったからかもしれない。人は自分の人生や文化にこのような偉大な存在が現れたらそれをありがたく思って見る傾向がある。まるで映画の中で生きてるみたいにね。残念ながら私はニルヴァーナを生で見ることはできなかった。でも時々、スイッチを入れたらカートがまだここにいて、今でもバンドでライブをやってるんじゃないかって気がする時があるんだ。