先日、Showtimeで放送されたウータン・クランの全4話からなるドキュメンタリー『Of Mics and Men』の最終話。その冒頭付近には、歳を重ねて知恵と落ち着きを身につけたメンバーたちが、大きなテーブルを囲んで食事を楽しむシーンがある。


過去3話では、彼らが地元のタレントショーに出演し、ホワイトラベルのアナログ盤を自主流通させ、音楽業界におけるパイオニアとなり、グローバルなスーパースターの座へと上り詰めた軌跡が描かれた。その過程でメンバーたちは、金やエゴ、名声を巡って激しく争い、互いに殺し合う寸前までいったこともあった。しかし同エピソードでは、当然のように議長席についたRZAがメンバーたちを前に、過去を振りかえることの意義について力説する。

「クリシュナもこう説いてる」彼はこう話す。「過去を振り返ることは、祈りを捧げることよりも大切だ」

どこまでも内省的なラッパー兼プロデューサー、そしてウータンの頭脳である彼にとって、グループの歴史を振り返ることは苦痛を伴う行為だった。昨年11月に発売25周年を迎えた1stアルバム『燃えよウータン』がすべてを変えたということについては、当時を経験した人々なら誰もが同意するだろう。人生の大半を有名人として生きてきた現在49歳のRZAだが、グループの歴史の多くはカメラのないところで形成されてきたと認める。

「ウータンのやつらは未だに、相手が実はFBIの潜入捜査官なんじゃないかっていう疑念を持って人と接してる」。彼はローリングストーン誌にそう語っている。しかしようやく、彼らはその波乱万丈の過去について語ることができるようになった。

ヒップホップにおけるベテランジャーナリストから映画監督へと転身した監督のサチャ・ジェンキンスは、2015年作『Fresh Dressed』ではファッションに、2018年作『Word Is Bond』ではリリックに焦点を当てつつ、独自の視点でヒップホップの歴史を描いた。「(RZAは)とても率直に語ってくれた」。
ジェンキンスはそう話す。「『こういう企画に興味を持ってるやつは山ほどいるんだよな』っていう彼に、俺はこう返した。『ビッグな制作会社やディレクターなら誰でも、それなりのものは作れるだろう。でも俺なら、誰にも真似できないウータンのドキュメンタリーを撮れる』」

「ヒップホップはアメリカが生んだアートフォームであり、そこにはすべてのアメリカ人が共感できる要素がある」。ジェンキンスはそう話す。「しかしニューヨークシティで黒人男性として生まれ育ち、クラックやら警察の暴力やら何やらに揉まれながらヒップホップが台頭していくのを目の当たりにした俺は、その過程をリアリティを持って描くことができる」

「他の人間と違って、彼はヒップホップの歴史を体験している」。RZAはジェンキンスについてそう話す。「ゴーサインを出すまでに3週間ほどかかった。不安はあったけど、彼を信じて全部委ねてみることにしたんだ」

『Of Mics and Men』においてジェンキンスは、スタテン・アイランドとブルックリンのゲットーで育ったウータンのメンバーたちの出自、警察によるハラスメント、そしてある警察官による市民殺害に端を発した大規模な抗議運動等を、見事な手腕で結びつけている。しかし何よりファンを驚かせたのは、寡黙がちなメンバーに対する洞察の深さだろう(中でも最も胸を打つのは、ゴーストフェイス・キラーが筋肉の発育異常を抱える2人の弟の面倒を見る一方で、自身は鬱に悩まされていたと告白するシーンだ)。「俺が視聴者に伝えたかったのは、まさにそういう部分なんだ」。ジェンキンスはそう話す。
「彼らと同じような背景を持つ人間は決して少なくない。俺自身、心的外傷後ストレス障害を経験してる」

「このドキュメンタリーを撮りながら、他のメンバーについて初めて知った事実もあったくらいだ」。メソッド・マンが過去に鬱を患っていたという点に触れつつ、RZAはそう話す。「俺たちにとって、他のメンバーはみんな頼もしいヒーローのはずなんだ。誰も弱みを見せようとはしない。しかし陰陽のシンボルにも示されているように、陽の部分には陰の点があり、陰の部分には陽の点がある。あのシンボルが示しているのは、どんなものにも弱点があるってことだ。このドキュメンタリーが伝えようとしてるのは、たくましい男たちの脆く弱い部分なんだよ」

互いを罵倒しあう場面も少なくない。メンバーたち自身が過去に残していた無数の口論の記録は、陰謀に満ちた音楽業界の内側やアーティストたちの脆弱なエゴ、そして短期間のうちに巨額の金を手にした9人の男たち(とそのクルー)の内紛を示している。家庭用ビデオカメラで撮られたこれらの映像を見ていると、まるで他人の喧嘩を覗き見しているかのような罪悪感さえ覚える。これらの口論が安っぽい寸劇ではなく、グループの歴史における重要な一幕として映るのは、ディレクターとしてのジェンキンスの手腕があってこそだろう。

シリーズ全体を通じて描かれる人間関係の緊張ぶりは、2015年に発表された世界で1枚限りのアルバム『Once Upon a Time in Shaolin』を巡る場面でピークに達する。
本ドキュメンタリーにおいて、メンバーの多くは単にヴァースの提供を求められ、その用途については知らされていなかったと主張している(そのアルバムを落札したのが、全世界を敵に回した製薬会社重役のマーティン・シュクレリだったことは、事態を一層悪化させた)。カメラを向けられたサングラス姿のRZAを前に、メンバーたちが次々に同アルバムを酷評する様子は残酷極まりないが、それはヒップホップ・ムービー史上最もリアルな瞬間のひとつだ。

幾度となく登場する口論シーンの中には、映画『ラブリー・オールドメン』におけるジャック・レモンとウォルター・マッソーのやりとりを思わせるような、むしろ微笑ましいものもある。長い活動の中で記憶が曖昧になり、ウータン・クランと命名したのが誰かといった基本的な事柄についてさえ意見が食い違うユーモラスな場面などは、まるで音楽ドキュメンタリー版の『羅生門』だ。『Of Mics and Men』は、25年以上にわたる共闘の記録に他ならない。「ある物事についていろんなストーリーが聞けるっていうのは、特に面白い部分のひとつだね。当時誰を信じていたかに関わらず、結局のところ結果は同じだったってわけだ」。ジェンキンスはそう語る。「彼らはファミリーとして生きていくことを選んだ。経済的に豊かであろうとなかろうと、あらゆるファミリーには問題がつきものなんだよ。それは彼らとて同じだってことさ」

ジェンキンスの目標は、ヒップホップのドキュメンタリーを「ニール・ヤングのそれと同レベルにまで持っていく」こと、そしてヒップホップをより一般的なものとして世に浸透させていくことだという。

「『Of Mics and Men』っていうタイトルは、アメリカン・クラシックとされる小説『Of Mice and Men(二十日鼠と人間)』にちなんでる。
ウータン・クランもまた、アメリカン・クラシックとされるべき存在だからね」。彼はそう話す。「多くの困難を乗り越えてきた彼らの物語は、この上なくアメリカ的だ。アメリカに生きるすべての人間は、この国の醜い部分と向き合う必要がある。それを受け入れて初めて、その反動として黒人たちが生み出してきたアートの魅力を深く理解できるようになるんだ。ウータンの歴史は、そのことを雄弁に物語っているんだよ」
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