※この記事は2019年6月25日に発売されたRolling Stone Japan vol.07に掲載されたものです。
天高く跳ね上げられた締切が乗った天秤の皿、接地したもう片方の皿に乗っていたのは4週間前に録画したアド街飯能特集だった。我々が巣をかける時空ではそんな光景も存在しうるのです。締切という名の赤黒い鎖を絡ませた足取りで沼地を這い回って10年と少し、常時肌に軋む鎖は片手では収まらない数になり、両足に足かせが食い込もうとも体感質量はもはや自由自在。伝えられた締切から洒落にならないラインを反射的に逆算し鉄球を枕に極楽鳥の夢を見る、これこそが締め切り型人生の醍醐味よガハハハハと独房に響く笑い声、手の平に食い込む爪、鉄仮面の内側で頬を伝う一筋の涙。そのような心象風景と共に横になったり縦になったりしながら小石を積んでいたんですが、本当に危険な空気を魂が察知すると流石に体が勝手に机に向かいます。そのタイミングで完全に目測を誤っていたという絶望感に襲われたのがいまから1時間前、震える体を引きずりミスドにセルフ監禁状態を完成させたのが15分前です。3カ月に1回ペースでこのコラムを書く以外はまとまった文章を書かない私の習慣だと3カ月毎に何も書けない素人に戻り途方に暮れてしまうということに気づかされた巨大な負のエウレカ感と向き合いつつ味のしないアイスコーヒーを吸い、どうしてこんなことになってしまったのか救いの無い脳内検索を繰り返しています。
心当たりがひとつあるのですが、みなさまは連休進行という特殊な重力場の存在をご存知でしょうか。クライアントチェックや印刷作業の停止が長期に及ぶと連休前の駆け込み入稿と連休明けの駆け出し入稿は相互的に作用し、対峙する虎と狼のシナジー、絡まる芋づると繁殖するネズミ、のしかかる作業量は飛躍的に増大しもたらされる巨大な災い、それが連休進行です。
「コマを割るようにコードチェンジしたい」と語る彼は控えめにいっても漫画獣
私が初めてスカートの作品をデザインしたのは2013年、インディリリースの3rdアルバム『ひみつ』。それから風雨幾星霜、アナログ盤を除くとアルバム4枚、シングル3枚、ライブ盤1枚のデザインを担当しました。除いたアナログ盤を舌の根乾かぬうちに加算するとのべ12作品をデザインしたことになります。ビジュアル面では一通りの試みを通過、少しでも気を抜くと安易に原点に帰ってしまいがちなタイミングです。原点に帰ること自体は避けるべきことではなく、今回も大まかにはその方向を進みたいのですが、ただ帰るだけでは紛れもなく退化です。依頼を頂いた時点で見えているのは、前進しつつスタート地点上空に量子移動するようなコンセプトの提案を求められているというそびえ立つ大ハードルのみ。覗き込んだうどんさえ自分の発想力の貧困さを責めてくるように思え、胎内からまろび出た決断は本当に正しかったのかと、頭の片隅で蚊の鳴くような声の自問自答が始まる意図しない雑な原点回帰までもが展開されます。しかし大喜利型人生においてはこういった精神状態はしばしば訪れるもの、外科的な方法以外での唯一の打開策はヒントを収集することのみであることを我々は知っています。たとえ4問目5万円、みのさえも溜めない状況であっても必要であれば1秒でも早くオーディエンスのカードを切る能力、これは業界をサバイブする上で非常に重要です。
スカートの作品では、シングル/ライブ盤でイラストレーターや写真家、アルバムでは漫画家に作品提供を依頼しアートワークを制作してきました。ここ10年ほど漫画を描くことや編集すること、評論することを生業とする友人らに囲まれて生活していますが、澤部くんの漫画への熱意は彼らと比べても劣らないどころか頭ひとつ抜きん出ています。「コマを割るようにコードチェンジしたい」と語る彼は控えめにいっても漫画獣。そんな澤部氏が奏でる世界観により強く寄り添う必要があるアルバムのメインビジュアルとして彼の敬愛する漫画家によるイラストを使用することは最短かつ最善の方法でした。1年半ぶり通算7枚目のアルバム、改めてその路線を踏襲したいと打ち合わせを切り出してみたのですが、「漫画」家に「イラスト」を依頼するということの意味合いが議題となります。澤部氏の音楽をパッケージするビジュアルに今回は「イラスト」ではなく、より氏のルーツと密着した「漫画」を使用したいと提案したところ、彼の愛するクラシックな名作からコマをサンプリングして使用するのはどうだろうかというところに着地しました。しかしこれは着地というより状況的には不時着、さらに言えば墜落に近い。澤部氏の音楽に懐古的な姿勢のビジュアルを組み合わせるのは一見正しく見えても明らかに間違った行為だということは薄々わかっているのですが打開策が思いつかない。新しいことを試みる姿勢も無く、仕上がりも無難な安定感と既視感しか予想されず、揚げ饅頭を配ったところで拭いきれない手に余る不安が机を満たし、スピーカーから流れるジェリー・ダマーズのオルガンも空転します。幸いスケジュールには余裕があったので、とりあえず澤部氏お気に入りの漫画を数冊送ってもらうことにして一旦打ち合わせを終え、ドアが閉まった瞬間頭を抱えて座り込みます。
どのような言い方をしても無茶な発注をすることになる場合、素直にそのまま言ってしまうのが最善
曲が出揃いアルバムタイトルが正式決定する過程で、何かしら打開策が降りてくるだろうという半ば無理やりな楽観姿勢で保たれていた身体と精神の原型が本来の小心由来の神経質な悪寒に侵食され始めたころ、澤部氏からクラシックな漫画より、簡単に手に入る現代の漫画家の作品をサンプリング元としたほうがいいのではないかと思えてきたという趣旨のメールを受け取りました。元ネタへのアクセスが容易だと音楽との距離感が近く見えすぎて良くないのではないか、音楽の独立性は担保しておきたい気持ちですと返信しようとしたところで、サンプリング元の漫画の実在性は大して問題ではないのではないか、むしろ架空の存在であれば問題は全て回避できるのではないかという発想が頭に去来、確信に似た気持ちと共に架空の漫画の1コマをジャケット用に描き下ろしてもらうのはどうかという文章を末尾に付け加え、拳を握りしめトリプルクリックでメールを送信。間髪空けず元々は架空のバンドという要素を原点に持つスカートのアルバムジャケットに、実在しない漫画の1コマを使用するというのはとても素敵だと思うという返信が届きます。はっきりと聞き取れたコンセプトがハマる音、例によって福音は突然に。もうこうなれば九割は完成したも同然、不安なことはひとつもなく、世界は美しい。
澤部氏がアルバムのモードに合った漫画を描く作家として提案してくれたのが『メタモルフォーゼの縁側』を連載中の鶴谷香央里さんでした。「漫画の絵」の上手さに加え、1コマのみでストーリーを最適な温度感で演出できる腕を持つ稀有な才能に一発で行き当たる澤部氏の不気味なまでの漫画勘の鋭さに震えつつ依頼メールを展開、快諾していただいた鶴谷さんと打ち合わせの日を迎えます。「実在しない漫画のそれほど重要ではないシーンから抜き出したような、しかしニュアンスは確実にこのアルバムの方向性に寄り添いつつ、狙いすぎない他愛の無い良い感じの的確なセリフを内包したさりげない1コマを描いてください」。どのような言い方をしても無茶な発注をすることになる場合、素直にそのまま言ってしまうのが最善だということは分かっているのですが、いざ言葉に出すには中々勇気がいります。この振り切った無茶振りに対して鶴谷さんが提出してくれたのは、サンプリングベースとしての一場面分のネームでしたそれはまさに渡りたがる私の眼前に出現したきらめく船、前後の物語の存在を程よい幅広さで予感させるコマを指定し〈図案1〉、さらに状況に表情を与えるために登場人物の変更をお願いすると、コマ内に詩情あるコミュニケーションが発生〈図案2|A,B,C,D〉。鶴谷さんと澤部氏に何パターンかやり取りを考えてもらい、最終的にはフレーム外の第三者の心の声をキャッチしました〈図案2|E,F,G,H〉。姿が見えない第三者の視点を借りフレーム内の男女の会話を耳にする我々はこの架空の漫画の世界の住民ではなく彼らを彩るBGM。

図案1

図案2
微調整に次ぐ微調整と何度かの文字修正、連休明け当日午前9時の入稿
鶴谷さんから完成したコマの本データを頂き、サンプリングのリアリティを加えるために漫画単行本に使われる中質紙に出力して再スキャン、ノイズを除去してデータを整えたら出力前と寸分違わぬ仕上がりになりましたが、この工程は気持ちなので不可欠です。サンプリング感を全面に出しつつ1コマのみでジャケットとして機能するよう存在感を強化するため、コマと余白となる土台の質感差を可能な限り立体的に増幅する方針は既に脳内決定済み。主役となるコマはシール用紙に印刷し、グロスPP貼りを指定して複製物感強めに。対して土台となるジャケット本体には柔らかく粗めの肌の紙を使用し、空押し加工を施して境界を強調。どのようなカラーパレットが最適か唸りに唸った末、アルバムタイトルである「トワイライト=夕暮れ」という言葉から連想する色には人それぞれ違いがあるという素敵ポイントに行き当たったので、付属品を含め一切に色を付けず全体をモノクロで統一して解釈の余地を発生させます〈図案3〉。売り場に並んだ姿を想像し、微調整に次ぐ微調整と何度かの文字修正、連休明け当日午前9時の入稿。やがて飛び交うバイク便。組み上がった見本を確認し、最終の校正紙に校了とハンコを押す。氷の溶けたアイスコーヒー、4000字を超す自画自賛を歌い上げたデザイナーはバツが悪い笑顔を浮かべ、肩をすくめてフィドルを下ろし動物たちと森へ帰ります。片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、こまめにcommand + Sを。

図案3

『トワイライト』
スカート
ポニーキャニオン
発売中
澤部渡によるソロプロジェクト・スカートのメジャー2ndアルバム。
森 敬太
京都府生まれ、デザイナー/アートディレクター。コミック、CDなどの装丁を多数手がけながら、2011年から自主制作漫画レーベル「ジオラマブックス」を主宰、漫画誌『ユースカ』を発行。2017年、合同会社飛ぶ教室を設立する。
Instagram : @m_o0_ri