新世代のポップ・アイコンとして人気を集めるカナダの女性ソロアーティスト、グライムスことクレア・バウチャーは、肉体改造にも熱心だ。2012年のアルバム『Visions』の製作で9日間、外部からの接触を一切絶って、飲まず食わず部屋にこもった話は有名だ。


「9日目に入るとヤバい領域に入っていくの」と、ガーディアン紙に語った。「刺激が全くないから、潜在意識がその空白を埋めようとするわけ。霊と交信してるような気分になってきたわ。私の音楽は神からの贈り物なんだって本気で思った。もうすでに曲が完成しているかのように、次に何をするべきかはっきりわかっている感じだった」

後になって振り返れば、自分の作品に対するこうした近未来的な、禅僧めいたアプローチこそが、元交際相手のイーロン・マスクを引きつけたのかもしれない。だが現地時間16日、グライムスがアディダスと提携して自らのフィットネス法をInstagramに公開した時、彼女がピーター・ティールばりのアンチエイジング健康法を本気で支持しているのか、それとも巧妙に練られたジョークなのか、人々は少なからず当惑した。このフィットネス法のポイントは「アイソレーションタンクを2~4時間」「午後に剣術を1~2時間」、そして彼女の血液型に最適化されたという「神経可塑目標値」なるもの。

以下、Instagramで公開されたグライムス流の健康法をひとつずつひも解きながら、その信憑性を検討してみよう。

この投稿をInstagramで見るADIDAS: Tell us about ur training regimen ? GRIMES: My training is a 360 approach. I first maintain a healthy cellular routine where I maximize the function of my mitochondria with supplements such as NAD+, Acetyl L-Carnitine, Magnesium, etc. This helps promote ATP and its incredibly visceral. From that point I spend 2-4 hours in my deprivation tank, this allows me to ”astro-glide” to other dimensions - past, present, and future. In the afternoons I do a 1-2 hour sword fighting session with my trainer, James Lew, we go over the fundamentals that work the obliques, core stabilizes, and triceps as well as a few tricks. To wind down from this I spend 30-45 minutes on an inclined hike at roughly 4-4.5 miles per hour, arguably the most efficient workout. I then spend 45 minutes stretching before heading into the studio where my mind and body are functioning at peak level, with a neuroplastic goal between 57.5 and 71.5 AphCs (which is my preferred range for my blood type). Ive outfitted my studio with the highest grade of red light. It is pretty much 1000 sqf IR Sauna. Hana then comes over and we do a screaming session for 20-25 minutes while I slow boil the honey tea that maximizes vocal proficiency. I have also eliminated all blue light from my vision through an experimental surgery that removes the top film of my eyeball and replaces it with an orange ultra-flex polymer that my friend and I made in the lab this past winter as a means to cure seasonal depression. I go to bed with a humidifier on. #asmc #adidasparley #createdwithadidas #gentrifymordor MISS ANTHROPOCENEさん(@grimes)がシェアした投稿 - 2019年 7月月15日午後4時33分PDT

その1:健康的な細胞活動を維持するために、NAD+やアセチルLカルニチン、マグネシウムといったサプリメントを摂取して、ミトコンドリアの機能を最大限に引き出すの。そうすることで、アデノシン三リン酸の促進を助けて、本能が高まるのよ。

専門用語が満載なので、できるだけ噛み砕いてみよう。NAD+とは、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)の酸化物で、生きている細胞の中に含まれる化合物だ。
近年、アンチエイジング治療のサプリとして注目されるほか、パーキンソン病などの病気治療にも効果があると言われている。ただし、この点に関して決定的な研究結果はまだ出ていない。アセチルLカルニチンとは自然界に存在するアミノ酸で、エネルギー生成を助ける働きをする。錠剤の形で、アルツハイマー病やうつ病など様々な精神病疾患の治療に使われている。マグネシウムは人間の骨組織を形成する成分だが、マグネシウム不足になると数々の健康障害を引き起こす場合がある(マグネシウムはアデノシン三リン酸――細胞活動にエネルギーを供給する化学物質――の生成過程に不可欠な電解質でもある)。当然ながら、サプリメントの形で幅広く使われている。

筆者は科学者でも分子生物学者でもないが、これら3つの療法がミトコンドリアの新陳代謝に関係しているのは確かだ。アンチエイジング治療に対するNAD+の効能をめぐってはいくらか怪しい説もあるが、これらの物質はいずれもインチキな偽薬ではない。どれも処方箋なしで買えるサプリメントとして、最寄りの薬局で購入できる。

その2:そこからアイソレーションタンクの中で2~4時間過ごす。そうすると、別次元――過去、現在、未来へと、時空を超えることができるのよ。

アイソレーションタンクとは、フロート・タンク療法としても知られ、心と身体をリラックスさせるのが目的。
基本的には、水とエプソム・ソルト(硫酸マグネシウム)を満タンにした「隔離タンク」に横たわり、すべての感覚を遮断する。「闘争/逃走」という葛藤を捨て去り、血圧とコルチゾール値を下げるので、慢性的な痛みや不安症に悩む人々にはとくに効果的だ。またアックス博士によると、「宇宙飛行士」気分を味わうこともできる。グライムスが別次元へと「時空を超え」たかどうかは、彼女自身の感性に任せておくがよかろう。口コミサイトYelpユーザーのアンドリュー・K氏は、ニューヨークのLift Next Level Floatsでの体験を「小惑星での瞑想」とたとえた。毎日「2~4時間」タンクの中で過ごすのは極端な気もするが、普段からアイソレーションタンクを利用する人にはちっとも変ではないのだろう。

その3:午後はトレーナーのジェームズ・リューと一緒に1~2時間、剣術の稽古をする。内腹斜筋や体幹、上腕三頭筋を鍛える基礎的運動をみっちりやって、殺陣も少々。

ジェームズ・リュー氏はマーシャルアーツをたしなむ役者兼トレーナー。『ラッシュアワー』や『バフィー~恋する十字架~』『ルーク・ケイジ』等に出演し、アクション・シーンの構成も担当した。『トロイ』ではブラッド・ピットに剣術を教えたこともある。リュー氏自身は個人レッスンをおおっぴらに宣伝しているわけではなさそうだが、彼のInstagramによると、マーシャルアーツの実演やグループレッスンを行っているようだ。
またワークアウト用ビデオを2本、著書を1冊出版しており、いずれもストレッチやキックに重点をおいている。グライムスのほぼすべてのビデオで剣が登場することからも、彼女が日々剣術に励んでいるのもうなずける。

その4:そのあと仕上げに、時速4~4.5マイル(時速6~7.5km)で30~45分間、傾斜をつけてトレッドミルをする。間違いなくこれが一番効果的なワークアウトよ。

大事なのは、何を目的として運動しているかということなのだ。傾斜をつけたトレッドミルをするのも――速度を限定していることから、彼女が言わんとしているポイントはここだと思われる――は、「もっとも効果的なワークアウト」の上位には入らないし、少なくともそれだけでは効果がない。もっとも効果的なのは高強度インターバルトレーニング(HIIT)。「少ない時間で最大のエクササイズ効果を約束する」最先端のエクササイズだ。だとしても、HIITはカロリー燃焼に効率的であるというだけで、必ずしも、長時間かけた運動より効果的に減量できるというわけではない。

それでも30~40分間、傾斜をつけてのトレッドミルは心肺運動を取り入れるという点では悪くない。個人的には、2時間剣術をした後の「仕上げ」としては、ハードではあるものの、なかなかいいアイデアだと思う。

その5:それから45分間かけてストレッチして、そのあとスタジオに入ると心身ともに最高潮の状態になっているの。
神経可塑目標値はだいたいAphC 57.5~71.5ぐらいね(私の血液型には、このぐらいの範囲がいいみたい)。

厳密にいうとこれはグライムス流フィットネス法には含まれないが、ここでの主張は非常に怪しいので検証しておくことにした。重ねて言うが、私は分子生物学者ではないので、「AphC」とは何を意味するのかググってみた。一番上に挙がった検索結果はAppaloosa Horse Club(アパルーサ種という馬の品種を管理する団体)だった。そこで「AphC 生物学」で検索をかけたが、最初に挙がったのはアパルーサ種に関するWikipediaのページ。「AphC 分子」で検索したところ、5-APHCと呼ばれる分子構造を示す謎のサイトが出てきたが、その次はやっぱりアパルーザ種の馬の血統に関するページだった。

アパルーザ種にひっかからずに「AphC」の略語を検索するのはかなり至難の業だ。生物学関連と思われるサイトも、私の文系脳ではほぼ理解不能。だがここで大事なのは、AphCは人間の健康とはまるで結びつかないという点だ。ましてや、一般人レベルでそれを説明しているものは皆無に等しい。「神経可塑 AphC」で検索すると、グライムスのフィットネスを取り上げた別の投稿が出てくるだけ。なので、これに関しては眉唾モノとしておくのが無難だろう。


その6:スタジオにはいちばん明度の高い、赤い照明を入れてるの。さながら1000平方フィートの遠赤外線サウナ、ってとこかしらね。

遠赤外線サウナは、82℃前後で行う従来のサウナよりもかなり低い温度帯(48~60℃)で行われる。熱源は赤外線ランプで、人体に直接照射して、痛みの緩和や解毒を促す。問題は、グライムスがどれだけ長くサウナ兼スタジオに入っているのか? ふつう遠赤外線サウナにはタイマーが付いていて、30分以上入ってはいけないことになっている。サウナ仕様のヴォーカル・ブース? それともサウナが別に併設されている? はたまたスタジオ全体がサウナなのか? サウナの脱水効果を考えると、とくに次のステップの準備としては、声帯にはあまりよくなさそうだ。

その7:その後ハナも加わって、20~25分ぐらい一緒に絶叫セッションをやる……

本人がはっきりそうと言っているわけではないが、グライムスと友人のハナ・ペスル――グライムスのシングル「We Appreciate Power」にも登場するミュージシャン兼ゲーマー――がやっているのはおそらく原初療法の一種と思われる。心理学者アーサー・ヤノフ博士が考案して有名になったこのセラピーは、ジョン・レノンやオノ・ヨーコといった人々から支持された。ヤノフ博士は、原初の叫び(赤ん坊が生まれてすぐに発する泣き声のこと)がアルコール中毒や喘息といったあらゆる病気を治すと信じていた。こうした主張は科学的に間違っているものの、原初療法そののものは不安症の治療として現在も高い人気を誇る。『ビッグ・リトル・ライズ』でメリル・ストリープがいきなり夕食の席で叫ぶシーンや、『ミッドソマー』のフローレンス・ピューなど、叫びが今ちょっとしたブームになっている。

その8:声の能力を最大化するはちみつ紅茶で一息いれながらね。


剣術がいかにもグライムスらしいフィットネス法である一方で、一番もっともらしいのがこの部分だ。お茶、とくにレモンやはちみつを加えたお茶はのど荒れの応急措置として昔から知られているし、声帯を強化するという点でも優れている。

その9:そして加湿器をつけたまま寝るの。

サウナの中で収録するようなプロのシンガーなのだから、加湿器をつけて寝るのは当然。グライムス流健康法の中でも間違いなく太鼓判を押せるものだ。加湿器は空気中の湿度を上げ、肌の輝きを保ち、起床時ののどの乾燥を防いでくれる。
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