唯一無二のポップスター、シーアが歩んできた波乱万丈な道のり。その第一歩は、この世界で生きていく術を見出すことだったーー。
先日、フジロックフェスティバル19 で圧巻のステージを披露したシーアの知られざる人生とは? 来日を記念し、彼女と古い友人であるローリングストーン誌ライターが綴った2018年の翻訳記事を掲載する。

本記事は、2018年8月に掲載された記事の翻訳です。

シーア・ファーラーは恋人募集中だ。2018年の現在、恋人を探している誰もがそうであるように、彼女もまたTinderやBumble等のアプリを使っている。偽名こそ使っているものの、彼女はアプリ上で自分の写真を公開している。しかし、誰もが彼女だと気づくわけではない。「シャンデリア」(現時点でYoutubeの視聴回数は19億回に達している)「チープ・スリルズ」(この曲によって、彼女は40代にしてナンバーワンヒットを放った数少ない女性シンガーのひとりとなった)等を大ヒットさせながらも、彼女はステージでは何年にも渡って巨大なブロンドのウィッグで顔を隠してきた。アプリ上で興味を示した男性から職業を尋ねられると、彼女は作家だと答えることにしている。しかし会話の成り行き次第では、こう明かすこともあるという。「あと実は私はポップスターで、シーアっていうの」

「何人かとデートしたんだけど、みんないい人だったわ」シーアはそう話す。彼女はオーストラリア生まれだが、過去7年間はロサンゼルスに住んでいる。「楽しかったし、勉強にもなった。
ああいうのって私にとっては新鮮なの。オーストラリアじゃお試しデートってものがなくて、みんないきなり付き合い始めるから」

彼女は盲目的に恋に落ち、失敗した過去がある。2014年、彼女は映画監督のエリック・ラングとの最初のデートからわずか2週間後に婚約したが、結婚生活は2年で破綻した。現在の彼女は、仕事に臨む時と同じくらい慎重にデートの相手を見極めているという。「だいたい2~3回デートすると、『うーん、この人じゃないかも』ってなっちゃうのよね」彼女はそう話す。「42歳での恋人探し、何かと面白いわ」

彼女は大抵夜8時にはベッドに入り、3匹の飼い犬(リック・リック、パンテラ、シリアル)と一緒にテレビを見て過ごすという。日中は12ステップ・ミーティング(アルコールやドラッグを断とうとする人々の集まり)に参加したり、親しい友人と出かけたりしているが、その大半は彼女が有名になる前から付き合いのある人々だという(筆者はその一人だと自負している)。彼女は何人かのポップスターたちとも親しくしており、その1人であるケイティ・ペリーは彼女にとっての「ポップスター講師」だという。「家に来てくれてる栄養士さんも彼女の紹介なの」シーアはそう話す。「ポップスターのいろはってものを、私は全部彼女から学んだの」

スターとしての資質は天性のものではなかったが、この世界でシーアが歩んできた道のりは極めてユニークだ。作曲家であり歌手でもある一方で、彼女は他のアーティストへの楽曲提供という役割が最も自分に適していると感じている。彼女はまるで理性という名の崖を切り崩そうとするかのような、ビッグでエッジの効いた歌声の持ち主でありながら、ビヨンセやブリトニー・スピアーズ、ケイティ・ペリー等のポップスターたちに提供した曲数は100を超えており、ナンバーワンヒットとなったリアーナの「ダイアモンズ」はそのひとつだ。
その一方で彼女は、これまでにアルコール中毒や双極性障害、自己免疫疾患、自殺未遂など、様々な問題を(時には同時に)経験している。

現在の彼女の生活は充実し、そして安定している。過去の経験から、彼女は自分なりのバランスの取り方を身につけていた。しかし何年にも及んだセラピーや薬物治療、そして12ステップ・ミーティングも、アルコールとドラッグを求める彼女の内なる声を完全に消し去ることはできない。その内なる声について、彼女はこう説明する。「クソクソクソ。くそったれくそったれクソッタレ。この負け犬、バカバカ、クソクソくそったれ」

「過去10年間、私は常軌を逸したダイエットを続けてた」彼女はそう話す。「『ホットなポップスター』ってやつを目指してたから。でもある人にこう言われたの。『そんなステレオタイプにこだわる必要なんかない。君はアーティストなんだから、見た目なんてどうだっていいんだよ』ってね」

筆者とシーアの出会いは2011年上旬まで遡る。
ロサンゼルスのエコーパーク付近でご近所同士だった私たちは、当時はどちらもあらゆる中毒と無縁だった。彼女の幼児を思わせる快活さは、その頭の回転の速さとは対照的だった。当時、私は彼女のことを「過去の人」だと思っていた。何年か前に「Breathe Me」がHBOの『シックス・フィート・アンダー』に使われたことで、彼女の名前は一部の人間には知られるようになっていた。しかし私たちが知り合った時、彼女はMurphyのベッドと路上で拾った家具を並べたアパートに住んでいた。

その数年後、フランスのDJデヴィッド・ゲッタのヒット曲「タイタニウム」を共作したことで一気に有名になった彼女は、エコーパーク付近のより裕福なエリアに一軒家を購入した。自宅のキッチンで彼女が今後のプランについて語ってくれた時のことを、筆者はよく覚えている。「アルバムを出すけど、顔は一切出さないつもり。巨大なボブのウィッグで顔を覆うの」短いながらも過去に名声を経験していた彼女は、それが自分には向かないことを理解しており、近所のスーパーで声をかけられるような状況を望んでいなかった。私は心の中で、何てくだらないアイディアなんだろうと思った。顔を出さずにポップスターになんてなれるわけがない。写真だって既にインターネット上に出回っている。
それに筆者には、そのアイディアがキザ以外の何物でもないように思えた。

シーアの知られざる波乱万丈人生、どん底から這い上がったポップスターの歩み

ロサンゼルスのCicadaで行われたSpotify主催のパーティーに出席したミッシー・エリオット、ケイティ・ペリー、シーア 2016年(photo by  Kevin Mazur/Getty Images)

しかしそのアイディアは、彼女が思っていた以上の結果を生んだ。Instagram Storiesによってオーディエンスが憧れのアーティストと直接やりとりができるこのご時世において、顔を出さないという彼女のスタイルは傲慢にさえ思えた。しかし抗い難くキャッチーな楽曲、そしてウィッグのインパクトによって、シーアは時代のアイコンとなった。

9月には彼女がディプロとシンガー兼プロデューサーのLabrinthと結成したスーパーグループ、LSDのデビューアルバムがリリースされる。さらに彼女は先日、これまでで最も困難なプロジェクトに着手した。彼女の初監督映画『Music』は、2019年に公開が予定されている。ミュージカル映画となる同作では、「シャンデリア」のミュージックビデオでダンサーを演じた15歳のマディー・ジーグラーが、ケイト・ハドソンが演じる素面でドラッグを売買する姉と暮らす自閉症の少女に扮する。自分という存在の発見と家族との絆、それは彼女の人生における2大テーマであり、その物語を描くことは彼女にとって大きな意味を持っている。しかし、それが世間から単なる自惚れとみなされる可能性を孕んでいることを、彼女は十分に理解している。心のどこかで彼女は、既にそのことを後悔している節もあるという。だがもう一人の自分は、それが侵さねばならないリスクであると信じている。
「この業界に生きる人の大半は、同じことを何度も繰り返すことを強要される。それが世間から求められていることだから」彼女はそう話す。「私はこのプロジェクトで、誰よりも自分自身をエキサイトさせたかったの。やりたいようにやった上で、世間がどう反応するか見届けようってわけ」

ビバリーヒルズのPeninsula Hotelの前につけたSUVから出てきたシーアを出迎えたのは、彼女のマネージャーとパーソナルアシスタント、そして2人のプロダクションアシスタントだった。彼女は偏頭痛に悩まされていたが、涼しい顔で会話を交わしながらロビーを歩いていく。上階で彼女がアシスタントにリードされる形で歩く長い廊下はプラスチックフィルムに覆われており、歩くたびにプップッと小気味のいい音をたてる。

「まぁ失礼ね」シーアが静かに切り出す。

「何ですか?」プロダクションアシスタントは緊張した面持ちで答える。

「気にしないで。『今オナラしたでしょ』っていうジョークのつもりだったの」シーアはそう言った。控え室で待っていたかかりつけの医者から頭痛を抑えるトラマドール(彼女曰く「私の特効薬!」だという)を投与してもらい、彼女は軽い足取りでディレクターとのミーティングに向かった。

「セリフは覚えてる?」ディレクターが問いかける。


「いいえ」彼女はそう返す。「今覚えるから教えて」

彼女が臨んでいるのはGoogle Assistantのコマーシャル撮影だ。彼女が覚えるべきセリフはわずかであり、あとはそれに応じた表情を浮かべるだけだのだが、中央を境にブロンドと黒に分かれたビーチボールサイズのウィッグで顔が覆われることを考えれば、重要なのは口元だけなのかもしれない。彼女のマネージャーが現場の責任者にウィッグの使用を希望するかどうか尋ねると、彼は自信満々に「もちろんウィッグありでお願いします。彼女のトレードマークですからね」と答えた。「わずか6時間もかからずに、あのウィッグは何百万ドルという大金を生み出すってわけ」シーアはそう話す。

シーアは女優を志したこともあった。彼女はオーストラリアのNational Institute of Dramatic Art(ケイト・ブランシェットやバズ・ラーマンの出身校)から入学を認められていたが、シーアは進学ではなく旅に出る道を選んだ。彼女の父親のPhil Colsonはブルースギタリストであり、母親のLoene Furlerはアデレードにあるカレッジで講師をしていた(2人は結婚しておらず、シーアが10歳の時に正式に別れている)。幼い頃からアートハウス系の映画が好きだった彼女は、奇妙な声で喋ったり、踊ったり歌ったりしながら、いつも自分以外の誰かになりきっていたという。「うちじゃそういうのが良しとされたの」彼女はそう話す。「エンターテイナーであれってこと」

17歳の頃、彼女は地元アデレードで活動していたアシッドジャズ・ファンクのバンド、Crispにシンガーとして加入した。初めてのライブの日、ガチガチに緊張していた彼女は、見知らぬ人物からワインの入ったグラスを手渡された。初めて口にするアルコールの虜になった彼女はその日以降、何年もの間ほぼ毎日酒を飲み続けた。

彼女の初恋の相手、それはDan Pontifexという名のウェイターだった。2人の交際は1年半で終わったが、その後も2人は良き友人同士であり続けた。しかし2人がヨーロッパ旅行を計画していた1997年、Pontifexは24歳の誕生日の日にタクシーに轢き逃げされ、そのまま帰らぬ人となってしまう。「人生で初めて経験する、本物の喪失感だった」彼女はそう話す。「私は彼の死を悼む仲間たちと一緒に、酒とドラッグで悲しみを紛らわそうとしたのよ」

シーアの知られざる波乱万丈人生、どん底から這い上がったポップスターの歩み

Zero 7のメンバーだった頃のシーア・ファーラー 2001年11月 ロンドンの93 Feet Eastにて(Photo credit: Jim Dyson/Getty Images)

Pontifexはオーストラリアからやってきた10人以上の友人たちと一緒に、ロンドンにある3ベッドルームの一軒家に住んでいた。住人の大半はシーアと面識がなかったが、皆彼女を歓迎してくれたという。彼らと共に悲しみ、酒を飲み、そしてハイになった彼女は、ほどなくしてその家で暮らすようになった。彼女はバーテンダーとして働いていたが、客にタダ酒を振舞いすぎるという理由でクビにされてしまう。ジャミロクワイの未発表曲でバックコーラス等を務める傍ら、彼女は『Only See』(1997年、セールスはわずか1200枚程度だった)、そして『Healing Is Difficult』(2001年)という2枚のソロアルバムを発表する。BBCのある評論家は、彼女の作品を高く評価した。「彼女は比較対象を挙げられないほど、ヴォーカリストとして突出した個性を持っている。むしろ彼女は将来、後続のシンガーたちの引き合いに出される存在となるだろう」リードシングルこそUKチャートでトップ10入りを果たしたものの、アルバムのセールスは伸びず、やがて彼女はレーベルから解雇されてしまう。

シーアはその後、アルパカ牧場で働くボーイフレンドと共にイングランド南部へと移住する。ある朝彼女が目覚めると、アメリカにいる友人たちから大量にメールが届いていた。その内容はすべて、「Breathe Me」が『シックス・フィート・アンダー』で使われているというものだった。その直後から同曲は、KCRWをはじめとする各インディー系ラジオ局で頻繁にエアプレイされるようになる。「Breathe Me」は彼女にとっていわくつきの曲だった。同曲を書いた夜、彼女は自ら命を絶つため、22錠のバリウムをウォッカで流し込んだ。「残念ながら失敗したけどね」彼女はそう話す。「幸運にもと言うべきなのかもしれないけど。バリウムを飲んでも眠くなるだけなの」

その後発表した2枚のアルバムはTop 40入りこそ果たしたものの、オーストラリア以外ではヒットシングルに恵まれなかった。しかし2010年後半の時点で彼女を何より悩ませていたもの、それは拭いきれない自殺願望だった。ウォッカを浴びるほど飲み、ザナックスとオキシコンチンを常用し、1日中テレビを見て過ごしていた彼女は、他人と接する機会をほとんど持たなかった。彼女はある決意をし、自宅にあったあらゆる薬を持ってすぐ近所のホテルにチェックインしようとした。冷たくなった自分の死体を発見した人物がトラウマに悩まされないことを祈りつつ、彼女はホテルのマネージャーとメイド宛てにメモを書いた。「室内に入らないでください。私は中で死んでいます。救急車を呼んでください」

彼女がホテルに向かおうとした矢先、手元の携帯が鳴った。シーアが出ると、電話をかけてきた古い友人は「Squiddly-diddly-doo!」と叫んだ。それは彼女が心身ともに健康だった頃、電話に出る際にいつも口にしていた言葉だった。「心のどこかでは、きっと死にたくないと思ってたの」彼女はそう話す。「だってあの瞬間、私はこう感じたの。『その先には見たことのない世界が待っている。でも私はそこの住人じゃない』ってね」彼女はホテルに向かうのをやめ、代わりに酒やドラッグとは無縁の彼女のドッグウォーカーに電話をかけた。その翌日、彼女は初めて12ステップ・ミーティングに参加した。

彼女はGoogleの撮影を21時までに終えたいと思っていた。当日彼女は、Hidden Hillsにあるカニエ・ウエストの自宅で行なわれるパーティーに招待されていた。しかし予想した通り、撮影は長引いていた。白のローブを羽織った彼女は控え室で、マネージャーのJonathan Daniel(皆からJ.D.と呼ばれている)と一緒に、録ったばかりのLSDの曲をいくつかチェックしていた。最初の曲「Genius」を聴きながら、Danielは両足でリズムをとっている。アインシュタインとスティーヴン・ホーキングを引き合いに出しながら、シーアとLabrinthがバースを交換し合う同曲で、彼女はこう歌っている。「私のような女性を愛せるのは天才だけ」

シーアは「Genius」を気に入っているが、「フックがまだ未完成」だと感じていた。彼女はLabrinthに電話をかけ、スピーカーホン越しに話し始めた。「あんなリリックじゃダメよ。楽しいけど、中身がないもの。あなたならもっといいものが書けるはずでしょ。『君のハートに鍵をかける』なんてのじゃなくてね」

「『君は南京錠で僕はその鍵』っていうくだりは気に入ってるんだけどね」Labrinthはそう話す。

「ポップだよね」Danielが横から意見を述べる。

「ホーキングの名前が出てくるのよ」彼女はそう返す。「あとガリレオもね」

次に2人がチェックしたのは、J.D.がセカンドシングルに推している「Audio」だ。よりスローで控えめなビートの同曲を聴きながら、シーアは嘔吐するふりをしてみせる。

「君にしては陳腐なリリックだね」J.D.がニヤニヤと笑いながら意見を述べる。

「グレイス・ジョーンズをパクるのはもう限界ってことね」シーアはそう話す(当日彼女は結局カニエ・ウエストのパーティーには行かず、自宅のベッドで3匹の犬とくつろぐことにした)。

最近、彼女はポップ・ミュージックを聴かないようにしている。彼女のiPhoneはほぼ空で、iTunesに入っているのはキース・ジャレットのライブアルバム『Köln』と、マッドネスの「ザ・マカレナ」だけだ。彼女は自身の作品さえもこき下ろす。彼女の代表曲である「チープ・スリルズ」について彼女はこう語る。「あれは安っぽいどころじゃないわ、ただのゴミ」

2010年にJ.D.と出会った時、ツアーやインタビュー等のプロモーション活動にうんざりしていた彼女は、大きな変化を必要としていた。彼女はストレスが原因の一部とされる自己免疫疾患、バセドー病だと診断されていた。「彼女の体は音楽業界の重圧に蝕まれていたんだ」J.D.はそう話す。その時点で、彼女は自分が求めるものをはっきりと自覚していた。ポップスのソングライターとして舞台裏で暗躍し成功すること、それが彼女の望みだった。「ふうん、君はポップ・ミュージックは好き?」

「ビヨンセは好きよ」シーアはそう答えた。

シーアはそれまでに、4曲をクリスティーナ・アギレラに提供していた。そのどれもヒットには至らず、他のアーティストに提供した楽曲も同様だった。Danielは彼女に、今日におけるヒット曲は単一のコンセプトあるいはメタファーに基づき、具体的で検索に引っかかりやすいものでなくてはならないとアドバイスした。その好例として、彼はケイティ・ペリーの「ファイアーワーク」を挙げた。

「例えば、『豚の貯金箱』とか?」シーアが意見を求める。「『私はあんたの貯金箱じゃない』みたいな?」

「そうそう!」J.D.は同意する。

彼女はデヴィッド・ゲッタに提供した「タイタニウム」を、わずか1時間未満で書き上げた。歌詞の大半はタイトルの意味の言い換えに過ぎない(「あなたに撃たれても私は倒れない。私はタイタニウムでできている」)。まるで「アイ・オブ・ザ・タイガー」だが、古びた印象は受けない。彼女から送られてきたデモを聴いた瞬間、Danielはヒットを確信したという。しかしシーアは頑なだった。「私はこんな曲は歌わない」

理由の一つは、セルアウトしたとみなされることを恐れていたからだ。また彼女はハウスミュージックが嫌いで、歌詞で描かれているたくましい女性像も彼女のイメージとかけ離れていた。ケイティ・ペリーは「ファイアーワークス」と似過ぎているという理由で採用を見送り、メアリー・J・ブライジは曲をレコーディングしながらもお蔵入りさせた。彼女は自分のヴォーカルが使われていることを、ファンのツイートで知ったという。「デヴィッド・ゲッタの次のアルバムでも歌うの?」

彼女は激怒した。「クールでセンスのいいアーティストっていうイメージを、私は必死の思いで築いてきた」彼女はそう話す。「ようやく前線から退いて裏方として頑張っていこうと決めたのに、こんな陳腐なポップハウスで名前を知られるなんて」しかし、彼女の怒りは長くは続かなかった。同曲はダブル・プラチナを記録し、彼女はその報酬でエコーパークの一軒家を購入した。

その後もいくつかヒットを飛ばした彼女は、大半のケースで自作曲の著作権使用料の50パーセントを受け取ることになっている(このディールを俗に「アーバン・スプリット」と呼ぶのに対し、携わった全ての作曲家とプロデューサーで利益を山分けすることを「ポップ・スプリット」と呼ぶ)。あるプロデューサーは、なぜ彼女がそういった有利な条件を与えられるのか不思議がっていたという。「私は自分の仕事に自信を持っていて、他の人間の手を借りる必要はないと思ってるからよ」彼女はそう答えたという。

するとそのプロデューサーはこう続けた。「でも君は20分かそこらで作曲からレコーディングまで済ませてる。それに対して、僕はそのプロデュースに数週間かけなくちゃいけないんだぜ」

「そうかもね」シーアはそう答え、さらにこう続けた。「でも私は15年かけてやっと、20分で仕事を終えられるようになったの」

事実、彼女はリアーナのナンバーワンヒット「ダイヤモンズ」をわずか14分で書き上げている。インストゥルメンタルの仮トラックに合わせ、歌うともなく曖昧なメロディーを口ずさんでいたところ、「大空に輝くダイヤモンドのように」というフレーズが自然に出てきたのだという。

「捻り出すというより、アイディアが自然と降ってきた感じだった。不思議な気分だったわ」彼女はそう話す。彼女は直感を信じ、脳の一部をリラックスさせておくことで、どこからともなく湧き出てくるメロディをすくい取る術を学んだのだ。

「あんなにもスピーディーにメロディと歌詞を考えつく人にはあったことがないよ」アデルやポール・マッカートニーのプロデューサーであり、シーアと何度もタッグを組んでいるグレッグ・カースティンはそう話す。「メロディと歌詞を同時に生み出し、それらをアレンジしていく。その行程を全部、彼女はワンテイクでやってのけてしまうんだ。彼女のペースについていくのは至難の技だよ」

バッキングトラックに合わせてヴォーカルパートを書くケースを別にすれば、彼女は通常冒頭のヴァースのメロディから着手し、サビへと向かって展開させていく。その後プロデューサーはコード進行について考え、シーアは作詞を始める。歌詞はサビ部から着手し、「ダイヤモンズ」「タイタニウム」「ダブル・レインボー」といったフレーズが示しているように、それは曲全体のコンセプトを簡潔に示すメタファー、あるいは具体的イメージでなくてはならない。サビ以外のパートの作詞はよりロジカルな作業であり、中心となるコンセプトに忠実でありつつ、メタファーを肉付けするように言葉を紡いでいく。

「以前は歌詞を過剰に分析する癖があったの」彼女はそう話す。「クールだって思われたかったから」実際のところ、彼女の書くポップソングはほとんど直感的だ。彼女はある時点でリスナーが歌詞に関心を払っていないことに気付き、サビは元気が出るようなものであれば何でもいいということを悟った。彼女が「勝利のための犠牲」と呼ぶそれを、世間は「アガる曲」とみなす。「私は大抵の場合、架空のキャラクターの視点から歌詞を考えるの」彼女はそう話す。「自分の考えを反映させるケースもあるわ。そういうのはストレートになりすぎないようにしてる」

「タイタニウム」の大ヒットによって、彼女は業界を代表する超売れっ子ソングライターの1人となった。しかし彼女は既存の出版契約を満了するため、もう1枚アルバムをリリースする必要があった。彼女はクリエイティブ面を自身が完全にコントロールすること、そしてツアーやインタビューといった一切のプロモーション活動をやらないことを条件に、アルバムを制作することに同意した。当初彼女は、そのプランに何の期待も抱いていなかったという。「どうせ売れないだろうけど、これで晴れて裏方に徹することができるようになるって思ってた」

その予想を大きく覆すことになった最大の要因、それは「シャンデリア」のミュージックビデオだった。シーア自身もディレクションに携わったそのビデオは、振付師のRyan Heffington、そしてリアリティ番組に目がないシーアが『Dance Moms』でその存在を知ったマディー・ジーグラーとのコラボレーション第一弾となった。そのビデオではブロンドのボブのウィッグを身につけた当時11歳のジーグラーが、壊れた人形のような狂った笑顔を浮かべたまま、廃墟と化した建物の中で激しく踊る。ウィッグに象徴されるその不可解さは、視聴者が独自に解釈することを求めているようだった。同ビデオは大きな反響を呼び、YouTubeの再生回数において史上29番目に数えられている。「あれは私の最高傑作だと思う」シーアはそう話す。「『シャンデリア』のビデオがなければ、彼女の躍進はあり得なかった」ダニエルはそう付け加える。「私たちの関係も終わっていただろうね。自身の作品は出さず、彼女は作曲家として裏方に徹することになっていただろう」

シーアのアバター的存在となったジーグラーは、その後もお馴染みのウィッグ姿で彼女のミュージックビデオやステージに繰り返し登場し、2人はその過程で親しくなっていった。「彼女は私にとって、もうひとりのお母さんみたいな存在」ジーグラーはそう話す。「でも時々、同い年くらいの女の子と接しているように感じるの。実際にはずっと年上なのに、彼女には15歳の女の子みたいなところがあるから」

シーアの知られざる波乱万丈人生、どん底から這い上がったポップスターの歩み

ニューヨークのバークレイズ・センターで演奏するシーアとダンサーのマディー・ジーグラー 2016年10月25日

2015年の時点でシーアは押しも押されぬトップスターとなり、1年でサタデー・ナイト・ライブに3回出演するという前代未聞の偉業を成し遂げた(エピソードのひとつではドナルド・グローヴァーが司会を務めた)。番組収録後、彼女は楽屋に戻る途中でふと声をかけられた。ブロンドヘアでずんぐり顔のその男性は、後にアメリカ合衆国大統領となる人物だった。

「一緒に写真を撮ろう!」そう口にしたトランプの後ろには、カメラを手にしたイヴァンカが立っていた。彼女は凍りついた。共依存を自認しているシーアは、他者を傷つけることをひどく恐れている。その一方で、トランプと仲良く並んで撮った写真がインターネット上で出回った場合のダメージについても考えた。意を決した彼女は、毅然とした態度でこう答えた。「申し訳ないんですけど、遠慮させてください。私のファンにはクィアやメキシコの人も多いし、私自身もあなたの考えに同意できないので」

わずかな沈黙の後、彼はこう答えた。「わかった。気にしないでくれ」気分を害したり傷ついた様子もなく、彼は平然としていたという。

「私が自分のイメージを守ろうとしているのを理解してくれたように思えた」シーアはそう話す。

「分かってくれてありがとうって伝えたいくらいだったわ」彼女はそう話す。「その直後、控え室でひどい下痢に襲われたんだけどね」

ロサンゼルスのSylmarエリアの小さな丘の麓にひっそりと佇むプロダクションスタジオ、Delfino Studio周辺では穏やかな雨が降り続いていた。彼女は当日、挿入シーンとして使われるシーリングファンの画を11回に渡って撮り直すなど、『Music』の撮影を続けていた。撮影クルーのメンバーたちは、天井がもっと古びて見えるようにペイントブラシで手を加え、現在はペンキが乾くのを待っているところだ。非効率的なことを何よりも嫌うシーアにとって、それはストレスのたまる時間だった。「私の人生における最大の命題は時間を節約することなの」彼女はそう話す。「だからこういう状況にはイライラするわ。もっと辛抱強くなるための試練を与えられてるような気がする」

本作はもともとミュージカル映画になる予定ではなかった。「ミュージカル映画にすれば桁違いの予算が出るって気づいたの」彼女曰く1000万ドルの予算が上乗せされたのは、映画のサウンドトラックで元がとれるからだという。Danielは同作をヒットさせるべく、ありとあらゆる手を尽くしている。今日彼らが撮影しているのは肝となるシーンであり、彼女が数週間前に「1時間程度で」書き上げた曲(エンディングで使われる可能性が濃厚)のミュージックビデオという位置付けになる予定だ。快活なその曲「Together」は、「シャンデリア」等よりもずっと彼女のパーソナリティにマッチしている。ブリッジの部分で彼女はこう歌う。「私は愛を求め、そして与えたがってる / 誰か愛を届けて お願いだから」

1カメで一発撮りの「Together」のシーンでは、ヴィヴィッドな原色のジャンプスーツに身を包んだ主要キャラクターたちと6人の子供たちが、12ステップ・ミーティングさながらに輪になって踊る(振り付けを担当したのはもちろんHeffingtonだ)。長く複雑なショットだが、カラフルでハグと笑顔に満ちたこのシーンがエンディングに使われるのだとすれば、映画は極めてハッピーな内容になるはずだ。天井のショットを含むテイクを一心に見つめていたシーアは「素晴らしい」と呟いた後、大きな声で叫んだ。「素晴らしいわ!」

数ヶ月後、映画はほぼ完成していた。「いいものになると思うわ」彼女は電話越しにそう語った。「規格外とまでは言わないけどね…そう断言できないことに悔しさを覚えてるわ。初監督作品を規格外のものにする、それは私の夢だったから。でも仕方ないわね、私は超人じゃないもの」

甲状腺の不調、首と背中の痛み、偏頭痛、慢性疲労など、シーアは現在も身体の問題をいくつか抱えている。寝室にあるプロジェクターは天井に向けられており、彼女は愛犬たちとベッドに横たわり、首を休めた状態でテレビを観ることができる。筆者はシーアがオーバーワークで再びダウンしてしまうことを懸念しているが、彼女に立ち止まるつもりはないようだ。「歳をとることはまるで怖くないの」彼女はそう話す。「だってほら、私にはウィッグがあるから」
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