2019年が幕を閉じる直前に発表された、ジョン・フルシアンテがレッド・ホット・チリ・ペッパーズに再び加入したというニュースは、バンドのファンの多くを歓喜させた。
1.「ギヴ・イット・アウェイ」

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ステファン・セドゥナウィが監督を務めた「ギヴ・イット・アウェイ」の白黒のミュージックビデオはバンドの躍進のきっかけとなったが、同作はフルシアンテの特異なファッションセンスを示す数少ない証拠でもある。カラーガードを思わせる動きやメンバーたちとの絡みも印象的だが、何よりも強烈なインパクトを残すのは無数の鏡を貼り付けたパンツ、当時のトレードマークだったモヒカンヘア、そして股抜きギター奏法だ。地上から見上げる形で映し出されるその姿はトリッピーで、どこかペニスを彷彿とさせる。言うまでもなく、その2つはレッチリを語る上で外せないキーワードだ。ー B.S.
2.「プリティ・リトル・ディッティ」

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1989年発表の『母乳』は、黄金ラインナップのレッチリが初めて完成させたアルバムだ。バンドの結成メンバーであるヒレル・スロヴァクが1988年にヘロインのオーバードーズで逝去する数ヶ月前に、彼の大ファンだったフルシアンテはその代役としてバンドに加入する。それまでバンドは煮えたぎるようなファンクロックをトレードマークとしていたが、フリーがベース以外にトランペットも担当しているこのチルでゴキゲンなインスト曲は、フルシアンテの加入がバンドにもたらした影響を物語っている。「彼は俺が知らないことを山ほど知ってるんだ」当時フリーは彼についてそう語っている。
3.「アンダー・ザ・ブリッジ」

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この曲はバンドにとって最大のヒットとなったが、そのミュージックビデオについて語る際に真っ先に思い浮かぶのは、ニットキャップを被ったフルシアンテが砂漠をバックに、愛用するFenderのジャガーでイントロのメロディを奏でる冒頭のシーンだろう。ヘンドリックスの「リトル・ウィング」のイントロを思わせるその指弾きフレーズについて、フルシアンテは「曲のほろ苦いムードを見事に捉えている」と語っている。「僕の脳にはすごく悲しい曲として響いたし、歌詞もとても切ないから、僕はもう少しだけハッピーなメロディを書こうと思ったんだ」ー H.S.
4. 2007年のライブでのジャムセッション

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『ステイディアム・アーケイディアム』ツアーにおけるハイライトは、必ずしも楽曲群ではなかった。それはタイトかつ大胆というバンドの真髄を体現する、ワイルドでファンキーなジャムセッションだった。それはフルシアンテの独壇場であり、2007年7月にポーランドで行われたコンサートのクライマックスは、その事実を雄弁に物語っている。1993年作「ソウル・トゥ・スクイーズ」と1991年作「パワー・オブ・イコーリティ」でアンコールに応えた後、アンソニー・キーディスは「フリースタイルの時間だ」と呼びかけた。約8分に及んだそのジャムセッションは、フルシアンテによる瞑想にふけるような小気味のいい反復フレーズで幕を開け、やがて宇宙の彼方へと飛び立っていく。ワウペダル、ディレイ、ジャジーなプレイなどを駆使しながら、彼は曲の印象を目まぐるしく変化させていく。興奮がピークに達する5分の時点で、目を閉じたままのフルシアンテの指は、フレットを暴力的かつ美しく駆け上がっていく。同じく見事なパフォーマンスを見せるチャド・スミスとフリーでさえも、ここでは必死にフルシアンテに食らいついているように映る。ー P.D.
5. 「愛はきらめきの中に」

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『ステイディアム・アーケイディアム』ツアーのショーの多くでは、「パラレル・ユニヴァース」や「スノー(ヘイ・オー)」といった人気曲の合間に、フルシアンテがビー・ジーズの「愛はきらめきの中に」をソロでカヴァーし、スポットライトを独占していた。
6.「スカー・ティッシュ」

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ヒットを記録した『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』後のジョン・フルシアンテ脱退により、バンドは90年代を通じて迷走し続けた(代役として加入したギタリストのデイヴ・ナヴァロとの相性は決して良くなかった)。しかし1998年に彼が復帰すると、欠けていたパズルのピースが埋まったかのごとく、バンドは再び輝きを取り戻す。問答無用のカムバック作『カリフォルニケイション』の発表に先立ち、1999年5月にリードシングルの「スカー・ティッシュ」が各ラジオ局とMTVで公開された。数多くの困難を乗り越えてきたことを感じさせるいぶし銀的な魅力と、クライマックスにおけるフルシアンテの美しいギターソロを誇る同曲は、2000年代に圧倒的な勢いを取り戻すバンドによる反撃の狼煙だった。ー A.G.
7.「ザ・ゼファー・ソング」

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『カリフォルニケイション』の次作となった、バンド史上最も過小評価されているアルバム『バイ・ザ・ウェイ』は、フルシアンテが先導する形で制作された。レイドバックしたメロディーや控えめなバッキングヴォーカルという同作の特徴は、表題曲や「ドースト」、そしてバンドの代名詞であるファンクを夢見心地なサイケデリアに置き換えた「ザ・ゼファー・ソング」でとりわけ顕著に現れている。「『バイ・ザ・ウェイ』の制作は、僕の人生において最も幸福な思い出のひとつになった」彼は当時そう語っている。「より優れた曲を書くこと、そしてギタリストとして腕を磨くこと。その2つだけに専念することができたからね」ー A.M.
8.『ステイディアム・アーケイディアム』

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レッチリにとって初の全米ナンバーワンアルバムとなった本作の発表後、フルシアンテは再びバンドを脱退する。ファンクロックを代名詞とする彼らは同作の制作中、強固なチームワークが可能にする新たな方向性を打ち出すと明言していた。バンドの士気がかつてなく高まる中で制作された同作は、それまで以上に一貫性とバランス感に優れた内容となった。