先日私がボーカル、ギターを務めるバンド、ミノタウロスの1stアルバムが完成した。
MV】ミノタウロス「恋のチンチン電車」
ポップスをどの言語で歌うかは日本人にとって繰り返し議論されてきたトピックである。小坂一也がカバーしたエルヴィス・プレスリーの”ハートブレークホテル”(ママ)は日本における最初期のロックンロール曲であるが、英語でワンバース歌ってから、日本語に翻訳したツーバース目が続いた。「日本語はポップスのメロディーには不適切かもしれない」——この疑念は、後に国産ミュージシャンの華々しい活躍で間違っていたと立証されたが、70年代にニューミュージックが登場するまでは、作り手受け手双方にこのモヤモヤがあったのは事実である。
非英語圏のミュージシャンが直面し続ける言語の選択
しかし、このトピックはもう少し根深い。「日本人にポップスが作れない」という考えが単なる思い違いであったという確認作業を経て、今度は「邦楽が国際競争力を得るためには英語で歌う必要があるかもしれない」という仮説が生まれたのである。これは全ての非英語圏のミュージシャンが直面し続けている問題かもしれない。以後フラワー・トラベリン・バンドに始まり、ピンクレディーやLOUDNESSなど海外進出を目指すアーティストは殆どの場合、英語で作品を作り、挑んできた。それは現代のONE OK ROCKにおいても、サブスクリプションサービス上にて海外でバズるのを狙うインディーバンドにおいても同様である。
ONE OK ROCK: Stand Out Fit In [OFFICIAL VIDEO]
一方、桑田佳祐を筆頭に、日本語詩に英語を盛り込むアーティスト群も登場した。<笑ってもっと baby むじゃきに on my mind>なんて詩は、「日本人が日本語でポップスを作れた」という成功体験を経たからこそ実現した表現手段だろう。「英語って結局ポップスに乗りやすいしクールだから拝借してしまおう」という開き直りにも似た発想が成立するようになったのだ。これは爆発的に流行した。ところが以降、唐突に不可思議な英語が登場するJ-POPは、英語圏の人間には奇異に映ることとなったのである。歯に衣着せぬブラック・コメディで悪名高いアニメ『サウスパーク』内でも痛烈にパロディ対象とされていたが、国内市場に向けた表現では、気にかけることもなくなったこの言語問題も、やはり国際競争力を考えた時には無視できないのである。
言語の問題に風穴を開けたシティポップの流行と世界
竹内まりやの”Plastic Love”がYouTube上で爆発的に再生され、山下達郎や間宮貴子などのシティポップ系アーティストが海外に受容されたのは記憶に新しいことだが、これらは日本語詩に英語詩を盛り込むアーティストである。数十年前の邦楽が突如国外で脚光を浴びはじめたのは、様々な文脈において「事件」であったが、特に国産ポップスの国際競争力と言語の問題を打ち破る画期的な出来事だったのではないかと、筆者は考えている。
竹内まりや 「Plastic Love」Short ver.
日本語で歌われた国産音楽、英語で歌われた国産音楽、それらが混じり合っているもの。言語の要素はクオリティの面でも国際競争力の面でも矮小化し、我々が完全にこのトピックから解き放たれる時も近いのかもしれない。いや、坂本九”上を向いて歩こう(SUKIYAKI)”の時点で我々は答えを知っていたのに、必要以上に何十年も考えすぎてしまったのだけなのだろうか。そして、もはやこれは日本語英語関係なく、世界的な現象なのかもしれないとKIRINJI”killer tune kills me”のYonYonによる韓国語パートを聴きながら思う。
KIRINJI - killer tune kills me feat. YonYon
Edited by Aiko Iijima