音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組『J-POP LEGEND FORUM』。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。
2020年1月の特集は、「瀬尾一三2020」。今週と来週の2週に渡って、去年、音楽活動50周年を迎えた70年代以降の日本の新しい音楽のプロデューサー、アレンジャーの先駆けである彼の作品集の収録曲を特集していく。今週は収録曲の後半8曲について、田家と瀬尾が裏話をトークしていく。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO『J-POP LEGEND FORUM』案内人の田家秀樹です。今お聴きいただいたのは、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears-」。1月8日に発売になりました『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』からお聴きいただいております。オリジナルは1988年のアルバム『グッバイ ガール』収録。今月2020年1月の特集は「瀬尾一三2020」。プロデューサー、アレンジャー、作曲家、音楽監督、シンガー・ソングライター、中島みゆきさんを手掛けるようになって32年です。1月8日に瀬尾さんが手掛けられた曲を集められたコンピレーションアルバム『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』が発売されました。瀬尾さんが70年代から2000年代まで手掛けた全17曲が収録されています。
先週と今週は、そのアルバムの全曲紹介をお送りいたします。今週は後半です。

瀬尾一三(以下、瀬尾):こんばんは(笑)。

田家:今回の瀬尾さんの特集はですね、内幕をお話すると、4週間分まとめて収録してます。

瀬尾:これ言っちゃっていいんですかね(笑)。おじいちゃん頑張ってます。

田家:なぜ4週分まとめて録ってるかと言いますとですね、1月には中島みゆきさんのラストツアー「結果オーライ」が始まりまして、瀬尾さんもそちらに参加されますし、私も同行させていただくことになっておりまして。体力的には大丈夫なんでしょうかね。

瀬尾:本当ですよね、頑張りましょうね(笑)。

田家:コンピレーションの話もありましたが、2月8日には瀬尾さんの本『音楽と契約した男 瀬尾一三』。が発売されます。先週はこの本の話を最後にして尻切れとんぼになってしまったので、今回は本の話から始めようと思います。
スペシャル対談も4組ありまして、萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さん。どんなお話をされました?

瀬尾:お互いの役割が似ているというか、アレンジプロデュースをやっている方々と個別にお話したんですけど。やっぱり共通しているところもあれば、アプローチが全然違う人もいて、そこを赤裸々に話してくれたので楽しかったですよ。

田家:萩田さんはストリングス、オーケストラが得意な方で、松任谷さんは由実さんと鉄壁のコンビを組まれている、山下さんはアーティスト活動と竹内まりやさんのプロデュースを両立、亀田さんはご自身もベーシストですし、バンドもソロも手掛けられている。

瀬尾:そうですね、それぞれの色がありますね。亀田さんは椎名林檎さんや東京事変もやっていますし。でも皆さん各々自分たちの方法論があって共有してみたりとか、「あるある」の話もあったりとかしてとても熱のある人たちでした。皆ハートがすごい熱いですね。

田家:そういう人たちと話す機会は頻繁にあるんですか。

瀬尾:そうですねえ。そんなに若い人との交流も多くはないので。

田家:亀田さんは以前から瀬尾さんと話したいと言われてましたよ。


瀬尾:そうですね、亀田さんは時々一緒に食事したりするので。奥さんの歌手の下成佐登子さんが、僕がアレンジをしていた方だったりするので。

田家:そうなんですね。本日1曲目は、この本には寄稿という形で参加されている方であります。『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』より10曲目、吉田拓郎加藤和彦さんで「ジャスト・ア・RONIN」。

1987年、ASKAのソロデビューシングル「MY Mr. LONELY HEART」

田家:1986年公開の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の主題歌。作詞は安井かずみさんで、作曲は加藤和彦さん。これは作品集の1・2には収録されていませんでしたね。でも拓郎さんは瀬尾さんがリーダーだったビッグバンドのツアーでもこの曲をやられていて。そしてこの『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本には、吉田拓郎さん、中島みゆきさん、中村中さんからの寄稿。吉田拓郎さんは何を書かれていたんですか?

瀬尾:大笑いの話ですよね。僕も忘れてたのによくもまあそんなこと覚えてたなってなるような(笑)。


田家:あの人覚えてないっていう割に結構しっかり覚えてますからね。

瀬尾:そうなんですよ、僕の大失敗について書かれてますね。

田家:どんな内容かは是非本を手に取ってご覧になってください(笑)。お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』より10曲目、吉田拓郎と加藤和彦さんで「ジャスト・ア・RONIN」でした。続いて11曲目です、1986年発売の森川美穂さんで「姫様ズーム・イン」。作詞がちあき哲也さんで作曲が小森田実さん、ミノルタカメラのCMソングにもなっておりました。

瀬尾:(急に笑い出す) 何を笑ってるかと言われますとですね、すいません何も覚えておりません。森川さんは覚えているんですけどね。

田家:でも森川美穂さんはヤマハの方ですもんね、瀬尾さんとヤマハの付き合いは長いですねえ。

瀬尾:そうですね、1番最初はNSPだったんですけどね。

田家:ヤマハといえば先週お話されていたCHAGE and ASKAの世界歌謡祭のアレンジの話とかデビューシングルの話もありましたが、その前にNSPもやられていたんですね。それはどういう経緯で?

瀬尾:もう亡くなってしまったNSPの天野くんからオファーがあって一緒に仕事してましたねえ。
そこから次は誰、次は誰っていういう風に決まっていきましたね。

田家:なるほど。ヤマハには音楽シーンの中で新しい音楽に果たした役割が確実にありますよね?

瀬尾:その当時、既成に出来上がっていた会社とは別の動き方ですよね。振興会っていう団体の役割もあったと思うんですけども。

田家:NSPも東北から出て来ましたし、まだ実績もなくルートもない地方の音楽やりたい人にとってヤマハっていうのが最大の入り口になったましたね。

瀬尾:そうですね、九州から北海道、名古屋とかいろいろなところから発掘してくるベースとして振興会を作ったのかもしれませんね。

田家:それは現場でそういうことやってる人たちの中に、新しい音楽を作る、発掘するんだっていう意識があったんでしょうか?

瀬尾:それもあるし、そこの中での競争もあったから皆が探してきたもの、育てたものを中央に持っていくっていう動きもありましたね。

田家:なるほど。この話は次のアーティストの話にも繋がっていきますね。お聴きいただいたのは森川美穂さんで「姫様ズーム・イン」でした。続いて12曲目です。1987年、ASKAのソロデビューシングル「MY Mr. LONELY HEART」。
先週の話では、CHAGE and ASKAのデビューシングル「ひとり咲き」も瀬尾さんが手掛けていらして、そのイメージを脱却していくのは苦労しただろうなっていうお話でした。

瀬尾:自分なりにソロっていうことでは考えまして。

田家:色々相談したりもしたんですか?

瀬尾:そうですね、僕の中でもCHJAGEとASKA二人でやるのと一人でやることの区別化を図りたかったっていうのもあって。それでもしかして、CHAGE and ASKAの色をやってしまったら彼のソロでは亡くなってしまうので。彼のソロをどうするかっていうのは結構考えましたね。

田家:これはASKAさんご自身もお話されていましたけど、ソロをやるかってずっと言われていたけど、自分の中でやっちゃいけないんじゃないかと思ってしばらくやっていなかったと。

瀬尾:うんうん、やっぱり二人でしかできないものもあるけども、一人でやってみたいってのもあったと思うんです。ASKAのソロアルバムの中に「蘇州夜曲」っていう有名な曲があって。ああいうのは二人では歌えないから一人でやってみたかったのかなって思いますけどね。本当は今回のコンピレーションにも「蘇州夜曲」を入れて欲しかったんですけどね、大人の事情っていうやつで(笑)。

田家:権利関係とか色々ありますもんね。このコンピレーションアルバムには、CHAGE and  ASKAのデビュー曲とASKAソロのデビュー曲も収められていて、そういう意味では時間の流れもあっていい選曲ですよね。

瀬尾:じゃあ選曲した人にそうやって言っておきます(笑)。

田家:でもそういうデビューをサポートしてるっていう感覚はあります? 例えば父親のような感覚。

瀬尾:数年経ってから思ったことなんですけど、デビューに僕が参加させてもらうことは、その人達の人生に自分が果たして関わっていいのかっていうことで。昔はそう思ってなかったんですけど、10年くらい経って責任重大だなっていう思いがふつふつと沸いてきて怖くなった時期もありましたね。

田家:なるほどね。お聴きいただいたのはASKAで「MY Mr. LONELY HEART」でした。

初めてアレンジした中島みゆきの「涙 - Made in tears -」

田家:次の方は人生に関わったというよりは、人生そのものになった方でしょう。1988年、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」。初めて瀬尾さんがアレンジされた曲で、お互いの人生を決めた曲。

瀬尾:この時はシングルとしては一番最初にレコーディングした曲で、もしかしたらごめんなさいっていう結果になるかもしれませんっていう風にディレクターの方には言って。お互い牙を剥き合って刺しあって終わるかなという感じだったんですが、なんでしょうね、こうして30年も続いてね。

田家:牙を剥き合うという感じがあったんですか?

瀬尾:ありませんでした(笑)。本当にあったら30年もやっていなかったと思います。お互い我慢強くて、まだ牙出してないのかもしれません(笑)。だからいつか牙を出された時には「すいません」って言うしかないですね。

田家:中島みゆきさんをやるって決まった時には周りの人には「大変だよ、辞めた方がいいよ」って言われたということですが、実際に会ってみたらこんなにちゃんと話ができる人なのかと思ったと。

瀬尾:本当に百聞は一見に如かずですよ。まず皆さん、周りのことはあまり信用しない方がいいです、まず会いましょう。初めてそう思ったんですよね、人の噂はこういうものなんだなって。だから直にあって話すっていうことはお互いに誤解なくなるので。

田家:みゆきさんの曲はもう一曲選ばれているので、後ほどまたということで。コンピレーションアルバム13曲目、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」でした。

田家:続いて14曲目です、長渕剛さんで「とんぼ」。1988年のドラマ『とんぼ』の主題歌でオリコン5週連続1位、年間3位ということですごいですね。この時、長渕さんはデビュー10年目ですね。

瀬尾:この紹介文を見ていて思ったんですけど、さっきの中島みゆきさんの「涙 - Made in tears - 」とこの「とんぼ」、発売日が5日違いなんですよね。なんだこの短い間に(笑)。だからほぼ同時くらいにレコーディングしてたんでしょうね。

田家:でも長渕さんはこのずっと前からやられていたんですもんね。やっぱりこの、大ヒットになった曲で今後の彼の活動の転機になったりとか、新しい何かが始まった感じはありました?

瀬尾:そうですねえ。でも当時彼はドラマに出たりしていましたからね。その相乗効果のような気もしますけどね。だから、うーん……。本当にこう言っては申し訳ないけど、僕の仕事って発売の3カ月~半年前にもう曲を仕上げちゃってるから。だから実際の発売の時期には、正直どうなのかってよく分からないんですよ(笑)。だからヒットしましたっていうのは、僕からしたらずっと前のことで。ヒットしましたって言われても「あ、そうなんですね」っていう感じなんですよね。実感としてよく分からないんで。

田家:2月10日に『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本が出るわけですよね。こういう本のインタビューで大体聞かれるのが”ヒット曲を生み出すコツ”という質問でしょう。

瀬尾:あーもうね、それが一番困りますよね。コツがありゃそんなに苦労しないよってことなんですけどね(笑)。

田家:でも何か答えないといけないわけでしょう?

瀬尾:そうですね。そういうものって公式がないから楽しいのであって、これに公式があったらその通りやればいいだけになっちゃうじゃないですか。僕の場合は50年続けられたっていうのは、そういう公式がないからであって、無い公式に近づけるっていうことを考えることが長く続けられる秘策かもしれないですね。

田家:公式や秘策を探そうと思った時はありませんでしたか?

瀬尾:仕事を始めて海のもの山のものと分からない頃は、必死にそういうものを探した時もあったと思います。でも無いってことがわかった瞬間に、この前の中島さんの曲じゃないけど空任せです。

田家:「齢(よわい)寿(ことぶき)天(そら)任(まか)せ」ですね。でも、公式があるって思うことが、自分を縛ることにもなりますよね。

瀬尾:そうですね、だから大体皆のあると思ってるのは柳の下のどじょうですね。

田家:なるほど。14曲目長渕剛さんで「とんぼ」でした。

自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこない

田家:1988年の中山美穂さん1stアルバム『angel hearts』より「Sweetest Lover」。これも1988年なんですね。そう考えると、瀬尾さんが中島みゆきさんの「涙 - Made in tears」や長渕剛さんの「とんぼ」、そしてこの曲「Sweetest Lover」、ここで一つ波があったんでしょうね。

瀬尾:全部違う曲調なんですけどね(笑)。もはや多重人格ですよね、でもそうじゃないとアレンジプロデュースってできないですからね。色々な面を見ないと。アーティストを見る目っていうのがないと、自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこないので。

田家:しかも公式に当てはめようともしないと。でもある種の飽和状態っていうんでしょうかね、やれることはやってしまった感じになったことはありますか?

瀬尾:ありますあります。もう引き出し空っぽっていう、ゴミも出てこないっていう。でもこれは本当に自由業の特権なんですけど、休めばいいんです。仕事をしなければいいんです。

田家:それはいつごろですか?

瀬尾:それは30代後半くらいですね。80年代後半くらいにそういう状態になって、もう辞めたくなりましたね。

田家:1988年っていうのはそれを抜け出した頃?

瀬尾:そうなんですよ。僕の運が良かったのは、その頃に徳永英明さん、中島みゆきさん、長渕剛さんと出会ってそこで自分の中でも結構変わってきましたね。

田家:そうなんですね、やっぱり出会うべくして出会ったんでしょうね。お聴きいただいたのは15曲目、中山美穂さんで「Sweetest Lover」でした。続いて16曲目です、徳永英明さんの「夢を信じて」。出会うべくして出会った人です。1990年に発売された9枚目のシングルで徳永さん最大のヒット。しかもこの曲は、彼が事務所を立ち上げた時の曲ですね。そういう意味でも彼にとって人生の転機になった曲ですね。

瀬尾:そうなんですね。僕は徳永英明とこの何年か前から一緒に仕事をしていたんですけど、なぜか知らないけど彼とはとても馬が合ったんですよね。育ったのも関西で、近くの高校なので話題が結構あって、しかも吉本観て育ってるんで(笑)。レコーディング中はずっと笑ってましたね。ずっと掛け合いをやってました。

田家:なかなかそういう風には見えない2人ですけどね(笑)。

瀬尾:スタジオの人が笑い転げて疲れるくらいでしたね。

田家:徳永さんの曲は、今回のコンピレーションの1と2には「壊れかけのRadio」と「最後の言い訳」が入ってましたけども。そういう意味では徳永さんの歌のビートっていう意味ではこの曲が一番でしょう?

瀬尾:そうですね、この歌はアニメ『ドラゴンクエスト』の主題歌でもあったので、そういう意識もあって作りましたけども、

田家:そして一番のヒットになったと。

瀬尾:あ、そうだったんですか?

田家:これもやっぱりヒットのこと言われてもわかりませんよって(笑)。でも徳永さんと出会えて良かったことって何かありますか?

瀬尾:プロデューサーという意識をすごく持たせてくれたかな。長渕剛さんとは共同プロデュースっていう形だったんですけど、徳永さんの場合は全面的に任せてくれて信頼もしてくれたので。それがプロデューサーの方にウェイトを持っていこうっていう気持ちにさせてくれたのは徳永さんですよね。その後に中島みゆきさんと会ったので、その時にはプロデューサーメインでやっていこうって思うようになってました。

田家:なるほど。この「夢を信じて」が発売された1990年には中島みゆきさんのイベント「夜会」も始まってました。

瀬尾:1989年でしたからね。

田家:お聴きいただいたのは16曲目、徳永英明さんで「夢を信じて」でした。最後の曲はこちらです。中島みゆきさんの1992年の曲「浅い眠り」。

中島みゆきとの仕事においての「プレッシャー」とは?

田家:1992年に発売された。28枚目のシングルでドラマ『親愛なる者へ』の主題歌で「浅い眠り」でした。初のミリオン超えということですが、まあ一旦セールスのことは置いておいて。

瀬尾:置いておいて下さい(笑)。

田家:でもこういうヒットが出ると、どこかで後々の意識が影響されるっていうことはないんでしょうか。それともそういう意識から排除するんでしょうか。

瀬尾:排除することはないですよ。認めてくださることはとても嬉しいと思いますけど、僕の仕事の内容にはあまり変わりはないですよね。考え方には全く変化はなくて、あまり考えてしまうとプレッシャーの方が強く感じてしまって、怖くなって先に進めなくなると思うので。なので、こういうことは、お祝いとしてありがたく受け取って、皆さんに広まったっていうのは嬉しいことだけど、それは僕がやったということではなくて本人の力なので。そこで俺が俺がって言ってしまったところで、先に来るプレッシャーの方が大きくなって大変だと思うので。あくまで第三者的に「あぁ、よかったですね」くらいで終わってますね。

田家:でも中島みゆきさんとの仕事は年々プレッシャーが増してくるわけでしょう?

瀬尾:まあそう言われるとどう答えたらいいか分かんないんですけど、さっきのプレッシャーと対中島さんのプレッシャーっていうのは別物であって、あくまでクリエイティブな前向きなものじゃないですか。「売れました」っていうプレッシャーは不安になるようプレッシャーだけど、中島さんとのプレッシャーはもっと前に進んで行こうっていうもので別物ですね。

田家:プレッシャーの質の問題ですね。セールスは質の問題じゃないですもんね。この徳永さんと出会ったことで自分に何が良かったかをお伺いしましたが、中島みゆきさんと組んだことで始まったこと、やり甲斐ってありますか? 例えば「夜会」が始まって違って見えたとか。

瀬尾:いやー。僕にとっては一番最初に仕事した「涙 - Made in tears-」が始まりなので、それからずっとある意味で戦いですよ(笑)。30年一緒にやってて、ただすれ違っただけですっていうことにはならないじゃないですか。一緒に仕事してきて、音楽業界の中での戦友なので、戦友は裏切らないようにしないといけないし。ずっと戦友でいたいと思うし、向こうがいらないって言うまでは、老兵ながらツアーとかも足手まといにならないようにしましょうお互い、ハイ。

田家:お聴きいただいたのは、1月8日に発売になりました『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』最後の曲、中島みゆきさんで「浅い眠り」でした。『J-POP LEGEND FORUM』瀬尾一三2020年part.2、70年代以降の日本の新しい音楽のアレンジャー・プロデューサーの先駆け瀬尾一三さんに特集する1カ月。今週はPart4『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』後編でした。今流れているのは、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。そして2月10日に『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本が発売になります。萩田光雄さん、松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さんとの対談、そして吉田拓郎さん、中島みゆきさん、中村中さんからの寄稿もありまして。中島みゆきさんはどんなことを寄稿されているんでしょう?

瀬尾:これも僕との出会いの話をしています。

田家:「涙 - Made in tears-」の時のことですか?

瀬尾:いえ、なぜ彼女が僕を選んだか? 一度もお話したことないことだと思うので、是非読んでください。

田家:この本で一番伝えたいこと、感じ取って欲しいことって何でしょう。

瀬尾:僕は別に人生の終盤を迎えた人の自慢話をしようとも、音楽業界での成功のハウツーを語ろうとしてるわけでもないんです。人に知られていない職業の紹介、音楽という業界で昭和・平成・令和を生きてきた一人の職業を通した生き様を感じてくれればと思ってるだけなんで。

田家:プロデュースとは何か、アレンジとは何かの一つの答えやヒントがある?

瀬尾:あるかもしれませんし、ないかもしれません(笑)。お任せいたします。

田家:受け取る人次第でしょうか。そして、『時代を創った名曲たち 3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』なんですが4作目もあるんでしょうか?

瀬尾:いや、もう勘弁して下さい(笑)。

田家:でもみゆきさんのツアーが終わった頃に、スタッフの方からあれもあります、これもありますという提案が出てくるかもしれません。

瀬尾:かもね。

田家:お互い無事にツアーを終えましょう、よろしくお願いいたします。

瀬尾;こちらこそよろしくお願いいたします。

田家:ありがとうございました!

<INFORMATION>

瀬尾一三
1969年フォークグループ「愚」として活動。1973年ソロシンガーとしてアルバム『獏』を発売。同年に『LIVE`73』を吉田拓郎と共同プロデュース。その後、中島みゆきをはじめ、吉田拓郎、長渕剛、德永英明 他、今作品に収録された日本のポップス、ロックシーンの黎明期から現在まで燦然と光輝くアーティストたちの作品のアレンジ(編曲)やプロデュースを手掛け、中島みゆきにおいてはコンサート、『夜会』『夜会工場』の音楽プロデュースも務めている。2017年、自身の作品集第1弾『「時代を創った名曲たち」~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』を発売し、好評を博した。2019年に第2弾、2020年1月に第3弾の発売が決定。その同時期に音楽活動50周年のアーカイブ書籍の発売も予定されている。
https://www.yamahamusic.co.jp/files/34/ymc/seo_superdigest3/?ima=0928#responsive

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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