ビリー・ジョー・アームストロングはギターを教わっていた人物に、その人生を変えることになる質問をした時のことをはっきりと覚えている。「曲はどうやって書けばいいのか、そう訊いたんだ」現在47歳、グリーン・デイのギター/ヴォーカルはオークランドにある自身のスタジオでそう話す。「彼の答えはこうだった。『ヴァース、コーラス、ヴァース、コーラス、ブリッジ、ヴァース、コーラス……それを自分の好きなように組み合わせればいいのさ』」
それ以来、アームストロングは寝ても覚めてもそのことばかりを考えるようになった。孤独や不安、ドラッグ、そしてマスターベーションといった思春期の若者なら誰もが経験することを3コードで表現したアンセムの数々は、1000万枚以上を売り上げた1994年作『ドゥーキー』をはじめ、世代を超えて若者たちの心を掴んできた。ストレートなパンクロックであれ、政治的メッセージを込めたロックオペラであれ、アームストロングは作曲においてあるルールを自身に課している。「自分自身、そしてオーディエンスに対して、できる限り正直であろうとしてる」彼はそう話す。「多くの人が共感できるものっていうのは、自分の内面を深く掘り下げていく過程で生まれてくるんだ。人は皆深いところで繋がっている、俺はそう信じてるんだ」
曲の中にはわずか5分で出来上がったものもあれば、完成までに長い時間を要したものもある。彼は最近、1993年に原型が生まれた曲を仕上げたという。そのキャリアの開始から30年目を迎える2月に、グリーン・デイは13作目となるアルバム『ファザー・オブ・オール…』を発表する。
「ビリーは新境地を開こうと、自分の限界に挑戦してた」ベーシストのマイク・ダーントはそう話す。「俺たちはあいつに必死で食らいついていった。それってマジで大変なんだよ、ビリーほど物事を深く掘り下げるやつはいないからね」
インタビューに答えるアームストロングは、フレンドリーだが思慮深さをうかがわせ、質問に答える前にしばらくの間沈黙することもある。「バカだと思われたくないからな」発言の途中で彼はそう口にした。バンドメンバーであり、30年来の友人でもあるクールは、かつてアームストロングについてこう語っている。「才能に恵まれていて、苦悩を抱えてる。ビリーの脳みそは、同期させた18台のテープレコーダーみたいなんだ。会話してると思いきや、相手の目を覗き込んで『何だって?』なんて言ったりするんだよ」
「あの野郎!」アームストロングは笑いながらそう口にした。「知ったような口を利きやがって」彼はそう話しながらも、作曲においては自身の脳がどう働くのか、自分でも把握できていないという。数多くの曲を残してきた彼だが、曲作りからしばらく離れていると今でも不安に駆られるという。
1.「409 イン・ユア・コーヒーメーカー」
『Slappy EP』(1990年)

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当時、俺は高校を中退したばかりで、とにかく途方に暮れてた。世界に置いてけぼりにされた夢遊病者のような気分で、自分の進むべき道がまったく見えなかった。でも俺がソングライターとして最も素直になれるのは、そんなふうに途方に暮れてる時だと思う。沈んだ気持ちをエネルギーに昇華させようとするんだ。「俺の願い、それはこの鎖を引きちぎること/未来に向かおうとする俺を縛り付けるこの鎖を」それまでに書いた曲は未熟さをテーマにしてたのに対して、この曲では俺の別の一面を表現できたと思った。この曲をライブでやり始めた時、オーディエンスの反応がすごく良かったのを覚えてる。特に地元のパンクスたちの間でね。その時点で既にアルバムとEPを1枚ずつ出してたけど、俺はこの曲でソングライターとしてのリズムを身につけたと思う。俺が18歳の時だよ。
2.「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」
『カープランク』(1992年)

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グリーン・デイとして初めてツアーに出た時、ミネアポリスで開かれたとあるハウスパーティーで、俺は妻のAdrienneと出会ったんだ。レコードが売り切れてたから、彼女と連絡先を交換したんだ。
しばらくして、グリーン・デイがミニツアーに出ることになった。カリフォルニアからミネソタまで、何時間もかけて車で向かった。4公演くらいだったと思うんだけど、ウィスコンシンやミネソタでライブするためにそこまでやるなんて理解できないって言われたよ。俺はただ彼女に会いに行きたかったんだ。その帰りの車の中で、「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」を書いた。ごく自然と生まれてきたんだ。アコギの弾き方りバージョンをカセットに録音して、それを彼女に送った。好きな人のために書いた曲を聴かせるのって、死ぬほど勇気がいるんだよ。「うわ! このストーカー!」なんて言われたら悲劇だからさ。幸いなことに、それ以来この曲はずっとライブの定番になってる。
3.「ウェルカム・トゥ・パラダイス」
『カープランク』(1992年)『ドゥーキー』(1994年)

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当時俺はウエスト・オークランドの郊外にあった家を出て、仲間のパンクスや友達がたくさん住んでるちょっとヤバい地域にある、ネズミに占拠された倉庫みたいなところに引っ越したばかりだった。一番の理由は、月に50ドルっていう破格の家賃だった。ライブで月に200~300ドルくらいは稼いでたから、家賃を払ってもTop Ramenを食ったり、クサを買ったりする余裕はあったんだ。
すごく新鮮な経験だったよ。オークランドで一番ヤバい地域に、独りで住んでたわけだからね。通りは荒れてて、近隣一帯が朽ち果てたような家が立ち並ぶゲットーだった。そんなところで一人暮らしだぜ? 常にビクビクしてて、「ここから抜け出すにはどうすればいいか?」ってことばかり考えてた。でも住めば都ってやつで、気づけば快適にさえ感じるようになってた。ジャンキーやらホームレスやら喧嘩に明け暮れるギャングやらに囲まれてると、ちょっとした連帯感が芽生え始めるんだ。「駅の構内で銃声が鳴り響く/キレたどこかの浮浪児が死んで置き去りにされる」あれは当時の俺の日常のそのもので、歌ってることは全部事実なんだ。ライブではいつもすごく盛り上がる曲だね。
4.「SHE」
『ドゥーキー』(1994年)

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昔アマンダっていう、カリフォルニアの学生だった女の子と付き合ってたんだ。俺はフェミニズムについて、彼女から多くのことを教わった。あの頃彼女と出会えたのはすごく幸運だったと思う。彼女は高校を中退した世間知らずのガキだった俺に、長い間女性たちがモノとして扱われてきたってことを教えてくれた。この曲は彼女へのラブソングのつもりで書いたんだけど、彼女の考え方にインスパイアされた部分もある。「耳から血を流すまで俺の耳元で叫んでくれ」っていう歌詞は、話を聞くっていう俺の意思表示みたいなものなんだ。どんな活動に対しても、相手の意見に耳を傾けるっていうのが最初のステップだと思う。
「SHE」は何かを理解することについての曲で、歌ってるとすごく気分が良くなってくるんだ。不要なものを削ぎ落とした、3コードのシンプルな構成のこの曲を、俺はすごく誇りに思ってる。隠れた名曲だと自負してるよ。シングルカットされたわけじゃないけど、それ単体で成立するだけの存在感がある。
5.「ロングヴュー」
『ドゥーキー』(1994年)

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プリテンダーズの「メッセージ・オブ・ラヴ」って曲が大好きで、俺もああいうのを書きたいって思ったんだけど、いいベースラインが浮かばなかった。当時俺たちはみんなカリフォルニアのリッチモンドに住んでて、ある日俺は1人で映画を観にいったんだけど、その間に他のメンバーはウチでアシッドをやってたんだ。俺が帰宅すると、ベースを抱えたマイクがキッチンの床に座り込んでた。キマってるのが一目でわかったけど、やつは「すげぇいいのが浮かんだぜ! バッチリだ」って言って、あの曲のベースラインを弾いてみせた。その時は正直どう判断していいかわからなかったよ。アシッドをキメたまま考えたフレーズを、やつが後で思い出せるかどうか怪しかったからね。でも翌日にスタジオでやってみたら、見事にハマったんだよ。
歌詞は典型的な負け犬の人生を描いてる。テレビを観て、オナニーして、虚しい気分になるっていうさ。あの頃、俺は大きな不安を抱えてた。将来の展望はゼロだし、彼女もいなかった。Adrienneと知り合ったのは90年頃だったけど、付き合い始めたのは94年とかその辺だったからね。バンドはメジャーレーベルと契約したばかりで、アンダーグラウンド時代から応援してくれたやつらからは批判されたりもしてた。いろんなことが自分の手に負えなくなっていくように思えて、のるかそるかの大博打に出ちまったって感じてた。この曲はじっくり聴いてみると、すごく変わってるってことに気づくと思う。あんな風にスウィングするリズムや、あれだけのエネルギーのあるフックを作れるバンドは他にいなかった。グランジはもうダサいと見なされていたし、もともと俺たちはもっとハードでアッパーなバンドだったから。この曲はすごく踊れるから、ライブではいつも大盛り上がりだったよ。
6.「ブレイン・シチュー」
『インソムニアック』(1995年)

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この曲はなかなかのダークホースだね。当時はいくつかのレコーディング機材を新たに導入したばかりで、それを色々試してる時にこの曲のリフを思いついたんだ。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」みたいな、ビートルズのハードめな曲っぽくて気に入った。メタンフェタミンをやったせいで眠れなくて一晩中起きてる、そういうことを歌ってる。当時のパンクシーンにはそういう風潮があって、俺自身もやってた。あれは悪魔のクスリさ。
当時の状況に、俺は正直ビビってた。俺はかなり真面目なソングライターでミュージシャンなんだけど、『ドゥーキー』が史上最も売れたポップスのアルバムのひとつになりつつあった時、俺は自分にこう言い聞かせてた。「俺はロッカーだ。俺はパンクロッカーなんだ。ポップスターなんかになることよりも、俺にはそれが大切なんだ」ってね。この曲にはそういう思いが表れてる。
あの頃は他にもいろんな変化が起きてた。俺は結婚し、23歳にして父親になり、気に登って俺ん家の中を覗こうとするような輩が現れ始めた。ロックスターってやつになることの代償を思い知らされた時期だったね。自分の行動がもたらしたものを、自らコントロールすることはできないんだよ。俺はこの曲で、グリーン・デイ のより醜い部分を描こうとしたんだ。
7.「グッド・リダンス (タイム・オブ・ユア・ライフ)」
『ニムロッド』(1997年)

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この曲は『ドゥーキー』を作ってた頃に書いた。エクアドルに引っ越すガールフレンドのために書いた曲なんだ。ある日バークレーのあるハウスパーティーに行ったんだけど、大学生たちがアコギを回しあって順番に歌ったりしてた。ポニーテールの変な男がアコギを抱えてるっていう、ドラマとかでよく見る構図さ。俺もアコギを使った曲を書いてみようかなって、その時ふと思ったんだ。それで生まれたのが、その娘との関係の終わりを歌ったこの曲さ。「思い出のタトゥーと試される死んだ皮膚」っていう歌詞は、タトゥーで入れた彼女の名前を隠さなくちゃいけなかったっていう、俺自身の経験に基づいてるんだ。
身近な人が自分とは違う道を選ぶことをクールに受け止める、そういうことを表現しようとしたんだ。この曲自体、当時のバンドの作風とはガラっと違ってたしね。ツアーに出る準備をしつつ、『ドゥーキー』のプロモーションをして、ラジオではシングル曲がかかり始めてた当時、状況が大きく変わりつつあるのを感じてた。彼女は勉強を続けるために、エクアドルに引っ越して家族と一緒に暮らすことにしたんだ。人生は素晴らしい出会いに満ちてるけど、気付けばそういった人々が自分の前からいなくなってしまってる。この曲ではそういうことを歌ってるんだ。
93年の時点で曲は完成してたけど、グリーン・デイとして発表することはないだろうと思ってた。『インソムニアック』の制作時にはデモも録ったけど、アルバムには合わなかったし、この曲をどう扱うべきか自分でも分からなかった。でも『ニムロッド』を作ってた時に、もう一度試してみようと思ったんだ。弦楽四重奏のストリングスなんて、グリーン・デイのイメージとはまったく無縁だったけど、やってみると見事にハマった。この曲はバンドの新境地を開いたし、自分たちの更なる可能性を感じることができた。
この曲にはそれだけで成立する存在感があると思う。結婚式やら卒業式で使われることになるとは、作ってた頃には夢にも思わなかったけどね。つい最近、弟を亡くしたばかりだの女の子からInstgramでメッセージをもらったんだけど、家族全員がこの曲を聴くたびに彼のことを思い出すんだってさ。それってソングライターにとって、これ以上ないってくらい名誉なことだよ。
8.「マイノリティ」
『ウォーニング』(2000年)

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「タイム・オブ・ユア・ライフ」の後、俺はアコギを使った曲をもっと書くようになって、『ウォーニング』にはそういう曲をたくさん入れたかった。それに当時はロクでもないポップパンクが蔓延してて、そのジャンルから距離を置きたかった。それが次のステップでもあると感じてたんだ。当時はキンクスやザ・フーをよく聴いてたんだけど、彼らはアコースティックでもパワフルな曲を書いてたし、ギターをほとんどドラムみたいに使ってたりした。「ピンボールの魔術師」なんかはすごくパーカッシブだ。この曲を書いたのはジョージ・ブッシュとアル・ゴアの大統領選の直前で、俺は政治がやや右寄りに傾きつつあると感じてた。あの曲で言わんとしたのは、やつらが群れから抜け出し、独善的な個人主義を掲げようとしているってことだった。それまでよりもコンセプチュアルな方向に進もうとしていたのは確かだね。
あのアルバムは録り直したいと思ってるんだ。当時はプロツールズが主流になり始めたばかりだったんだけど、あのアルバムの曲はもっと生っぽい音のほうが映えるんだよ。「マイノリティ」は音源よりも、ライブバージョンの方がずっと良いんだ。まぁきっと考え過ぎなんだろうけどね、よくあるパターンさ。
9.「ジーザス・オブ・サバービア」
『アメリカン・イディオット』(2004年)

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俺はザ・フーの『ア・クイック・ワン』が好きで、自分でもミニ・オペラのような曲を書いてみたいと思った。俺たちは何でも好きなだけ試せるスタジオを持ってたから、マイクとトレと俺の3人がそれぞれが30秒程度の小品を持ち寄って、それをスタジオでくっつけてみることにした。
「アメリカン・イディオット」を書いた後に、「このキャラクターは誰なんだ?」って考えたんだ。それから徐々にアイディアが固まり始めた。「俺は怒りと愛の産物/郊外の神だ/既出でないことの聖書」自分がまったく新しい領域に足を踏み入れたって、あの時初めて強く感じた。ソングライターとして一皮向けた、そう実感したんだ。冒頭はほとんどドゥー・ワップみたいなのに、終盤はまるでブラック・サバスだ。例えるなら、8分間の世界一周旅行ってところさ。この「郊外の神」っていうキャラクターは、結果的にアルバム全編に登場することになった。
10.「ホリデイ」
『アメリカン・イディオット』(2004年)

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あの頃、この国はありもしない事実を理由に戦争を始めようとしてた。本当の動機は政治的な優位と石油だったんだ。この国が分断されつつある、そう感じてた。俺はジョージ・W・ブッシュこそが、今のアメリカの状況の元凶だと思ってる。この曲は政治家たちがテレビで話すこと、学校で教わること、家族という存在、そして宗教について疑問を持ち、自分なりの考えと声を見つけ出すことについてなんだ。
俺は自分自身がこの物語のキャラクターになったように感じてて、とにかくエグいものにしたかった。明らかに挑発的なものを作りたかったんだ。「毒ガス大統領に敬礼」っていう古いナチスのプロパガンダ映画に出てきそうなフレーズは、対比的にアメリカ政府の一部を指してる。英語っていう言語に対する冒涜のようなつもりで言葉を紡いでいったんだ。あのリフはコードをあれこれと試しつつ、エコーやディレイをかけたりするうちに思いついた。俺がリフを考えるときの典型的なパターンさ。
11.「21ガンズ」
『21世紀のブレイクダウン』(2009年)

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あの頃の俺は精根尽き果ててた。音楽的にも歌詞の面でも、自分の限界を押し広げようと躍起になった結果、曲はすごくダークでシリアスになった。全部投げ出してしまいたいと感じてたし、自分が生き霊のように思えた。そういう時って、周囲の人々を傷つけてしまうんだ。家族や友人の誰も自分が抱えてる苦しみを理解してくれない、そんな風に思ってしまうんだよ。それがアーティストの性なのか、それとも歳をとることに伴う痛みなのかはわからないけどね。
この曲で歌ってるのはそういうことで、ずっとやってきたことに対して確信が持てなくなってしまい、何とか元の軌道に戻ろうともがいてるんだ。正気を取り戻そうとしていると言ってもいい。自分が何と戦っているのか、それを見極めないといけない時ってあるんだよ。なぜならその相手は自分自身だったりするから。途方に暮れることっていうのは、俺の曲の大半に共通しているテーマだと思う。
12.「フェル・フォー・ユー」
『ウノ!』(2012年)

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俺は『ウノ!』『ドス!』『トレ!』の3部作を、俺たちなりのパワーポップ版『メインスリートのならず者』にしたかったんだ。演奏は粗いし、プロダクションがお粗末だってことは自覚してるけどね。曲自体は気に入ってるんだけど、その大半が未熟だってことは認めざるをえない。あの頃俺はいろんなことを抱え込んでて、人知れずノイローゼになってた。人知れず、ってのは間違いかもだけどね。あの頃は消耗しきってたんだと思う。あの(3枚の)アルバムには36曲くらい入ってるけど、普通じゃ考えられないよな。でも聴き返してみると、「フェル・フォー・ユー」の出来は抜きん出てると思った。当時俺はパワーポップを聴き漁ってた。パワーポップって地球上で最も過小評価されてる音楽だと思うんだよ、チープ・トリックとかさ。あの頃俺は、夢とか愛とか失恋とかそういうありきたりなことについて、間抜けなぐらい能天気な曲を書きたかったんだ。
そういうのって、歳をとっても変わらずに経験するからね。一緒にいたいって思える人との出会いは絶えないけど、常に現実を見ないといけない。若い頃は衝動的に行動するのもアリだけど、大人になってからだと致命傷を負いかねないからね。だから曲にするっていうのが一番賢いやり方なんだよ。
13.「オーディナリー・ワールド」
『レボリューション・レディオ』(2016年)

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俺は2016年に『Ordinary World』っていう映画に出たんだけど、監督のリー・カークから主人公の人生を物語るような曲が欲しいって言われたんだ。それで幾つか書いた曲のひとつが「アウトローズ」で、同じく『レボリューション・レディオ』に入ってる。「オーディナリー・ワールド」もその時にできた曲で、カントリーっぽい雰囲気が映画に合ってると思った。曲のテーマはズバリ家族だよ。「光輝く街はどうやって探せばいい?/このありきたりな世界で/どうやって眠ったままの財宝を諦めればいい?/このありきたりな世界で」人生においてはシンプルな物事こそが何より確かな結びつきをもたらす、そういうことを歌ってるんだ。俺たちみんな、さほど重要じゃないことについて深く考えがちだからね。
俺はこの曲を、20年以上の隔たりを経て生まれた「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」の続編だと捉えてるんだ。俺は周囲の人々とのつながりをすごく大切にしてる。Adrienneはもちろん、グリーン・デイもそうだ。どうしてそんなに長く関係を保ってるのかって聞かれるんだけど、何て答えていいか分からないんだよね。ルーツを大切にしてる、ってことなのかもしれない。
14.「Love Is for Losers」
『Love Is for Losers』(2018年)

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これは(別プロジェクトの)The Longshotの曲だ。自分でプロデュースしたってことと、あまり深く考えずに作ったっていう点こそ違うけど、俺にとっては『ウノ!』『ドス!』『トレ!』の延長線上にある曲なんだ。全パートを自分で演奏して、出来上がった曲をSoundCloudに上げたり、曲の断片をInstragramに載せたりしてた。その過程で、俺はレコードを作ることの楽しさと、それがいかにクールなことかっていうのを再認識したんだ。バンドとして正式に活動を始めたのも、そういうコンセプトありきだった。中期のリプレイスメンツや、俺のお気に入りのバンドExploding Heartsみたいな、すごくストレートなロックンロールがやりたかったんだ。ロネッツや初期のビーチ・ボーイズの影響もあるかもしれない。
まず曲のリフが浮かんで、冒頭の「ぶっ壊れた車の助手席に座ってる」っていうラインがすごく気に入ったんだ。行き詰まった感じがすごく出てるからね。アンチ・バレンタインデー・ソングみたいな曲で、自分を卑下してバカになりきるっていう、俺のルーツに立ち返ったんだよ。バカを演じるっていうことにおいては、俺の右に出るやつはいないからね。
15.「ファザー・オブ・オール…」
『ファザー・オブ・オール…』(2020年)

Christopher Polk/Variety/Shutterstock
モータウンやソウルにどっぷり浸かってた俺は、そういう影響を反映したものを作ろうとしてた。それでも、グリーン・デイのイメージから極端にかけ離れたものにはしたくなかった。奇妙なバランス感を出したかったんだよ。まず俺が考えたリフを基盤にして、トレと2人でデモを作った。当時俺は、プリンスの最初のアルバム何枚かに夢中になってた。彼は本当に、あらゆるジャンルを融合させる達人だと思う。ファンク、R&B、クラシックロックなんかの要素をごちゃ混ぜにしつつ、出来上がったものはプリンス以外の何者でもないんだ。ヴォーカルは全部ファルセットで、俺もあんな風に歌ってみようと思った。自分らしさからはみ出してみるのも悪くない、そう思ったんだよ。
その頃俺はちょっと鬱気味で、この曲にはそういうムードが出てる。プライベートで色々と問題を抱えてたんだけど、それは今この国が置かれてる状況と無関係じゃないと思う。トランプについての曲を書くのって難しいんだ。『アメリカン・イディオット』の頃は、多くの人が心を通いあわせて声を上げてた。でも今はこの国の文化がすっかり毒されてしまっていて、人々を分断するあまりに深い溝のせいで、誰もがかつて感じたことのないようなパラノイアに取り憑かれてる。マジで恐ろしいし、不気味な状況だと思う。歌詞の一部に「内なる暴動で俺たちはライバル同士」っていうラインがあるんだけど、それって今この国の文化に起きていることだと思う。目に見えないところで、内戦の火種がどんどん大きくなっていってる。この曲はマイクのベースラインのおかげで、グリーン・デイ史上屈指の名曲になったと思う。シングル曲をこんなにも誇りに思えたことはないね。

グリーン・デイ
『ファザー・オブ・オール...』
2020年2月7日発売
国内盤のみボーナス・トラック「バン・バン(ライヴ・フロム・ザ・ウィスキー)」収録
CD予約 / ダウンロード / ストリーミング
https://greendayjp.lnk.to/FATHEROFALLPu
GREEN DAY JAPAN TOUR 2020
東京追加公演
2020年3月28日(土)幕張メッセ
ゲスト有
OPEN 12:00 / START 13:30
GOLDスタンディング ¥18,000
スタンディング ¥12,000
2020年 3月25日(水)インテックス大阪 ※SOLD OUT
OPEN 18:00 / START 19:00
2020年 3月27日(金)幕張メッセ ※SOLD OUT
OPEN 17:30 / START 19:00
https://www.creativeman.co.jp/artist/2020/03greenday/