バンド初となるライフタイムカバーアルバム『LIVE FOR TODAY!』(全18曲入り)を、シーナの5回目の命日=2月14日にリリースするシーナ&ロケッツ。本作の聴きどころの一つであるシーナのラストレコーディング音源を中心に、このアルバムへの想いを鮎川誠に訊いた。


―本アルバムの最初の7曲は、前作『ROKKET RIDE』(2014年)のレコーディングの合間にビクターのスタジオでレコーディングした音源だそうですね。

そうです。テープを回しとったんよ、一日。俺たちもいろんなレコーディングしてきたけどね、ニューヨークに初めて行った時、『Happy House』(1988年)のレコーディングやったけれども、予定よりも早く曲を録り終わって、エンジニアに「時間があるけん、遊んだら?」って言われて調子に乗って録ったんよ。その時が初めてやったのかな。それまでは結構レコーディングってきちきちやりよったし、1週間の枠の中で、歌入れだ、オーバーダブやらもしよったの。でもNY以降はスタジオでそういう遊びの時間も大事っちゅうか、楽しんでね。のびのびなる、一応ミッション=レコーディングが終わった後やけんさ。それで今回のアルバムの最初の7曲の音源になったのは、『ROKKET RIDE』という2014年にレコーディングをしたアルバムの時やね。その時はちょうどローリングストーンズが、来た時でね。シーナ&ロケッツのメンバーみんなで東京ドームに観に行って。それで強力なエネルギーをみんなで浴びて。
で、『ROKKET RIDE』も3日間、ビクタースタジオでせーのでライブレコーディングじゃ!っちゅう感じで。もう予定は立てとったけれども、殊の外捗って2日間で録りたい曲全部録ったんよ。それで、『もう一日あるね』って。『何もしないのはもったいないね』って。何しろビクターの青山スタジオっちゅうところは、天井もビル3階分ぐらいぶち抜いたような巨大スタジオで、あそこでせーのでやると、気持ちがいいんよ。それでちょっとでも音を残したいっちゅうのもあって、最後の一日はなんかやろうってなって。

―なるほど。

で、当時、2014年頃、シーナ&ロケッツ以外でも、いろんなカバーものっちゅうのも少しはやっとったから、ロケッツでそれをもう一回それを録ってみたいねって。それで「Loudmouth」(ラモーンズ/1976年)、「Baby Im Yours」(バーバラ・ルイス/1965年)……。「Baby Im Yours」はやりたいけどまだ音になってないような感じで、まぁスケッチ感覚でレコーディグ始めたんよね。それで、時間もないし、ああここのリズムがどうだとか言うたりするともう時間食うけん、プレイバックはもうなしで、とりあえずライブみたいに「Loudmouth」を録った。じゃあ「Baby Im Yours」行ってみよう、バン!で、次の曲っちゅう感じで。
で、『I Put A Spell On You』(スクリーミングJホーキンス/1956年)やろうって。それでもうプレイバックなしの、もうゴーゴーゴーでやった。

―ええ。

で、7曲目に「レモンティー」を録って。「レモンティー」は、シーナが「今日の『レモンティー』を録ろう!」みたいな感じやった。俺たちは本当にそういうノリやったんよね、あの日は。毎日その日しかできん音があるから。特に「レモンティー」はそういう曲。ライブでは毎日やってきた曲だから。毎日やるけど毎日違う生き物みたいな。それがロックの楽しいとこたいね。決まったことをやるんじゃなくて、大筋はあるんだけど、毎回違う。
あの日、最後あと一曲なんかやろうってなった時に、今日の「レモンティー」を残そうっちゅう感じで録って、その日は、おぉ7曲録れたか、って感じやったんよ。でもそれは発表するような形がなくて。その時はもう『ROKKET RIDE』というアルバムは、アルバム1曲目から「ロックンロールの夜」の阿久悠さんの曲までの、曲順ももう想定してレコーディングに入ったから。それ以上はもう使いようはないし、とりあえず音が録れて自分たちでその日のライブミックスを持って帰って。で、でもすぐに取り掛かるのは『ROKKET RIDE』の仕上げの作業やったり、ジャケットはどうするかとか、鋤田(正義)さんに写真をまたお願いするかとか、色々。もう制作の方に行ったから。なので、その7曲はほったらかしとったというか、お蔵入りになっとったというか。そういう感じやったんですよ。

カバーではなく「身近であった曲」を自分らのフィルターに通す

―この7曲の選曲は、シーナさんとお二人で?

うん。その日だけの、パッと集まってあれやろうっちゅう時には、やっぱ共通言語やないけど、ブルースやったりロックのスタンダードやったり。それとか、変わった曲ではあるけれど、すぐにみんながやれる曲っちゅうのがいつもパッと頭にあるやろ? そう言う中で「I Put A Spell On You」やら「Baby Im Yours」やら選んどったからね。俺たちロケッツはジェームズ・ブラウンの「I Got You」をやろうぜとか、「You Really Got Me」を入れようとか、いつも言ってたんだけど、カバーっちゅう感じよりも、もう身に入ってきとるもの。
せやけん、自分たちがそれをぐしゃぐしゃっと自分らのフィルターを通してまたバンっと出すっちゅう。だから、シーナ&ロケッツはカバーっちゅう言い方ではあんまりしてこなかったし、今までも言うてない。本当に身近にあった曲だし、俺たちはそういうガキの頃から憧れて聴いてきた曲を自分らがまたやりよるっちゅうのは、もう喜び以外の何物でもないんよ。新曲作るのも最高に楽しいけど、もう大好きな曲を自分らのできる範囲で、もう限界があるからね、でも演奏するっちゅうのはまぁバンドやからできるっちゅうか、いつも一緒のメンバーやけ。いつも同じ曲をみんなで聴いたりしよるからそういうのができるっちゅうのは、まぁ特権みたいな。寄せ集めのメンバーでしても大変やろ。一つの曲を一緒にやるっちゅうのは、とてもエネルギーいるけど、ロケッツは42年も一緒にやってきて、まぁメンバーが出たり入ったりもあったにしても、奈良君、川嶋君、シーナ、俺っちゅうのは、もう本当にデビューの時のメンバーであるし。博多時代もそれより前もずっと一緒だから。そういう中でやった音だね。

―アルバム最初の7曲、ビクタースタジオでのセッションで言うと、やっぱりクライマックスが「レモンティー」だと思います。

結果的にはシーナが歌った最後の「レモンティー」なんよ。でも、さっきも言ったけど、今日の「レモンティー」と言うぐらいの軽い気持ちで、軽い気持ちっていうか、いつもこの曲は大切な曲やし。
一応黄金のフォームがあるんだけど、イントロでちょっとガチャガチャ遊んで、もうあとは突っ走って、ジャンジャンジャン、ヘーイで終わるだけ。まぁなんちゅうか、日常の「レモンティー」って感じではあった。特にすごい演奏を入れようとか、僕らも思いもないし、ただ愛情だけやね。僕らと同じように年を重ねてきた可愛い曲ですね。まぁせいのでやって、いつも通りの「レモンティー」。

―聴き返してみて感じたことは?

一番感じたことは、シーナの歌すごいなって思った(笑)。すごいっちゅうのは歌いぷりっていうか、今度のアルバムでも青臭いところあるんですけど、なんちゅうか雑なところとかね。せいので録って。でもその全てが愛おしいんですよね。まぁ元々シーナが『私が歌っちゃやろうか』って言ってボーカルになってくれたんよ。僕は別にボーカルを探していたわけでもなんでもない、俺が歌おうと思って東京に出てきて、バンドの動きをしよった時に、「ボーカルがいるなら私が歌ってあげるよ」っていうような上から目線で言われて。博多時代もずっと一緒に住んどったし、同じレコードを聴いて。
新譜を買ってくれば封を開けて、まず聴く時にはいつも俺とシーナで聴きよった。こんなに気心が分かりおうたボーカルはおらんから、頼むねって感じでシーナは歌を歌い出したんだけど。多分シーナ自身も、いわゆるキャリアが全然ないこと、突然歌うっちゅうことに……うーん、言葉がちょっと見つからんな。下積みをずっと続けてきたり、ボーカリストを目指して、いろんな場数を踏んだりやってない。突然歌おうかってなったら、いきなりエルヴィス・コステロのライブ前座に俺らが出ることになって、それで初めて人前で歌い出したっていうような。突然歌い出した人やったから。俺はそれでいいと思うんだけど、一応歌を歌う人っちゅうのはそれなりにいろんな勉強をするやん。発声とか。でもそういうのとか、人前に立つっちゅう場馴れとか、そういうのを飛び越して一気にバーンと歌い出した人ならではの、無手勝流の自由さと、ロックが好きやけぇやりよるっちゅう、そのロック愛みたいのがアルバム最初の7曲、それからそれまでやってきた18曲を入れたけど、もうどの歌もやっぱシーナの歌が面白いと思って聴いています。

シーナの歌は唯一無二

―シーナさんの歌は完全オリジナルな故に唯一無二なんでしょうね。

自分の中で、もう自分の歌と思っているのよね。憧れのスターの歌をカバーではあるけれど歌う、その曲をどう作るかっちゅうよりも、その中に飛び込んで歌いよる自分が嬉しくてたまらないっちゅう。僕もそうです。こんな曲やれるわけないやんっちゅうような下手くそでも、その中に飛び込んでやる喜びの中で有頂天になってしまうっちゅうような、そんなものが感じられる気がします。

―シーナさんは歌うことに関して自分はちゃんと勉強してきてないからって、ちょっと負い目みたいのを感じていとところはあったんですか?

ちょっとあったね。偉大な先輩、カルメンマキとか女性ボーカル女性ロッカー金子マリちゃん……いろんな人たちが活躍しよるのを、僕ら福岡でずっと見よったけんね。ユーミン、吉田美奈子、女性が素晴らしい歌を歌う。ロッカーやらシティミュージックやら作りよる偉大な人たちがいっぱいおる。そういう人たちとは全然違うっちゅうようなことを思っとったんやない?突然私が歌うっちゅうだけの世界。もう自分で決めるっちゅう。ただそれだけで、人から頼まれた訳でも選ばれた訳でもないし。やけそういう意味でもパンク的やね。

―アルバムの資料によれば、実はシーナさん、グループサウンズが好きだったんですね。少し意外ではありました。

意外ではなく、ある意味グループサウンズが本当の日本のロックの始まりやったと思う。バンドの喜びやら楽しみ、憧れを教えてくれたのは、それはジミヘンやらツェッペリンやらオーティスレディングかもしらんけど、日本におったあのグループの人たちが僕らは憧れやったちゅうのはもう当然やし。で、シーナは女学生たちの間で、ショーケンだジュリーだってキャーキャー言いよったのは当然のことやしさ。でもそれだけやないで、彼女はそれこそ今言うたオーティスレディングやらツェッペリンやらをボンボン家で聴きよったって言いよるけど。まぁ寺内タケシ、など偉大な師匠がいっぱいおるわね、GSの世界は。

―その中で今回のアルバムにはテンプターズの「今日を生きよう」が収録されていますね。

うん。GSの「僕のマリー」っちゅうのを親戚の集まりごとでシーナがカラオケで歌いよるのを聴いた時、ちょっとびっくりして。上手で。上手っちゅうのじゃないけど感情が、歌いっぷりがさ、ジュリーのようでありジュリーとは全然違う、もうシーナ流の歌い方しよって。あぁ、いいなぁとか思って、いつかそういうGSの大好きな曲を純粋な気持ちで歌いたいなぁとか思いよる時の候補曲の一つやったんよね。この「今日を生きよう」を歌ってって頼んだのは俺と思う。

―そうなんですか。シーナさんから言ったんじゃなくて鮎川さんが?てっきりシーナさんが歌いたいっておっしゃったと思っていたんですが。

ただ僕たちもやっぱりパンクバンドのアティチュードっちゅう大切にしてるので、ファンの人たちにもあんまりGSにおもねいたような風になるのもちょっと違う感んじがするかなと思って、慎重になってたんですよ。なんちゅうか、すぐ色付けで、GS専門のバンドもおるし、それとかテケテケ、サーフロック専門もおるし。僕らそういう風なアプローチじゃ元々ないからね。全部もう面白いと思ったやつをロケッツのフィルターの中にバンっと入れて、グルグル回してバンって出す感じやけ。でも「今日を生きよう」は、すごい思い出の曲やし。

アルバム・タイトル「LIVE FOR TODAY!」の由来

―その「今日を生きよう」が今回のアルバム・タイトル『LIVE FOR TODAY!』になってるんですね。

うん、タイトルに頂いたのね。やっぱし今日しかないっちゅうのは、僕らはずっとそれを思って二度とできないことを、今日っていう一日はもう二度とできん、そういう40年やったと思うし、自分らのバンドも。なんの保証もないまま東京へ飛び出してきた、それで当たり前と思っとるし。お膳をされながら東京へ出て行ってもロックはやれんやったろうと思う。今日やらんやったら明日は僕らはもう九州に吹き飛ばされとるっちゅう、いつも背中合わせでやってきたバンドやから。招聘された訳でもなんでもないし、契約金を積まれてレコード会社から来なさいって言われた訳でもないし。もうただ飛び出してきて、貯金を握りしめて、これのうなるまでは頑張ろうって。

―ちなみにいくら貯金を握りしめてきたんですか?

貯金ではなかったんですよ。うちの母が亡くなった時に貯金通帳に入っとった50万ぐらいを、僕はそれを「母ちゃんもろうて行くぜ」ちゅうて東京に来たの。

―それで住まいやら全てをなんとかしたんですか?

うん。へへ。

―アルバムの話からずれまずが、40年間で心折れて辞めようと思ったことは一度もなかったんですか?

もう全然ない。「今日を生きよう」、まさにそうですね。今日ロケッツで生きられたっちゅう喜びばっかり。明日も生かしときたい。吹き飛ばされるのは簡単やけど、辞めるっちゅうたらもっと簡単よね。自分が辞めればもう全部終わりやし。そやけ、やるかやらんか、やる!もうそれをいつも口癖に毎日生きとったね。簡単なんよ、辞めるのは簡単。けど他に何をやる?っちゅうのもあったし(笑)。最高のロックを演奏して、仕事をもらえて、ファンと一緒に最高の時間を過ごせて味を占めたら、もう辞められんよね(笑)。

―確かに! 今回のアルバムの話に戻ると、サンハウスをカバーしているのも感涙です。

シーナと出会った時は、サンハウスはまだブルースバンドで、出来て3カ月目のステージをしよった頃かな。まぁ半年ぐらい経っとったのか、バンド作って、演奏しだして。で、シーナがサンハウスを褒めてくれた。当時、シーナは夏休みを利用して、東京やら琶湖で大きなロックフェスティバルがあってそれを観た帰りとか言いよったけど。東京でも琵琶湖でもあんまり成果がなかったらしくてね(笑)、いいロックが体験できんやったけど、真っ直ぐ家に帰る前にちょっと博多に寄って行こうって言うて来てくれたって話しよったんよね。僕らサンハウスが演奏している店にフラッと入ったら「ここどこ?」って思ったって言うてくれたんよ。今回の旅行で東京やら、いろいろロック求めて行ったけど、あんたたちのが一番良かったって言ってくれたけ、「わ! 気に入ったね」って言って。シーナとの出会いの時はそんな感じやったの。

―シーナさんはサンハウスを偶然見つけてくれたんですか?

うん。偶然見つけてくれた。毎晩生演奏やっているヤングキラーという店に、サンハウスが出ているところにフラッと入ってきて。バーっと入口の戸が開いた時は演奏しよって。もう閑古鳥でね。バンドの習性としては「お客さん来てくれないかな、そやないと俺たちクビになるな』って。そういうノリで。僕ら3カ月の契約で毎晩しよった。そういう中で演奏しよって、バッとドアが開くとみんな職業無意識にカッとお客さんを見てしまう。「あ! 来た。お客が入ってきた」って。その時もお客が入ってきたのを僕はバッと見て、「あ、女性が入ってきた。若い子だ。なんか暗いけどカッコ良さそうな感じだ」って。で、演奏しよって、どうかな?って思ったら、聴いてくれてる感じだなって感じ。ステージ演奏中から燃えよったんよ。で、終わってね、声掛けてくれてっちゅうか、メンバーに「ギターの人と話したい」って伝言があった。俺はいそいそと行って、なんだいなんだいって。そんな出会いやったけど。なにせ喋ってみたらロックの話に詳しいでねぇ。71年の夏なんですよ。

―そういう意味でもシーナさんもサンハウスをカバーするのは嬉しくかったでしょうね?

うん。そうやし、サンハウスがブルースバンドで、ブルースをもっと深く突き詰めてみたいとかっていうメンバー、ダンスホールの生き残りメンバーで作ったバンドがサンハウスやったけ。けどもう2年目ぐらいになると、高田渡井上陽水、いろんな人たちが日本の歌を歌う、ハッピーエンドはもうとっくに歌っとったけども。日本語で曲を作ろうってなってからっていうのはシーナがいつも横におってくれて。カセットテープで録音して作る時には、段ボール箱と棒切れ持ってトントンってリズムを出してくれて、コーラスも入れてくれたり。ずーっと一緒に作ってきたから、どの曲も、まぁ言わば子どもみたいなものなんです。そやけん、お手の物であったし。でも、特にサンハウスはカバーしようなんちは思わんまんま、もういっぱい僕らサンハウスの曲を歌っとるからね。「ビールスカプセル」や「400円のロック」とかいっぱい。シーナロケッツのレパートリーはスライドしてきとるから、サンハウスの曲を。柴山(俊之)さんが詩を書いて、俺が作った曲やけ。そやけ、特になかったけど、印象的な「雨」という曲を歌った……これも俺が頼んだのかな。歌ってみてくれん?ちゅう感じで。多分レコーディングでちゃんと始まりから終わりまでやったのはこの時だけやと思う。

「ワイルドシング」にまつわるエピソード

―「雨」をちゃんとシナロケでレコーディングで演奏したのはこの音源の一回だけなんですか?

うん。「Baby Im Yours」は、その前にレコーディングの曲をリハーサルする時に、もしあわよくばレコーディングで時間が余ったら、何曲かカバーも録りたいねっていう時に、「Baby Im Yours」は下北のスタジオで一応なぞったけど、「雨」はちょっと分かんない。ただ「雨」はサンハウスの曲やから、奈良も実際レコーディングで弾いてるし、川嶋も知ってるし。だから自分らの内なるレパートリーではあるんだけど実際にシーナ&ロケッツとしてちゃんと演奏したのはこれ一回だね。

―ちなみに、サンハウスのフロントマンでもある柴山さんはこのカバーは聴いてくれたんですか?

うん。聴いてもらった。

―何かおっしゃってました?

うーん、何も言わない(笑)。ふーんって感じ(笑)。

―でもちゃんと聴いてもらうんですね?

うん。遊びきた時にね。『雨を聴いて』って。

―シーナ&ロケッツはライブがとにかくすごいバンドですけど、M17のライブ音源の「ワイルドシング」は圧巻ですね。

「ワイルドシング」はこれはよくやってた。2000年代に一度レコーディング仕掛けたこともあって。今回、シーナと録った最後の7曲が形になるわけやけど、僕の方は、まぁお蔵入りだと思ってたの。だた、これひょっとしたらすごいんやない?って、自分だけは時々プレイバックして思いよったんです。でもなんか自分からはそれは中途半端な7曲で形にするのは難しいなっと思いよったし、次のアルバムにとか言う話はなかったんですけど、ビクターの若手チームが提案してくれたんですよ。このライブ音源とビクター探したらいっぱい今までのアウトテイクを見つけてくれて。それで、わー、それやったら俺念願のカバーで括るアルバムにしたいと思ったんです。で、そんなんを選びよる時に、この「ワイルドシング」は字面もかっこいいし。「ワイルドシング」って字面かセットリストにあるだけでもカッコいいのもあってこれはよくライブでしよった。2000年頃はよく歌ってたんです。そしたらEZOロックの、多分動画を撮ってくれた音を抜いたのかな?その音源がパソコンに入っとって、音は悪いんだけど、もうぐちゃぐちゃの巨大なテントの、お客さんの地鳴りのようなファンの声と、それをウワーッとシーナが「エブリバディ、ロックンロール!」って騒ぎながらやる、これが俺たちの一番おりたい場所、最高に盛り上がった最高の思い出の場所と思ったら、その演奏がどうじゃこうじゃよりも、もう字面で入れろって感じ(笑)。それと、これこそがロックたい!って。ロックの現場たい!って。始まってみらんとどうなるか分からんとよ、っちゅうようなロケッツの演奏と相まってね。これを聴いてもらいたいと思って。

―これは素晴らしいライブテイクで、変な話、ここでアルバムを終わっても良かったのかなって感じもしなくもないですけど。

うん。

―あえて?

うん。あえて「マイボニー」を最後に入れました。「マイボニー」はシーナが歌うって言うた。「マイボニー」をやりたいって言うてくれた思い出の曲なんです。ストーンズの曲は「ルビーチューズデイ」とかレコードにした曲だけでも4、5曲あるんですね。僕らの歴史で40年シーナとレコード作って。でもビートルズはちょっと敬遠するところがあって……まぁ「ハードデイズナイト」やら、何曲かは僕らライブでやったことあるんですけど、音源としての形はなかったのね。それで、ビートルズも1曲カバーしてレコード入れたいねっちゅうアイディアは前々からずっとあって、そんな時にシーナが「じゃあ私マイボニーがいい」って言うて。それで90年代にシナロケが新しいメンバーになった頃に自分らのレパートリーにした。裕也さんのニューイヤーでその曲を流してもらったことも確かあったと思う。なんちゅうか『マイボニー』は合言葉みたいな。あの時代が始まる時のハンブルグの……僕らは活字のビートルズも知らないし、カタカナのビートルズも見たことない。耳で聞こえてきてくるDJがラジオで紹介する「The Beatles!」っていうのしか知らん時にかかった1曲なんです。64年の1月、2月ぐらいの話で。高校の勉強しよったら、ビートルズが突然かかった時は本当に衝撃やった。エレキギターの音だし、ウーっていうシャウトがね。ビートルズにはシャウトを主役にしたような歌唱がいっぱいあるんよ。リトル・リチャードもシャウトはあったけど、ビートルズのは青臭いシャウトにエレキの音が固まって飛び込んできた音で、そこから自分の新しい時代が始まったんよ。レコードは小学校から好きやったんよ。けど、俺もエレキ持ってやりたい!みたいな、身近であり飛び込んで行きたくなる音楽はビートルズから始まった。だからストーンズに出会ったし、キンクスやらどんどん出会ってきたし。遡ってスリムハーポやらマディ・ウォーターズやらに誘ってくれた。その始まりの頃流れたのは「マイボニー」。その「マイボニー」をシーナが選んでくれた、ビートルズの曲として。

―そうだったんですね。そして、アルバム『LIVE FOR TODAY!』のリリース日が2月14日。

これは僕のリクエストでビクターにきいてもらって。どうせ出すならメモリアルな日に出したいと思って、シーナの命日を発売日にした。バレンタインデーでもあるけど。

―5年経つんですよね?

はい。丸5年。

―このアルバムはある意味シーナさんへのラブレターみたいな感じなんでしょうか?

うん。そして、シーナ! 歌いっぷりがすごいね!って。もう怖いもの知らずで歌う、もうそれがロックだぜって。俺の嫁さんではあるけれども、最高に讃えたいと思う。ロックに飛び込んで、最後までロックを歌ってくれて、楽しかったろうねと思うね、シーナも。そりゃもう悔しいけども、今一緒にやれてないことが。もっと楽しいのに、長生きすれば。まぁ辛いこともいっぱい出てくるけど、楽しいこともいっぱいあるけれど。でもシーナはもう最後まで…で…。このアルバムのジャケット写真の顔を昨日見て、本当にそんなに良い写真なのか、スナップだからそんなに分からんけれど、こんな顔で歌ってくれたんやねと思って。

―これがスタジオで撮った最後の写真なんですか?

うん。多分そのビクタースタジオのセッションの時に撮った写真。

―そうだったんですね……。今日はいろいろと聞かせていただきありがとうございました。今日の話を参考に『LIVE FOR TODAY!』を爆音で聴き直します!

こちらこそ本当ありがとう。俺やらもう71歳から72歳に今年なるんだけど、ロックがやれて幸せです。それで聴いてくれるファンの人たち、応援してくれるファンがおるから、お陰でやれとるけれど。それでもやっとる以上はね、欲張りやけんね。今日ロックに興味を持った、この間まで幼稚園で叩きよったような子がいきなりロックを聴いた、そういう若い人たちにも、何とか伝えたいっちゅうか、届いて欲しいって願って。だってロックって、この間ギターウルフと対バンして、女の子の可愛いグループとやったけど、ロックの世界はタイムレス、エイジレス。もうなんちゅうか輝いとるもんが勝ちっていうような世界やけんさ。そんな中に自分らもまだおれることが本当にありがたいし。でも、まだたくさんのファンに会いたいと思って。よろしくお願いします(笑)。

<INFORMATION>

鮎川誠が語ったシナロケの矜持「ロックの世界はタイムレス、エイジレス」

『LIVE FOR TODAY! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』
シーナ&ロケッツ
JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
2月14日発売

鮎川誠が語ったシナロケの矜持「ロックの世界はタイムレス、エイジレス」

『LOVE BOX -42nd Anniversary Kollection-』
シーナ&ロケッツ
JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
2月14日発売(完全受注生産)

https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A000232.html
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