英国出身のシンガー・ソングライター、ベン・ワットが通算4枚目となるソロ・アルバム『Storm Damage』をリリースした。

過去2枚のアルバムでは、スウェードのバーナード・バトラーをゲストに迎えて2本のギターをフィーチャーしたブルージーかつフォーキーなサウンドを展開していたベン。
今作では一転、ピアノやエレピを主軸としたトリオ編成のバンド・アンサンブルを中心に、音数を削ぎ落としたシンプルで深みのあるサウンドスケープを構築している。アプローチの違いこそあれ、彼の生み出すメロディには「美しさ」と同時にある種の「儚さ」や「ダークネス」が常に宿っているが、それはきっと彼が若い頃から培ってきた独特の「死生観」に依るところも大きいだろう。

1983年に『North Marine Drive』で衝撃のデビューを果たし、エヴリシング・バット・ザ・ガールやDJ/トラックメーカーとしての活動を経て再びソロに戻ってきたベンに、今作『Storm Damage』の制作プロセスや、4月に開催予定の来日公演への意気込みなど、たっぷりと聞いた。

ー今作『Storm Damage』はこれまで以上にシンプルで音数を削ぎ落としているぶん、一つ一つの楽器の存在感が増していますね。ショート・ディレイのかかったあなたのボーカルも非常に印象的でした。

ベン:そうだね。今回のボーカルにはディレイやリバーブ、エコーなど、かなりエフェクトをかけている。でも、それはミックスでの「後がけ」ではなくて録りの段階でリアルタイムに施したものなんだ。

ーというと?

ベン:ボーカル録りの際にマイクを3本使った。1本はオンマイク、つまり口の前に立てて普通に録る。もう1本はそこからおよそ3メートル、そしてもう1本は5メートルくらい離れたところに立てて、その状態でレコーディングを行うんだ。そうすると、オンマイク以外の2本のオフマイクは、ディレイのかかったボーカルが録れるわけ。


ー音が到達するまでの物理的なズレを利用し、「天然のディレイ」を取り込んだわけですね。しかもオフマイクにはスタジオの空気感も一緒に入ることになる。

ベン:その通り。ペダルやラックなどのエフェクト機材を使わず、本物のディレイやリバーブを生み出したことで、このアルバムを非常に美しい音像にすることができた。

ーそうして出来上がったアルバム全体のサウンドスケープが、個人的にはジョン・レノンの1stソロ・アルバム『John Lennon/Plastic Ono Band』(邦題『ジョンの魂』)を彷彿とさせました。

ベン:ワオ、アハハハハ! 音響という意味では、まさに君の指摘した通りだ。僕はあのレコードが大好きでね。僕はジョン・レノンの熱烈なファンでもないし、中には苦手な作品もあって信用しきってはいないのだけど、こと『ジョンの魂』に関しては、驚異的なサウンドだと思っている。だから見事な感想だよ。

ーありがとうございます(笑)。

ベン:思えば僕は、音のパレットに載せられた色彩が、非常に限られているレコードに昔から惹きつけられてきた。ベーシックでシンプルな機材や楽器を用いて、しかもアルバム全体で一つの雰囲気を維持しているようなね。
例えば50年代後期から60年代初期にかけてのグレイトなジャズのレコード……初期のブルーノートのレコードとかで使用された録音技術は、カルテットを非常に親密で近くに感じさせるものであり、それゆえ聴き手のイマジネーションを投影させるような空間を音楽の中に作り出してきた。そうしたレコードを子供の頃、父のおかげでたくさん聴いて育ったし、それが僕の中に強く残っているのだろうね。

ーそんなシンプルな音像の中で、特にピアノやエレピ、ボコーダー、シンセなど鍵盤楽器の音がとても効いています。

ベン:僕が心がけたのは、とにかく1つのシンセサイザーを全編にわたって使うことだった。少し前に修理に出していたローランドのJUNO-106という古いアナログ・シンセが、戻ってきたら素晴らしいサウンドに生まれ変わっていたんだよ。もう、使いたくて仕方なかったわけ(笑)。プリセット機能は一切使わず、文字通り一から手動でプログラムしていったし、色々いじっていく中で僕らが「いいな」と感じたらすぐそれをレコーディングし、そして次の音をまた探す……ということを繰り返しながらオーバーダビングしていったんだ。

ーじゃあ、例えば「Retreat To Find」や「Knife In The Drawer」に入っているメロトロンっぽい音も……。

ベン:あれもJUNO-106で作ったよ。

ーそれってかなり手間暇のかかる作業だったと思うのですが、あえてそうした理由は?

ベン:今、世の中に出回っているレコードは、似たようなプラグインやシンセのプリセット音、サンプラー音源が使われていることが多いような気がしていてね。あまりにも多くのレコードが、同じようなサウンドになっている。だから僕らとしては、他とは違う特徴のあるサウンドにすることを課題としたかった。
手動でシンセの音作りをして、一つの空間にミュージシャンを集めて演奏し、ネットから拾い集めた音声を切り刻んで重ねていく。そうすることで、僕らだけのサウンドスケープを構築していくことができたんだ。

ーレコーディングには、前作に引き続きママス・ガンのレックス・ホラン(Ba)と新たにエヴァン・ジェンキンス(Dr)に加え、「Irene」ではロウ(Low)のアラン・スパーホーク(Gt)が参加しているそうですね。

ベン:アランとは15年くらい前、ロンドンにあるラフ・トレードのオフィスで初めて会った。ちょうどロウの新作がリリースされるところでね。当時の僕はDJをやっていて、エレクトロニック・ミュージックにかなり傾倒してはいたけど彼らのサウンドは大好きだった。それで、リミックスをやらせて欲しくてアランに尋ねたところ、彼はとてもオープンマインドな人ですぐ快諾してくれたんだ。たしか僕のダンス・レーベル、Buzzin Flyから出したのかな。

それ以来友だち付き合いを続けてきたのだけど、『Fever Dream』のリリース・ツアーでミネアポリスに行くことがあってね。その時オープニングアクトとして彼にソロで出てもらったら、素晴らしい即興のギター・インストを披露してくれた。それで彼に「いつか僕のアルバムでもそういうのをやってよ」って。アランも「いいね、やろう」と返してくれて、そのことを「Irene」制作中に思い出して連絡を取ったんだ。


ベン・ワットがリミックスした「Tonight」(ロウの2002年作『Trust』の収録曲)

ー資料によれば、今回のアルバムを作るにあたって「怒り」や「悲しみ」がモチベーションになったそうですね。

ベン:このアルバムは、作るのにとても苦労した。なぜなら今から2年くらい前の僕は、これまでの人生の中でもかなり困難な時期にあったんだ。まず、2016年に異母兄弟を亡くした。そのことは前作『Fever Dream』(2016年)にも影響を及ぼしていたのだけど、実際のところ2017年になるまで、僕は彼の死に対して”本当の意味での”ショックを受けてはいなかったんじゃないかと。ちょうどその頃からこのアルバムに取り掛かっていたのだけど、そこで思いっきり行き詰まってしまったんだよ。

『Hendra』(2014年)を作った頃には母親と姉が、相次いで他界した。そこからあまり時間が経っていない時に彼を失ったことに対して、やり場のない「怒り」のようなものも感じていたんだよね。特に兄と姉は、まだ死ぬような歳じゃなかったわけだからさ。しかも、テレビを点ければ世界中で起きている出来事……政治的な混乱から異常気象まで様々なニュースが目に飛び込んできて。それに対してしばらくの間、自分の無力を思い知らされていたんだ。個人的にも、政治的にもね。
とても曲を書けるような状態ではなかった。

ーそうだったんですね。

ベン:そんな中、どうにか曲を書こうともがいていたらピアノに慰められることが多くてね。自然とピアノで曲を作るようになっていった。そこが以前の2枚とは大きく異なる点だ。『Hendra』と『Fever Dream』は、バーナード・バトラーと僕のギターが主軸となった、いわゆるギター・アルバムだったからね。「そうか、今回はこれまでと違う手法に取り組むべきだぞ」と自分でも気づき、そこから「ピアノ・トリオ」のアイデアが湧いてきた。

ー『Hendra』のときは、あえてギターのチューニングを変えて曲作りをしたとおっしゃっていましたよね。ピアノを使っての曲作りは、ギターとはまた違うインスピレーションが湧くものですか?

ベン:そうだね。ピアノを相手に演奏していると、本当の「誠実さ」や「寛大さ」を感じるというか……言葉で説明するのが難しいのだけど、ソングライターとしての自分にとても興味を持ってくれている気がするんだよね(笑)。だからピアノの前に座ることは、いつだってとても楽しいし、いい気分にもなる。僕の曲作りを手助けしている「何か」の存在を、すぐそばで感じることができた。
あの頃の自分の状態を思えば、ピアノに座った時のそんな感覚が何よりも必要だったんだろうね。

ベン・ワットが語る「死」の感覚と奇妙な人生、ピアノと向き合った新境地


ー歳を重ねて親しい人が亡くなっていく経験が増えたことは、あなた自身の死生観にどのような影響を与えましたか?

ベン:どうなんだろう……というのも、僕はある意味とても奇妙な人生を送ってきたからね。29歳で大病をわずらい、死にかけたことがあったわけで(※)。当時の僕には人生が変わるような経験だったし、その時すでに「死する運命」というものに深く触れることになったんじゃないかと思う。今も完治はしていないし、薬を服用し続けなければならないので、日々そうしたことを考え続けているんだよ。

そして、過去8年の間に姉、母、そして兄が立て続けに亡くなったことで、自分にはもう、向き合える近い肉親が残っていないんだ。例えば何か良い知らせがあって、このことを伝えたいと思って電話をしたり、クリスマスに「元気?」って声をかけたり、そういう些細なやりとりをする相手がもう、僕の肉親には誰も残っていない。家族の内輪のジョークが通じる相手も、家族の思い出の数々を共有できる相手もいないことが今、僕にはかなり辛いことなんだよね。

※1992年、エヴリシング・バット・ザ・ガールのアメリカツアー中にチャーグ・ストラウス症候群を発症。その時のことを回想録『Patient』に記している

ーそうですよね……。

ベン:トレイシー(長年のパートナーで妻のトレイシー・ソーン)は今も、彼女の姉ととても仲良しで、たまに2人の間柄が羨ましく思うこともある。もちろん、僕たちには3人の子供がいて(双子の娘と息子)……みんな、素晴らしい子たちだよ? とても素敵な家族関係を築いてきたし、みんなで一緒に美術展へ出かけたり、音楽を聴いたりするのは最高なんだ。でも、その一方で僕は「死」のすぐ近くにいる感覚があって、それは音楽を作る時にも表出しているのかもしれない。

ーあなたの書く曲には、美しさと同時にある種のダークネスが宿っているのはそのためかもしれないですね。

ベン:そうだね。美は移ろいやすく儚いもので、そのコントラストに僕は惹かれているというか。それって、日本文化にも通じるものがあると思うけどな。例えば桜は束の間しか咲かないし、すぐに散ってしまう。その儚さに美を見出す日本人の感覚は、僕もとてもよく分かるんだ。

ーもう一つ、さっきお話ししてくださった「怒り」や「無力感」について、もう少し詳しく教えてもらえますか?

ベン:我々は民主的な投票の機会を与えられているけど、実に無意味なものだとたまに感じることがあって。何に一票を投じたとしても、翌日にはその政策がひっくり返ってしまうことってよくあるだろ?(苦笑)。それに、政治の世界の右傾化、ポピュリズムの台頭も気になる。世界の様々な国で、独裁寄りのリーダーが政権に就いている。国際主義や団結の精神から世界は離れつつあって、それは非常に残念なことだと思うんだ。「Figures In The Landscape」という曲には、そうした気分が間違いなく反映されているよ。

ただ、あの曲のコーラス部分では、”いや、君には選ぶことが可能なんだ”とも歌っている。その選択肢とは、今の状況を祝福し甘受するのか、あるいは現状に不満を唱え何らかの形で対処するのか、ということ。そう、このレコードは「無力」の地点……精神的に落ち込んだり、何かに落胆した感覚からスタートした楽曲が多く収録されていると思う。その状況をどうやって変えたらいいだろう、どうすればそこから希望や愛を見出し立ち直ることができるのだろうって。「行動を起こそう」という、ある種のメッセージが備わったレコードなのかもしれないね。

ー4月に日本で行われる公演の見どころや、これまでとの違いについてもお聞かせください。今回はトリオで来日する予定ですか?

ベン:うん。レックス・ホーランとエヴァン・ジェンキンス、アルバム作りに参加したのとまったく同じ顔ぶれで日本に行くよ。ダブル・ベースにドラムスにピアノ、そして時々僕がギターを弾くスタイルだけど、ペダルやトリガーをたくさん使ってアルバムの音響やテクスチャーを可能な限り再現するつもりだ。

ーとても楽しみです。これまでの来日公演では、『North Marine Drive』からの曲も披露してくれました。35年以上前にリリースされ、今も世界中で愛され続けているあのアルバムについて「特に歌詞はとっても繊細で無知なところがある」と以前おっしゃっていました。この作品を50代になって歌うことで、何か新たな魅力など発見することはありますか?

ベン:当時の自分が、世界をどんな風に見ていたか。その感覚に再び触れるような感覚がある。それと最近の曲をセットリストに並べることで「パースペクティブ」がもたらされるというか、人生を見渡せるような広がりと奥行きが生まれると思うんだ。僕の公演を観にきてくれる人たちも、そこに魅力を感じてくれているんじゃないかな。僕と歳が近い人も多いし、彼らと一緒に今までの人生を振り返ることになる。20代から30代、そして40代、50代と僕らは常に変わり続けてきた。そのことを確かめ合うのは、とても素敵な体験なんだよね。

『North Marine Drive』収録の「Some things dont Matter」

ベン・ワットが語る「死」の感覚と奇妙な人生、ピアノと向き合った新境地

ベン・ワット
『Storm Damage』
発売中
試聴・購入リンク:
https://caroline.lnk.to/Watt

ベン・ワットが語る「死」の感覚と奇妙な人生、ピアノと向き合った新境地

ベン・ワット来日公演
2020年4月21日(火)恵比寿 LIQUIDROOM
2020年4月22日(水)梅田 Shangri-La
OPEN 18:30 / START 19:30
チケット:¥7,000(税込/All standing/1Drink別)
https://www.creativeman.co.jp/event/ben-watt2020/
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