2017年1月25日、新木場STUDIO COASTで行われた『THE KIDS』のリリースパーティーで、ceroの髙城晶平が「Suchmosが出てきてくれたおかげで、自分たちのやるべきことがはっきりした」と話したことは、今でも鮮明に覚えている。一部では「東京インディ」と呼ばれた2010年代前半のコミュニティ的な空気の中から登場したceroが、偶然と必然の巡り会わせで時代の顔役になった一方、彼らが作り上げた土壌の中から、2010年代後半の新たな価値観を持って現れたのがSuchmosであり、あの日は2010年代の日本の音楽シーンを象徴するバトンの受け渡しが行われた日だったように思うのだ。あの日がなかったら、ceroが『POLY LIFE MULTI SOUL』で音楽的な深化を見せることも、Suchmosが『THE ANYMAL』を経て横浜スタジアムに3万人を集めることも、なかったかもしれない。2010年代を語る上でどうしても外せない「シティ・ポップ」というワードの再検証も含め、ceroの髙城晶平とSuchmosのYONCEに2010年代を振り返ってもらった。
●【対談撮り下ろし】写真4点
「やるべきことがはっきりした」
髙城の発言、その真意を問う
ー2010年代を振り返るにあたって、まずは2017年1月の『THE KIDS』リリース当日に新木場STUDIO COASTで行われたリリースパーティーの話から始めたいと思います。「STAY TUNE」が盛り上がり、「いよいよSuchmosのニューアルバムが出る!」というあのタイミングで、対バンにceroを呼んで2マンを開催したのはどんな意図があったのでしょうか?
Suchmos The Blow Your Mind Vol.2 "THE KIDS Release Party"
来てくれたみんな、この舞台を整えてくれたみなさん、出演を快諾してくれたceroのみなさん、ありがとうございました!音楽がくれる幸せに毎日感謝を。 pic.twitter.com/CE5pj6AxkS— Suchmos (@suchmoz) January 25, 2017
YONCE:そもそものきっかけとしては、その1年前に恵比寿LIQUIDROOMの深夜イベント(「HOUSE OF LIQUID」)で初めて一緒になって、ceroがすごく刺激的なライブをしていて……「悪いもん見たな」というか、危ないものを見た感覚があって(笑)。ミュージックビデオとかではそんな様子を見せてない人たちが、ライブでこんな風に化けるのがすごくかっこいいし、自分たちもこうありたいなって思わせてくれたんです。なので、このやべえライブをもっといろんな人に見てほしいと思ってお声掛けしました。
ーシンパシーを感じる部分もありましたか?
YONCE:ミュージックビデオに江の島のOPPA-LAが出てきたり(「Orphans」)、そういうところでのシンパシーは感じてました。似たような遊びをしてたり、似たようなことに関心を持ってる人が、こんなかっこいい音楽を作って、オシャレなイケてるビデオを撮ってるのは、参考にできる部分がいっぱいあるなって。
ー髙城さんがMCで「Suchmosが出てきてくれたおかげで、自分たちのやるべきことがはっきりした」と言ってたのがすごく印象に残っていて。
髙城:僕、基本的にMCてんでダメな男で(笑)、そのときのMCもどうだったか怪しいもんなんですけど……そう言ったのは、自分の個人的な話だったとは思います。俺らが1stアルバム『WORLD RECORD』を出したのは2011年1月で、まだ2000年代の空気が濃厚に残ってて、すごく牧歌的だったんですよね。俺の認識では、それまでの「インディーズ」って、高円寺の円盤とか八丁堀の七針とか、ごくローカルな音楽を指す意味合いが強かったと思うんです。どちらかというと、スキルよりアイデア、ディスカッションの時代というか。で、ceroもそうやってワチャワチャやってたバンドで、コンセプトも特に決めずに入っていて、そのままの流れで作ったのが1stとか2nd(『My Lost City』、2012年10月発売)だったんですけど、3rd(『Obscure Ride』、2015年5月発売)で初めてスキルが必要になってきた。何となく感じてたんでしょうね、2010年代は牧歌的な雰囲気じゃなくなっていく、もっとシビアな感じになっていくって。2015年前後にはもうそういう予感があって、それで『Obscure Ride』に着手していったような記憶があります。
ーなるほど。
髙城:で、思った通り、デビュー時からしっかりと「自分たちはこういうものを提示したいんだ」っていうものを持ってるバンドがどんどん出てきて、それこそ「HOUSE OF LIQUID」でSuchmosがめっちゃ盛り上がってて、俺、結構喰らっちゃったんですよね。「すごい時代が来るな」って。本当に個人的な話ですけど、『Obscure Ride』はお母さんが亡くなったり子供が生まれたりした間にできてるもんだから、個人的な喪失感もあって、「これからのハイエナジーな音楽の時代に残っていけるのか?」みたいな、結構グラついちゃって。
レーベルの先輩・SAKEROCKから
ceroが受け取っていたもの
ーその気づきがあって、『POLY LIFE MULTI SOUL』に向かっていったと。逆に、YONCEくんから見たSuchmos結成当時の時代の空気感はどんなものでしたか?
YONCE:髙城さんが「牧歌的だった」と言う時代は、まだSuchmosのメンバーはそれぞれ別のバンドをやっていて、箸にも棒にもかからないもどかしさを感じてたと思うんです。でも、Suchmosに関しては、Suchmosという集まりができた瞬間のスパークみたいなもので、1st(『THE BAY』2015年7月発売)から2nd(『THE KIDS』2017年1月発売)まで突っ走ったところがあって。ceroが幼虫のまま出てきたとするなら、俺らは多分、気づいたら羽化してたのかなって。
2015年9月に渋谷WWWで開催されたSuchmosのパフォーマンス
髙城:結成からデビューまでが短いんだっけ?
ー2013年結成で、2015年4月にデビューEP『Essence』をリリースしています。ceroは2004年結成なので、デビューまでの時間という面では違いがありますね。
YONCE:俺らはとにかく「音楽で飯食いたい」っていうのが強かったんです。当時は「ティーンのバンドがデビューをかけて争う」みたいなコンテストがいっぱいあったんですよ。
髙城:ああ、「閃光ライオット」とか。
YONCE:みんな、そこに向けて戦略を練るんです。どういう工夫をして、どういう尻尾の振り方をすると、目を引けるのかって。でも、当時やってたバンド(OLD JOE)では、「それで人気者になるのってどうなんだろう?」という葛藤も覚えてて。Suchmosはそこについて考える間もなく、気づいたらスパークしてしまったような感覚が強いんですよね。

髙城晶平(Photo by Masato Moriyama)
髙城:YONCEくんたちは出発点がすごくハングリーだけど、俺らはもともとそういう感覚が全然なくて。「牧歌的」っていうのはそういうことで、「これで食ってやる」みたいなのが欠けてたんです。SAKEROCK、クラムボン、ハナレグミとか、2000年代を盛り上げた人たちを見て俺らは育ってきたわけですけど、そういう人たちは「上に行こうよ」というよりも「自分たちのローカルを豊かにしようよ」という方向に行ってて、俺らはそれに影響を受けた世代で。だから、僕より下のYONCEくんたちの世代は、その感じにムカついてたんじゃないかなと思って。言ったら、「売れるぞ!」っていうよりも、ちょっとヒッピーみたいなノリがあって、みんなの個性がバラバラにあってたまにくっついたり離れたりする、という集まりが東京にも名古屋にも北海道にもあって……そういう感覚いいよね、みたいな。きっと満ち足りてたんですよね。その感じにイラついたりとかあったんじゃないかなって。
YONCE:俺らにはそういうコミューンみたいな集まりはあんまりなかったですけど、俺も正直「音楽で食いたいは食いたいんだけど」って感じで、周りとの温度差を感じてた部分はあって。
髙城:「もっと音楽の話をしようよ」みたいな?
YONCE:そうですね。音楽とか映画の話とか。未だによく遊んでる友達とかは、そういう話ができる集まりだから、そういうやつらと出会えたのはよかったなって。
バンドに訪れた、いい波
それぞれの波の乗りこなし方
ーSuchmosは『THE KIDS』まで一気に駆け上がった分、その後の苦悩や葛藤も3rdアルバム『THE ANYMAL』(2019年3月発売)には刻まれていましたよね。
YONCE:2015年以降のことって、正直自分たちでも振り返れないくらい、すげえ彼方の出来事に感じるんですけど……食い方にもいろいろあるってことを学びました。そこまでがガムシャラすぎて、「かっけえ車に乗りたい」とか、そういうわんぱくな野望しかなくて。でもいざそういうものを通り過ぎてみると、別になんっちゃないというか、「なんでこんな躍起になってたのかな?」という気もして。

YONCE(Photo by Masato Moriyama)
ー『Obscure Ride』と『THE ANYMAL』はどちらも3rdですけど、ともにバンドのあり方を見つめ直すタイミングのアルバムだったと言えるのかもしれないですね。
髙城:俺は波に乗るとすぐ降りたくなるというか。DJをしてても、上がる曲をかけて、フロアがワッとなったら、すぐに嫌になって、もうちょっと下の段階で落ち着かせたくなっちゃうんですよね(笑)。自分でかけたくせに、盛り上がると怖くなっちゃって、「やっぱり落とそう」って……個人的な性格ですけど。
ーceroの歩みと通じるところもあるのかもしれないですね。
髙城:それこそ「SMAP×SMAP」に出たとき(2016年3月)も、怖くなっちゃって。「ヤバイ、波に乗っちゃってる!」って(笑)。
YONCE:「波に最後まで乗るのか?」っていう話で言うと、俺らにも心理的な変化があって。「これはいろいろすり減らすことが多いぞ。最後まで乗るのはちょっと危ねえな」ってことで、「一回、さ」ってなったんですよね。それが上手く着地できたかはさておき、そういう意味で、『THE ANYMAL』を出せたのはよかったなと思っていて。
髙城:めっちゃいいアルバムだよね。「BOUND」とか超いい。
「シティ・ポップ」というラベル
髙城からYONCEへ「ごめんなあ」
ー2010年代を振り返るという意味で、改めて「シティ・ポップ」という言葉にも触れておきたいんですけど、2010年代の中でも何段階かあったと思うんですね。一十三十一さんの『CITY DIVE』と『My Lost City』が出た2012年に最初の波が起きたとすると、『Obscure Ride』と『THE BAY』が出た2015年から大波に変わって、現在では国内はやや落ち着きつつ、海外での日本の音楽の盛り上がりを伝える意味でのキーワードになっていたり。
髙城:あくまで俺から見たアングルの話ですけど、2010年代のシティ・ポップの土壌を最初に作ったのは、Pan Pacific Playaだと思うんですよ。
髙城:それにメディアも注目して、「シティ・ポップ」という言葉の土台ができて、「この名前を冠せる誰か」を探してた。で、一十三十一さんはそれこそDorianさんとかと一緒にやってて、70年代後半からのシティ・ポップ直系と言っていいんじゃないかと思うんですけど、僕らは違うんですよね。海外だと、日本のアニメとかAI的な意匠と、シティ・ポップの定規で測ったような完璧なタイム感が合致して受けてるんだと思うんですけど、僕らの音楽はそこに入れるには歪だし、はみ出てる部分がすごく多かった。でも単純に、「東京のバンドですよ」って触れ込みがあったから、混線を生んでしまって。その誤解によって、Suchmosにまで「シティ・ポップ」というラベルが付くようになっちゃったのは……ごめんなあ(笑)。最初の方は結構言われたでしょ?
YONCE:そうですね。逆に、俺らは後から知ったんですよ。シティ・ポップっていうものが前にあって、山下達郎さんとかの文脈があった上で、そこからのパス回しが俺らのところにも来た、というか。急にキラーパスが来て、とりあえずトラップしたみたいな(笑)。なので、そこは柔軟に、「呼びたい人は呼んでくれればいいし」という感じでした。もともとシティ・ポップが好きな人が聴いたら、「これは違うぞ」ってなるのは一目瞭然だし、「それはそれでいいや」って。文脈とか時系列とはあんまり関係なく、ただ「シティ・ポップ」っていうフレーズがキャッチーだったから、俺らにまでパスが来ちゃった、という感じだと思うんです。
髙城:不思議なことが起きてましたね……。
ーでも、音楽の歴史を振り返ると、誤解や勘違いから生まれてるものも結構多かったりしますよね。
YONCE:結局当事者に意図があるかは関係ないんですよね。
ーちなみに、「Pacific」の中で〈CityなんかよりTownだろ〉って歌ってたのは、どんな意図だったんですか?
YONCE:あれは当時まだOLD JOEをやってて、実家の茅ヶ崎から新宿とかに通ってて、何とか終電で帰ってきてたんですよ。財布はほぼすっからかん。でも食いたいから、やるっきゃねえって感じで。
ーCityに行くしかねえと。
YONCE:でも、そのちぐはぐさというか、やってることとやりたいことの食い違いにやきもきさせられて、それで単純に口を衝いて出た言葉でした。
髙城:意外とSuchmosも、俺が「牧歌的」って言ってる、ローカルに根差した感じの亜種だったのかもしれない。周りは「コンテストに出なきゃ」みたいな感じだったのかもしれないけど、YONCEくんは地元を大事にしてるし、むしろもともと俺らに近い存在だったのかなって、今日話をして思いました。
ジャズの土壌から生まれた要素が
2010年代の音楽に与えた影響
ー2010年代のシティ・ポップを最大公約数的な言い方で言うと、「ブラックミュージックの要素を含んだポップス全般」ということになると思うんですけど、それって2010年代の世界的なトレンドともある種リンクしてたと言えるし、ceroとSuchmosもその大きな流れの中にいたバンドだと言うことはできると思うんですね。
YONCE:2013年に、ダフト・パンクの「Get Lucky」が日本でも街中でかかってたじゃないですか? 俺らはわりと短絡的なんで、ああいうのから影響を受けた部分はデカいですね。
ー当時のceroで言うと、徐々にネオソウルに傾倒していく中で、2014年にディアンジェロが復活したりして、より強く時代性を帯びていきましたよね。
髙城:僕らもミーハーだからっていうのはあると思うんですけどね(笑)。もともと活動を始めた頃はUSインディの時代で、スフィアン・スティーヴンスとか、それこそ上手さよりアイデア……あの人たち自身は上手いんですけど、できないフルートを吹くとか、そういうアイデアは2000年代後半のUSインディから来てる部分が大きくて。でもいつからか、もっとスキルの方になっていきましたよね。ロバート・グラスパーとか、本物のスキルを持ったジャズの人たちがかましに来る、みたいな(笑)。やっぱり、ジャズが大きそうですね、スキルが急に見直されたのって。
ージャズの人たちがいろんなジャンルと繋がっていったのは大きかったですよね。
髙城:ceroは本メンバー3人だから、たくさんサポートを呼ぶのが当たり前になってて。そうやって「クルーとして音楽を提示する」みたいなことが世界的に見ても当たり前になりましたよね。その中に、ジャズの人を呼んできたりもするっていう。
ー逆に言うと、Suchmosのような固定メンバーのバンドがむしろ珍しいくらいの状況になりつつあるというか。
YONCE:確かに、バンド形態を崩さないにしても、ゲストで誰かをフィーチャーしたりするのが多いけど……まあ、時が来ればそういうのも全然やりたいし、最近は「オケを入れてみたい」という話も結構してるんです。これまではわりとオールドファッションな制作をやってきて、ひたすらジャムったりとか、バンドという形態を持って動き続けていないと生まれないものに重きを置いてきたけど、最近はそうでもなくなってきていて。メンバー各々が持ってきたものを、全員でプロデュースするみたいな考え方も、これからはやっていくかもしれないです。
髙城:Suchmosを最初に見て「なるほど」と思ったのが、マニピュレーターというか、DJがメンバーにいるでしょ? そういう人らって案外いなくて、ある意味フィッシュマンズ的だなと思った。フィッシュマンズはコーラスを欣ちゃん(茂木欣一/Dr)がサンプラーで出してることが多くて、Suchmosもコーラスを出すじゃん?
YONCE:まさに、ですね。
髙城:マニピュレーター文化って、今海外だと当たり前で。バンドだろうがラップだろうが、マニピュレーターありきの音楽の世界があるじゃないですか? ちょっと前までは「その場に見えてる人たちがやるのが音楽だ」というマッチョイズムみたいなのがあったけど、今はもう解き放たれてて、それこそジャズの人たちですらマニピュレーターがいたりする。Suchmosはオーソドックスなバンド形態ではあるけど、でもDJがいるっていうのは今風だったなって、今でこそ思いますね。大人の人たちは最初「懐かしい」って言ったと思うんですよ。ORIGINAL LOVEにL?K?OがDJで入ってる、あの感じというか。でも、今は一周して、むしろ早かったんだなっていう認識が俺の中に生まれつつあります。最近は(DJのKCEEが)ギターも弾いてるんでしょ?
YONCE:弾いてますね。逆に言うと、俺らがceroのライブを見て喰らったのって、オーガニックというか、有機的な部分で。「やっぱり、そっちもしてえよな」って。なので、もちろんDJの曲もあるんだけど、そうじゃないバンドの姿があってもいいよなということで、最近はギターを持つことも増えてて。
髙城:そういうのすごくいいよね。アンダーソン・パークが2018年にフジロックに出たときもそういう感じのバンド編成で、バックDJがフィジカルな絡み方もしてて。
YONCE:みんな達者なんですよね。
サブスク派?
フィジカル派?
ーリスニング環境の変化についてもお伺いしたいと思います。2010年代は「CDからサブスクへの移行」という大きな転換があったわけですが、そういった時代の動きをどのように感じていますか?
YONCE:髙城さん、サブスク使ってます?
髙城:めっちゃ使ってる。
YONCE:あ、安心した(笑)。
髙城:坂本慎太郎さんとお話する機会があったんだけど、「最近Spotifyでばっかり音楽聴いてて、CDは全然買ってないんですよ」って話したら、「自分で曲を選んでるつもりが選ばされちゃってたりとかしないの?」って言われちゃって(笑)。坂本さんは一切サブスクを使ってないらしくて、「買わないの? CD作ってる人なのに?」って言われて、「だよなあ」って。
YONCE:俺もそれを言われるのが怖くて、さっき聞きました(笑)。
髙城:「作ってる人間なのに」っていうのは本当に思う……まあ、買うものは買ってるんですけどね。CDよりレコードの方が多いけど。

Photo by Masato Moriyama
YONCE:俺も髙城さんと同じで、サブスクで古い音楽を見つけたときとかは、「これはアナログで買っといたほうがよさそうだな」って、アナログを買ったりしてます。そこに関してはちょっと古臭い考えかもしれないけど、フィジカルにこだわりはあるし、ギリギリその味わいを知ってる世代として、自分たちも出し続けたいなと思っていて。
髙城:今の状況がずっと続くとも限らないしね。また揺り戻しも大いにあり得るから、ここで出さなかったことが、後々すごい文化の損失になることだってあるかもしれない。今でいうカセットテープとかレコードみたいに、やがてCDの再評価が来ることは、今までの歴史を見れば絶対にわかることで。もので出すのは絶対にやめるべきじゃないし、やり続けた方がいいと思う。
YONCE:これからは作り手でもCDを毛嫌いする子が増えると思うんですよ。「もの代がかかるのは、金の無駄だから」って。でも、そこは食わず嫌いしない方がいいぞって思いますね。自分たちで作り上げたものが物体として存在してるという事実はかけがえのないものだし、やっぱりフィジカルはなくならない。俺はそこのロマンは守りたい。
ハマスタに立ったYONCEが言う
「じゃあ、次は何やんの?」を考えたい
ー最後に、2020年以降の展望も話せればと思います。少しずつ、日本の音楽が海外でも聴かれるようになってきた中で、今後の日本の音楽がどうなっていくのか、あるいは、どうなっていってほしいか、それぞれの考えをお伺いしたいです。
髙城:僕が思うのは、やっぱりアジア圏全体の文化的な結託が面白いものを生むだろうということですね。今すでに交流が盛んになってるけど、世の中の動きともいい形で連動していったらなって。日本の移民政策とか態度と、音楽や文化の盛り上がりとの間に繋がりが感じられないのが実情だから。
YONCE:音楽がシェイクハンドするきっかけになるのは間違いないですよね。それは過去の事例としてもあるし、先達が証明してくれてるから、俺たちもそういうことは考えながらやっていきたいです。
髙城:それに、例えば今のK-POPとJ-POPは別のベクトルにあるけど、将来的に聴いたことのない音楽が生まれるとしたら、そこがもっと混ざり合うしかないと思うんですよね。今年VIDEOTAPEMUSICくんがいろんな国のアーティストを集めてアルバムを作っていて、ああいうのはすごくいいと思う。グローバルと言っても、イッツ・ア・スモールワールドみたいにいろんな国旗がはためいてお花畑みたいなもんじゃなく、単純にエキサイティングなものを作るために結託してるってのが重要ですね。これからそういう感覚は「持ってなきゃマズイ」くらいのものだと思います。
YONCE:ただ、デカいところでやりゃあいいわけでもないっていうか……ハマスタ(横浜スタジアム)でやっといて言うのもおかしいですけど(笑)。そこまでの過程に、自分たちのことを好いて、音楽を嗜んでくれる人がいるという事実が本当に特別なことだと思うんですよね。
髙城:最高にいい! やった人間がそれを言うのは本当にかっこいいよ!
YONCE:ハマスタにそういう3万人の集まりを作れたのなら、「じゃあ、次は何やんの?」っていうところを考えたいです。まだ何の見通しもない話ですけどね。まあ、結局自分の一番身近な部分からやらないと意味がないとは思います。頭でっかちに、「目的のために」ってなっちゃうのはよくないので、自分の半径数メートルの調子よさから考えて、全員がそれを追求できるようになればいい。まずはそこからかなと思っていますね。
Suchmosは横浜スタジアムでのライブを収めた映像作品『Suchmos THE LIVE YOKOHAMA STADIUM 2019.09.08』を6月10日にリリース予定
高城は自身のソロプロジェクト「Shohei Takagi Parallela Botanic」名義で、2020年4月に1stソロアルバム『Triptych』を発表した。
高城晶平が選ぶ、2010年代のベストヴォーカリスト
アーチー・イヴァン・マーシャル(King Krule)
折坂悠太
キング・クルール以降、彼みたいな音楽ってめっちゃ増えたけど、誰もキング・クルールに届いてないのはあの人の声じゃないからで。あの声が鳴った瞬間に完全なるオリジナルになっちゃうのはすごいし、クラシックだし、大好き。ロンドンの天気みたいな声というか、晴れではまったくないけど、それもいい。アルバムで言うと『The OOZ』が大好きです。やってることはロックに立脚してるんだけど、アルバムの作りはミックステープっぽい、現代的な作り方で、そういう部分も憧れます。日本だと折坂悠太くん。彼も同じようにクラシックというか、日本っていう土地の磁場にちゃんと立脚してる。そういう人は稀ですよね。
YONCEが選ぶ、2010年代のベストヴォーカリスト
ジェフ・トゥイーディー(Wilco)
下津光史(踊ってばかりの国)
海外だとジェフ・トゥイーディーのソロアルバム(『WARM』)がすごく好きで。親切な人の家に招かれたかのような感じがするんですよね。大事なシチュエーションで出会うことができて、安心させてくれたっていうのも大きいです。日本だと、踊ってばかりの国の下津光史くんですね。彼の歌と言葉、メロディとの密着度というか、スラスラ出てくる感じが素晴らしいなって。「ストレートって、いいよな」って単純に思わされるし、「ストレートに聴かせてることのすごさ」も思い知らされます。
高城晶平が選ぶ、2019年のベストアルバム
『The Age of Immunology』
Vanishing Twin
Vanishiing Twinは超ビターなステレオラブみたいな感じで、俺の超ドンピシャな音楽で大好きです。モノトーンかつサイケな音楽性に、ダダイズムっぽいジャケを採用してるところもジャスト。2019年的かって言われるとそうじゃないかもしれないけど、個人的には2019年に結構聴きました。
高城晶平が選ぶ、2019年のベストライブ
ウルフルズ(7月7日、「ONE PARK FESTIVAL 2019」にて)
福井県で開催された「ONE PARK FESTIVAL 2019」にceroも出させてもらったときに観た、ウルフルズのライブ。今3ピースだからトータス松本さんがギターを弾きながら歌ってるんですけど、それがむっちゃかっこよくて、泣いてしまいました。ギターソロで音量上げたりもせず小っちゃいまんまやっていて、そのウェルメイドなものにしてない感じもめっちゃよかった。今が一番旬なんじゃないかって思うくらい、いいライブでした。
YONCEが選ぶ、2019年のベストアルバム
『Orange Time』
Rona Kenan
イスラエルのシンガーソングライターで、きっといろんなことに巻き込まれた中で創作活動をしてるんだろうし、しんみりさせられてしまったという意味で結構喰らった作品です。雰囲気はシャルロット・ゲンズブールみたいな感じ。ジャケットも素敵だなって思います。今年は物思いにふける時間が長かったのもあって、そういうときに寄り添ってくれる音楽を求めていたんですよね。

Shohei Takagi Parallela Botanica
1st Album『Triptych』
発売中
https://kakubarhythm.com/discography/post/8402

Suchmos THE LIVE YOKOHAMA STADIUM 2019.09.08
発売日:2020年6月10日(水)
https://www.suchmos-hamasta.com/