米音楽業界のキーパーソンに迫る企画「At Work」。今回はビリー・アイリッシュを発掘したジャスティン・ラブライナー氏を紹介する。


電話に出たとき、ジャスティン・ラブライナー氏は1周45分間のジョギングコースの途中だった。これが彼の日常だ。まだ30歳手前の彼は絶えず動き回り――絶えず次の一手を考えている。南カリフォルニア大学の学生だった20歳の時に、アーティスト発掘に特化したDarkroomという会社を立ち上げ、のちにレコード会社向けのマーケティング・PR会社に業務替えした。

しばらくRepublic Recordsのコンサルティングを担当した後、Interscope社のCEOであるジョン・ジャニック氏と出会い、子会社化のオファーを受けた。2015年、SoundCloudにアップロードされた「オーシャン・アイズ」でビリー・アイリッシュの歌声を初めて耳にする――そしてすぐさま彼女と接触を試み、のちにInterscope社との契約を取り付けた。

・ビリー・アイリッシュ、「Sunny」のカバーを「One World」で披露(映像)

アイリッシュと言えば、いまやグラミー賞主要4部門を総なめにした史上最年少アーティストだ。屋内退避命令が施行されて音楽業界が閉鎖されたとき、彼女はちょうどワールドツアーの真っ最中だった。ツアーが延期されてからは、ラブライナー氏はロサンゼルスの自宅から仕事している。これほど長い間1か所に留まっていることはほとんどない、と彼はローリングストーン誌に語った。

ー朝起きて最初にすることは何ですか?

僕はしょっちゅう飛び回っていて、1年のうち半分ぐらいしか家にいないから、決まったことを日々の生活に取り込むようにしている。特にこう、と決まったやり方はないけどね。
まず初めに、8時か8時15分ごろに起床する。不在通知が10件、未読100件ぐらいあって――9時ごろには、予定していた電話会議が控えている。まだベッドにいるうちに、できるだけ前の晩のメールや携帯メールを片付けるようにしているよ。

ー起き抜けからいきなりメールや留守番電話の山では、不安になりませんか?

僕は悩みを抱えるタイプじゃないんだ――ありがたいことにね――だから気にならないよ。いい感じにお尻を叩かれてる感じさ。なにしろ超特急で片付けなきゃならないからね。

ーいわば、モーニングコーヒーの前の目覚めの1杯、ですね。

ああ。会社は世界中のマーケットとの仕事に全力投球しているし、個人的にも海外のパートナーとしょっちゅう連絡を取り合っている――(親会社の)UMG側の人間だったり、ストリーミングプラットフォームだったり、世界各地の宣伝担当者やマーケティング部門だったり。もちろん、Interscope社や(Interscope Internationalの幹部である)ニック・ミラー氏やユルゲン(・グレブナー氏)からも相当サポートしてもらっているよ。彼らのお株を奪うわけじゃないけど、僕らは絶えず海外と連絡を取り合っている。正直、時差が数時間先のところから突かれるほうが嬉しいぐらいだ。
早朝から大勢の人が連絡してくると、僕も俄然やる気になるからね。

大事なのは「自由な時間をたくさん作って考えること」

ー仕事とプライベートのバランスは大事だと思いますか?

僕の場合、ブレストや考え事をしているときに一番いいアイデアがたくさん出てくる。口を開けてただ待つのではなく、常にアイデアやチャンスを追いかけているんだ。ごく最近も、どうすれば自分の時間をうまく配分できるか考えていたところさ。みんな、目の前の仕事をできるだけたくさんこなせばもっと成功できる、と教わって育つけど、僕は根本的にその意見には反対だ。仕事に一生懸命になるあまりいつも俯いていたら、顔を上げて物作りをしたり、さらなるチャンスを考えたりする時間がなくなる気がするんだ。僕にとって本当に大事なのは、仕事に邪魔されてばかりじゃなく、自由な時間をたくさん作って考えることなんだよ。

運動や散歩にも多くの時間を割いている。あいにく、サーフィンやジェットスキーみたいなメジャーな趣味は持ち合わせていない――旅行は大好きだけどね。(自由な時間を)勉強やブレストや体調管理に充てるようにしているんだ。オーディオブックやポッドキャストも聞いているよ。大好きなのはマルコム・グラッドウェル。
ガイ・ラズの『How I Built This』もいいね。

ー頻繁に旅をするのはなぜですか?

いつもクライアントのそばにいる人間でいたいんだ。振り向けば僕がいる、という風にね。それに、アーティストを発掘してどう売り込むか理解するにはグローバルな視点が必要だ。世界各地のマーケットを理解するためには、実際にその場に行かなくてはいけない。実際に人と会って、人間関係を築かないと。所属するアーティストを一番大事に思っているのは自分しかいない。大勢の人々を介するよりも、現地マーケットの人間と直接コミュニケーションを取っていれば、相手もこちらのプロジェクトを優先してくれる。例えば、UMGスウェーデンは世界中の全てのUMGアーティストを扱っているけれど、同時に地元のアーティストも抱えている。だから個人的関係を築いて、現地マーケットに予算を割り当てて、目的をもって進めていかない限り、優先順位を上げてもらうのは非常に難しいんだ。

僕は世界の主要な音楽マーケットにはほとんどすべて行った。各地に行き始めた最初のころは、現地の人にいつもこう質問していた。
「地元のアーティストが現地で直接契約した場合、ストリーミングやラジオ以外の宣伝方法を5つ挙げるとすれば何か?」。従来のマーケティング手法以外にも、できることは山のようにある。そういうことは現地に行かないとなかなか理解できないものさ。アジアのようなマーケットではとくにそうだ――ソーシャルメディアのプラットフォームも違うし、ファンの音楽の聴き方も、アーティストとの交流の仕方も違うからね。

そんな風にアーティストを支援するためにも、僕はあちこち飛び回っていたいんだ。とりわけビリーに関しては、大勢のスタッフがチームとして各公演地を回る予定だ。僕はまだ20代だし――もうすぐそうじゃなくなるけど――旅行資金もあるし、いろいろ背負っていて旅行できないということもない。あと何年続けなきゃいけないか分からないけれどね。この数年間で、ものにできるチャンスがあると思ったら即座に飛行機に飛び乗る度量が身に着いた――すごく役に立ったよ。一度アデルのマネージャーのジョナサン・ディキンス氏と電話で話したことがあってね。彼はいつも素晴らしいアドバイスをくれるんだ。僕はビリーの1stアルバムで温めていたプランをいくつか彼に話した。
可能な限り世界各地のマーケットに出向いて、アルバムのプロモーションに手を貸したり、プランを説明したりするのはなかなかいいアイデアだと思うんだけど、って。そしたら彼も、アデルのアルバムのとき同じように全ての音楽マーケットを回った、と教えてくれた。アデルがあれだけ成功したんだから、俄然僕もやる気になったね。さっそく飛行機に飛び乗りたくなったよ。

起業家としての姿勢を貫きたかった

ーDarkroomを立ち上げたきっかけは?

EDMのアーティストがロサンゼルスのあちこちでプレイするようになったころ、これはチャンスだと思った。当時、大勢の世界的アーティストが現地にちゃんとしたマネージャーを抱えていなかった。それで僕はブログで――クリエイティビティと基本的なマーケティングの知識で――彼らのアメリカでの露出を上げるのに一役買いたいと思ったんだ。大学生が同じ大学生に売り込むという観点でね。まさにそこがターゲット層だった。おかげでクライアントをパートナーにどう伝えればいいか、お互い得をするにはどうすればいいか、お金をかけずにアーティストの露出をあげるにはどうすればいいか、とことん理解できた。最終的にはいろいろなアーティストやクラブ、フェスティバルと一緒に仕事をするようになっていた。

それからRepublic Records社の制作部で、ロブ・スティーヴンソンのコンサルタントを始めた。
もともと彼は僕をマーケティング部に入れたがったんだけど、僕は起業家としての姿勢を貫きたかった。僕にとっては、独立した立場でいることと自分の会社を経営することが、仕事をする上での大前提だった。仕事のチャンスをもらった時はいつも雇われる身ではなく、パートナーとして仕事ができるようにしていた。だから制作部のコンサルタントにしてもらえないかと頼んだんだ。僕はブログもやっていたし、アーティスト発掘にもすごく興味があったし、いろんなマネージメントチームともいい関係を築いていたからね。

ロブとは1年間一緒に仕事をした。何人かのアーティストと契約を結んでかなりいい業績を上げて、正社員として残る選択肢もあった。その時ちょうどデヴィッド・ゲフィンのドキュメンタリーを見て、彼の企業家精神やレーベル創業までの経緯に感銘を受けてね。最終的にはジョン・ジャニックを介してチャンスが巡ってきた。彼には心底惚れ込んだよ。彼も僕の中に自分の姿を見出したんじゃないかな。彼自身も起業家だから、僕がビジネスを興すのを助けてくれる完璧な指導者だった。すぐに成果をださなきゃ、というプレッシャーはなかったよ。もしミスをしても、彼がそばで励ましてくれるという気がしたんだ。

ーそこから現在に至るまでは、どんな感じでしたか?

山のようにいろんなことをしてきた。ただ、音楽業界のひとつの分野に集中しろ、といつも言われていたけどね。Darkroomはマーケティング会社だけどマネージメントもするし、音楽出版業務も始めた。ブランド契約もやっている。レーベル側の仕事に専念しようと決めたのはたぶん今回が初めてじゃないかな。もちろんマネージメントもしているけれど、それは業務を一括化しようとしているからなんだ。自分たちの知見を様々な分野で活かして、僕らと一緒に仕事をするのは面白そうだと、アーティストに思ってもらいたいんだ。

僕らはマネージメントの経験があるから、ツアーのこともツアーの宣伝方法も心得ている。音楽出版もやっているから、楽曲制作やA&Rのことも理解している。マーケティング事務所を経営しているから、マネービルや才能発掘も理解している。そういう多様なことをすべてスリム化して、レコードレーベルとして自分たちをアピールしつつ、可能な限りの時間と資金を個々のアーティストに投入している――あまり大勢のアーティストを抱え過ぎないようにもしている。

今のチームを構成するときも、ひとつの分野に詳しいエキスパートを雇ったわけじゃない。普通のレーベルとは違って、僕らのチームには1つのことに特化したメンバーはいないんだ。全員がなんでも全てこなし、なんでも全て助け合うという感じなんだ。

ビリーの母親はチャリティ活動に取り組んでいる

ーコロナの影響で、どのような変化がありましたか?

アイデアを練るにはちょうどいい機会だった。経済にとっては最悪な時期だし、いま苦しんでいる方々には心から同情するよ。とんでもない大変な時期だけど、同時に仕事量が少し減った分、僕らのチームには自由に考えて、戦略を立てて、創意工夫を凝らす時間ができた、という部分もあるんだ。

僕はとても恵まれていて、幸運だと思う。レコードレーベルを経営しているから、世間が音楽を聴いてくれる限りビジネスを続けられるしね。もちろん音楽業界全体や、とりわけショウができないアーティストは被害を受けている。でも僕たちに限って言えばある意味「通常営業」している。グリフィンと組んで素晴らしい仕事をしているオースティン・エヴェンソンは、かなりの時間をかけてデジタルの世界に詳しくなった。チームの別のメンバーと組んで、それぞれのプラットフォームや世界各地のマーケットで楽曲がどう受け止められるかを理解するイカしたツールを作ったりとかね。レーベルマネージャーでマックス・レオンを担当しているレイン(・クーパースタイン)も忙しくしている。A&R担当でもっぱらクリエイティブ方面を担当しているディラン(・ボーン)は、新人アーティストの発掘に専念している。僕のアシスタントのオリバー(・ジョーダン)は、いつでも手を差し伸べられるよう、これから契約しようとしている新人アーティストと密に連絡を取っている。僕はチームの背中を押して相談に乗りながら、みんなが今までやりたかったけど時間がなくてできなかったことに専念してもらっている。ビリーの母親のマギーは(COVID-19危機に合わせて)地元の工場併設のレストランをサポートし、食料を必要な場所――病院や老人ホームやフードバンクに届けるという素晴らしいチャリティ活動に取り組んでいる。やりたかったプロジェクトが実を結ぶチャンスなんだ。

うちの若手アーティストに関しては、どのみち全てデジタルだから、プラットフォームが協力的で、かつソーシャルメディアやクリエイティビティを活かした戦略がある限り、とくに問題はない。ビデオ撮影ができないから推しの1曲をリリースするわけにはいかないけど、それでも楽曲はリリースできる――普段ならリリースしないような曲だったり、出すタイミングがなかった曲だったり。そのおかげで今までと違うファン層を呼び込めるかもしれない。もう少しビッグなアーティストの場合もほぼ同じだ。ビデオや激しい売り込みがなくても、気運を生み続けられる音楽に出番が回ってきたんだ。もちろん、どのクライアントの場合も継続的にリリースするという戦略は変わらない。どのアーティストとも、楽曲リリースや音楽制作について話し合っているよ。

ー現在、音楽業界でもっとも過大評価されているトレンドは何でしょうか?

ストリーミングの時代は、プラットフォームが個々の楽曲にばかり注目するところまで来てしまった。プラットフォームから――アーティストの意思に反して――曲がヒットすると世間はしばしば懐疑的になる。TikTokが出てきてからそういう傾向が見られるようになったんじゃないかな。そういう曲が拡散すると、レーベル側はどこも大枚をはたいてそのアーティストと契約しようと躍起になる。でもその後は、その曲以外は鳴かず飛ばず状態だ。

とはいえ、TikTokそのものはけっして過大評価ではないよ。今までにない方法でクリエイターがアピールできるようになった素晴らしいソーシャルメディアプラットフォームだ。ややネガティブな響きを持つようになったものの、次のTikTokソング探しも行われている。でも僕ならそこからは身を引いて、プラットフォームとしてのTikTokをどう活かせばアーティストの違う一面を引き出せるか、というところに注目するね。

基本的に、過大評価されているトレンドは、エキサイティングで新しいマーケット手法になり得るものから生まれていると思う。問題は、1人の人間としてアーティストに着目しつつ、いかにそのツールを使うか、なんだ。

相手からノーと言われる回数も半端じゃない

ー今まで直面した中で、一番大きなハードルは何でしたか?

対抗意識のせいで不安に感じるということは多々ある。大勢の人々が自分の仕事に縄張り意識を持っていて、他人に足を踏み入れてほしくないと思っている。たくさんのことができて、どこにいっても通用する人間がいると、お前は引っ込んでろと言われるんだ。でも、僕よりクライアントのことを大事にしている人は他にいないんだから、もし自分が役に立てることがあるなら――Spotifyと組むとか、映画の挿入歌に採用してもらうとか、国際マーケットと連絡を取るとか――僕はやるよ。

僕が手順を飛ばすのをよく思わない人は常にいる。これまでにも、僕が領分を越えたとか、相手を踏み台にしたと感じた人からさんざん嫌味を言われた。音楽業界の新参者にとってそういう嫌味は本当にヘコむし、自分がどんなヘマをしたんだろうという気分になる。ジョン・ジャニックのおかげで、そういう状況をいくつも切り抜けてこられた――ここは領分を越えたな、とか、攻めすぎたな、というのがわかるようになった。ここはプッシュしよう、自分の仕事をしよう、今はクライアントを第一に考えよう、とかね。導いてくれる素晴らしい恩師がいなかったら、しょっちゅうトラブルに見舞われていただろうね。

相手からノーと言われる回数も半端じゃない。アーティスト発掘の大部分は、プレゼンして、相手を説得して、自分が推すアーティストと彼らの楽曲に関心を向けてもらうことだ。僕が今まで何度ノーと言われたか、想像もつかないと思うよ――ミーティングを断られた回数、時間を割いてくれなかった人の人数。信じられないぐらい落ち込むこともある。そのうち、自分の視点がズレてるんじゃないかとか、持っていく先を間違えたんじゃないかと考えるようになる。そういう考えを払拭して、自分を信じ続けることができないと、向こうに足元をすくわれてしまうんだ。僕はそういうネガティブなエネルギーをポジティブに変えるようにしていた。やる気に変えたんだよ。

昔は、この世で一番好きなことはノーと言われることだった。だって、相手が間違っていると証明したくなるだろう。常に僕が正しいわけじゃない。間違った決断を下したこともある。僕にノーと言った人が全員間違っていたわけでもない。でもハングリーだったころの僕は、ノーを糧にする必要があったんだ。
編集部おすすめ