昨年始動した「Answer to Remember」を経て、最新プロジェクト「SMTK」のアルバム『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』を5月20日にリリースした石若駿。日本一忙しいドラマーとも言われる彼に、自身の半生と独自の楽器論を語ってもらった。


※この記事は2020年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.010』の特集企画「いまこそ『楽器』を」に掲載されたものです。

石若駿はここ数年、プレイヤーとしてだけでなく、時代のハブとしても大きな役割を担ってきた。昨年始動した「Answer to Remember」で名実ともに同世代のリーダー格となった彼は、叙情的な歌ものプロジェクト「SONGBOOK」、楽曲志向のジャズバンド「CLEANUP」、獰猛かつクールな実験的カルテット「SMTK」を率いるだけでなく、先鋭的ポップバンドのCRCK/LCKSに参加し、くるり、KID FRESINO、君島大空などのサポートを務めながら、ジャズメンとして毎日のようにライブを行なっている。日本一忙しいドラマーの一人と言われるようになって久しく、「駿さんは7人いるんじゃないか」とは君島の弁だ。

さらに石若は、東京藝術大学でクラシックの打楽器を学び、現代音楽にも精通。ピアノの演奏にも長け、ソングライターとしても繊細かつ大胆な一面を覗かせてきた。
常田大希は藝大の同級生で、King Gnuの前身となったSrv.Vinciで初期メンバーを務めた仲。そんな彼のドラム哲学を紐解くのは、早熟のテクニックとアカデミックな教養を持ちながらポップのフィールドに飛び出し、ジャンルの枠を超えてキーパーソンとなった理由を確かめることにもなる。独自の楽器論を語ってもらうべく、高校時代から出演してきたホームで、イベント「石若駿3DAYS」を毎年開催しているジャズクラブ、新宿PIT INNにて取材を行なった。

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

石若駿
1992年北海道清里町生まれ。札幌市出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校 打楽器専攻を経て、同大学音楽学部器楽科打楽器専攻を卒業。
卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞受賞。2019年7月、新プロジェクト「Answer to Remember」を始動。CRCK/LCKS、SMTK、CLEANUP、日野皓正クインテット等としても活躍する一方で、君島大空やくるりのサポートを含む多数のレコーディング、ライブに参加している。(Photo by Kana Tarumi)

「ラッキーな高校生でした」
ドラムが導いてくれた幸運な人生
 
ードラムに興味を持ったきっかけは?

石若:3~4歳のときに父親に連れられて、山下洋輔トリオの初代ドラマーだった森山威男さんと、テナーサックスの松風紘一さんが北海道の室蘭でやったライブを観に行って。2時間ずっとフリージャズで、森山さんの演奏がすごかった。ブワーっと叩くから音圧もあるし、スティックやドラムブラシも折れて飛んでいっちゃう(笑)。
あまりにもカッコよかったので「僕もあれやりたい!」と言ったら、おじいちゃんがおもちゃのドラムセットを買ってきてくれて。8ビートや16ビートなんて知らないまま、見よう見真似でずっと叩いてました。

YOSHIKIさんがドラムセットを破壊する姿にも心打たれたとか。

石若:僕が5歳のときにX JAPANが解散して、YOSHIKIさんの映像がニュースで毎日流れていたので、それにまた衝撃を受けて、X JAPANの曲を全部叩けるようになるほど好きでした。あんなふうにドラムぶっ壊したいと思いながら、小学校の掃除の時間にみんなが運んだ机のうえにダイブして、めっちゃ怒られたこともあります(笑)。

ージャズに入れ込むようになったきっかけは?

石若:それまで家で一人で叩いてたんですけど、「誰かと一緒に演奏したいな」という気持ちが芽生えてきたときに、札幌・ジュニア・ジャズスクールが小学生のためのビッグバンドのメンバーを募集していて。
そこからビッグバンドの魅力に目覚めました。

ーその後、プロデビューしたのはいつ頃?

石若:中2のとき、日野皓正さんが「札幌で演奏するなら石若を使おう」となって、ホテルで2日公演したのが最初です。日野さんともっと一緒にやりたかったので、東京で音楽の勉強ができるところを調べて、東京藝大の附属高校を受験しようと。そこはクラシックの学校だから、中3の1年間はジャズを封印してクラシックのレッスンに打ち込んでました。それで合格して東京に移ってからは、学校終わりの夜12時から朝までセッションするようになって。その頃に(ロバート・グラスパー・エクスペリメントでの活動で知られる)ケイシー・ベンジャミンとも一緒に演奏したり、ラッキーな高校生でしたね。


石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

Bonney Drum Japan ドラムセット
高品質のハンドメイドで知られる小田原のドラムメーカー、Bonney Drum Japanとエンドース契約を結んでいる石若。この「”BOP” JAZZ DRUMS」は彼がプロデュースしたもので、ジャズを中心にあらゆる音楽シーンに対応すべく、3年半の制作期間を経て完成した。シェル(胴)には硬すぎず軟弱すぎない木材「チューリップウッド」を使用。(Photo by Kana Tarumi)

ー『情熱大陸』にKing Gnuが出たとき、新井和輝さんや勢喜遊さんが馴染みの店でセッションする一幕があったけど、石若くんもそういう環境で腕を磨いていった。

石若:そうですね。その後は高田馬場にあるイントロというセッションバーに通うようになって。
最近までずっと近所に暮らしてたんですけど、ライブとは全然違う体験で、いろんなミュージシャンと一緒に音楽をイチから作っていくのが楽しかったです。あるとき、ベーシストの須川崇志さんとのセッションで、電気を消した真っ暗の状態で20分くらい即興したことがあって。視覚がないから耳を集中させるしかない。あれはいい勉強になりました。
 
「ドラムが上手いとは思わない」
自身に対する認識を語り始める
 
ー石若くんから見て、ドラムってどんな楽器ですか?

石若:ドラム一台だけで万人を踊らせることができると思っていて。それだけのパワーを持っているし、人間にダイレクトに響く作用がある。すごい説得力でもって、場の空気を変えることができる楽器だと思いますね。あとはバンドのなかの指揮者とかよく言われますけど、まさにその通りだなと。シンバル一発でフロントマン的な役割を果たすこともできるし。

ー石若くんはドラムソロを叩きまくってるときも楽しそうだけど、バンド全体の演奏が噛み合った瞬間にいい表情してる気がします。

石若:そういうのって奇跡だなーと思うんですよ。音を出しながらみんなでコミュニケーションを取って、「あっ、今同じこと思ったよね?」って瞬間が一番楽しい。言葉で説明したわけではないのに、なるべくしてそうなったというのが。そういう経験をビッグバンド時代からしてきたので、そこに楽しさを常に持っています。

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

スネア
スネアは石若にBonnyを紹介した先輩ドラマー、松下マサナオ(Yasei Collective)のおさがり。胴体の鮮やかなスパークルは中国の腕利き職人が手掛けた。「普通は薄い膜をカバーリングで貼るけど、これは塗装だから傷つくと剥がれやすい。それもまた味かなって」(Photo by Kana Tarumi)

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

バスドラ
「BOP」を監修した石若のプレイヤー視点に立ったこだわりは、ラグというヘッドの張り具合を調節するパーツにも反映。「曲の最中に『音を高くしたいな』『ローを出したいな』と思ったら、チューニングキーを使わなくても演奏しながらこうやって(写真のように)回して調整できる。ヘッドの交換も簡単で、一石二鳥なラグですね」(Photo by Kana Tarumi)

ー自分のプレイにはどんな特徴があると思いますか?

石若:実は自分って、そんなにドラムが上手じゃないと思っていて。

ーそんなこと言ったら怒られますよ(笑)。

石若:なんだろう……ハーモニーとの向き合い方かな。ドラムってオーケストラで言うとスコア上に書いてあることの下地を担っていると思うけど、僕の場合はLR(楽譜で左手/右手のショットを指す記号)という感じじゃなくて、フルートやクラリネットを吹くみたいに「タラララ~」ってイメージで叩いていて。あとはクラシックも勉強したので、他のドラマーよりも「響き方」を考える瞬間が多いと思いますね。このくらいの力加減や音量で叩いたら、客席にどんなふうに聴こえるのかなとか。アコースティックな現場では特にそう。

ーそれってコツとかあるんですか?

石若:やっぱり耳の使い方ですかね。それはいろんな先生から言われました。ちょっと離れたところに耳を置いて、そこで聴いたときに豊かに響くようなイメージでやってみましょうって。そういう経験をたくさん積んできたのは自分の強みかなと。その点で大好きなのはポール・モチアン(ビル・エヴァンス・トリオなどで活躍したドラマー)。立体的だし形を変えながら伸縮するような感じで、空間をしっかり捉えている。そういう演奏に憧れます。

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

Istanbul Agop Traditional Dark Ride、Turk Jazz Ride
 「ドラマーの好みが一番反映されるのはシンバル」と語る石若は、シンバル発祥の地、トルコの老舗メーカーIstanbul Agopともエンドースしている。写真右は26インチの大口径シンバル。このサイズを使うドラマーは珍しいが、演奏中に他のメンバーが鳴らす和音・倍音と共鳴することで、よりハーモニーが表現しやすくなるという。(Photo by Kana Tarumi)

ーそこまで考えてるのに、なぜ自分のドラムを上手くないと言うんですか。

石若:今の時代は、テクニックがすごい人ならめっちゃいるじゃないですか。そういう人たちを見て、少し前だったら「俺だって叩けるよ!」と張り合ったけど、最近の自分は「そういうドラマーじゃないからできないな」と思うようになってきたんですよね。それよりも響きや音色、ハーモニーへの比重のほうが大きくなっている。(石若は)何でもできるとよく言われますけど、何でもやろうとすると失われることって結構あると思うんですよ。それよりも自分の強みを磨いていこうというのが最近の方針です。

藝大にて、常田大希らとの出会い
刺激的な「化学現象」を求めて
 
ー話は前後しますが、東京藝大ではどんなことを勉強したんですか?

石若:オーケストラや打楽器アンサンブル、民族音楽の授業などを受けたり、もちろんピアノや楽典、理論や音楽史も勉強しました。あとは高校の頃から現代音楽を勉強したかったんですよね。それで大学1~2年のときに、一柳慧さんや三善晃さん、福士則夫さんや武満徹さんの音楽を勉強するうち、自分のなかでバチっと来たんです。そこから日本人が創る現代音楽を演奏したいと考えるようになりました。

ーその一方で、「閃光ライオット」に出たこともあるとか。

石若:(常田)大希と一緒に出ましたね。その頃はSrv.VinciとかMrs.Vinciよりもっと前で、誰も知らないバンド名で(笑)。僕はひたすら速いスウィングフィールとビッグなビートを行き来して、大希はギターを鳴らして、その頃から拡声器も使ってました。ジミヘンっぽいサイケだけど、マイルス・デイヴィスとやってた頃のジャック・ディジョネットがいるみたいな感じ。審査員はみんな唖然としてました(笑)。

石若駿も参加した、常田大希率いるmillennium paradeのライブ映像

ー常田さんは当時から「ヤバイやつがいる」みたいな感じだった?

石若:そうですね、見た目からして音大生っぽくなかったし。チェロがすごく上手で、オーケストラの授業でもよく一緒にやってました。そうそう、大希が大学をやめるとなって、(彼にとって)最後のオーケストラの定期公演で、「今日で大希とのオケも最後だね」「おう」みたいなやり取りをしたあと、本番前の舞台袖にみんな集まったらピッカピカのスーツを着ていて(笑)。「一番カッコイイの着てきたわ~」って。

ー爪痕を残していった(笑)。

石若:でも、そういうところも彼が持っている音楽の強さだと思うんですよ。何かをやめるってパワーがいるじゃないですか。そこで踏み切れる勇気がある。自分がやるべきことをしっかりわかっている。僕はどちらかというとやめれないタイプというか、楽しさを優先する方なので。

ー最近は他にも、藝大出身の友人たちや若い世代が活躍していますよね。

石若:小田朋美さん角銅真実さん、網守将平さん、坂東祐大さん、上野耕平くん……。共通して言えるのは、その人自身の音楽がちゃんとあるっていう。

ー同世代やバックグラウンドの近い人たちが続々と世に出ている、そういう手応えは自分のなかでありますか?

石若:ありますね。それぞれが花開いていって、しかもそれが全部繋がっている。「俺たちがやってる」という感じがします。

ー君島くんは「スタートの違う人たちが同じところで遊んでる」と表現してましたけど、出自やジャンルを超えた交流の広がりも、今現場で起こっていることの面白さなのかなと。

石若:今までなかったことかもしれないですよね。ジャズ側にいると特にそう感じます。ジャズはひたすら訓練・鍛錬・修行みたいなところがあったけど、ここ数年であり方が変わってきた。そういう世代だと思いますね。僕もいろんな音楽に興味があるから、飛び込んで友達作ったり酒呑んだりしてきたので(笑)。もっと不思議な化学現象が欲しくなったというか。そういう流れが世界的にもあったと思うし、それに影響された部分もあると思います。今はそれが普通の感覚ですよね。

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

Photo by Kana Tarumi

ー世界的な流れといえば、millennium paradeを見てても思うけど、石若くんや常田さんを中心とした界隈にとってブレインフィーダーの存在も大きいのでは?

石若:衝撃的でしたね。音楽はもちろん見せ方もかっこいいし、自分たちもああいうことができたらいいなというのは、常にどこかで意識していた気がします。

ーサンダーキャットがAnswer to Rememberを聴いてると言ってましたよ

石若:僕もビックリしました。「マジでうれしい!」と思ってたら、サンダーキャットのバンドで叩いてるジャスティン・ブラウンがホセ・ジェイムスの公演で来日公演したときに「Answer to Remember is DOPE」ってメッセージがきて。「ありがとう」「次に日本に来たらハングしようぜ」とやり取りしてたら、今度はJDベックってドラマーからも、いきなりインスタで「Youre fucking sick man!」と連絡がきました(笑)。

ーAnswer to Rememberはすでに海外のミュージシャンにも刺さり始めていると。今後はもっと海外にも出ていきたい?

石若:そうですね、向こうでライブしたいという気持ちはずっとあって。まずは実際にやって感触を見てみたいです。

ーそして今後の活動は……と質問しようにも、やってることが多すぎてどこから聞けばいいのか(笑)。

石若:忙しいですね(笑)。でも楽しいことしかやってないし、ドラムの椅子に座れば自然と頭も切り替わるので。そういう意味で、スタンスはずっと変わってない。今後も自分から生まれるものを大切に、あったかいうちに提供できるよう動いていけたらと思っています。

●石若駿はさらなる地平へ、新世代のリーダーを引き受ける覚悟と今思うこと(Answer to Rememberのインタビュー)

石若が率いるSMTKは、彼と細井徳太郎(Gt)、松丸契(Sax)、マーティ・ホロベック(Ba)の4人組。今年4月に発表した1st EP『SMTK』を経て、5月20日に1stフルアルバム『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』をリリース。後者には荘子it(Dos Monos)が参加した「Otoshi Ana feat.荘子it」も収録。

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』
SMTK
2020年5月20日リリース

石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代

『SMTK』
SMTK
発売中

SMTK_official (@SMTK_official) / Twitter
https://twitter.com/SMTK_official

Editor = Yukako Yajima
取材協力 = 新宿Pit Inn