幅広い音域と歌い上げるスタイルが有名だが、実は類まれな声を自在に操る万能型でもある。
1:「アメリカ・ザ・ビューティフル」
1990年6月、マライア・キャリーはまだ現在のような世界的歌手でも、ソングライターでも、数々の記録を破ったディーバでもなかった。このあと同じ月に、セルフタイトルのデビューアルバムがリリースされ、その数週間後にはシングル「ヴィジョン・オブ・ラヴ」がシングルチャート1位を飾ることになる。アルバムリリースのちょうど1週間前、キャリーはNBAファイナルで「アメリカ・ザ・ビューティフル」を華麗にかつ感動的に歌い上げ、観衆をあっと言わせた。最後にファルセットで締めくくると、選手たちも新進気鋭の期待の星の素晴らしい才能に驚きを隠せなかった。
2:「ヴィジョン・オブ・ラヴ」
1990年、デビューアルバムからの1stシングル「ヴィジョン・オブ・ラヴ」で、キャリーは一気に時の人となった。『サタデー・ナイト・ライブ』初出演の映像を改めて見てみると、彼女が一夜にして成功を収めた理由は一目瞭然――彼女はベテランスターのような風格でこの曲を歌っている。
3:「キャント・レット・ゴー」
1991年、『ソウル・トレイン』でキャリーが披露したバラード「キャント・レット・ゴー」は、あまりにも完璧なので口パクだと思った視聴者も多かったのではないだろうか。彼女が歌い出した時のバックアップシンガーに注目――これほどの度量のシンガーの前でヘマはできないぞ、という不安が感じ取れる。
4:「エモーションズ」
1991年、MTVビデオミュージックアワードのステージに立つ頃には、キャリーはすでに業界きっての売れっ子ミュージシャンの仲間入りを果たしていた。初期の輝かしいヒット曲のひとつ「エモーションズ」のパフォーマンスでは、そうした自信をのぞかせている。
5:「アイル・ビー・ゼア」
間違いなく、キャリーはマイケル・ジャクソンのヴォーカルと肩を並べる数少ないシンガーの1人だ。
今やクリスマスの定番曲となった「オール・アイ・ウォント・フォー・クリスマス・イズ・ユー」
6:「ドリームラバー」
90年代初期のアップテンポな楽曲は、彼女の明るく、希望に満ちた資質を表現するには理想的だった。彼女はバラードを熱唱するのも得意だが、1993年『Arsenio Hall Show』で披露した「ドリームラバー」からもわかるように、彼女の声は夢心地な曲を歌う時のほうがより深く響き渡る。
7:「オール・アイ・ウォント・フォー・クリスマス・イズ・ユー」
1994年、自身初のクリスマス・アルバム『メリー・クリスマス』のリリースに合わせ、キャリーはニューヨークの由緒あるセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂でチャリティコンサートを行った。この曲がシングルチャート1位に輝くのは1カ月先だが、この曲がこの先数十年に渡って愛されることはすでに予見されていた。事実、現代クリスマスソングとしては珍しく、ホリデーソングの定番になった。巨大なステンドグラスを前に、素晴らしい聖歌隊をバックにして、キャリーの軽快なパフォーマンスは聖なる場所を愛と歓喜で満たした。お祝いで盛り上がる。
8:「ファンタジー」
90年代中盤には、キャリーはアリーナ級のスターになっていた。この映像は1996年『デイドリーム』のワールドツアーからの1コマ。ダンサーを配した趣向を凝らした演出と巨大ステージの中央で、このシンガーは非の打ちどころのないヴォイスパフォーマンスを披露している。
9:「ハニー」
「ハニー」をきっかけに、キャリーは新天地を切り開いた。
10:「バタフライ」
『レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン』からは記憶に残るマライアのパフォーマンスがいくつも生まれたが、この時も例外ではない。この曲は画期的な1997年のアルバム『バタフライ』からのタイトルトラックだが、難解なことで知られるバラードをマライアは難なく歌い上げ、魅惑的な曲を生んだのがスタジオワークのたまものではないことを証明した。
11:「ホエン・ユー・ビリーヴ」
1998年、『オプラ』に出演したマライアは、ホイットニー・ヒューストンとの初共演を果たした。長年2人のシンガーは何かと比べられ、険悪な仲だという噂が絶えなかった。だが『プリンス・オブ・エジプト』からのシングル「ホエン・ユー・ビリーヴ」でデュエットを披露すると、たちまちそんな噂は一掃された。この曲はのちにアカデミー賞でオリジナル歌曲賞を受賞。2人はオスカーの舞台で再び共演した。マライアは2016年、スウィート・スウィート・ファンタジーツアーでもこの曲を披露した。だがこの時はソロで、4年前に他界した友人でありデュエットの相手を追悼した。
グラミーで見せたマライアの復活劇
12:「リフレクションズ」
過小評価されている映画『グリッター きらめきの向こうに』のサントラからの、これまた過小評価されているバラード「リフレクションズ」。
13:「スルー・ザ・レイン」
2003年のアメリカン・ミュージック・アワードは、『グリッター』で「挫折」を味わった後、マライアが初めて授賞式で歌ったステージのひとつ。幼少期の写真や新聞記事の見出しが背後のスクリーンに映し出される中、マライアはオーケストラと聖歌隊をバックに、カムバックシングル「スルー・ザ・レイン」を力強く歌った。チャートでの結果はいまひとつだったが、嵐を切り抜けたマライアが、今までで最高の姿で戻ってきたことを証明したパフォーマンスだった。
14:「ウィー・ビロング・トゥゲザー」「フライ・ライク・ア・バード」
アルバム『MIMI』の大健闘で、マライアは2016年のグラミーで女性アーティストとしては最多ノミネーションを獲得した。前作『チャームブレスレット』のセールスはさんざんだったが、このアルバムは批評家からも商業的にも高く評価された。気迫のこもった「ウィー・ビロング・トゥゲザー」から始まるこのメドレーで、マライアはこの日唯一のスタンディングオベーションをかっさらった。
15:『ヒーロー』
パンデミックのさなか、パフォーマンス用に自宅に風を送るマシンを置いているなんてキャリーだけだろう。ありがたいことに、自宅待機中に『Live at Home』スペシャル企画でコロナウイルスのパンデミックの最前線で戦う人々へ思いを捧げたときも、お馴染みディーバぶりは健在だった。ピアニストのリモート演奏の助けを借りながら、彼女は1993年のバラードを熱唱。この曲を届けたいヒーローたちへの想いと敬意をこめて、1音1音しっかり歌った。
【画像】マライアも裸に ローリングストーン誌の表紙で脱いだスターたち
1:「アメリカ・ザ・ビューティフル」
2:「ヴィジョン・オブ・ラヴ」
3:「キャント・レット・ゴー」
4:「エモーションズ」
5:「アイル・ビー・ゼア」
6:「ドリームラバー」
7:「オール・アイ・ウォント・フォー・クリスマス・イズ・ユー」
8:「ファンタジー」
9:「ハニー」
10:「バタフライ」
11:「ホエン・ユー・ビリーヴ」
12:「リフレクションズ」
13:「スルー・ザ・レイン」
14:「ウィー・ビロング・トゥゲザー」「フライ・ライク・ア・バード」
15:『ヒーロー』