※この記事は2020年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.010』の特集企画「いまこそ『楽器』を」に掲載されたものです。
Bzを全曲コピーしたギターキッズ
しかしサックスで音大、NYへ
ーもともとお父さんが音楽好きで、小学生の頃からギターを弾いていたそうですね。
MELRAW:親父は60~70年代のロック、昔でいうところのR&Bとかが好きで、「クルマの中で子供に童謡を聴かせて何になるんだ」みたいな人だったので、小っちゃい頃からブルースロックとかを聴いてて、ライブにも意味がわからないまま連れて行かれてました。最初に弾いた楽器はZO-3というスピーカーが付いたショートスケールのギターです。「やれ」って言われてたらやらなかったと思うんですけど、親父はそれをそっと置いておいてくれたんですよ。高いギターは触ると怒られたから、「これなら触っていいんだ」と思って触ってたら、「お前、ギターに興味あるのか。だったら教えてやる」みたいに上手く乗せられて。
ー素晴らしい教育者ですね(笑)。
MELRAW:もともと小さい頃にエレクトーン教室に通ってたんですけど、それは本当に嫌で、指一本で弾く以上のことはやってなくて。僕は地元が名古屋なので、最初に「燃えよドラゴンズ!」のコードを教えてもらって、ギターで弾いてました。あとペンタトニックを教えてもらって、「ジミヘンもクラプトンもこれしか使ってない」とか言われて、CDに合わせて弾いたりもしてましたね。
MELRAWの参加作品/プロデュース作品を集めたプレイリスト
ーでも、中学に軽音部がなかったこともあって、吹奏楽部でジャズをやることになり、最初はトランペットだったけど途中からサックスに移ったんですよね。
MELRAW:そうです。小さい頃からアース・ウィンド・アンド・ファイアーのライブに行ったりしてたので、何となく管楽器に興味はあったんです。しかも中高一貫校だったので、中1から見た高校の先輩がすごく上手く見えて。その先輩の中にスター的なサックスプレイヤーがいて、かっこいいなって。でも、その頃は学校でやるのはサックス、家に帰ってからはギターで、「仕事はサックス、趣味はギター」みたいな時間の使い方をしていました。その吹奏楽部は、「ロックをやりたかったけど、楽器できるのがジャズの部活しかなかった」みたいな子が多くて、そうなると、正規の練習時間が終わった後に「ちょっとロックやろうぜ」ってなるんですけど、先生がもともとクラシック出身だったのもあって「うるさいのやめて」みたいに言われちゃって。なので、ロックはずっと家でやってたんです。
ーサックスに関しては、がっつりジャズを?
MELRAW:いわゆる吹奏楽的な吹奏楽はまったく通ってなくて、サックスはずっとジャズですね。中学生だからまだコテコテなジャズはあんまり聴けなくて、デイヴィッド・サンボーンとかケニーGは聴いてましたけど、あとはPEZとかSOIL&"PIMP"SESSIONSとか国内のインストミュージックが大きかったです。中3くらいからDIMENSIONにハマって、CDもDVDも全部買ったり。
ーその一方でギターでは、Bzを全曲コピーしていたそうですね。
MELRAW:それまではいわゆる洋楽至上主義の中二病みたいな感じで、当時だとリンキン・パークとかスリップノットが好きだったから、「リフがないと音楽じゃない」みたいな感じだったんです。そんな中で先輩がBzで盛り上がってて、最初は「でも、洋楽と比べたら……」みたいに思ってたけど、先輩が作った「Bzベスト」のMDを聴いたら、「日本でもこんなことができるんだ」って感動して。渚園のライブビューイングにも行って、その次の日に先輩から『Pleasure』と『Treasure』の譜面を貸してもらったんですけど、「2週間で返して」って言われたから2週間で全曲覚えたんです(笑)。
ーその後はサックスで地元の音大に進み、休学してニューヨークにも行かれたそうですが、サックスかギターかで迷ったりはしませんでしたか?
MELRAW:ギリギリまで悩んでました。でも、ギターは学んで上手くなるっていうのがあんまりイメージできなかったんですよね。サックスは「芸術として学ぶ」みたいな気持ちだったのかな。それに当時はギターの方が自分の中で「敵なし感」が強かったんです。実際音大でサックスをやってると、いろんなアイドルとの出会いがあって。ニューヨークから来たエズラ・ブラウンというサックスプレイヤーと一緒に吹かせてもらったのをきっかけに、「本場に行かないとダメだな」と思って渡米することにしたんです。留学とかではなかったので、行ったのは半年くらいなんですけど。
ーニューヨークでの経験から得たものは、どんなことが大きかったですか?
MELRAW:みんなプライドを持ってるし、自信があるんですよね。日本人って、ライブが終わって「かっこよかったよ」とか言われると「いやあ」みたいになりがちだけど、向こうの人はそうじゃなくて、「俺これでやってるから、かっこよくて当然でしょ。
セッションで輪を広げていった
同世代との出会い、共有する感覚
ー帰国後はコンテストへの出場などを経て、上京されたそうですね。
MELRAW:東京に行くことにしたのは、それこそDIMENSIONの勝田(一樹)さんにちょっとだけ習っていたことがあって、「アメリカで俳優になりたかったらハリウッドに行くでしょ? 日本で音楽やりたいなら東京来いよ」って言われたことがきっかけです。上京して初めて行ったセッションが、今もお世話になってる後藤克臣さんというベーシストが当時渋谷でやってたセッションで。彼は、「情熱大陸」のKing Gnuの回でも(勢喜)遊が行っていた、六本木のエレクトリック神社のバンドも仕切ってます。その日NYヤンキースの帽子を被って行ったら、「お前、ニューヨーク行ったことねえのに被ってんだろ?」って言われて、「いや、ハーレムで買いました」って言ったら、「じゃあ、吹いてみろよ」ってなって。それでセッションに参加したらえらく気に入られて、「今から○○(日本の某有名ソウルシンガー)のバンドとみんなで遊ぶから、お前も来いよ」って言われて、その日からもう「東京すごい!」って思いました(笑)。だから最初は日野”JINO”賢二さん、TOKUさん、FUYUさんとか、「アメリカ帰りのゴリゴリの先輩」みたいな人たちとばっかり演奏していて、そこで相当しごかれたんです。
ー近年活動をともにしている同世代との出会いは、どういうきっかけだったんですか?
MELRAW:King Gnuの(新井)和輝は東京に出てきて初めてできた友達で、そのきっかけもセッションですね。
●石若駿が語るドラム哲学、音と人間のハーモニー、常田大希らと過ごした学生時代
石若駿も参加した、MELRAWのセッション映像。六本木・エレクトリック神社で収録。
ーWONKはどうですか?
MELRAW:WONKはヘッドハンティングみたいな感じです。荒田(洸)ともエレクトリック神社ですでに会っていて、(江﨑)文武が当時駿とかとやってた「JAZZ SUMMIT TOKYO」に出演したのをきっかけに、レコーディングに誘ってもらいました。ものんくるは、大人数でやってた頃のライブにえらく感動して、普通にファンとしてライブに行ってたら、「サポートして」「ギターも弾けるなら弾いて」って言われて。時系列はちょっとわからないですけど、同時多発的にいろんなことが起きてましたね。
●WONKの江﨑文武が語る、常田大希や石若駿ら同世代と共有してきた美意識
ーMELRAWに関しても、周りにいた人たちと一緒に作品を作っているわけですが、職人的にプレイヤーの道を進むのではなく、自らのアーティスト活動をしようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
MELRAW:「アーティスト/プレイヤー」みたいなことはあんまり意識してなかったです。勝田さんもDIMENSIONでは前にいるけど、TUBEのサポートをしたりもしているじゃないですか。だから、もともと「やれることは何でもやろう」みたいな感じ。
2020年4月に発表した最新シングル「OBSCURE」
ーでも、もしかしたら上の世代とかはそういう括りがあったのかもしれないけど、今の同世代に関しては、「ジャズ」を軸にはしつつも、もっとジャンルレスだし、カテゴライズからは解き放たれてるのかなって。
MELRAW:そうですね。ジャンルの話とかはしなくなりました。MELRAWという名義を作って一番自分が楽になれたのって、自分のことを「~スト」みたいに考えなくてよくなったことで。「サックス奏者・安藤康平」とか「ギタリスト・安藤康平」だと、「こうしなきゃ」ってなっちゃうけど、「MELRAW」が屋号みたいなもので、「MELRAWだったら何でもいい」みたいになれたのは、すげえ気楽でいいなって。
ー「マルチ・インストゥルメンタリスト」と呼ばれることに関してはいかがですか?
MELRAW:実は僕、自分一人で全部やるのはあんまり好きじゃないんです。ジェイコブ・コリアーとかって、音楽性はすごいし、曲も好きだけど、「一人でやる意味ある?」って思っちゃうんですよね。僕の場合、楽器は全部ツールという感じです。
MELRAWだから知る生音の魅力
「楽器やってみたい」を増やしたい
ー多くの人がDTMで音楽を作る時代における、楽器を生演奏することの意味について、安藤さんはどうお考えですか?
MELRAW:僕自身はもともと細かい作業が苦手で、DTMはMELRAWと一緒に始めたので、まだ2~3年なんです。でも、DTMで音楽を作ってる人が何かのきっかけで僕のサックスの音を聴いたりすると、「やっぱり生じゃないとダメだね」って言うんですよね。僕にとっては逆にカルチャーショックだったんですけど、管楽器ってMIDIの再現力がまだあんまりで、カラオケ屋さんとかスーパーで流れてるみたいな、ああいう音がヒップホップのトラックのソロとかオブリで結構使われてるんです。で、「これ生でやると違いますか?」って聞かれて、「一回聴いてみる?」って吹いてあげると、「これは生音要るわ」ってなる(笑)。
ーやはり、本物の楽器演奏は全然別ものだと。
MELRAW:やっぱり全然違ってくると思います。特にサックスは息遣いが大事だから、歌に近いというか。最近ヒップホップの現場が多くて、去年KANDYTOWNとShurkn Papのライブに出たときに、どっちも「一人で2~3分くらい何か吹いてください」って言われて。「それをHIPHOPキッズたちに聴いてほしい」って。本物っぽいピアノの音にしても、ピアニストがいなかったら弾けないわけだから、楽器が他のものに取って代わられる心配はしてないです。もっとターミネーターみたいな「機械と人間の戦争」的な時代がくるのかなと思ったけど、今はいい共存の仕方だと思うんですよね。
ーでは最後に、今後MELRAWとして、もしくは安藤さん個人として、どんな音楽活動をしていきたいと考えていますか?
MELRAW:MELRAWに関しては、続けていくことが使命だと思ってます。メジャーアーティストではないので、「何かに迫られて」っていうんじゃなくて、ただ「かっこいいよね」というものを作り続けたい。まあ、MELRAWをやったり、プロデューサー的な側面があったりしつつ、僕個人のマインドとしては「楽器奏者」ではあるんです。でも、「知る人ぞ知る」みたいな存在とは違う風になりたいとは思っていて。King Gnuのバックで『ミュージックステーション』に出たとき、すでに認知してもらっているような反応が多くて、「これは名無しの権兵衛ではないな」って思えたんですよね。楽器奏者って「サウンドを支える」みたいな職人のイメージがあるけど、そうじゃなくてもいいと思う。僕が憧れたロックギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンも、スラッシュも、TAK MATSUMOTOも、みんな昔から楽器を持ったヒーローだったわけですよね。今の若い子はみんなラップしたいと思ってるのかもしれないけど、プレイヤーとかアーティストという境界を超えて、「楽器かっこいいな、やってみたいな」って思ってもらえるようになりたいですね。

Photo by Kana Tarumi
MELRAWs Instruments(左奥から右回りで)
フルート、Fender Stratocaster、AKAI MPC ELEMENT、
Monoji Kumar & bros シュルティボックス 13ノート、AKAI EWI4000s、micro KORG、SELMER サックス
「サックスは60年代のSELMERで、高3の頃からずっと使ってます。フルートをちゃんと吹くようになったのはWONKからなので、WONKの作品を一から順に聴いてもらうと、僕のフルートの音がどんどんよくなるのがわかる(笑)。ギターに関しては、もともとレスポールが大好きだったんですけど、最近のネオソウル以降のギターはアームが要るから、『ストラト持ってねえ』と思ったときに実家からお父さんのを持ってきちゃいました(笑)。シュルティボックスというのはインドの古楽器で、アコーディオンみたいなものなんですけど、ヨガとか瞑想に使う楽器で、MELRAWの次作で使ってます。ウィンドシンセに関しては、もともと鍵盤が一番苦手で、リードシンセを上手く弾けない代わりに、これで吹けばできるなと思って買いました。これをコントローラーにしてヴォコーダーをやるっていうのは、LAとかでゴスペル系のアメリカ人がやってたんですけど、日本人では僕が最初だと思います。MPCはもともとフィンガードラムのための楽器だと思ってて、STUTSくんみたいなスタイルで触って遊んでました(笑)。今日持ってきた楽器たちもまだまだほんの一部です」