2019年5月にリリースされたブルース・スプリングスティーンの最新作『ウエスタン・スターズ』の冒頭曲には、「1日中ヒッチハイクし続ける」というラインが登場する。彼はある男性と妊娠中の妻の車に同乗させてもらったり、特に行き先を決めていないという男と道中を共にする。一方、3曲目の「ツーソン・トレイン」で語られるストーリーは大きく異なる。主人公は「ヒッチ・ハイキン」に登場するロマンチックな放浪者かもしれないし、スプリングスティーンの他の曲で描かれる無数のキャラクターの1人かもしれない。その人物はかつて進むべき道と愛すべき人を失い途方に暮れていたが、現在は社会の一員として地に足のついた生活を送っている。今は5時15分着の電車の中から、愛する人が姿を見せるのを待っている。(彼が笑顔を取り戻すまでには多くの時間と努力を必要とした)
その他11曲の中にはカントリーに接近したバラードもあれば、70年代の南カリフォルニアのシーンを思わせるシンフォニックなポップもある。しかし、同作で綴られる物語は先述の2曲に凝縮されているといっていいだろう。走るために生まれたその男は、ようやく誰かと共に平穏な暮らしを送る覚悟を決めたのだ。
その真意をまだ掴みかねているリスナーのために、スプリングスティーンは映像作品『ウエスタン・スターズ』の冒頭で、極めてストレートなヒントを示している。長年に渡るコラボレーターであるトム・ジムニーと彼が共同で監督を務めた、コンサートフィルムとヴィジュアルアルバムのハイブリッドというべき同作は、先頃のトロント映画祭で初お披露目された。
『ウエスタン・スターズ』発表後、彼は同作に伴うツアーを行わないことを明言していた。それでも、「この作品をオーディエンスに生で届ける」方法について考えていた彼は、同作を最初から最後まで通して演奏する様子をカメラに収め、映像作品として残すことにした。ブルース作品のミュージックビデオやドキュメンタリーを数多く手がけているジムニーと共にロケハンを行い、彼は自身が所有する敷地にある馬小屋の最上階をその舞台として選んだ(同作の試写会の場で行われたQ&Aで、「かなり大々的にアレンジした」と彼は語っている)。そのイベントの目的について、スプリングスティーンは「ごく親しい友人たち、そして馬に楽しんでもらうこと」と説明していた。わずかな観客、ホンキートンク調のバーカウンター、寄せ集めのバンドと彼らを支える管弦楽器のセクション、そしてギターを携えたシンガー、必要なものはそれだけだった。
内省的なモードと稲妻のようなエネルギー
コンサートフィルムとしての『ウエスタン・スターズ』は、同アルバムからの曲群がライブ映えすることを証明している。
これらの曲のライブバージョンは単体としてではなく、全体の一部として捉えるべきだろう。バックバンドのメンバーたちと一心同体となったシンガーというコンセプトは、アルバムのテーマとも見事に一致する(幸運なことに、本作のサウンドトラックは別途リリースされることになっている。同作にはショーの最後に半ば思いつきで披露された、グレン・キャンベルの「ラインストーン・カウボーイ」のゴージャスなカバーも収録されている。バンドが同曲をプレイすることはジムニーも把握しておらず、ステージの側でカメラマンがスタンバイしていたことは幸運だったという)。
本作にはパフォーマンス映像のほか、ヨシュア・トゥリー付近の砂漠をあてもなく歩き回るスプリングスティーンが、アルバム収録曲のバックグラウンドや、禁欲的な一匹狼というイメージと家庭的な一面という矛盾を受け入れるまでの過程について語るシーンが登場する。ここではストイックそのものな彼の姿も大いに堪能できるほか、若かりし日のスプリングスティーンの勇姿や、ジムニーとスキャルファがアーカイブの中から見つけた新婚旅行の様子を収めたスーパー8フィルムの一部も目にすることができる。
彼はスマートなジョークを飛ばし(「19枚もアルバムを出していながら、俺は今だにクルマについて歌ってる」)、時には内省的になってニュアンスに満ちた発言をする(「暗闇の中を進んでいく。朝日はそこにあるからだ」)。古くからのファンに言わせれば、後者のような部分こそが彼をスプリングスティーンたらしめるのかもしれない。
・【関連記事】写真家が語る、ブルース・スプリングスティーンとの日々:80~90年代の秘蔵プライベートフォト
だが本作『ウエスタン・スターズ』は、決して感傷的な作品ではない。多くのコンサートムービーがそうであるように、本作は稲妻のようなエネルギーを真空保存することに成功している。50年以上にわたって活動を続ける彼が、揺るぎない芯を保ったまま前に進み続ける姿は、観る者の胸を熱くさせてくれる。それでいて本作は、常にスポットライトを浴び続けてきた男が、ステージ以外の場所で心の平穏を得られるようになるまでの過程を描いた、極めてパーソナルなドキュメントでもあるのだ。