●【画像を見る】セックス・ピストルズ、激動の1977年を駆け抜けた4人の素顔(写真ギャラリー)
「『勝手にしやがれ!!』は非の打ち所がないレコードだけど、レコーディングしてる時はそんな風には思ってなかった」。1977年発表の歴史的名盤について、ジョニー・ロットンはそう話す。彼曰く「片耳が聞こえなくて、もう片方の耳は音感ゼロだった」というプロデューサーが仕切ったレコーディングにおいて、バンドは極めて限られた時間内にセッションを終えなくてはいけなかったという。
「隣のスタジオではクイーンがアルバム(『世界に捧ぐ』)のレコーディングをやってて、ブライアン・メイは俺にバッキングヴォーカルをやらないかって言ってきた」。ロットンはそう話す。
「どの曲だったかは覚えてないけど、あの『ガリレオ~』ってやつじゃないことは確かだ。一応、中に入れてもらったんだけど、そこでフレディ(・マーキュリー)がヴォーカルラインをぶつ切りで録ってるのを見て驚いたよ。時には一単語だけ録ったりしてて、後で全部編集するつもりらしかった。こっちなんて何もかも一発録りで、やり直せるとしても1回きりだったのにさ。でも俺は悟ったんだよ。ルールや条件をいろいろと押し付けられるけど、音楽が優れていればそんなのはどうでもいいんだってことをね」
結果的にセックス・ピストルズは、混沌としていたパンクシーンにおける決定打を生み出した。
あれから40年が経った現在でも、同作の毒気は少しも薄れていない。大西洋の両側で生まれた他のバンドがパンクの勢いを確固たるものにしていくなか、ロットンの切れ味抜群のヴォーカルとスティーヴ・ジョーンズのたたみかけるようなギターリフ、ポール・クックの響きわたるシンバル、そしてバンドの結成メンバーであるグレン・マトロック(1977年に脱退し、シド・ヴィシャスが後任として加入)によるベースプレイのコンビネーションが生み出した「アナーキー・イン・ザ・U.K.」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は、英国において社会現象にまでなった。
同作の発表40周年記念ボックスセットは、このアルバムのレガシーを余すことなく伝えている。同コレクションにはオリジナルアルバムの他、レアトラック、ヨーロッパでのライブ音源、48ページに及ぶブックレット、そしてS.P.O.T.S.ツアー時のライブ映像に加え、女王の生誕50年記念祭の最中に行われた悪名高いテムズ川でのボートパーティ(「ベロベロに酔ってて、あれが何曜日だったかも思い出せない」。ロットンはそのギグについてそう語っている)の様子を収録したDVDが含まれる。同コレクションは2012年にも数量限定で発売されたが、ほどなくして廃盤扱いとなっていた。
●【画像を見る】近年撮影のグレン・マトロックとジョニー・ロットン
最近のロットンはというと、本名であるジョン・ライドン名義でピストルズ解散後に結成したパブリック・イメージ・リミテッドの活動に精を出している。一方ジョーンズはラジオ番組『Jonesys Jukebox』のホストを務め、クックは新作『What in the World』の発売を控えているザ・プロフェッショナルズのメンバーとして活動している。ソロアーティストとしてツアーも精力的に行っているマトロックは、ストレイ・キャッツのスリム・ジム・ファントムと共にレコーディングした新作『Cloud Cuckoo Land』を2018年初頭にリリースする予定だ(シド・ヴィシャスは1978年にドラッグのオーバードーズで逝去している)。『勝手にしやがれ!!』の発表40周年に際し、ロットンとマトロックはローリングストーン誌の取材に応じ、ロック史上屈指の毒気に満ちたアルバムの全曲について語ってくれた。
※以下、曲順はUSオリジナル盤に準規
1. 「さらばベルリンの陽」(原題:Holidays in the Sun)
ジョニー・ロットン:休暇を取ろうってことになって、メンバー全員でチャンネル諸島に行ったんだけど、どの店からも入店を拒否された。当時セックス・ピストルズはありとあらゆるところで出禁になってて、俺たちを受け入れてくれるホテルも皆無だった。泊まれそうなところを探してビーチを行ったり来たりしてたら、何もかも虚しくなったよ。結局地元のギャングのトップのやつが俺たち全員を一晩だけ自宅に泊めてくれて、その翌日には全員で島を離れた。
スティーヴとポールは自宅に帰ったけど、俺とシドはベルリンに行くことにした。あり得ない選択肢だったけど、チャンネル諸島みたいな平和な場所にさえ拒否されちまうんなら、この際ベルリンの壁を見に行こうと思ったんだ。すごくスリリングだったし、楽しかったよ。
マトロック:「さらばベルリンの陽」は俺が抜けた後の曲なんだけど、いい出来だと思う。ザ・ジャムの「イン・ザ・シティ」に似てるね。ポール・ウェラーは俺のダチなんだけど、彼はある日ロックスターたちの夜遊びの場だったSpeakeasy Clubっていう酒場でシドと鉢合わせた。ジャムの曲をパクってやったって堂々と口にしたシドを、ポールはビール瓶でぶん殴ったんだ。俺はポールの味方さ。
2. 「ボディーズ」
ロットン:曲に出てくるPaulineって女性はとにかく狂ってて、精神不安定だった。最近じゃストーカーっていうんだろうけど、当時はそんな言葉はなかった。こっちがどんなに拒否しても一向に気に留めない図々しいファンは多かったけど、彼女はその1人だった。俺たちが行く先々に現れては、しつこく付きまとうんだ。
「ボディーズ」は中絶についての曲だ。実際に出産を経験し、その後も苦労を背負うのが女性である以上、産む産まないを決める権利は当然彼女たちにある。誰も望んでない子供を産むべきか? 俺はそうは思わないけど、それはあくまで個人的な意見に過ぎないし、俺は常に女性の意見を尊重するようにしてる。いつもね。あの曲は双方の見方を描いていて、俺自身の姿も投影されてる。神の意思っていう考え方がなかったら、俺の母親は中絶を選び、俺はこの世に存在しなかったかもしれないんだ。
”あれもこれもクソくらえ”(fuck this and fuck that)っていうラインは即興じゃなく、歌詞としてちゃんと書き留めておいたんだ。それが俺の正直な気持ちだったからね。何が正しいのかまったくわからないっていうフラストレーション、俺が感じていたのはそれだった。”あれもこれもクソくらえ / 何もかもくたばっちまえ そのクソガキも / あんなのにそっくりな子供なんていらない / あんな醜い子供なんて欲しくない”涙ながらに訴えてる赤ちゃん、あれは俺さ。”ママ、僕は動物なんかじゃない / パパ、僕は未熟児なんかじゃない”ってね。
3. 「分かってたまるか」(原題:No Feeling)
マトロック:この曲の元になったアイデアを出したのはスティーヴだった。ニューヨーク・ドールズを意識してたんだろうな。この曲のレコーディングで当初俺が弾いたベースラインは、(デヴィッド・ボウイのバックバンドだった)スパイダーズ・フロム・マーズのトレヴァー・ボルダーが「君の意志のままに」で弾いてるフレーズを拝借してたんだ。
ロットン:俺が「分かってたまるか」を書いたのは、当時親父が孤児をたくさん引き取ってたことと関係してる。女の子の1人がやたら俺のことを慕ってたんだけど、俺はその子にこう言った。「俺はお前のことなんて何とも思っちゃいない。親父が週末の間だけお前を家に置いてるからって、俺がお前と結婚しなきゃいけない道理なんてない」。俺が孤児院に寄付するのは、子供たちにとってそこが監獄のような場所だってことを知ってるからだ。誰にも心を開かず、何にも熱意を持たずに育った子供たちは、ちょっとした好意を愛だと思い込み、それにしがみつこうとする。でもそれは本物の愛じゃない。
4. 「ライアー」
ロットン:「ライアー」はいろんなやつにインスパイアされて生まれた曲さ。俺たちのマネージャー(マルコム・マクラーレン)を筆頭にね。無知で不幸な若者だった俺たちは、一方的に放り込まれた貪欲な大人の世界においてあまりに無防備だった。周囲のあらゆる人間が吹き込もうとする悪意ある入れ知恵は、俺たちの関係を崩壊させなかった。それに気が付いた俺は、何もかもを嘲笑するっていうやり方で応戦することにした。この曲は必ずしもマルコムのことを歌ってるわけじゃない。やつが嘘つきだってことを俺たちは知ってたし、変な話だけど、彼のそういう部分を愛おしくさえ思ってた。誰かのことを理解できるようになると、相手の言うことは話半分で聞いてりゃいいんだって思うようになるから、見え透いた嘘も気にならなくなるんだよ。俺がこの曲で標的にしたのは、バンドを内側から操ろうとしてた外野の連中さ。
マトロック:あの曲にはメンバー全員が貢献したんじゃないかな。それぞれが各パートを考えたからね。歌詞を考えるのに苦戦してたジョンに、俺が「suspension」って言葉を使ったらどうだって提案したんだ。どういう意味だっていう彼に、俺は「学校なら停学って意味になるけど、ただブラブラするっていう解釈もできる」って説明してやった。やつは気にいらねぇなんて言っておきながらしっかり採用してたよ。
5. 「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」
マトロック:この曲のリフといくつかのコード進行は俺が考えついた。「アナーキー~」を本格的に録り始めた頃に浮かんだんだ。最初はサウンドエンジニアで事実上のプロデューサーだったDave Goodmanとやってみたけど上手くいかなかったから、俺たちはストライキに出てクリス・トーマスを引き入れた。スタジオにはピアノが置いてあったのを覚えてる。俺は素人だけど、要望があれば「ブルーベリー・ヒル」を弾いてやってもいいぜ。とにかく、この曲のリフを考えたのは俺だ。ギターを弾きながら考えついたんだよ。俺が持ち込んだそのアイデアに、ジョンが歌詞をつけたんだ。
ロットン:この曲の歌詞は最初から最後まであっという間に書き終えた。アルバムのレコーディングに入る前から何度もセッションしてた(プロデューサーの)クリス・スペディングから、俺は曲構成の基本と曲に沿った歌い方を教わった。ただがなり散らすんじゃなくてね。俺は音楽のことなんて何も分かっちゃいなかった。子供の頃からレコードは買ってたけど、スタジオでビートに合わせて音程を取りながら歌い、それにフィットする歌詞を考えるってのは、まったく別の話だからね。
歌詞を考えるのは楽しかったよ。広い意味での君主制っていうものと、一方的に服従を強要する人間に対する俺の考えを表現する手段だったからね。俺はそんなものを受け入れるつもりはなかった。絆や忠誠心は無条件で得られるものじゃないからだ。支持を求めるのなら、その根拠をはっきりと示す必要がある。それが筋ってもんだ。
マトロック:あの曲の当初のタイトルは「No Future」だった。でも俺が抜けた後、どっかのタイミングで曲名が変更になったらしかった。歌詞は変わってなかったけどね。たぶんマルコムあたりが女王の生誕50年にあやかろうとして、冒頭の”女王陛下万歳”(God save the Queen)っていうラインを曲名にすることにしたんだろうね。でも元々は「No Future」っていう曲だったんだ。
ロットン:あの曲は王室を批判したものだと思われがちだけど、それは事実じゃない。アンチ君主制っていうアティテュードを示しているけど、矛先は王室の人間に向けられているわけじゃないんだ。生まれた瞬間から死ぬまで鳥籠の中で生きることを宿命づけられている英国王室の人間に、俺は心から同情してるからね。脱出を試みても、規則という網に必ず引っかかるんだ。
”奴らがお前を無能にした”(They made you a moron)っていうラインは、無条件で服従することが馬鹿げてるってことを言わんとしてるんだ。(王室が)そんなものに頼っているようなら、この国に「未来はない」って歌ったのさ。彼らは少しずつ、でも確実に、子供が3~4人の一般的な中流家庭に変わりつつあるけどね。俺は虚構ってのが好きでね、サッカーに通じるものを感じるからな。一般市民が大勢集まって国旗を降ってる画はカラフルでいいね、自分が何かの一部だってことを感じたい気持ちは理解できるよ。自分が王室とはまるで無関係の人間であっても、幸か不幸かイギリス国民であることだけは確かなんだ。俺は自分のそういう見方や感覚を大事にしてるし、誰にも口を挟ませない。俺はアイルランド人でありながら、本質的にイギリス人なんだ。
6. 「怒りの日」(原題:Problems)
ロットン:「問題なのはお前だ」(The problem is you)っていうライン、あれは不特定多数のことを指してる。そこには俺自身も含まれてる。10代の頃は誰もが自分に不満を覚えてると思うんだよ。それが普通だし、みんな「俺がナンバーワンだ」っていう思いは多かれ少なかれ持ってるはずだけど、実際にはそんな存在はいない。ティーンエイジャーってそんなもんだろ? 嫌でも意思決定を迫られる大人の世界に向かって、皆が足並み揃えて行進してるんだってことを自覚し、覚悟を決めておいたほうがいい。それに抗うことがカオスそのものだってこともね。
バンドとしての俺たちの道程は問題づくめだった。何で一緒にやってんのかってことについて、膝を交えて話し合ったことなんて1度もなかった。俺たちは仲が悪そうに見えてただろうけど、実際そうだったと思う。1年半っていう期間をあんなにも長く感じたことはないし、メンバー全員がそう思ってるだろう。当時のことを振り返ると、10年分の経験をごくわずかなスペースに無理やり詰め込んだように思えてくるんだ。精神的にも肉体的にも、ものすごく消耗したよ。
それでもバンドを続けた理由はひとつ。プレイヤーとしてのメンバーたちを、俺は心底リスペクトしてたからだ。みんな未熟だったけど、俺は学ぶってことをすごく楽しんでた。ミスター・ジョーンズのギターには痺れたし、ポールのドラミングの安定ぶりにはいつも驚かされてた。シドはマジで下手だったけどね。レミーがズバリとこう言ってたよ。「シド、お前は音痴だ」ってさ。シドはハッタリをかますだけの存在だったけど、それでいいんだよ。それは俺たちの武器だったし、それが必要になることもあった。やつをバンドに引き入れたのは俺だから、それに伴った数々のトラブルの責任は俺にある。でもその経験から曲ができたんだから、無意味だったわけじゃないんだ」
7. 「セブンティーン」
マトロック:この曲のアイデアはジョンが加入する前からあった。元の歌詞はスティーヴが書いたんだけど、それをジョンがアレンジしたんだ。
ロットン:スティーヴが書いた原曲は「Lonely Boy」ってタイトルだった。すごくシンプルだったアイデアを俺がアレンジして、10代の葛藤を描いた曲に変えた。「セブンティーン」っていうタイトルをつけたのは、それが何もかもに一番傷つきやすい年齢だからだ。まだ成人ではないけど、分別のない子供だとはみなされたくない。そのくせ、大人の世界に入っていくための心の準備はできてないんだ。(「セブンティーン」っていうタイトルは)アリス・クーパーの「エイティーン」からきてるんだけど、アメリカ人はのんびりしてるんだなって思ったよ。「お前はまだ29だ」っていうライン、あれは俺自身に言い聞かせようとしてたんだと思う。親父とおふくろにはいつもこう言われてたんだ。「お前は赤ちゃんの頃からおっさんみたいだったけど、あのバンドに入って以来退行してる」ってさ。生まれた時の俺はいくつぐらいだったんだって親父に訊いたら、「45歳」って言ってた。17~18歳と45歳のギャップは29歳ってことになるから、あながち的外れじゃないんだよ。
歌詞の他の部分は、俺の周りにいた人間のことを指してる。だから孤独な少年の抱える問題についての曲とは言えないな。それは誰もが経験しながら、誰も向き合おうとしない問題なんだ。優れた本って、内容が恥ずかしすぎるがゆえにそれが真実だってことが伝わってくるんだよ。でも著者がその真実に向き合うことは、読者にとってすごく重要なんだ。そうすることで、両者の間に存在する壁が崩れるからね。”俺は働かない ドラッグをやるだけ”っていうのは、悲しくも愛おしい、無垢な俺の人生の一部のことを歌ってるんだよ。悲しいのは、俺には酒もドラッグもまるで足りてなかったってところさ(笑)。バンドに入った時点で、そういうのを全部を断念しないとけなかったからな。何かひとつのことに集中しなくちゃいけなくなったことは、俺にとって大問題だったんだ。
”怠惰なガキ”(lazy sod)なんていうラインもあるけど、当時の俺たちは文字通り四六時中働いてた。そんな頃に、ツアーに出たくても出れないっていう事態に見舞われたんだ。ギグが中止になるたびに、ファンを失望させまいっていう思いひとつで積み重ねてきたものを全否定されるように感じた。でもってショーがキャンセルになることで、結局ファンを失望させてしまう。ストレス以外の何物でもなかったよ。
8. 「アナーキー・イン・ザ・U.K.」
マトロック:夏だったと思うんだけど、いつもみたいにリハーサルしてた時に「誰か曲のアイデアはないのか?」って俺がふっかけた。当時は俺がバンドを引っ張ってる感じだったからね。スティーヴはちょっとしたアイデアを持ってたけど、インパクトは弱かった。「お前はどうなんだよ?」ってあいつに言われて、俺はしばらく温めてたイントロっぽい下降するラインを弾き始めた。みんな気に入ったみたいで、「そっからどう進むんだ?」って感じで興味を示してたから、俺はその先の展開を即興で弾き始めた。するとジョンが反応して、歌詞を書いた紙を束にして突っ込んでたビニール袋の中から1枚取り出してこう言った。「こういうのを待ってたんだ。ちょうどいいアイデアがあるんだよ」。俺たちのレコードのアートワークを手がけたのはジェイミー・リードってやつなんだけど、当時ヤツは扇動的な発言の数々で社会における危険因子とみなされてた。ジョンの歌詞はやつのことをイメージしたらしかった。
ロットン:中産階級の人間にとって、無政府状態っていうのは空想に過ぎないと思ってた。贅沢品みたいなもんだ。それは民主主義の中からしか生まれ得ないから、余裕のない社会にとっては手が届かない代物なんだよ。それにすごく曖昧な概念だから、俺は曲として自分なりの答えを提示したかった。特に理由もなく何もかもぶっ壊したいとか、お前には勿体ないとかじゃなくてさ。俺は自分が人類というコミュニティの一部だってことと、より厳しく取り締まられる文化っていう共同体の一員だってことをずっと意識してる。それを進んで破壊する道理なんてないさ。
本気のアナーキストたちがこの世にどれくらいいるのか、俺には知る由もなかった。今も存在するのかもどうかも知らない。そういやマリリン・マンソンがアナーキストを気取ってたけど、あれには笑ったね。メイクしてコルセットを巻いたガキなんて話にならない。アリス・クーパーも同じことをやってたけど、あんなのは1人で十分なんだよ。
マトロック:音源で弾いてるのは俺だよ、あの曲を録ったのは1976年だからな。ダフ・マッケイガンはバンドのライブを観たことがあるらしいんだけど、彼と話した時にこう言ってたよ。「グレン、あんたがああいうモータウンっぽいプレイができるとは知らなかったよ」ってね。実際に、あの曲の俺のプレイはジェームス・ジェマーソンを意識してるんだ。
ロットン:グレン・マトロックは”俺はキリストの敵 / 俺はアナーキスト”(I am an antichrist/I am an anarchist)っていうラインが気に食わないみたいだったけど、俺にはその理由が理解できなかった。「アンチ過激」っていうのが正しい表現かどうかわからないけど、やつは基本的にもっと穏健にやりたがってた。あれがグレンと俺の対立の原因になったんだ。
マトロック:俺が曲の歌詞を気に入らなかったっていうのには語弊がある。俺が気に食わなかったのは”俺はキリストの敵 / 俺はアナーキスト”っていうラインだけだ。韻を踏んでるわけでもないし、今でも好きになれないね。俺は韻を踏んでない歌にイラつくってだけで、あのフレーズの意味に反応したわけじゃない。ただし、イギリス政府を転覆させるべきかっていう社会政治的議論と、実現するかどうかっていうのはまた別の話だがね。少なくとも、ステージであの曲を歌えたことは誇りに思ってるよ。
ロットン:デモ音源の冒頭では、「今すぐ」(right now)っていうフレーズの前に「金言」(Words of wisdom)っていう言葉が出てくるんだけど、冗長だと思ったから削った。俺はできるだけ誇張を避けようと意識してた、無意味だからね。リハーサルの場では、いつも不要なものを削ぎ落とそうとしてた。ギターパートもできる限りシンプルにしたし、スティーヴもそれが賢明だと思ってるようだった。ポールも無駄のないストレートなパターンを叩いてた。でも歌詞については、判断はいつもオーディエンスに委ねられるんだ。「これは天才的な曲だ、聴いてくれ」なんて風に、10点満点の自己採点を押し付けるわけにはいかないからな(笑)
「今すぐ」っていうラインを冒頭に持ってきたのは賢明だったと思う。本番のレコーディングでは、あのフレーズを録るのに苦労したよ。何度もやり直した。ビートを数えろなんて言われたけど、俺にはその意味が分からなかった。「ビートって何だ?」って感じさ。ポールにはいろいろと助けられてたけど、彼が何かしらの専門用語を口にするたびに、その意味を知らない俺は腹を立ててた。
9. 「サブミッション」
マトロック:当時俺たちはRoundhouseっていうベニューで練習してた。リハーサル用のスペースは1階にあったんだけど、2階でクラシックのコンサートをやってたりすると、うるさいから音を下げろって言われてた。もちろん拒否したよ、こっちだって金を払ってんだからな。だからジンバブエやローデシアかどっかで、バックでベートーベンの第九がうっすらと流れてるピストルズのリハ音源が出回ってたとしてもおかしくない。
リハの予定だったある日、スティーヴとポールが集合時間を過ぎても姿を見せなかった。しばらく待っても来なかったから、俺とジョンは諦めて通りの向かいにあるパブに行った。「最近マルコムに会ったか?」って訊くジョンに、俺はこう言った。「ああ、『サブミッション』ってタイトルの曲を書いてみろって提案されたよ」。するとジョンはこう言った。「はぁ? ボンデージとか支配とかそういうSMについての曲ってことか?」多分そうじゃねぇの、って俺は返したよ。誰だったかは忘れちまったけど、その後誰かが「サブマリン・ミッション」っていうタイトルはどうかって提案したんだ。
ロットン:グレンと一緒にやってた頃の中でも、この曲を書いた時のことは一番いい思い出のひとつとして残ってる。最初のうちは2人とも酔っ払ってはお互いを嘲笑ったりしてたけど、だんだん真剣になって結果的にいい作品にできたと思う。マルコムは俺たちの関係についての曲を書かせようとしてたんだけど、俺はそれをサブマリン・ミッションって曲名にすることにした。
マトロック:ジョンが”サブマリン・ミッションの始まりだ 標的はお前さ”っていうラインを考えて、それに続く”お前の行き先はわかってる”っていうフレーズは俺が決めた。次にあいつが”テレビの画面にはお前が映ってる”っていうのを出してきて、俺は”お前が底の方で動いてるのがわかる”って返した。俺とジョンはビールを飲みながら、そんな風にラインを交換していった。俺は帰宅してすぐ曲のコード進行について考えて、次にメンバー全員で会った時に曲を完成させた。いい思い出だよ。
ロットン:「サブミッション」は俺たちなりのラブソングで、互いに憎み合ってた2人の合作さ(笑)。相手に憎しみをぶつけるような曲を書くのは簡単だ。俺もヤツもやろうと思えばできたけど、時間やエネルギーをわざわざ浪費する必要はないからね。俺たちは優れた何かを生み出すために、互いの共通項を見つけようと努力した。これぞ真の人類愛さ。
10. 「プリティ・ヴェイカント」
ロットン:これもグレンがいた頃に書いた曲だ。グレンはバンドのイメージについて、よく「ソーホーのおかまたち」”Soho poofs”っていうフレーズを口にしてた。オスカー・ワイルドの影響だったんだろうね。この曲に限ったことじゃないけど、俺たちは別にゲイのことを標的にしてたわけじゃなくて、単にそういうファッションに興味があったんだよ。フリルやレースのついた服を着た自分の姿なんて、俺自身は想像もできなかったがね。結局「プリティ・ヴェイカント」のコンセプトは、サッカーのチャントにぴったりだと解釈された。フーリガンどもが集まる立ち見席に看板を出したスポンサーの大企業どもが、やつらのテーマソングとして定着させたんだよ。
マトロック:当時マルコムはイギリスとアメリカを頻繁に行き来してた。やつはテディボーイのショップを持ってたから、絨毯を売りさばいて50年代の服を仕入れたりしてたんだ。その頃にやつはどっかのバックステージで、ニューヨーク・ドールズのシルヴェイン・シルヴェインと会ったらしかった。やつはショーのフライヤーやセットリストを持ち帰ってきたけど、当時はどのバンドもまだ1枚もレコードを出してなかった。セットリストのひとつに「ブランク・ジェネレーション」って書いてあるのを見て、俺はどうしてロンドンにそういうムーヴメントがないんだろうって思った。誰もが失望していて、何かを切実に求めていただけにね。それで「プリティ・ヴェイカント」のアイデアを思いついたんだ。
コード進行と歌詞についてはある程度決まってたけど、リフを考えなくちゃいけなかった。メロディックなやつをね。そんな時にふと耳にしたアバの曲がヒントになって、俺はあのリフを思いついたんだ。アバのベーシストは俺が彼らにインスパイアされたって話してるのを知って、どういう方法でか知らないけど俺の住所を突き止め、向こう10年くらい毎年クリスマスカードを送ってきてたよ。
ジョンは俺が書いた歌詞をなぞってたけど、リハーサルはとにかく爆音だったから、やつが2番目のヴァースの歌詞を書き換えたことに気づいたのは何カ月も経ってからだった。「安っぽいコメントは無用 どう感じてるかは俺たちが一番よく知ってる」(No cheap comments, because we know what we feel)っていう部分にね。あの曲は俺たちのステートメントと言ってよかった。
ロットン:あの曲には皮肉が込められてる。俺たちはプリティでもなければ、空っぽでもなかったからね。俺が何度も同じことを言うのは、曲について誤解してほしくないからだ。俺は自分のことを素敵だとも空っぽだとも思っていない。俺はもっと気楽な人生を歩むべきだったのかもしれないな。とんでもない間違いかもしれないけど、そしたら苦労せずに済んだのかもって思うんだよ。でも俺は、社会のシステムに飲み込まれてしまうのは絶対にご免だったし、そんなことを是認する気はなかった。俺はバレないように、「Pretty Va-cunt(頭すっからかんのおまんこ野郎)」って歌ってたんだよ。
11. 「ニューヨーク」
ロットン:あれはニューヨーク・ドールズのことを指してた。悪意があるとは俺は思わないね、バビロンからの強烈な一発さ。”キスのチャンスをうかがってる”ってね。やつらとは友達だし、誰からも因縁をつけられたことはないよ。特定の個人を攻撃したわけじゃないんだから当然さ。あの頃イングランドじゃ、グラムロックはもう時代遅れだとみなされてた。デヴィッド・ボウイはうまく方向転換してたけど、スウィートやT・レックスみたいな口紅を引いてタイトなパンツを履いてるようなバンドが掃いて捨てるほどいて、みんなうんざりしてたんだ。
ニューヨークのバンドの大半は年齢的に少し上だったし、通りを逃げ回ってるネズミのような輩どもとは無縁の坊ちゃんたちに見えた。甘やかされて育ち、似た者同士で群れてたボンボンたちに、俺は少し嫉妬してたのかもしれない。詩人のランボーを引き合いに出してるあたりも気に食わなかったし、フェイクだと感じてた。
俺は初めてニューヨークに行った時に(ランボーの詩を)読んだけど、そんなに優れているとは思わなかった。人生の本当にタフな面を感じさせるエッジがないんだ、過大評価もいいとこさ。俺が思うに、イングランドとアメリカのパンクシーンの違いはそこだったんだよ。アメリカのシーンは気取ってて、アート志向の坊ちゃんたちの集まりだった。それに対して、「アートなんかクソ食らえ、踊ろうぜ」っていうのが俺のアティテュードだった。
マトロック:作曲の面では、あの曲の元のアイデアを出したのは俺だ。アメリカでは当時『Secret Agent』ってドラマ(オープニング曲は「Secret Agent Man」)が放送されてたはずだけど、イングランドでは(『Danger Man』という別タイトルで放送されており)テーマングが違ってたんだ。俺はあれをロックっぽくしたような曲を書こうとしてて、ベースでコード進行を考えた。そこにジョンが、あのニューヨーク・ドールズをコケにした歌詞を乗っけたんだ。正直にいうと、この曲はあんまり気に入ってないな。
ロットン:「ファゴット(ホモの意)」って言葉はニューヨーク・ドールズのやつらのことを指してたわけじゃない。彼らはそうじゃないからね。あれは歌詞の意味をねじ曲げようとするような聴衆に向けた言葉さ。みんな知らないけど、イングランドにはファゴットって料理があるんだ。当時ロンドンの街中で「北イングランドの名物料理:ファゴットとグレイビーソース」っていう広告を見かけたんだよ。醜いこと極まりない広告をあちこちに出してて、それを南部に普及させようとしてたんだ。どこの会社の商品だったかは覚えてないけど、ロンドンっ子たちの間ではとにかく不評だった。あれがその料理についての曲だとは言わないけど、あの言葉をその広告から拝借したのは事実だよ。身の回りにあるものを借用するっていうのは、俺がよく使う手なんだ。環境に適応しようとするんだよ。郷に入っては郷に従えさ。
12. 「拝啓EMI殿(アンリミテッド・エディション)」(原題:EMI)
ロットン:俺たちと契約しようとしたEMIは、自分たちがいかに立派で多様性を重んじるレーベルかってことをアピールしてたけど、もちろん嘘っぱちだった。この曲を書くのは楽しかったよ。スタジオに入ってから作り始めたんだけど、まるで何かに取り憑かれたように没頭して、あっという間に書き上げた。やつらの頭にあったのは、レーベルの名前を売ることと巨額の金を稼ぐことだけだった。その指揮をとってたのがヒッピー世代のやつらなんだから、興ざめもいいとこさ。レーベルが倒産したのは、あいつらが金を自分の懐に入れてたからだ。俺たちのTシャツの「ヒッピーを信じるな」っていうプリントはそういう意味なんだよ。ドンピシャだったな(笑)。
【関連記事】
●【画像を見る】セックス・ピストルズ、激動の1977年を駆け抜けた4人の素顔(写真ギャラリー)
●「パンク」史上最高のアルバム40選
From Rolling Stone US.