ニーナ・シモンから受け継いだスピリット
激動のアメリカのなかで、アリシア・キーズの存在感が増してきているーーそんなことを意識するようになったのは、「多様性と包括性」をテーマに掲げた2019年開催の第61回グラミー賞授賞式がきっかけだった。#MeTooムーブメントの盛り上がりを反映しながらも女性アーティストの受賞が少なかった前年の反省からフェミニズムを前面に打ち出したこの年のグラミー賞において、第47回(2005年)でのクイーン・ラティファ以来14年ぶりの女性ホストとして白羽の矢を立てられたのがほかでもないアリシアだったのだ。
これまで15回のグラミー賞受賞歴を誇り、「Superwoman」や「Girl On Fire」といったエンパワメントソングを歌ってきたアリシアは、ちょうどこの前年2018年6月に音楽業界で働く女性の地位向上を目的としたキャンペーン「She Is The Music」を発足したばかりだった。グラミー賞を主催するレコーディングアカデミーがウーマンパワーの象徴として彼女を担ぎ出したのにはそんな経緯と背景があったわけだが、まさにセレモニーの冒頭、レディー・ガガ、ジェイダ・ピンケット・スミス、ジェニファー・ロペス、そしてミシェル・オバマ前大統領夫人を招聘して共にフェミニズムを主張した歴史的オープニングは、キャリアを通じて世の女性たちを鼓舞し続けてきたアリシアへの敬意と信頼から生まれた名場面だろう。
この第61回グラミー賞授賞式は図らずもアリシアがアメリカで活動するミュージシャンたちにとっての精神的支柱であることを改めて証明する機会になったが、そんな彼女の本分は今年2020年、新型コロナウイルスとブラック・ライヴズ・マターをめぐる状況のなかでより強く発揮されている。
医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーを「いま世界はあなたを必要としている。あなたは重要な存在」と激励して感謝の意を伝える「Good Job」、そして警官の蛮行によって命を落とした同胞へのトリビュートとして「黒人の命が軽視され続けるアメリカで我が子を殺された母親の観点から書いた」という「Perfect Way to Die」。数々の慈善イベントや啓蒙活動に積極的に参加するだけにとどまらず、コロナ禍の世界とブラック・ライヴズ・マターの拡大に作品をつくることによって向き合った著名アーティストは、音楽シーンを見渡してみてもアリシアぐらいなのではないだろうか。彼女は敬愛するニーナ・シモンの「いま我々が生きている時代を反映させることはアーティストの責務である」という言葉を信条とし実践する真の闘士なのだ。
「私はニーナ・シモンの声に宿るパッションに魅了されてきました。彼女はコンポーザーとして、ピアニストとして、シンガーとして、そして声を上げる女性として、私にインスピレーションを与えてくれたのです」
ボーダレスな音楽性、多彩な制作陣
そんなアリシアはニーナのスピリットのみならず、彼女のボーダレスな音楽性もしっかりと継承している。
エド・シーランを筆頭に、グラミー賞主要部門のウイナーがずらりと並ぶ制作陣の顔ぶれも只事ではない。ルドウィグ・ゴランソン(チャイルディッシュ・ガンビーノ「This Is America」)、ライアン・テダー(アデル『25』)、ノエル・ザンカネッラ(テイラー・スウィフト『1989』)、マーク・ロンソン(エイミー・ワインハウス『Back to Black』)、ジミー・ネイプス(サム・スミス「Stay With Me」)、トリッキー・スチュワートとザ・ドリーム(ビヨンセ「Single Ladies」)。これだけの豪華コンポーザーを従えてつくり上げた音楽的冒険心に富んだアルバムに、ずばりセルフタイトルの『ALICIA』と名付けるあたりに彼女の凄みがあるのだろう。
「個性的であればあるほど自分らしくなれる。型破りなことをするのは、それが運命だから。変化を起こす人であるためにまず必要なのは、真の自分でいること」
今回の新作『ALICIA』は、これまでケンドリック・ラマーやドレイク、カニエ・ウェスト、エミネム、ジェイ・Z、Nasといった人気ラッパーたちと共演を重ね、ジャンルを問わずビヨンセやボノ(U2)、ジャック・ホワイト、アダム・レヴィーン(マルーン5)、ジョン・メイヤー、アニー・レノックス、アンジェリック・キジョ、ブランフォード・マルサリス、レイ・チャールズ、ベイビー・シャム、ペドロ・カポらとコラボしてきたアリシアの真骨頂であり集大成といっていい。その未知の音楽に寄せる無尽蔵の好奇心と探究心が、ここではカリードやサンファ、ティエラ・ワック、スノー・アレグラ、さらにはタンザニア人シンガーのダイアモンド・プラトナムズなど、いつになくフレッシュな才能に向けられている点に現在のアリシアの好調ぶりがうかがえるだろう。
それにしても、新型コロナウイルス感染の影響からたびたび延期を重ねてきたニューアルバムが、結果的にアメリカ大統領選直前のタイミングでリリースされたことになにか運命めいたものを感じてしまう。思い出してほしい。ドナルド・トランプ大統領の就任式が行われた翌日の2017年1月21日、首都ワシントンD.C.で開催された女性の権利向上を訴える抗議活動「ウィメンズマーチ」の先頭に立っていたのは、誰あろうアリシアであった。
「女性であることの美しさに誇りを持ち続けましょう。私たちは母親です。介護人です。芸術家です。そして活動家です。私たちは企業家で、医者で、産業技術のリーダーです。私たちの可能性は無限です。立ち上がりましょう。私たちは政府の男たち、もしくはあらゆる男たちに体を所有されたり支配されたりすることを許しません。私たちの良心を踏みにじられることも許しません。すべてのアメリカ国民に最善なものを要求します。
1960年代、公民権運動の時代にニーナ・シモンがいたように、2020年代の現在、ブラック・ライヴズ・マターの時代にはアリシア・キーズがいる。『ALICIA』が混沌としたアメリカ社会にとっての光明になるかはわからないが、これがいまのアメリカや世界の情勢を反映したいま聴くべき歌、いま必要とされる歌であることはまちがいない。

アリシア・キーズ
『ALICIA』
日本盤CD(全16曲)
2020年10月7日(水)発売
日本盤ボーナス・トラック収録
初回仕様限定ポスター封入
視聴・購入:https://lnk.to/AliciaKeys_ALAlicia

『ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック』
著:高橋芳朗
編:TBSラジオ
発売中
詳細:http://www.small-light.com/books/book079.html