11月7日、LINE CUBE SHIBUYAで「第15回渋谷音楽祭2020 presents”CUT IN”」が開催され、cero、Tempalay、D.A.N.の3組が共演を果たした。

事前の鼎談でも話されていたように、3組には「3ピース」という共通点があるものの、もちろんこれは「ギター、ベース、ドラム」というロックの古典的な3ピースではない。
パート関係なく3人がプロデューサー的な視点で楽曲に関わり、サポートメンバーを含めた形で活動するという形態こそが、3組の注目すべき共通点だ。

これはかつてのようにメンバー全員でスタジオに集まらなくても、データのやり取りで楽曲を制作することが容易になった時代の反映と言えるだろう。また、ネットを通じて誰もが自らを表現できるようになり、作り手が「個」に回帰した結果、かつてのような専任のサポートミュージシャンではなく、自らも一アーティストとして活動する音楽家がサポートを務め、お互いを刺激し合いながら、新たな音楽を創作していることも現代的だ。

とはいえ、ceroもTempalayもメンバーの脱退を経て、現在の編成に至っているので、結成当初は今以上に「バンド」という意識が強かったはず。音源はプロデューサー的な存在にあたる一人が全て作り、ライブではそれをメンバーとともに再現する、という形態も今は珍しくないが、今回の3組はメンバー同士の相互作用が楽曲に反映されている。

先の鼎談では、高城晶平の「ライブハウスすごろくを経験しているか?」という問いかけに、櫻木大悟と小原綾斗が同調することで、世代の溝が埋まるという場面があり、「渋谷の音楽スポットと言えば?」という問いに、出会いの場としての渋谷WWW/WWWXや渋谷7th FLOORの名前が上がったように、この3組はやはりバンド世代、もしくは、転換期の世代と言えるかもしれない。「リモート」が流行語となって、あらゆる集団のあり方が見直された2020年にこの3組が共演することには、意味があるように感じられる。

トップバッターのceroは5人のサポートメンバーを含むこの日もっとも大所帯の編成であり、唯一ドラマーがサポートのバンド。さらに上の世代で言うと、くるりもまたドラマーの脱退を経て、現在「3ピース」で活動しているが、くるりのドラマーが時期ごとに変わっているのに対して、ceroの場合は光永渉と厚海義朗のリズム隊は固定で、彼らのプレイヤビリティが音楽性にも大きく関わっているという意味で、くるり以上にバンド的だ。そして、角銅真実、小田朋美、古川麦というそれぞれソロ名義でも作品を発表している3人の参加が、より現代的なバンド像を示している。「POLY LIFE MULTI SOUL」=「連なる生、散らばる魂」とは、現在のceroの組織論をそのまま言語化したようにも聴こえる。

ceroのグルーヴとTempalayのサウンドスケープ

この日の一曲目に演奏されたのは「魚の骨 鳥の羽根」。
角銅のパーカッションがフィーチャーされ、3拍子と4拍子がクロスするリズムに、サポートメンバーのコーラスも加わる、フィジカルの強い一曲だ。オーディエンスの人数が制限され、拍手はできても歓声は出せない状況にあって、そのグルーヴはプリミティヴに身体へと訴えかける。シンセをフィーチャーした「Yellow Magus(Obscure)」に続いて、「よきせぬ」では僕の席からシーケンス風のフレーズを小田が全て手弾きしているのがよく見えて、やはり8人のプレイが複雑に絡み合うことによって、現在のceroのグルーヴが生まれていることを再確認する。

cero、Tempalay、D.A.N.が三者三様に体現した音楽のアプローチ

cero(Photo by Azusa Takada)

ラストもパーカッションをフィーチャーした変拍子ファンクの「マイ・ロスト・シティー」で締め、フロアの後方では多くのオーディエンスが椅子から立って、思い思いに体を揺らしていた。音楽の街=渋谷シティで繰り返される〈ダンスをとめるな!〉のリフレインからは、メッセージを感じずにはいられなかった。

2番手のTempalayはベーシストの脱退と前後して、それまでサポートだったAAAMYYYが正式メンバーとして加入することによって、現在の3ピースに。楽曲制作は小原がメインで、AAAMYYYと藤本夏樹は個人の活動も活発なように、今回の3組の中では一番ユニット的な側面が強く、その性格はステージにも表れていたように思う。

序盤の「人造インゲン」や「どうしよう」などで特に印象的だったのが藤本のプレイで、「普通のリズムは絶対叩かない」と言わんばかりに、面白いフレーズやパターンをループさせる中、ベースの亀山拳四郎がグルーヴを支え、ときにドライヴさせる。それに対し、AAAMYYYがシンセでクールにエグい音を出し、音源以上に狂暴な小原のファズギターがサイケな空間を作り出す。それぞれタイプの異なるメンバー同士の個性のぶつかり合いが、Tempalay独自のステージを構築している。

cero、Tempalay、D.A.N.が三者三様に体現した音楽のアプローチ

Tempalay(Photo by Azusa Takada)

淡々とディープな「深海より」から、「カンガルーも考えている」でのノイズの爆発を経て、「大東京万博」では「らっせーら らっせーら」のパートで一緒に盛り上がれないのが何とも歯がゆいが、「AKIRA」をモチーフに、〈あなたは面白く輝いて〉〈どこまでも強く羽ばたいて〉と、「個」に訴えかけるようなこの曲は、東京オリンピックどころではなくなってしまった2020年の記憶の中に、確実に刻まれる一曲となった。目をそらしたくなるような現実の奥にこそ、真の美しさがある。
モンドな雰囲気の「そなちね」が小原の絶叫で締め括られるまで、アウトサイダーアートのようなたたずまいがとても凛々しかった。

新しい「扉」を開けたD.A.N.

この日のトリを務めたD.A.N.は結成当初から「3ピース」で固定されつつ、初期から小林うてなをサポートに迎えていたが、一時期の3人のみでのライブ活動を経て、再び小林が加わり、さらには音源には初期から関わっていたFLATPLAYのSohei Shinozakiがライブにも参加することで、明確にネクストステージへと突入している。

市川仁也によるアップライトベースの弓弾きから始まり、シンセのリフレインがトランシーなムードを作り出す「Aechmea」、ピアノを軸としたドラマ性の高い曲調と、ジワジワと高揚していく展開がポストロック的な「Bend」という今年リリースされた楽曲は、どちらもこれまでのD.A.N.にはなかった作風。Shinozakiは脇に置かれたギターをほぼ弾かず、自由度の高い役割を与えられている印象で、彼の存在が内側からメンバーを刺激し、ライブの完成度をもう一段階上へと引き上げる可能性を感じた。

櫻木が「レゲトンって感じ」と紹介した新曲「Floating in space」は、小林のスティールパンをイントロに、Shinozakiのパッドと、川上輝の跳ねたビートが絡む前半こそ確かにレゲトンっぽさがあるものの、小林のヴォーカルパートを挟んで、最後はストレートな16の刻みに変化していくというこれまた難曲で、現在のD.A.N.が新しい扉を開けまくっていることが伝わってくる。ラストは「SSWB」から「Borderland」というより直接的にフィジカルを感じさせる曲を続け、多くのオーディエンスが椅子から立って体を揺らし、一曲ごとだけでなく、一ステージを使ってミニマルに内側から高揚させて、ピークタイムを迎えるD.A.N.の真骨頂を感じさせる光景だった。

cero、Tempalay、D.A.N.が三者三様に体現した音楽のアプローチ

D.A.N.(Photo by Azusa Takada)

そもそも伝統的な3ピース(ではなくてもいいが)のロックバンドは、コール&レスポンスをしたり、直接的に「踊れ―!」と煽ったりして、オーディエンスを盛り上げることがパフォーマンスの要素として大きく、それができない現状では、ライブの魅力が半減してしまう印象が否めない。しかし、この日の3組はもともとそういったタイプではなく、あくまで音でコミュニケーションを取って、より主体的に、より自由に楽しんでもらうことを前提としている。ダンスミュージックを背景に持つD.A.N.やceroは明確にその意識があるし、Tempalayにしても感覚的な部分を共有していたはずだ。そんな意味においても、この3組はやはり2020年の現状を体現する組み合わせだったように思う。

【画像】cero、Tempalay、D.A.N.が出演した「第15回渋谷音楽祭2020 presents”CUT IN”」の様子

「第15回渋谷音楽祭2020 presents”CUT IN”」
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