【写真ギャラリー】キース・リチャーズの音楽人生を振り返る
9月の終わりにキース・リチャーズは半年ぶりに仕事復帰した。マンハッタンにあるGermano Studiosに到着した彼は体温が97.8°F(=36.5℃)だと自慢気に言う(「寒くて凍えてるよ」と)。このスタジオでローリング・ストーンズの次回作の制作が再開されたのである。「昨日このスタジオにやって来るときに、この部屋に3月初めに入ったことを思い出した。ここでいつも通りに作業を進めていたのに、翌日に面倒な状況になったわけだ」と言って彼は大笑いする。「そして昨日、デジャヴみたいな感覚を覚えたよ。今は仕事ができてとても嬉しい。今、世間には大して仕事がないだろう?」と続ける。
今年の初めに、ストーンズは慌ただしく「Living in a Ghost Town」をリリースした。ムーディーでソウルフルなロックナンバーで、ロックダウンで生き残る内容の歌だ。新作アルバム用にこの曲をレコーディング済みだったが、この楽曲を先行リリースした理由を「あの状況にピッタリだと思ったんだよ」とキースが説明する。キースはアメリカ在住だが、ミック・ジャガーはヨーロッパに滞在していたため、互いに曲のアイデアをやり取りしながらリモート作業で曲作りを進めたと言う。
最近、キースの時間を占領しているもう一つのプロジェクトが、ボックスセット『Live at the Hollywood Palladium』のリリースだ。これはソロとしてのデビュー・アルバム『Talk is Cheap』リリース後、1988年にバックバンドのジ・エクスペンシヴ・ワイノーズ(X-Pensive ワイノーズ)と行った短いコンサートツアーの後半のライブをコンパイルしたライブ・アルバムである。当時、ストーンズは解散の瀬戸際にいた。1986年にスタジオ・アルバム『Dirty Work』をリリースしたものの、このアルバムでのツアーは行わず、ミック・ジャガーはすぐさまスタジオに戻り、自身のソロ2枚目となる『Primitive Cool』を制作し、そそくさとソロツアーに出てしまった。さらにメディアを通して、ストーンズとしてツアーをしたかったキースとの舌戦が繰り広げられた。
その後、キースはドラマーのスティーヴ・ジョーダンとつながり、『Talk is Cheap』が完成し、このアルバム収録の2曲がメインストリーム・ロックのラジオ局でヒットした。それがアップビートな「Take It So Hard」と、ジャガーに向けたと思しきムーディーな別れの曲「You Dont Move Me」だ。エクスペンシヴ・ワイノーズとツアーに出たキースは、ライブでこのアルバム収録曲を全曲披露しつつ、キースが歌ったストーンズの楽曲もセットリストに入れた。『Live at the Hollywood Palladium』のハイライトは、『Talk is Cheap』収録の「Take It So Hard」と「Locked Away」、さらに『Dirty Works』収録のレゲエナンバー「Too Rude」、キースのトレードマーク的楽曲「Happy」の拡張ジャム、サラ・ダッシュが歌う「Time Is On My Side」だ。ダッシュはパティ・ラベルのグループのブルーベルズの一員だった。今回のリイシュー盤にはオリジナルLPに収録されなかった3曲が追加されている。
キースはこのコンサートとあの頃の人生を振り返ったとき、誇りを感じると言う。「年寄りキースの心の特別な場所をワイノーズが占拠している。あの頃、どんなふうにあのアルバムをレコーディングしたものかと考えあぐねていた。突然『あれがあるじゃないか』と閃いて、俺は本当に嬉しかったよ。最高のバンドが弾いてくれているのさ」と。
チャーリー・ワッツの助言と最高の出会い
―今、ストーンズの音楽制作を行っていて、近々ワイノーズのスティーヴ・ジョーダンとも会うことになっているようですね。音楽面での最近の課題はなんですか?
キース:俺は自分に課題を与えるのをやめたんだ。だって、ほら、現状を見てみろ。今年は本当に奇妙な年だぜ。
―隔離期間中、最も辛いことは何でしたか?
キース:観客がいないことだよ。バンドにとっちゃ本当に困ったことだ。でも、ほら、ライブ活動から締め出されるのは若手バンドで、連中の目の前で次から次へと扉が閉まる。今回はとんでもない苦境だ。俺らだってなんとか生き残ったわけで、その理由はみんなのために音楽を演奏することが俺たちの仕事だったからだ。つまり、現状ではそういう人が必要とされていて、人材が不足しているってこと。他のバンドと同じで、俺たちだって現状に対処しているだけなんだよ。
―現在はコンサートを行えない状況ですが、アルバム『Hollywood Palladium』のように、少なくとも過去に行ったコンサートを楽しむことはできます。あの頃の人生を振り返ったとき、どんなことが真っ先に思い浮かびますか?
キース:あの頃、ミックと俺に起きた出来事は、ある意味でローリング・ストーンズであることの罠にはまった感覚だった。まあ、これは冗談だけど、あれは行き過ぎだった。ただ、俺たちの関係はまさにあんな状態だった。
―あなたとスティーヴ・ジョーダンが意気投合した理由は何だったのですか?
キース:80年代のあの頃、チャーリー・ワッツが俺に言ったんだ、「どうも(ストーンズは)少しの間休暇に入りそうだ。お前が誰かと一緒にやるつもりなら、必ずスティーヴ・ジョーダンにしろ」って。つまり、変な話だが、チャーリー・ワッツがワイノーズの生みの親ってことさ。それに、最初にスティーヴと一緒にやったときには気付かなかったが、ソングライティングなど、最初は期待していなかったパートでも実りが多かった。つまりだ、あの時は一人のドラマーの助言に従って自分のドラマーを選んだだけだったが、スティーヴと一緒にやってみたら、二人だと出来ることがたくさんあることに気付いたというわけだ。それも全面的に互いを信頼しながらな。
チャック・ベリーとの真の友情
―『Live at the Hollywood Palladium』で、前にパラディアムのステージから放り投げられたと冗談を言っています。チャック・ベリーは1972年にあなたをステージから振り落とし、のちに彼はそれがキース・リチャーズとは気付いていなかったと言っていました。この冗談はその時のことですか?
キース:そう、それだよ、それ。
―あなたは以前、チャックは自分自身の価値やインパクトを全く評価していないと言っていましたが、あなた自身はどうですか? 音楽におけるあなたの価値やインパクトをどう考えていますか?
キース:俺も評価していない。知っているのは人がそう言うからってだけ。チャックのことは理解できる。チャックはそういう自負がゼロだ。彼にとって「朝起きて学校に行く」くらい日常的なことなのさ。(歌いながら)「ジョニー・B・グッド」さ。
―彼自身がそれに気付いていなかったのは残念ですね。
キース:そうだけど、彼も晩年は自分が作ってきた作品の重要さを理解し始めたと思うし、これは素晴らしいことだ。ただ、彼自身に自負はなかった。チャック・ベリーは天国にいるよ。疑いの余地はない。あんな曲を作れるのはあの男以外にいなかったし、みんなロックンロールがなきゃ嫌だろ? 今、バンドが奏でるロックンロールが存在する。チャックは完璧なバンドと完璧なスタジオを所有していた。最高のロックだよ。なあ、もう褒め言葉が見つからないから、これ以上は何も言えないよ。
ジェームス・ブラウンとBLMへの共感
―パラディアムで演奏した1曲、「Big Enough」はジェームス・ブラウンのようなクールなグルーヴです。彼のステージをアポロやTAMIショー(訳注:ドキュメンタリーの邦題は『ビート・パレード』)などで何度も見ていますが、彼を見ながらどんなことを学びましたか?
キース:ジェームスは俺たちにとって、というか特にミックにとっては魅力の塊だった。ミックも(ジェームス同様に)フロントマンだし、小さなステージに立つこともあるけど、あいつは動き回りたい方だ。ジェームス・ブラウンの歌声を聞いて、小さなステージでの彼の動きを見るのは最高だったよ。ジェームスはそれほど空間を必要としないタイプでね。彼は狭いスポットで動いていたのさ。俺はいつもミックに「お前は動き回りすぎだ、お前の場所に留まっとけよ。そこで動けるだろ」と言っていたんだ。ほんと、人によって違うものだよ。それに、ジェームス・ブラウンのバンドは最高にイカしてた。とてもタイトだった。俺たちが演奏するシカゴ・ブルースはジェームスの音楽とはちょっとグルーヴが違うけど、ほら、君も気付いたよな。ミックとジェームス・ブラウンの根っこが同じってことにさ。
―あなたは昔から黒人ミュージシャンや黒人アーティストを力強く擁護してきましたよね。
キース:俺が今ここにいるのは彼らのおかげだから。
―今年世界中に広がったBlack Lives Matter運動をあなたはどう解釈していますか?
キース:やるなら今だろう。つまり、この国(アメリカ)ではさまざまな問題が顕在化しつつあるんだよ。それが現実なのさ。そういう問題を解決しないといけない。俺はアメリカ人じゃないから、この件について意見を言うのが難しい。アメリカ在住だし、良くなってほしいと心の底から思うし、君たちと同じだ。しかし、俺は君たちに干渉しちゃいけないんだ。プーチンと同じで、俺も君たちの選挙プロセスへの干渉は拒ませてもらう。
ワイノーズとの日々は「究極に恵まれていた」
―以前、ワイノーズは初期のストーンズのようだと言ったことがありました。「上手くやったとき以外、誰も他のヤツのことをリスペクトしない」と。これはどういう意味だったのですか?
キース:(笑)そのまんまの意味だよ。誰も他のヤツの文句を言わなかった。つまり、みんなバンドをよくすることで手一杯だったのさ。でも、この言葉で俺が伝えようとしたのは、俺がこれまで在籍したバンドでは個人はほとんど考えられなくて、バンド全体が重要だってこと。世の中にはバンドに何かをもたらしつつ、自分らしさを主張しないヤツがいるのさ。それがエゴなのかはわからないけど、偉大なバンドが偉大なバンドたる理由はこの(エゴ的)問題がすでに解決済みだからだよ。
―ワイノーズのギタリスト、ワディ・ワクテルがこのアルバムで披露しているプレイは最高です。あなたがブライアン・ジョーンズやロニー・ウッドと一緒に演奏するのと同じような感じで、彼もギターサウンドを紡ぐ才能に恵まれていると思いますか?
キース:ああ、ミスター・ワクテルかい? もちろんだよ。俺が絶対に選ぶと決めていたギタリストだったんだから。彼のプレイを聞いて以来、いつも一緒にやってみたいと思っていたのさ。ワイノーズは彼と一緒に演奏する最高の言い訳になった。彼のメロディ・センスが大好きだし、曲に対する彼の理解の仕方も気に入っている。あの男のことは全部大好きだよ(笑)。素晴らしいミュージシャンだし、素晴らしいハートの持ち主だ。一つのバンドでツインギターをやるならウマが合う方がいいに決まってるだろう?
―「Happy」での彼のソロは最高です。
キース:ほんと、あれはファンタスティックだよ。あれこそ、俺がヤツと一緒にやりかたった理由さ。あの男と一緒にワイノーズでプレイしているなんて、究極に恵まれていると思う。本当にレベルが高いんだよ。ワイノーズの隠れた発電所が彼だ。それに(ベースの)チャーリー・ドレイトンなんて、おいおいマジか?って感じだし、カオスそのものだ。そこに(サックスの)ボビー・キーズが入ってくる。君もあれを聞いてわかるように、俺は祝福されている。あの頃の俺は世界で最も熱心で、最もオープンなミュージシャンたちと演奏できる幸運に恵まれていた。あの魔力からまだ抜け出せないでいるよ。
―そしてサラ・ダッシュもいます。彼女は「Make No Mistake」をあなたと一緒に、「Time is on My Side」を一人で歌っています。
キース:サラを忘れるなんて無理だよ。彼女は俺が知っている中で一番美しいレディだ。もう何年知っているんだろう? 60年代初頭、彼女がパティ・ラベル&ザ・ブルーベルズの頃からだからな。あのときサラと一緒に演奏できたのは最高の喜びだったし、いつもそうだ。サラ、元気かい?
「フロントマン」を経験して学んだこと
―パラディアムでは「Connection」をプレイしていますが、これはあなたが歌ったストーンズの初期の曲です。あなた自身、子供の頃に聖歌隊で歌っていたわけですが、自分のロック・ヴォイスを見つけるのは大変でしたか?
キース:基本的にはストーンズとミックと曲作りしていて見つけたよ。たとえば俺が「こんなふうになる」と言うと、ミックがそれを歌うんだが、時々ミックが「なあ、これはお前が歌ってくれ」とか「一緒にハモろうぜ」とか言うのさ。そんなふうに最初はミックと一緒にハーモニーを歌うところから始まった。よく覚えていないけど、最初の曲は「The Last Time」と「Tell Me」だったと思う。歌った俺自身は最悪だと思ったのに、他の連中はすごく気に入っている。それに、俺が歌詞や曲を作るから、ミックに聞かせるにはまず俺が歌わなきゃいけない。ミックはそれを聞いてどうするかを決めるわけだよ。
まあ、歌うことは俺にとって自然なことで、ギターは努力することだった(笑)。でも、音楽は音楽だ。音楽では歌を歌うし、楽器も演奏する。そこに大きな違いはないのさ。歌では自分の声を、楽器では指とか足とか演奏するのに必要な部位を使うってだけのことだよ。
―あなたがストーンズで最初に歌った曲は「You Got The Silver」でした。
キース:ああ、そうだ。あれは偶然そうなったわけじゃないね。曲を作り、ミックが歌ってみて、最後にメンバーが「これはお前が歌えよ」って。別に大変でもなかったし、仕事を分担しただけの話さ。
―アルバム『Talk is Cheap』がリリースされたとき、ステージでのミックに対して新たなリスペクトが生まれたと言っていました。フロントマンとしての経験から知った事実はどんなことでしたか?
キース:突然フロントマンになると、ステージ前面に立つだけで押し寄せてくるプレッシャーがどんなものかを理解する。俺はミックや他のフロントマンたちが経験することがどんなものか十分に理解した。ストーンズでの俺は前にでたり、後ろに引っ込んだりできるし、そんなふうにギタリストには選択肢がある。しかしワイノーズでの俺はフロントマンで、そんな選択肢がない。声が潰れたとしても、とにかく歌わなきゃいけないんだよ。そんなことから、フロントマンが感じるプレッシャーが何か気付いたし、それは一度も忘れたことがないね。
―これまでミックと一緒にやってきた年月を経て『Talk is Cheap』を作ったことで学んだ一番大きなことは何ですか?
キース:実のところ、安堵の感覚かな(笑)。っていうか、とにかく違っていた。ストーンズにいることは全部……とにかくストーンズにいられて最高だし、今でも続けていられるし……でもこのバンドは怪物だ。あのアルバムを作った頃の俺も、あの頃のミックも……彼が何をしたにしろ、俺たちはとにかくストーンズという工場の外で活動する必要性を感じた。その時期を経てバンドに戻ったときに外での経験がストーンズに役立つと思ったし、実際にそうだった。『Steel Wheels』や『Voodoo Lounge』の頃には大丈夫な状態になった。ただ、その前に一度、外で発散する必要があったんだよ。
―当時「You Dont Move Me」でミックのことを歌っていたように思えたのですが、最近は平穏な状態を保つために踏み越えないようにしている境界線のようなものはありますか?
キース:そんな境界線は一切ないよ。常に何らかの失敗があるだけ。でも心配ない。だって、俺たちはローリング・ストーンズだから(笑)。みんな、困難を切り抜ける術を知っている。それに、本当に奇妙なことなんだが、「You Dont Move Me」を作ったときは、みんなが思っているような意識はまったくなかったんだ。ただ、何故かそんなふうに聞こえるようになった。最初は違っていたのに。そんなふうに変化したってことなんだ。
―最初は何についての曲だったのですか?
キース:彼女の名前は絶対に言わないよ。いいね?
―1977年にトロントでの麻薬取り締まりで逮捕された事件の裁判を待つ間、けっこうな数のソロ曲のレコーディングをし、これがブートレッグとして出回りました。この中の数曲はロン・ウッドのバンド、ニュー・バーバリアンズでプレイしましたが、伝説となっているあの楽曲を公式にリリースするつもりはないのですか?
キース:ブートレッグの方がいいと思う楽曲もあるんだよ。あのレコーディングは本当に楽しかったけど、あれがどうやって漏れたのかは全くわからない。ただ、あの頃の俺は漏れても気にならなかった。あとで他の人たちも気に入ったことを知り、俺は「じゃあ、俺が自分のブートレッグ作ったらいいんじゃねぇか」と思ったよ。それに、公式にリリースしたらブートレッグじゃなくなるだろう。とは言え、公式リリースも一つのアイデアだから、もう一度考えてみるよ。
―あのとき、米国政府があなたを助けて、アメリカ国内でヘロイン中毒の治療を行わせましたよね。
キース:その通り。俺はこの国を本当にリスペクトしているぜ。彼らはちゃんと約束を守って、俺に責任を持ってくれた。最高だよ。だから連中を非難するなんて絶対にしない。
―アメリカ国内のオピオイド汚染が近年話題に上っていますが、オピオイドについてこの国の人々が知るべきことは何だと思いますか? またこの国はどんな対策をすべきだと思いますか?
キース:そうだな、オピオイドというやつは鎮痛薬なんかじゃない。ある意味、あれは薬害で、製薬会社に問題があるのさ。薬を使用する側じゃなくてね。国境を渡ってカナダに行けば5ドルで入手できることをみんな知っている。でもアメリカ国内では数百ドルする。そうなったらどうするか、簡単にわかるだろう?
人生とリフ作りのルール
―ところで、普段はどんなルールで生活しているのですか?
キース:ルールは最小限にというルールだよ、青年。
―楽曲制作中に従うルールは何かありますか?
キース:曲を作るのにルールなんて無用なものは一切ないね。実際のところ、前に作った曲以上のものを作りたいし、次の段階にある未知のコードを見つけ出したいし、未知の最高の表現方法を見つけたいだけだよ。曲作りというのは片方が歌詞、もう一方が曲という単純なもんじゃない。この二つが同時に生まれるんだよ。最高の詩人になれるかもしれないし、素敵な曲が生まれるかもしれないが、曲作りの芸術性と美しさはその両方を一緒に紡ぎ合わせることだ。それも両方が互いを愛し合っているようにな。それが曲作りだね。
―フックやブリッジはあまり考えないと?
キース:邪魔だなと思えば考える。
―最高のリフを作る秘訣は何ですか?
キース:リフというのは偶然生まれるもので、作った本人がどこから出てきたのかわからないのがいい。突然指先が動き出して、楽器から音が出る。それが最高のリフだよ。本能的で、エッセンスだけで、ルールも何もない。それこそ、今この瞬間は何もないのに、次の瞬間に存在するものだね(と「サティスファクション」のリフを歌う)。
―そのリフは本当に夢で見たのですか?
キース:ああ。そういうことなんだよ。寝るよりいい。リフは頭で考えるものじゃなくて、感覚的に引き出されるものなんだよ。
―「Make No Mistake」のリフも夢で見たのですか?
キース:ああ、夢で見たかもしれないな(笑)。いや、あのリフはけっこう苦労した。あのとき、俺の心を奪ったべっぴんなコード進行が生まれてきたのさ。今でもあのリフは大好きだね。音楽学者ですら未だにあれがどんなものか理解できない。真ん中あたりでプレイしているコードは何かって聞いたやつがいたけど、俺にもわからない。たぶん、あれが俺にとって「未知のコード」に最も近づいた瞬間だと思う。とりあえず、今のところはな。
―過去にエルヴィスの「Im Left, Youre Right, Shes Gone」でギタリストのスコッティ・ムーアが弾くプレイの一部を分析できないと言っていましたよね?
キース:ああ。でも近々あのプレイの分析が出てくるらしいから、それを楽しみに待っているんだ。
ロックンロール、ブルース、年齢を重ねること
―最近「おおっ!」と思うような新しいロックンロールはありますか?
キース:新しいロックンロールなんてないよ(笑)。そんなの意味ない。素晴らしいミュージシャン、素晴らしいシンガーなんかがいるってだけのこと。残念だが、俺の耳には、ここしばらく音楽に死ぬほどシンセサイザーが使われていると聞こえる。シンセで音を作り出すと本物を得られなくなっちまう。とは言え、シンセのデメリットや最近の音楽のダメな点を論議するつもりはない。安っぽくてくだらないというだけ(笑)。
―以前「俺にとって重要なことは、ロックが10代のガキだけのものじゃない、40を過ぎてロックをやっていても恥ずかしがる必要はないと証明することだ」と言っていました。そして音楽を進化させて前進したいとも言っていましたが、それは実現しましたか?
キース:うーん、どうなんだろうな。俺の親友のボビー・キーズがロックを「大人の男の音楽」と呼んでいた。ロックンロールが新しいと思われたのは、他のもの同様にロックンロールにも起源があったからだ。一般的に見て、ロックンロールの起源は1955年とか56年で、その頃はすべてが新鮮だったし、それから数年間はミュージシャンたちも新しい音楽だと思っていたわけだよ。当時はチャチャチャやツイストと同じ扱いだったけど、今となってはそれとは違うってみんな知っているだろ。
―その違いはブルースと似ていますよね。ブルースの場合、アーティストが歳を取るにつれて、評価や価値が上がる傾向があるので。
キース:お前、鋭いな。ブルースこそすべての始まりで、ロックンロールの礎でもある。ポピュラー音楽全般は、レコーディング技術が確立されて以降、ブルースを基盤に作られてきた。ラグタイムやジャズもブルースが元だろ。カントリー・ブルースやブラインド・レモン・ジェファーソンの曲をすべて理解しろってことじゃなくて、出現したジャンルはすべてブルースから派生しているってこと。それが進化したんだよ。素晴らしいことだよな。
黒人が世界に貢献したことを知りたいだろ? それなら音楽を聞けばいい。彼らの表現方法が万人の心に響くんだよ。白いやつも黄色いやつも毛深いやつも関係なく。そして、録音できるようになったからこれが実現した。この音楽の歴史、つまり録音された音楽の歴史にとってジャズの影響は計り知れないんだ。スタイルによって異なる影が散りばめられている。1930~40年代のスウィング、ルイ・アームストロングとか……ってか、お前さ、このまま俺にダラダラ話させる気か?
―いいえ。今でもブルースについて新たに学んでいる感覚ですか?
キース:ああ、ブルースが息衝いている限り、必ず学ぶべきことが存在する。ときにはブルースを演奏しようとする人間が多すぎるきらいもあるが、それが人間の条件ってやつだよ。
自分の生活を嘘で塗り固めるなんて無理
―数年前、『アンダー・ザ・インフルエンス』というあなたが題材のドキュメンタリーで、あなたはソロ作品『Crosseyed Heart』を作る前に引退を考えていたとスティーヴ・ジョーダンが言っていました。明らかにそれは回避したようですが、引退について今はどう考えていますか?
キース:ショービジネスの手法の一つが、する気もないことをほのめかすことだ。だろ? あれは映画にありがちな演出だよ。ただ、俺がスティーヴに「ジーザス・クライスト、まったくよ、サイテーの夜だったぜ。もう、俺はやめる」みたいに言った可能性はある。ほら、そういうことを言うときがあるだろ? でも愚痴っぽく言うのと本気で言うのは違うからな。
―80年代終わりに、あなたは「キース・リチャーズでいるのは簡単じゃないが、それほど大変でもない。大事なのは自分を知るってことだ」と言っていました。自分を知るためにどんなことをしているのですか?
キース:80年代以降、行方不明になった部分もいくつかある(笑)。おかげで知るべきことが減ったけど、なあ、青年、よく聞けよ。俺たち人間はみんな、人生の何たるかを知るためにこの世にはまり込んで抜け出せないんだ。たぶん、あの頃の俺が言わんとしていたことは、19ぐらいから人の目に晒される生活を続けていると、世間の人は本当の俺と公の俺が同じだってことを忘れがちになる。そんなとき、本来の自分自身を知るとラクになることに俺は気付いた(笑)。もう一方のキース・リチャーズなんて気にしちゃいねぇし、外面なんてどうでもいい。自分の生活を嘘で塗り固めるなんて無理なんだよ。今年、俺は77になるんだぜ、まったく。自分の齢をちゃんとわかっているけど、だから何だって思うし、この齢を誇りに思うよ。今でも自分をもう少し知ろうとしているけど、物事は変化するだろ。そうやって人生が続くんだよ。静止するものは皆無ってこと。
―自分に対する自信を得たのがいつか覚えていますか?
キース:これは自分で見つけなきゃならないことさ。みんな違うからな。それに俺にもわからない。わかっていることは、人として俺たちはもっと良くなれるし、俺は自分のその部分を促したい。ただ、これは集団でやるものだと思うし、どんなことであっても、みんなが少しずつ良い方向に向かなくちゃいけない。さて、今日の説教はこれでおしまいだ。
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