日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年2月の特集は「ミッキー吉野70歳」。
2月2日に、ゴダイゴはもちろん、ザ・ゴールデン・カップスやソロ活動、作曲家・ミッキー吉野としての代表曲を様々なアーティストがカバー、フィーチャリングしたアルバム『Keep On Kickin It』が発売された。パート1に引き続きパート2はアルバムのプロデューサーである亀田誠治を迎え、アルバム後半の楽曲制作の裏側やミッキー吉野の音楽に対する姿勢について語っていく。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは「銀色のグラス feat.Char」。1967年に発売になったザ・ゴールデン・カップスの2枚目のシングルです。
2月2日に発売になったミッキー吉野さんの『Keep On Kickin It』からお聴きいただいてます。今週の前テーマはこの曲です。

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田家:アルバムは曲順もいろいろな楽しみ方ができるようになっていて、ミッキーさんの音楽の幅の広さは前半だけでも十分に感じられますが、時代で言うと「銀色のグラス」が象徴的な曲になります。

亀田:ミッキーさんのミュージシャン、音楽家としてのキャリアの最初にあるザ・ゴールデン・カップスをどう取り上げるか? ということを今回アルバムを作る中でミッキーさんとたくさんお話させていただきました。

田家:どんな話をされたんですか?

亀田:ザ・ゴールデン・カップスの中ではミッキー吉野さんが1番年下だったこととか、音楽性であったり。ザ・ゴールデン・カップスは日本のトップ・ミュージシャン、トップ・アーティストたちを輩出したバンドじゃないですか。
そういった歴史であったり、今の若者たち、ミュージシャンたちにどれだけ影響を与えたのか、当時の若者たちにとってどういう存在だったのか、そんな話をしました。僕はザ・ゴールデン・カップスの音楽をリアルタイムで聴いておらず、後付けで勉強していった部分と、ミッキーさんの実体験から聴かせていただいたものに対して、どれだけ接点を作っていくかに時間をかけた感じです。あと、ミッキーさんの周りでザ・ゴールデン・カップスの時代から一緒に歩んできた方々が、ここ数年の間に亡くなってしまって。ミッキーさんはニコニコ笑いながら、「みんなはもう上の世界に行っちゃったからさ」なんておっしゃっていたんですけれど。当時、キラキラの才能を持っていたミュージシャンたちの熱量を、このアルバムで今にどう伝えていくか考えたとき、ミッキーさんとOKAMOTOSのハマ・オカモトくんが対談をしているのをラジオで聴いたことがあって。そこでハマくんのザ・ゴールデン・カップスに対する豊潤な知識とリスペクトを知ったんですね。
どの曲のどのフレーズがイケてたとか、ザ・ゴールデン・カップスは洋楽カバーも先駆的にやっていたので、この曲はカップスの方がかっこいいとかハマくんが解説していて。2人の会話を聴いて、僕の中でこの楽曲でのベースプレイヤーはハマ・オカモトくんだと思いました。

田家:ハマ・オカモトさんありきだった?

亀田:1番最初に声をかけました。ドラムを誰にしようかというときに、金子ノブアキくん。金子マリさんのお子さん。

田家:はい、ジョニー吉長さんのお子さんでもあります。


亀田:ノブアキくんとも交流がずっとあり、10代の頃から知っていて。ザ・ゴールデン・カップスの何人かのメンバーはもう天国に行ってしまっている中で、もう1回ファミリーを構築できたらいいなと思ったんです。音楽愛からの血の繋がりと、本当に血の繋がりがあるような仲間と一緒に作っていきたいなと。選曲はわりと早い段階で「銀色のグラス」に決まって。理由はミッキーさんに訊いてもらうとよいんですけど、ミッキーさんが加わる前の楽曲だからなんです。ミッキーさんは「銀色のグラス」にすごく愛着があって、ご自身が音楽ファンとして聴いていたザ・ゴールデン・カップスの楽曲だった。
これは僕もハマくんもあっくんもみんな同じ意見なんですけど、数あるグループサウンズというカテゴリーに括られるアーティストバンドの中で、めちゃくちゃ先鋭的で、しかもワルだった。他のグループサウンズは「キャー!」って女の子のファンが失神しちゃったりするんだけど、ザ・ゴールデン・カップスは楽器と音楽だけで勝負していた印象があって。

田家:じゃあその曲をなぜCharさんがやることになったかは曲の後にお聞きしましょう。アルバムの6曲目です。「銀色のグラス」。

田家:Charさんがうれしそうで楽しそうですね(笑)。
ギターボーカル・Char。オルガン・ミッキー吉野。Charさんはミッキーさんの提案ですか?

亀田:ミッキーさんが「ボーカルはCharがいいかも」ってポロッとおっしゃって、ファミリー・ツリーみたいなメンバーにしようという話になったんです。冒頭の歌い出しもそうなんですけど、Charさんは、「気絶するほど悩ましい」とか「逆光線」とか歌謡的なニュアンスでデビューしてきた。そのわりには『夜のヒットスタジオ』でギターを投げたりして、なんて怖い人なんだろう、ロックってすげえんだって子どもながら思ったりもしたんです。そういうトーンをCharさんも楽しみながらやってくれて、「ギターと歌は俺がやるのか。でもさ、エディ呼ぼうよ」っておっしゃって。

田家:エディ藩さんはコーラスで入ってますね。

亀田:エディ藩さんにコーラスで入っていただいて、頭のシャウトの部分はエディさんとミッキーさん一緒にブースに入って掛け合いで作ったんです。バンドマンだから別々ではできないんですよ。それも忘れられない思い出ですね。この曲は横浜にあるスタジオで録りました。

田家:リモートじゃなかったんですね。

亀田:全員で集まって録りました。ザ・ゴールデン・カップスという横浜から生まれた1960年代の奇跡のグループサウンズというか日本のロックですよね。礎をちゃんとリスペクトしようということで、横浜のランドマークスタジオで全員せーの!で録りました。

田家:はー、すごいなあ。ミッキーさんは自分が加わる前の曲に、今あらためて加わった。

亀田:そういうことなんです。

田家:この話は来週ミッキーさんに訊こう(笑)。

亀田:ぜひ訊いてください(笑)。

田家:アルバムの7曲目「ガンダーラ feat. タケカワユキヒデ」。これも解体と再構築ですね。

亀田:ゴダイゴを代表する曲だと思うので、絶対に収録したかった。でも、どういう形で収録するのがよいのかと考えていく中、今ゴダイゴをリユニオンして一緒にやるというのもありなんですけど、1番種の部分をしっかりと見せるのがいいんじゃないかと思ったんです。そのときにピアノ1本とタケカワさんの歌だけのアレンジにしてみたらこの曲が持っている根源的な部分が見えてくるんじゃないか。もしくはゴダイゴの1番コアな部分が見えてくるんじゃないかと思って、僕からこの形を提案させていただきました。

田家:お2人に提案したんですか?

亀田:はい。はじめはミッキーさんが「途中からは民族楽器、パーカッションとか入ってきた方がいいんじゃないのかな、亀ちゃん」とか、「2人で持つかな」とおっしゃっていて。

田家:「持つかな」って言っていたんですか!

亀田:僕が「できあがってないけど、絶対持ちますから」って断言しました。

田家:タケカワさんは?

亀田:ものすごく喜んでくださいました。ピアノと歌もリモートでのレコーディングなんです。なので、タケカワさんの歌が乗っかることを想像しながらミッキー吉野さんが心を込めてピアノを弾いた。

田家:歌なしで弾いているんですね。うわー!

亀田:そうです! それをタケカワさんが受け取って、ご自身のスタジオで1人で歌って。密室のピアノプレイと密室のボーカルプレイが一緒に合わさった「ガンダーラ」なんです。

田家:ミッキーさんのピアノをお聴きになったとき、亀田さんの中でどういう歌が乗るかは想像されたんですか?

亀田:想像していました。音数が少ない中では原曲のような歌い方ではないだろうなというのと、タケカワさんも50年間のキャリアを積み重ねて現役で歌ってらっしゃるわけなので、今のタケカワさんの最高の歌が引き出せるんじゃないか。ブレスから音の伸ばし、切れ際の瞬間までが見えてくるんじゃないかなと。「ガンダーラ」が持っている曲の哀愁感、奈良橋陽子さんの歌詞が、シンプルな演奏でどれだけ引き立ってくるか、確信を持ってたんです。想像を超えたいいものができたので、この形にしてよかったと思っています。

田家:タケカワさんのコメントが資料に載ってまして、「こんなに何回も歌った曲も珍しいのに、すごく新鮮で気持ちよかった」。短い言葉の中にいろいろな感情がこもっているんだろうなと思いましたけど、彼も意外だったんでしょうね。

亀田:びっくりされてました。「え! 亀田さんからの提案!?」って。ミッキーさんも「楽器足そう」っておっしゃったし、タケカワさんも「その編成でいいの!?」っておっしゃって。でも僕が「絶対大丈夫ですから!」って言ったんです。お2人とも本当に楽しんでやって下さって、ミッキーさんも発見があったとおっしゃっていますし、音楽の普遍性、奇跡を感じました。

田家:これからお聴きになる方もきっといろいろな発見があると思います。ミッキーさんがどんなことを思い浮かべながら、どういう歌を想像しながらお弾きになったのか。タケカワさんが何を考えながら歌われたのか想像しながら聴くと、緊張感がある歌に聴こえますね。

亀田:英詞バージョンに関してはタケカワさんから唯一来たリクエストですね。日本語歌詞もあるんですけど、響きもそうですし、ダイレクトな日本語以上に聴く側が想像のエンジンを始動させることにも繋がって、体の奥まで染み込んでいくような仕上がりになったと思います。僕も何曲かこれまでピアノ1本と歌の楽曲を作ってきましたけど、本当に元の曲が持っているこの力……。

田家:こんなに哀愁ある曲だったのか! という発見でした。

亀田:アレンジャーやサウンドプロデュースという自分の活動もあるんですけど、歳を取るごとにどんどん自分もシンプルになっていくところがあって。削ぎ落としていく美学を大先輩たちのプレイや歌から今回学ばせていただきました。

田家:タケカワさんの声もこんなに悠久を感じさせる声とは思ってませんでした。ゴダイゴはアジア思考があって『西遊記』もそうでしたけど、大陸感をロックバンドで再現しようとした最初のバンドで、その大陸感はこのメロディなんだなと思いました。キャリアを重ねないとできないことかもしれないですね。亀田さんの中でアジア思考はどこかにありましたか?

亀田:J-POPにおける侘び寂びみたいなものは、大半は洋楽から引っ張ってこられているものだと思うんです。アレンジ上であったり、コード理論上であったり。ところが、もっと心の奥底に僕らが本当に持っているのは日本古来の音階であったり、アジアが持っている雄大さ、深淵さ。色の彩度、鮮やかさの違い、アジアの景色みたいなものですよね。僕の音楽はいつも胸キュンとかキラキラしてるって言われちゃうんですけど、実は自分の中でもアジアの部分は大きな面積、体積、容積を持って存在しているんじゃないかなと思います。

田家:それがあったから、ピアノと歌のみの提案に繋がったんでしょうね。

亀田:そうかもしれないですね。

田家:ベートーヴェンの「歓びの歌」、RHYMESTERのMummy-Dさん。そして歌はサッシャさん。こういう曲が次に出てくるとは思わなかったですね。

亀田:これはミッキーさんが弾き語りでこの曲の原型みたいなものをYouTubeにあげてらっしゃったんです。編曲家のミッキー吉野さんが本来持ってらっしゃるアレンジの素晴らしい才能を僕は紹介したくて、ミッキーさんにこの曲を「アルバムバージョンにアレンジしていきましょう」とお話をさせていただきました。

田家:キーボードとプログラミングがミッキーさんで、ベースは亀田さん。で、Mummy-Dさんを起用した理由は?

亀田:これもおもしろいくらいの偶然がありまして、Mummy-Dさんは横浜・磯子出身で、小学校の頃に近所にミッキー吉野さんの家があった。

田家:おおー! 出た(笑)。

亀田:この家に住んでいたミッキー吉野さんが「Monkey Magic」とか「銀河鉄道999」とかやっているわけって言いながら、ピンポンダッシュして逃げてたらしいんです(笑)。

田家:ははははは! いいなこの話(笑)。

亀田:僕はRHYMESTERとの付き合いもあるし、Dさんとも今までいくつか作品を一緒に作ってきた経緯があって。Mummy-Dさんの思慮深さ、勢いやリズム、言葉にストーリーがあって、メッセージがある。そのラップスタイルにすごく共感していて、今回はこの曲のラップはDさんしかないなと思って、すぐにオファーしました。「DEAD END」もそうだったんですけど、「歓びの歌」もミッキーさんのアレンジがもうちょっと複雑で、もっとプログレッシブだったんです。でも、ピンポンダッシュしちゃったことの償いの意識もあり、Mummy-Dさんはそこに丁寧にラップを乗っけようとしていった。ある日突然、Dさんから電話がかかってきて、「亀さん、ちょっと全編ラップにするには変拍子とかもあるし難しい。しかもラップのパートが長すぎるかも」という相談を受けて。「じゃあ、バースとか勝手にカットしちゃっていいから、とにかくDさんがやりやすい形でやってみて」とお話しをして、そしたらプロトタイプのラップが乗ったデモが届いて、最高にかっこよかったんです。そのときにDさんから1つリクエストが来ていて、オリジナルの「歓びの歌」のドイツ語の歌詞のメッセージが本当に素晴らしいし、今の時代に届けたいメッセージなのでオリジナルの歌詞を入れたいと。かと言って、それをクワイヤーとか年末によく聴く合唱の感じとはちがった形で届けられる方法ってないか話し合ったときにDさんの方から「ドイツ語詞の朗読でもいいかも」って提案があり。「ドイツ語喋れる人誰かいる?」ってなって、すぐに「あ、いるね! サッシャ!」って僕とDさんがハモったんです。2人とも交流があって、すぐサッシャに連絡しました。今回のアルバム制作では直電しまくっているんですけど、電話したら快諾してくれて。ドイツ語の部分をサッシャが朗読して、それにMummy-Dさんが超和訳、自身が感じた訳を乗せて、ラップを構築していった。Dさんがすごく素敵な言葉で表現してくれたんですけど、「亀さん、俺この曲で世界初のヒップホップオペラを作ったよ」って言ったんです。本当にそうだなあと思いました。

田家:ヒップホップオペラ。言葉に耳をそば立てながらお聴きいただけると思います。

亀田:イントロのフレーズはミッキーさんいわく、ベートーヴェン生誕250周年、2年前に作ったベートーヴェンへのハッピーバースデートゥーユー♪なんですって。

田家:ラップはMummy-Dさんにおまかせだったんですか?

亀田:はい。「演説とか記者会見を同時通訳しているような形でやりたい」とDさんから提案があって、こういう音像にしました。素晴らしいストーリーですよね。クラシック、ヒップホップというキーワードが出てきて。でも、ディスったり、そういった世の中じゃなくてみんなで喜びを分かち合おうという。「よくぞここまで言ってくれた! Dさん!」って、僕は初めてこのラップを聴いたときに涙が出ました。

田家:2022年の「歓びの歌」ですよね。亀田さんとミッキーさんがこのアルバムでやろうとしたことが「歓びの歌」に集約されているところがあるなと思いました。

亀田:音楽を引き継いでいくということですよね。親から子へ、子から孫へという部分。例えば、ベートーヴェンってクラシックというジャンルで分けるのではなくて、「もしかしたらロックと感じる人もいるかもしれないね」とミッキーさんとよくお話しをしました。あと、僕の中で200年、300年愛されるクラシックはこれから先の200年、300年も愛されるという確信があります。同じく、例えば、60年代にロックが登場してから今60年くらい経っているわけですけど、中心に生きている音楽家の僕たちがちゃんと軸足を添えて、未来に音楽を残していきたい。それが今回のアルバムで1番やりたかったところです。

田家:流れているのはアルバムの9曲目です。「Beautiful Name(Piano Piece)」。先週も話に出ました、「ピアノピースを入れたいんだ」というのはこの1曲もそうですね。1979年4月に発売されたシングルで、国際児童年のテーマでした。亀田さんが「日比谷音楽祭」を2019年に行われたとき、この曲でコンサートを締められたんですよね?

亀田:そうなんです。今から50年近く前にこれからの未来に対して、こんなに思慮深く、希望を音楽に乗せたゴダイゴはすごいなと思って。だって、SDGsとかそういう文脈も全くない時代ですよ。まだ更地の時代で、例えばある国では戦争や紛争みたいなものが残っている状況の中で、国際児童年という立ち上がったものに対して、「Beautiful Name」。Every Child has a Beautiful Nameという伝わりやすい言葉でメッセージを打ち出していった素晴らしさを伝えたい。でも、逆にそこからキーワードとなる歌詞を抜いていくことをやってみたくなって、ミッキーさんに提案したんです。「この曲、もしかしたらメッセージは音楽そのものの中にもあるかもしれませんよ」と言って、ピアノピースでやってみましょうという流れになったら、ミッキーさんがファンキーなラグタイムブルース風、ファンキーなアレンジをして下さって。これはTHE ミッキー吉野グルーヴです。ミッキーさんでしかこのグルーヴは出せない。ピアノ1本で演奏してくださって最高の「Beautiful Name」になったと思います。

田家:言葉を外すと決断できる、それがプロデューサーということなんでしょうね。

亀田:曲順とかいろいろ考えていく中でもそういうことがあるんですけど、前に進みながら分かってくることなんです。「亀田さん、はじめから地図を描いて落とし所とか分かってるんでしょ?」とかよく言われるんですけど、大抵の場合はやりながら見えてくるもの、前に進んでいくと見えてくるものがある。もしかして「Beautiful Name」もこのプロジェクトのはじめの頃に手がけていたら、誰かのボーカル入りになったかもしれないんですよ。そのときのベストを尽くしていく中で「最高は絶対終わりの方に待っているから」といつも言うんですけど、それを信じてこの曲を選んだならば、「あ、インストゥルメンタルでいけるんだ」という感じがしました。そこに至るまではミッキーさんのお気持ちもあると思うんですけど、自分自身もコロナ禍、未曾有のいろいろな経験の中、何が大事で何を残していくか、伝えていくかを常に自問自答しているかもしれないと、田家さんとお話ししていて気が付きました。

田家:ゴダイゴはずっと英語でやっていたバンドで、亀田さんもよくご存知ですけど日本のロックの中には日本語派のはっぴいえんどがいて、英語派の内田裕也さんに始まる流れがあって、いつも対立的に考えられたりしていた。ゴダイゴは英語でやりながら海外でも成功して、日本でもポピュラリティを持ったバンドだと思っていて。最後、言葉を外したことで、そこも越えようとされたのかなと思ったりしました。

亀田:そこは意識していなかったけれども、音楽が何を言っているかに集中していくと「Beautiful Name」から1番大事なメッセージの部分の言葉が外れた。そういうことなんじゃないでしょうかね。

田家:アルバムを最初に聴かせていただいたとき、「あ、こんなにいろいろな曲をやっているんだ。こんなにいろいろなバリエーションでアレンジしているんだ」と思ったことがだんだん繋がってきて何回か聴いているうちに、これはきちんとしたメッセージが脈々と流れている、とても骨太な思想的なアルバムだと思ったんです。「ガンダーラ」、「歓びの歌」、「Beautiful Name」はまさにそれを象徴していますよね。

亀田:何十年も音楽を作り続けていて、その間に音楽の聴かれ方、作り方はどんどん進化しているし、新しい素晴らしい才能がどんどん出てきている。その中で砂金のように輝いているものは、砂がこぼれ落ちていったとしても残るんだということを伝えたかったんですよね。

田家:45周年の公式本の中で亀田さんが使われていた音楽の良心という言葉と、うけようとか儲けようとか思ってはあかんのですという言葉がアルバムに流れていますね。

田家:アルバムの10曲目は新曲が入っております。「NEVER GONE feat. 岡村靖幸」。作詞がエルビス・ウッドストック、リリー・フランキーさん、作曲がミッキー吉野さん。ピアノ・ミッキー吉野さん、ドラム・山木秀夫さん、ベース・高水健司さん、ギター・小倉博和さん、ストリングス・金原千恵子さんグループ。そして、アレンジが亀田さんです。

亀田:これは1番はじめに「DEAD END」と一緒に僕のところに届いていた曲で。ゴダイゴのギタリスト・浅野さんが亡くなったときに作られていた曲で、「亀ちゃん、僕この曲は入れたいんだよね」とおっしゃって。他にもはじめに届けられた曲が何曲かあるんですけど、ここ数年でミッキーさんと一緒に音楽を作ってきた、たくさんの仲間が亡くなってしまったんですね。レクイエムとまではいかなくてもちゃんと気持ちを伝えて、ミッキー吉野は今、地に足をつけて音楽をやっているけど、やがては天国に行くときが来る。ミッキーさんすごく元気なんですよ(笑)。音楽で様々なフィーチャリングアーティストがミッキーさんを愛しているんだったら、ミッキーさんからもミッキーさんが愛したミュージシャンたちにちゃんと音楽のメッセージを残しましょうとお伝えして、この曲を収録させていただきました。

田家:リリー・フランキーさんにもそういうお話をされたんですか?

亀田:そうですね。最初から英語詞があったんです。リリー・フランキーさんを選んだのも、喪失感。『東京タワー』のときもそうですけど、人を失う悲しみを穏やかに分かってらっしゃる方だなと思ったからです。

田家:岡村さんはミッキーさんが指名されたんですか?

亀田:ミッキーさんが、NHK『SONGS』で岡村靖幸さんを観ていて、素晴らしい歌声で、悲しみを知っている歌だというふうに思ったんですって。「NEVER GONE」、自分の仲間たちに贈る歌を歌うときに岡村さんにぜひ歌ってほしいということでした。僕は岡村さんとフェスで一緒に演奏したり、曲作りを一緒にやったことがあったので、じゃあやりましょうとなって、岡村さんにもこれは喪失感の歌だとか、いろいろお話しさせていただきました。岡村さんのボーカルでしかありえない表現力ですよね。2020年にザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌーさんが亡くなって、翌年にはミッキーさんと一緒にゴダイゴをプロデュースしていたジョニー野村さんや村上”ポンタ”秀一さんが亡くなって。そんな中で、一緒に音楽を作った仲間と演奏してもらいたいなという気持ちが僕の中で強くなっていったんです。1970年代にミッキーさんを囲んでいたような仲間と一緒に「NEVER GONE」のサウンドを作り上げたら、浅野さん、マモルさん、ジョニーさん、ポンタさんにもいっぱい届くんじゃないかなと思って。ベースは僕も弾きたかったんですけど、高水健司さんにウッドベースを弾いてもらって。ポンタさんがいないのでどうしようと思ったときに、フィーリング的に山木さんに頼んで。で、小倉さんにガットギターを弾いてもらい、金原さんは岡村さんの方の文脈で常に一緒にやっていた時代があったのでということで、本当にミュージシャン同窓会を生の演奏で達成できたんです。

田家:天国にいる方たちに聴いてほしい気持ちが込められている1曲になった。亀田さんはご自分の70歳は想像されていたりするんですか?

亀田:70歳って13年後ですから、13年前の自分のことを考えるとあっという間に来るんじゃないですかね。僕は今回作品を作ることによって、決めたことがあるんです。自分の終わりを設定しない。ミッキーさんの音楽への情熱、「最後のアルバムになるかもしれないけど亀ちゃん手伝って。全力でやるから。」と前に進んでいく音楽家の先輩の姿を見た。コロナ禍とかいろいろ続くと、どこかでラインを引くほうが楽なんじゃないのかなと思ったこともあるので。あとは本当に様々な音楽が生まれてきていて、レジェンドな方と制作する一方、若手アーティストとも音楽を作れるチャンスが僕にはある。ミッキーさんのアルバムを作ることによって、自分の行く道がすごくクリアになった気がします。

田家:それを教えてくれたアルバムになった。この何年間でいろいろな方たちが亡くなったりされて、そういう人たちへの想いを1つの曲に込めている。アルバムはこういう新曲で締めくくられました。すごいアルバムになりましたね。亀田さんとはここでお別れです。先週と今週ありがとうございました。

亀田:ありがとうございました!

ミッキー吉野の音楽への情熱と美学、亀田誠治が制作中の影響を語る

アルバム『Keep On Kickin It』ジャケット写真

田家:「J-POP LEGEND FORUM ミッキー吉野70歳」。2月2日に発売になったアルバム『Keep On Kickin It』のご紹介。先週と今週のゲストはプロデューサーの亀田誠治さん。今週はアルバムの後半をご紹介しました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

アニバーサリーアルバムとか、トリビュートアルバム、いろいろな形で発売されておりますがミッキー吉野さんだから表現できたことが凝縮されているのがこのアルバムなんだなとあらためて思いました。ジャンルを問わない懐の深さ、クラシックがあったり、ピアノだけの曲があったり、誰もが知っているヒット曲が全然違う形でピアノだけになったり、同時代のミュージシャンが集まって、さらにそこに新しい素材が加わる。いろいろなテーマが縦横無尽に展開している聴き応えのあるアルバムだと思います。シンガーソングライターとか作曲家、作詞家という1つの形が決まったアーティストのトリビュートとは違う深さ、重曹感と言うんでしょうかね。それがこのアルバムの聴きどころです。

ミッキー吉野さんはGSの後にボストンのバークレー音楽大学でも勉強しているわけで、ジャズやクラシックも通過していて、70年代に日本を客観的に外から見ていたりもするんです。その経験がアジアに対する意識にも表れているんでしょうね。70年代から日本の音楽には日本語のロック、英語のロックという2つの流れがあって、ミッキー吉野さんはどちらかと言うと英語派みたいなところにいた。それもゴダイゴは乗り越えて、あれだけのバンドになったんだなというのはあらためて思ったことでもあります。来週と再来週はミッキー吉野さんご本人の登場です。亀田さんの話をここまで聞いてしまって、さてご本人に何を訊くべきなんだろうかと、宿題として重くのしかかられながら終わろうとしています。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
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