ニューアルバム『Patient Number 9』が好評のオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)。絶体絶命のピンチを何度も乗り越えてきたヘヴィ・メタル界の”アイアン・マン”が、自身のキャリア、妻シャロンとの結婚生活、『オズボーンズ』と家族との絆、最新作と故テイラー・ホーキンスとの思い出など、3時間に及ぶインタビューでたっぷり語ってくれた。


英国バーミンガムのアレクサンダー・スタジアムのVIPエントランスに銀色のバン2台が到着すると、囁き声が拡がっていった。警備員が目を細めながら同僚に訊く。「あれ、シャロン・オズボーンじゃない?」

「そうみたいね」もう一人の警備員が言う。「ということは……」

8月初旬に行われたコモンウェルス・ゲームズ(オリンピックに似た多種スポーツ・イベント)の閉会式。運転手たちは車内灯を消して文字通り真っ暗な中、エドワード王子のスピーチが終わるのを待っている。バンがステージにゆっくり向かっていき、3万人の観衆にバスドラムのドス、ドス、ドス、ドスという音が聞こえてきた。


「I am Iron Man!」我々が知っている声がどこからともなく響きわたり、ブラック・サバスのトニー・アイオミがステージでギターを弾き始める。54年前、バーミンガムで育ったサバスのメンバー達は鉄工所の労働者になるという運命を断ち切り、唯一無二の鋼鉄音楽を生み出してきた。

床の扉が開き、腕を伸ばしたシルエットがアイオミの背丈までせり上がってくる。「さあバーミンガム、声を聞かせてくれ」と指示する姿にスポットライトが当たると、そこにはサバスの創設メンバーでありフロントマン、オジー・オズボーンがチェシャー猫のような笑顔を浮かべていた。

観衆は地元バーミンガムの英雄に気付き、信じられないという表情から一転、耳をつんざく声援を送る。そうしてサバスは「Iron Man」から彼らの最大のヒット曲「Paranoid」へと雪崩れ込んでいった。


この日彼らが出演することはトップ・シークレットで、たまたま観衆の中にいたオジーの息子ルイスもステージ上の父親を見て驚いたほどだった。

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筆者は最前列でアスリート達と一緒にいるシャロンとケリー・オズボーンに合流する。彼らは喜色満面だが、それも無理はないだろう。ケガや手術の連続でもはや二度と人前で歌うことが出来ないと思わせたオジーがほぼ3年ぶりにステージに立ったのだ。

オジーの体調はややヨレがちだったものの、よどみなく「クレイジーになろうぜ!」「神の祝福を!」など自らのキャッチフレーズを連発。曲が終わり、彼の回りを火花が散ると「バーミンガム・フォーエバー!」と吠えた。


明かりが落ちると、イギリスではお馴染みの、王族が公の場に姿を現したときの道路封鎖に巻き込まれないように、オジーと家族はバンに避難する。エドワード王子などどうでもいい。暗黒の王子のお通りだ。

オジーの人生は「カムバックの連続」

翌日の午後、ロンドンの洒落たホテルのスイートで会ったオジーは、まだ目を覚ましたばかりだった。「こんな遅くまで寝ていることは滅多にないんだ。よっぽど疲れていたんだろうな」と言いながらソファに倒れ込む。
最大限のくつろぎを得た彼はダイエットコークを頼んだ。

オジーの格好は黒Tシャツと黒トレーナーというカジュアルなものだ。73歳を迎えた彼はパンデミックを機に髪を染めるのを止め、白髪交じりの長髪をポニーテールにまとめている。紫のレンズが入ったジョン・レノン風のサングラスをかけた彼だが、それを下げると、ブルーの瞳が貫くような眼力を持っていることが判る。時に彼は補聴器をいじっている。歩くときには銀のフィリグリー細工の入った杖を使い、2時間半にわたるインタビューのあいだ苦痛を感じているようにもぞもぞしながらも、バーミンガムでのパフォーマンスが彼の精神を高揚させるものだったことは明らかだった。
彼は常に活気に溢れ、枕を投げたりして、強調したいことがあるとじっと視線を合わせてきた。

彼のお気に入りの単語は今でも”ファック”であり、我々がともに過ごした数時間のあいだに正確に540回使っていたが(1分あたり約2.5回となる)、その発言は唸らせられるほど多彩で豊かなものだった。

「昨日の夜まで俺は半隠居状態だったんだ」彼は首を持ち上げて強調しながら言う。「3年間ずっと『もうステージには上がらない』と考えてきた。もう(パフォーマーとしてのキャリアが)終わったと、半分自分に思い込ませてきたんだ」

オジーの苦悩が始まったのは2018年、さよならワールド・ツアーになる筈だったツアーの最中だった。おそらくミート&グリートでファンの手を握ったことが原因と思われるが、彼は生命に関わる危険のあるブドウ球菌感染症を患い、親指が電球サイズにまで膨れあがってしまった。
その後、大晦日のOZZFESTでヘッドライナーを務めるほど回復したものの、それから間もなく自宅で転倒、2003年の四輪バイク事故で重症を負った脊髄損傷を悪化させている。2019年の転倒の後、”アイアン・マン”は首に2枚の金属プレートを埋め込むことになった。

オジーは腕と足の、彼が「ごちゃごちゃになった神経」と呼ぶ部位の治療と処置で数カ月ぶんのツアー日程を延期することになった。回復に努めているあいだ、彼は2020年にエルトン・ジョン、スラッシュ、ポスト・マローンをフィーチャーしたアルバム『Ordinary Man』をレコーディングしている。同作のプロモーションをしている最中、彼は医師にパーキンソン病と診断されたことを明かした。そして起こったのがコロナ禍だった。オジーはこの疫病を回避していたが、今年4月に感染。症状は軽かったものの、その後になって髪の毛が抜け落ち、爪が欠けるようになったという。「どれだけクソみたいな気分になったか口に表せないよ」と彼は語る。

オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

Photo by Ross Halfin

6月に行われた矯正手術は、シャロン曰く「彼の残りの人生を左右する」ものだった。手術後、彼の首に埋め込んだ金属プレートのネジが脊髄に食い込み、破片を出すことが判明した。「まったく悪夢だったわ」と彼女は言う。幸い外科医がネジを取り去ったことで、それ以来オジーの体調はかなり改善した。

そうしてバーミンガムでの公演への道が切り開かれることになった。「実現したことが信じられないぐらいよ」シャロンは筆者に話してくれた。
「6カ月前に出演依頼があったときは、辞退しなければならなかった。でもイベントの数日前に連絡があって、『オジーがコミコンに出ているのを見ました。お元気そうですね。出演の件、出来そうでしょうか?』と言われたのよ。それでオジーに訊いてみたら『うん、いいんじゃない?』って」

ライブ・パフォーマンスの後、オジーは親友でビリー・アイドルのバンドのギタリストであるビリー・モリスンと喜びを分かち合っている。「”来た、見た、勝った”ってメールが来たんだ」モリスンは語る。「単に”判っていたよ”と返事したよ」

ステージ上では絵に描いたように自信に満ち溢れているオジーだが、いったんステージを下りると自分自身に批判的になる。「勝ち目なんかないって気になるんだ」彼は言う。「若い子は俺が何者かなんて知りゃしないだろ」

実際のところ、オジーの人生はカムバックの連続だった。学校の教師に落ちこぼれのレッテルを貼られた後、彼は仲間と共にブラック・サバスを結成。ヘヴィ・メタルの誕生に関わることになった。サバスから追い出された彼は、ソロ・アーティストとしてスーパースターとなる。ロラパルーザのオーガナイザーに老いぼれ恐竜呼ばわりされた彼は、嘲笑うように自らのOZZFESTを始めた。『オズボーンズ』はうつろいやすいテレビ人気を生き残り、カーダシアン家のようなリアリティTV一家の先駆けとなった。

オジーのアルバム・セールスは1億枚を超える。彼はブラック・サバスの一員としてロックの殿堂入りを果たしている。さらに彼はドジャー・スタジアムで”観衆による最長の絶叫”のギネス・ブック世界記録を樹立。「フロントマンとしてのオジーはシナトラやエルヴィスと肩を並べるね」過去35年のあいだ再度オジーのバンドのギタリストとして活動してきたザック・ワイルドは語る。「彼みたいな人間はこの業界、他にいないよ。ベーブ・ルースが野球の歴史で占める位置と同じだ。それだけデカイんだ」

そうしてオジーは最新アルバム『Patient Number 9』を完成させた。このアルバムにはトニー・アイオミ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックに加えてメタリカ、パール・ジャム、ガンズ&ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーが参加している。”クレイジー・トレイン”は再び発車したのだ。

妻シャロンとの出会い、ソロ・キャリアの成功

「ウィンストン・チャーチルがここに滞在してたって知ってる?」
スイートの壁を飾る金の葉をいじりながら、オジーは訊く。1898年に創業したクラリッジス・ホテルは今日でもトップハットを被った重いコートの従業員が車の扉を開けてくれるような場所だ。「シャロンが気に入っているんだよ」彼は指摘する。

最近の手術を経て、オジーのスタミナは最低レベルであり、奥方に「重荷になっていたら申し訳ない」と言ったほどだった。彼女は馬鹿なことを言うなと答えた。
「俺の家族はファッキン最高だよ。子供も嫁も応援してくれるし忍耐強いんだ」とオジーは言うが、それは彼の友人も同様だ。

「頻繁に連絡を取っているよ」と昨年語っていたのは、ロサンゼルスにあるオジー宅から何千マイルも離れたイギリスに住むトニー・アイオミだ。「直接話すことは滅多にないんだ。オジーも俺も、電話では使い物にならないからね。奴は午前2時に電話してきて、俺が『オジー、今夜中の2時なんだけど』と言うと『あ、ゴメン。判った。じゃあな』って感じだった。イギリスとの時差のことが頭から消え去っているんだ。そんな時間に電話が鳴ると『誰かが亡くなったか大変な事故に遭った』と考えてしまうだろ? だから今ではメールで連絡を取るようにしている」

健康を回復させるのと同時に、オジーは自信を取り戻そうとしていた。彼はシャロンにこう言うことがあった。「俺の人生ちゃんと出来たことなんて、ステージで歌うぐらいだ」

「そんなことないって言ってあげるのよ」彼女は言う。「彼はさまざまな苦闘をして、それがすべて人目に晒されてきた。でもそれだけじゃなくて、彼は自分に厳しすぎるのよ」

オジーがシャロンと出会ったのは70年代半ば、彼女の父親ドン・アーデンがブラック・サバスのマネージャーになったときだった。「シャロンに微笑んだら、奇妙な表情をしていた」オジーは2009年の回想録『アイ・アム・オジー』で振り返っている、「おそらく俺の頭がイカレていると思ったんだろう。パジャマの上を着て裸足だったし......」

「オジーはきれいな顔をしていて、人間として他の誰とも違っていると思っていた。でも少し不安だったのよ」彼女は当時を振り返って言う。「弁護士やレコード会社の人とデートしたことはあったけど、彼はまるで違っていた。そんな人たちはどうしようもなく退屈だったのよ」

1979年、使い物にならないほどに酒浸りになってブラック・サバスを解雇になったオジーの元をシャロンが訪れたが、彼は退屈とは程遠い存在だった。
「とにかくムチャクチャになりたかったんだ」オジーは言う。「もう終わりだからってね」
だが、彼の中に光り輝くものを見た彼女はソロ・キャリアを始動させることを勧め、マネージャーを務めることになる。当時オジーはまだ最初の妻セルマと婚姻関係にあり、3人の子供がいたが、シャロンとオジーは恋に落ちたのだった。

オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

ランディ・ローズと共に(Photo by CHRIS WALTER/WIREIMAGE)

オジーはバック・バンドを雇うが、その主要メンバーにランディ・ローズがいた。元クワイエット・ライオットのギタリストである彼はブラック・サバスよりもベートーヴェンから影響を受けており、グラムなルックスも含め、ヘヴィ・メタルに一風異なったアプローチを取り入れていた。「Crazy Train」「Mr. Crowley」は急激な展開の疑似ゴシック・ナンバーで、一緒に歌える強力なメロディと息を呑むギター・ソロを持ち備えていた。
「オジーの声は神からの贈り物だよ」と語るのはメタリカのベーシストであり、『Patient Number 9』でプレイ、共作も行っているロバート・トゥルヒーヨだ。「とにかく美しいんだ。魂、脂っこさ、根性......苦しそうに歌う箇所もまた、彼をスペシャルな存在にしているんだよ」
ソロ・アーティストとしてデビューを果たすにあたって、シャロンはオジーにより成功しているアーティストのオープニング・アクトを務めさせるのでなく、小規模の会場でもヘッドライナーとして出演させることで、彼をより短い期間でトップに返り咲かせることに成功したのだった。

セルマとの離婚が成立すると、オジーとシャロンは2人のビジネス関係とロマンスをどのように両立させるかを考えることになった。
「オジーは言っていたわ。『テレビのインタビューとかいろんなことをやらせるのは俺を愛してるから? それともマネージャーだから?』ってね」シャロンは思い出す。「私が『自分のプロモーションは自分でやらなくちゃ』と言うと『それは妻としての意見? それともマネージャーとして?』とかね。『両方よ』と答えていたわ」

試練の連続だった結婚生活

シャロンの辣腕マネージャーぶり、「Crazy Train」のようなヒット曲、そして酔っ払って鳩やコウモリの首を食いちぎるなどの悪名高きマスコミ報道のおかげもあって、オジーはビジネス面でブラック・サバスを凌ぐ大きな成功を収めるようになった。サバスは後任シンガーにロニー・ジェイムズ・ディオを迎えて活動を続けていた。

だが1982年3月、パーティーは突然終わりを告げることになる。

ツアーバスの運転手がオフ日、ランディ・ローズとヘアドレッサーのレイチェル・ヤングブラッドを自家用飛行機でのフライトに誘ったが、ツアーバスの上空すれすれを飛んだとき邸宅に突入、乗っていた全員が亡くなったのだ。
「1週間に2回も葬式があったんだ。酷いものだよ」オジーは語る。「あれ以来、葬式というものに出られなくなった。頭がおかしくなりそうなんだ。家族の葬式なんて絶対に出られない」

1982年7月4日、オジーとシャロンはハワイのマウイ島で結婚式を挙げた。今年彼らはホテルに閉じこもって40周年を祝ったばかりだ。「最高のひとときだったわ。部屋を出ず、ルームサービスを取って、人生について話し合ったのよ」シャロンは言う。「私たちにとっては、それで完璧だった」

「シャロンにルビーをプレゼントしたんだ。ルビー婚だからな」オジーは語る。「大金を払ったよ。こんな小っちゃなルビーに15万ドルだぜ! シャロンに『たぶんボッタクられてるよ。本当は7万ドルもしないだろ』って言ったよ。でもルビーはすごくレアらしい」

ランディが亡くなった後もオジーはジェイク・E・リー、ザック・ワイルドらのギタリスト達と共に前進を続け、「Bark at the Moon」(月に吠える)、「Shot in the Dark」(暗闇にドッキリ!)などがMTVでヒットを記録。「史上最高にラッキーなコンテスト優勝者の気分だよ」ザックは語る。「夢じゃないかって自分の身体をつねるレベルだ」

そんな一方で、オジーのアルコールとドラッグへの依存はエスカレートしていった。ホテルの暖炉をいじりながら、彼は1989年に意識を失った状態でシャロンの首を絞めようとしたことを二度繰り返し話す。「飲みに出かけて、目が覚めたら留置場で殺人未遂容疑で捕まっていたんだ」彼は後悔の念を表しながら語った。

シャロンは結局告訴を取り下げた。「彼は治療施設に閉じ込められて、私たちは会うことがなかった」シャロンは話す。

「最初はホッとしたけど、2カ月ぐらいすると、会いたくてどうしようもなくなったのよ。子供たちも毎日パパと会いたがった。『パパはいつ帰ってくるの?』 と言っていたわ。私も彼がいなくて寂しかった。彼のクレイジーさを失って寂しかったのよ」シャロンはオジーを引き取ることになった。

オズボーン夫婦の結婚生活はそれからも試練の連続だった。2013年、ブラック・サバスがオジーを解雇して以来初めての共演アルバムを制作する準備をしているとき、彼はまだアルコールを捨て切れていないうちに鎮痛剤依存症に陥った。そして2016年には、シャロンはオジーがヘアスタイリストと不倫をしていることを知った。それからオジーはセックス依存症の”集中治療”を受けている。それでも2人が別れることはなかった。

結婚生活をどうやって維持出来たのかオジーに訊くと、彼は肩をすくめる。「知らないよ。良い嫁さんを持ったってことじゃないか」彼は言う。「彼女は人生ずっとロックンロールと過ごしてきたんだ。でも彼女は俺を愛してくれるし、俺も彼女を愛している。俺は完璧な夫ではないけど、彼女が正しい方に導いてくれるんだ」

「結婚する相手がアルコール依存症ということは最初から判ってたからね」シャロンは言う。「険しい道のりになることは予想していた。でも悪いことより良いことが多かったし、後悔することは何もないわ。私はオジーを救ったし、オジーは私を救ってくれた」

『オズボーンズ』を振り返る

「この部屋が暑いのか、それとも......ああクソ」オジーは言う。「エアコンの普及では、イギリスはアメリカに全然及ばないよな」

クラリッジス・ホテルのスイートの階下で2時間話してから、我々は階上のファミリー・ルームに上がっていく。オジーは昼寝をするつもりだ。荷物を最小限に留めているため、これが彼の部屋だと言われなければそう気付くことはないだろう。彼のトラベル哲学はこんなものだ:「カバンを持って飛行機に乗るだけ」
ただ幸い、彼にはシャロンやケリーがいるし、オズボーン一家のために働くスタッフがいる。その中には10年以上やっている者もおり、他の仕事に就く気はないと話してくれた。

ロンドンの上品なメイフェア地区(バッキンガム宮殿は徒歩圏にある)を臨む出窓の前で、裸足のオジーは横になり、大きく報道されたイギリスの猛暑について愚痴をこぼす。
「みんな環境の変化を本気に捉えていないんだ」彼は不満そうに言う。「窓の外を見てみろよ。何もかもがチリチリだ」

オジーの政治思想はリベラルなものだ。彼はドナルド・トランプを「A.H……アドルフ・ヒトラー」と例えるが、大統領任期中に地球を爆破させるのではないかと不安だったという。前日、バーミンガムでオジーとトニーが再会を果たしている頃、FBIはトランプのフロリダにある邸宅”マール・ア・ラーゴ”の家宅捜索をしており、オジーは楽しそうにニュースを見ていた。
彼はまた、1月6日の米国会議事堂占拠事件の主犯が起訴されたという報道についても嬉しそうだ。
「これから判決を出すところだ」彼は言う。「トランプもブチ込めばいいのにな」

オジーとシャロンは来年、ロンドン郊外にある350エーカーの敷地の邸宅に戻るつもりだ。オジーはアメリカを去ることについて、度重なる銃乱射事件を恐れていることを理由に挙げているが、筆者にはより理に適った理由を語ってくれた。それはまずイギリスに住む家族のそばで暮らしたいというもの、そしてアメリカでコロナ禍後の経済再建のために実施されるであろう増税を回避するためだった。

我々が話しているところに、ケリーが挨拶しに入ってきた。彼女もまたイギリスの猛暑にうんざりしているが、それは彼女がボーイフレンドでスリップノットのメンバーであるシド・ウィルソンとの赤ちゃんを身籠もっているせいもあるだろう(彼らはOZZFESTで出会った)。彼女が部屋を去ると、オジーは誇りに満ちた表情でまだ生まれていない赤ちゃんの性別を教えてくれた。それを聞いたケリーに隣の部屋から「パパ!」と叫ばれて、オジーがしゅんとして「ゴメン……」と謝る、まるで『オズボーンズ』の1シーンのような微笑ましい光景も繰り広げられた。彼女が聞こえない距離まで離れると、オジーは筆者に「もう嬉しくてたまらないよ。とても健康そうだしね」

オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

オジー、シャロン、ケリー、ジャック(Photo by MICHAEL YARISH/MTV/GETTY IMAGES)

今年の3月、『オズボーンズ』が始まってから20年の月日が経った。このリアリティTV番組は3年のあいだオジーの家族の生活を細部まで露わにしたが、その代償として彼らはスーパースターとなった。
オジーはこの番組がいかにビッグになったかに気付いた瞬間のことを思い出す。
「405号線(訳注:カリフォルニアを南北に走る高速道路)を走っているとき、スタッフに『トイレに行きたい。どこかに寄ってくれ』って言ったんだ。それで大きなマクドナルドに停めてもらった。トイレには誰もいなかった。用を足して外に出たら、店内にいた全員が駐車場で俺の車を取り囲んでいたんだ」

当時オジーは「TVタレントの座を手に入れた代わりにミュージシャンのキャリアを犠牲にしたかも知れない」と考えたが、時間の経過によって、異なった風に捉えるようになった。「あの3年間は本当にイカレていたよ」彼は続ける。「子供たちはみんな酒を飲んで、アレコレをキメていた。俺もまた飲むようになった。毎日24時間カメラクルーが自宅にいてみろよ。頭がおかしくなる気持ち、判るだろ?」

「カーダシアン家の連中には脱帽するよ。俺には理解出来ないけどな。顔面の皮が分厚いんだろう、俺だったら発狂してるよ。もう15年だか何だかやってるんだろ?」

オジーの不安をよそに、英BBCは9月初め、オジーとシャロンがバッキンガムシャーの住居に落ち着き次第『オズボーンズ』をリブートすると発表。もうすぐ生まれるケリーの赤ちゃんやオジーの新しいツアーなどさまざまな題材に迫ると告知している。
(オジーと違って、シャロンはテレビ出演が好きだったりする。彼女は『Xファクター』や『アメリカズ・ゴット・タレント』の審査員になったことがあるし、2010年から『ザ・トーク』のホストの1人に起用されている。それから11シーズンにわたって、彼女は時事問題を鋭く切ったり、論争で悪役になってきたが昨年、友人であるイギリス人ジャーナリストのピアース・モーガンがメーガン妃について差別的な発言をしたのを弁護、同じく共同ホストであるシェリル・アンダーウッドと口論になり、番組を降板している。彼女は後にTwitterで「私は人種差別、性差別、いじめを許容しないことを主張します」と声明を出した。現在彼女はイギリスの”トークTV”ネットワークで、同じく『ザ・トーク』と題されたチャット番組のホストを務めている)

『オズボーンズ』を振り返って、オジーは自分の子供たちがテレビ出演で浴びた注目をうまくこなしたことを誇りにしている。
ジャックはTVショーのホストを務める一方で、オジーとシャロンのロマンスを描いたバイオピックのプロデュースも手がけている(オジーは「くそジョニー・デップなんかじゃなく」無名の俳優に自分を演じて欲しがっている)。ケリーは数年間TV番組『ファッション・ポリス』のコメンテイターだったし、『ザ・マスクド・シンガー』にも出演した。長女のエイミーは『オズボーンズ』に出ないことを選択したが、ARO名義でシンセ・ウェイヴの音楽作品を発表している。

オジーは長男ルイスが「アイアン・マンをやっている」ことに特に驚嘆している。曲の「Iron Man」ではなくスポーツの方であることを筆者が念押しすると、こう説明してくれた。「自転車に15マイル乗ったら10マイルだか泳いで、2マイル走ったりするんだ。最近やったやつは14時間近くかかったんだ。言ってやったよ。『なあルイス、その手間を省くために自動車が発明されたんだろ?』ってね」

シャロンは今でもオジーの道しるべとなる星だ。オジーが想像するだけで「頭がおかしくなる」という心の闇は、シャロンが自分より前に死んでしまうということだ。ソファで体勢を直しながら、彼は「それだけは絶対にダメだ」と言う。「彼女がいないと生きていけない。俺のすべてだよ。出来ることならば一緒に寝そべって死ねたらいいけど、物事そううまく行かないからな。どう乗り越えればいいか判らないよ」

最新アルバム、テイラー・ホーキンスとの思い出

オジーはニュー・アルバムについて尋常でないほど興奮していることを認めている。マイリー・サイラスやジャスティン・ビーバーなどを手がけてきた31歳のプロデューサー、アンドリュー・ワットがお気に入りのバンドのひとつであるヤードバーズのギタリストだったエリック・クラプトンとジェフ・ベックに参加依頼をすることを提案したとき、”暗黒の貴公子”は鼻で笑った。
「『アンドリュー、俺が発狂したと思われるだろ』」と言ったあと、彼は付け加える。「実際そうなんだけどさ」2人とも参加を承諾してくれたことに、彼は自分の幸運を信じられなかった。

「オジーはファンみたく振る舞うのよ」シャロンは言う。「オジーはエリック・クラプトンとジェフ・ベックのファンだから、『ワー、あの人たちと一緒にやれるんだ』って感じだった」

数年前、オジーとザック・ワイルドはエルトン・ジョンのライブを見に行っている。「ヒット曲に次ぐヒット曲の連続だったんだ」ザックは語る。「俺とオジーはライブを見て、『Rocket Man』や『Dont Let the Sun Go Down on Me』(僕の瞳に小さな太陽)などが始まるとハイタッチをしたりフィストバンプをしていたよ。2人とも『凄いなあ』って感じだった。俺が『あなただって悪くはないぜ』と言ったら、ただ笑っていた。オジーは自分が彼らと同格だと考えていないんだ」

『Patient Number 9』に参加している他のゲストはトニー・アイオミ、パール・ジャムのマイク・マクレディ、メタリカのロバート・トゥルヒーヨなどで、ガンズ&ローゼズのダフ・マッケイガンがベースを弾き、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスとフー・ファイターズのテイラー・ホーキンスがドラムスを叩いている。

オジーに影響を与え、共演して、影響を受けてきたミュージシャン達が集結した、彼にとっての”私の履歴書”的なアルバムであり、錚々たるスター達が名を連ねているのに拘わらず、本作はオジー・オズボーンの作品以外の何物でもない。

『Patient Number 9』においてシャロンがアンドリュー・ワットに付けた唯一の注文は、前作『Ordinary Man』よりヘヴィなサウンドにすることだった。そこで登場するのがトニー・アイオミだ。彼がギターを弾いた2曲のひとつ「Degradation Rules」について訊くと、オジーは「この歌詞が何についてか判る?」と訊き返してきて、世界共通のシコシコの手つきをする。テイラー・ホーキンスはアルバムでドラムを叩くのに加えて、オジーによると歌詞でも多大な貢献をしているという。「”RedTube最高”って一節を書いたのは彼だよ。あれ? BlueTubeだっけ? RedTubeだっけ?」

「オジーはRedTubeが何かも知らなかったんだ」アンドリュー・ワットはアダルト動画配信サイトについて話す。「通話を終了すると、テイラーは『やった!』と飛び上がっていたよ。後になってRedTubeが何か教えたんだ。涙が出るほど笑ったね」

冗談はさておき、3月にテイラーが突然亡くなったことはオジーにとってショックだった。「本当に悲しいよ。すごくナイスな奴だったのに」

ソファに寝そべって、オジーは「Degradation Rules」の一節を口ずさむ。「曲の構成が最高なんだ」彼は言う。「『13』(ブラック・サバスのアルバム)にぴったりだったと思う」

”最高のオジー・ソング”に必要な要素とは何だろうか?「ダークで、ヒネリがあって、ビートルズ風で」アンドリューは答える。「ヘヴィで邪悪なコード進行かな」

「俺にとって、オジーの曲のレシピにおいて重要なのは強力でソウルフルなボーカル・メロディ、それから美しくダークなコード進行かな。『Diary of a Madman』みたいなね」ロバート・トゥルヒーヨは言う。「オジーやサバスの名曲にはパワフルなリフ、そしてリズム・セクションによるビートとグルーヴがある。オジーはベースが大好きなんだ。よく『ロブ、お前は最高の親友だよ』と言っていた」

アンドリューが集めたミュージシャン達によって、新作のサウンドは『Ordinary Man』よりもハードにロックしながら、オジーの愛するメロディが貫かれた作品だ。
タイトル曲「Patient Number 9」は複雑に入り組んだゴシック・ロックで、正気を失うというオジーには馴染みのあるテーマが歌われており、ジェフ・ベックがジャジーで表現力豊かなギター・ソロを聴かせる。「Parasite」ではオジーの奇妙なユーモアが発揮され(スポークンワードで「虫が好きなんだ」と語られる)、ザックのギター・ソロが光る。

攻め込んでくる「Immortal」でギターをプレイしているマイク・マクレディは90年代初頭、オジーのようなメインストリーム・メタルをラジオから放逐したパール・ジャムの一員だが、この曲では抽象的なプレイによってパンキッシュなエッジをもたらしている。ちなみにギター・リフを思いついたのはオジーで、アンドリューに電話をして留守電に歌ったアイディアを基にしている。

少しばかり問題があった唯一のアーティストはエリック・クラプトンだった。彼はバラード「One of Those Days」で味わい深くブルージーなメロディを弾いているが、アンドリューによるとこの曲調はエリックがワウを使うことを前提に彼とオジーが書いたものだった。「こんな日、キリストを信じられなくなる」というコーラスは、オジーがニュースで見た学校での銃乱射事件についてアンドリューと話しているときに生まれたもので、人間性についての意思表明だった。「エリックに送ったら、『歌詞がどうもピンと来ない』って言われたんだ」オジーは思い出す。「それで変えてみようとしたんだ。『こんな日、それをどうしても信じられなくなる』とかね。でも歌詞を書くという行為は、ある瞬間を捉えるということなんだ」結局エリックは一歩退いて、元のままの歌詞が使われることになった(本件についてエリックは代理人を通じてノーコメントを伝えてきた)。

作業のスピードを落とす要因となったのはエリック・クラプトンのみではなかった。誰もがオジーの健康状態を気にかけねばならなかった。それはパンデミック下ではなおさらで、「オジーが外出するのは安全ではなかった」とアンドリューは語っている。「アルバムを作るあいだ彼が安全であるために、検査に何十万ドルも使ったよ」

オジーはこれからも生き続ける

我々の会話の中で、オジーは亡くなってしまった友人や仲間たちに言及するが、その少なくない割合がアルコールによるものだ。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムは一度シャンパン12本とスコッチ大ビン2本の速飲みレースでオジーに挑戦してきたという。「『くたばりやがれ』って言ってやったよ」と彼は笑う(ボーナムは4本のボトルを飲み干して嘔吐した)。
レミーは1カ月以上毎日バーボンのボトル1本を空けて、オジーを驚嘆させた。モーターヘッドのフロントマンの言い分は「いろんなバーボンを1本ずつ味見する」というものだった。

多くの友人たちが去っていったのに自分だけが生き残った理由は、オジーにとって説明出来るものではない。
「オジーは過去50年を代表するアーティスト達と交流し、仕事をしてきたけど、ほとんどが亡くなってしまったんだ」ビリー・モリスンは語る。「彼はそこに座って『でも俺は生きてるんだよなあ』と思い耽るんだ」
一度オジーは医師からの指示で、これまでやってきたドラッグとアルコールの種類と量をリストアップしたことがあるが、それを見て「何故あなたは生きているんですか?」と訊かれたという。オジーはその問いに答えることが出来なかったし、今でも答えることが出来ない。

シャロンによると、オジーは9年間アルコールに触れていないそうだ。オジーはその期間を数えていないし、AA(訳注:アルコール依存症者の自助グループ)流の記録を取るやり方を面倒臭がっている。
「もし脚を1本切断することになっても、残りの一生ずっと部屋の中でそのことについて話していたくはないんだ」彼は言う。「それに順応して、前に進んでいきたいんだよ」

「考えることもないんだ」とオジーは語る。「もう飲まないし、酒が頭に浮かぶこともない。AAから学んだことは『1杯は多すぎる。10杯は足りない』ということだ」(オジーは1988年に「Demon Alcohol」の歌詞でこのフレーズを使っているため、聞き覚えがある人もいるだろう)

「彼が酒を飲み始めたのは自信が持てなくて、飲めばそれから逃れられるからだった」シャロンが言う。「飲めば自信を持てたのよ。でも、それは自分に返ってくる。病気が進行するにつれ、誰もが酷い状況に陥る。ロクでもないことをしでかして、自分の人生を台無しにするのよ」

オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

Photo by Ross Halfin

オジーが言うには、近年家に閉じこもりがちな理由はあまりに有名になって、駐車場いっぱいの群衆が集まってしまうからではなく、単にもう楽しくないからだ。大抵彼は自宅のテレビでヒストリー・チャンネルを見るか、敷地内を散歩するかしている。
「ショービジネスの業界にはあまり友達がいないんだ」オジーは言う。「自分のことで忙しいんだよ。みんなが集まる場所に行くのも好きじゃない。酒も飲まないし、タバコも吸わない。もうドラッグもやらないし、クソ退屈な人間だよ」

60歳ぐらいの頃、オジーは自動車免許を取ることを決意、フェラーリのコンバーチブル車を買った。ビリー・モリスンの運転でドライブに出かけた彼は高速101号線を飛ばしていたが、ふとコンバーチブルの屋根を閉じようとする。まるでパラシュートのように風を受けてフェラーリは6車線を横滑りして、ビリーが絶叫する中、なんとか付近のガソリンスタンドに辿り着いてシャロンに電話。車を壊してしまったことを告げた。
「オジーと友達でいるのはどんな感じかって、そんな感じだよ」ビリーは笑いながら話す。
「その場には人もいたけど、まさかオジーが76(セブンティシックス)のガソリンスタンドで困った顔をして頭をかいているなんて思わなかったみたいだ。放っておいてくれたよ」

インタビューは3時間目に突入し、オジーはソファで枕を弄びながら、自分がずいぶん話したことに気付く。「これはもう記事ってレベルじゃないだろ」彼は言う。「百科事典を書いてるんじゃないか?」

その健康状態に関する報道を受けて、多くの人がオジーについて知りたがっていると説明すると、彼は「いろんなクソな目に遭ったにしては良くやっている方だよ」と言う。「1年かそこいら前だったら『ダメだこりゃ』って思っただろう。最初の手術で酷い目に遭って、動くことも出来なかったからね」

「裁判を起こす予定よ」シャロンは後に語った。「他の人たちに同じ目に遭って欲しくないからね。まったく悪夢だった。でも私たちはここにいるし、人生はずっと良くなったわ」

オジーはソファで身を乗り出して髪を垂らし、まるでヘッドバンギングを始めるような姿勢を取るが、その代わり後ろ髪をかき上げ、首の付け根にある1インチ半の傷跡を見せる。「しばらくは最悪の状態だったよ」彼は真剣な表情で語る。ただ、彼の人生はコントロール可能のようだ。矯正手術は今のところ成功したように見えるし、パーキンソン病も落ち着いている。1日3回呑んでいる薬のおかげで、前方に腕を出して静止させることも出来る。あとは本格的なライブを出来るように体調を整えるだけだ。

ライブのステージに復帰してから、まだオジーが成し遂げるべきことはあるだろうか?
「爵位、だな」真面目くさった顔で言った後、オジーは爆笑する。「そんなものを授かることはないだろうな、クソくらえだよ」

オジーは立ち上がり、暗闇に消えていく。実際にはベッドルームでもうひと休みするのだが、別れを告げる前、筆者は彼に尋ねてみる。健康問題のことで自己憐憫に陥ることはあるか、それともすべてを受け入れて進んでいくか?
「みんなと変わらないよ」オジーは言う。「ただ死ぬのを拒否するだけだ」

From Rolling Stone US.

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