「The First Time Ever I Saw Your Face」(愛は面影の中に)、「Killing Me Softly With His Song」(やさしく歌って)といった名曲で知られ、4度のグラミー受賞歴を誇るソウル/R&B界の象徴的シンガー、ロバータ・フラック(Roberta Flack)が現地時間2月24日に亡くなった。代理人のエレイン・シュロックによると、心臓発作が死因とされる。
「ロバータは数々の記録を打ち立て、音楽の境界線を押し広げました。また、誇り高い教育者でもありました」と声明は伝えている。

2022年、フラックは筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、歌唱能力を失った。当時、代理人は「この病により、歌うことができなくなり、会話も困難な状態です」と説明している。

ジャーナリストのミカル・ギルモアは追悼文でこう記している。「彼女は叫ぶのではなく、夢見るように歌いました。その静謐さは魂を震わせ、後に『クワイエット・ストーム』として知られるスタイルを確立しています。ロバータ・フラックは従来の歌手たちとは一線を画し、多くの後継者を生み出しました。その影響力は今なお続いています。抑制の効いた歌声で、彼女は心を動かすだけでなく、時代そのものを動かしたのです」。

1939年2月10日、ノースカロライナ州アッシュビルに生まれたフラックは、幼くしてピアノの才能を発揮。教会の聖歌隊で演奏し、ハワード大学で古典音楽を学ぶ奨学金を獲得した。
クラシック音楽は彼女の音楽の礎となり、家族が通っていたAME教会の音楽も、バプティスト教会特有の高揚感のあるゴスペルよりも、ヘンデルやバッハの影響を色濃く受けていた。

「人生の最初の30年間、私はクラシック音楽の世界に生きてきた」と2020年のNPRインタビューでフラックは語った。「そこには、自分を表現するための素晴らしいメロディとハーモニーがあった」。

遅咲きのデビューとブレイクスルー

ハワード大学を卒業後、フラックは進学を予定していたが、父の死により学業を断念し、地元で教職に就くことになった。その後、ワシントンDCのクラブに出演しだすと、バート・バカラックやジョニー・マティスといった著名人が観客として訪れるようになる。30代前半で注目を集めたフラックは、アトランティック・レコードと契約を結び、1969年にデビューアルバム『First Take』をリリースした。

2月、ニューヨークのアトランティック・スタジオで、フラックは『First Take』をわずか10時間で録音。ベーシストのロン・カーターやギタリストのバッキー・ピザレリら実力派ミュージシャンと共演した。このアルバムでは、ジーン・マクダニエルズによる抗議の歌「Compared to What」から1948年のメキシコ映画のバラード「Angelitos Negros」まで、多彩な楽曲を解釈。レナード・コーエンの「Hey, That's No Way to Say Goodbye」の決定的カバーも収録した。

『First Take』は後に傑作として認められることになるが、即座の成功には恵まれなかった。最初のシングル群はチャート入りを逃し、フラックは1970年の『Chapter Two』、1971年の『Quiet Fire』と次作へと歩を進めた。
また、ハワード大学の同級生だったダニー・ハサウェイとデュエット・アルバムを制作し、「You've Lost That Lovin' Feelin'」や「You've Got a Friend」などのポップスタンダードでマイナーヒットを記録した。

フラックの真のブレイクスルーは、クリント・イーストウッドが1971年の映画『恐怖のメロディ』で、『First Take』収録のイワン・マッコール作「The First Time Ever I Saw Your Face」を使用した時に訪れた。この瞑想的な解釈はチャート1位を獲得し、『First Take』も共に上昇。アルバムは1972年4月、リリースから約3年を経てビルボード200(全米アルバムチャート)の頂点に立った。同曲は1973年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞。同年、ハサウェイとの「Where Is the Love」でベスト・ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞も獲得した。

その後数年、フラックの官能的な歌声とピアノはポップラジオの定番となった。「Killing Me Softly With His Song」は1973年に1位を獲得し、1974年のグラミー賞で最優秀レコード賞を獲得。このカテゴリーで2年連続受賞を果たした最初のアーティストとなる。翌年には明るい曲調の「Feel Like Makin' Love」で3作目の1位を記録。ハサウェイとは、時代を代表するR&Bデュエット「Where Is the Love」と「The Closer I Get to You」も残した。

公民権運動や音楽教育にも注力

フラックはクワイエット・ストームR&Bの先駆者として知られるが、フォーク、ロック、ジャズ、R&B、ショーチューン、ソウルを自在に取り入れた演者/解釈者としての才能も特筆に値する。
「私の音楽は、思考から思考へ、感情から感情へと導かれていくの」と彼女は記している。「音符から音符へではなく。各曲で私は自分の物語を誠実に語り、聴く人それぞれがその感情の中に自分の物語を見出せることを願っている」。

フラックは公民権運動後の社会活動にも尽力した。アンジェラ・デイヴィスやジェシー・ジャクソン牧師との親交を持ち、1975年にはボブ・ディランが主催した冤罪のボクサー、ルービン"ハリケーン"カーターのためのベネフィット・コンサートに出演。また、LGBTQの権利擁護者としても知られ、1982年のヒット曲「Making Love」は、既婚男性の性的自己発見を描いた同名映画のために制作された。

80年代以降、フラックは活動ペースを緩めたものの、1983年のピーボ・ブライソンとの「Tonight, I Celebrate My Love」、1988年の「Oasis」、1991年のマキシ・プリーストとの「Set the Night to Music」などで成功を重ねた。10年の教職経験を活かし、ブライソン、ルーサー・ヴァンドロス、マーカス・ミラー、パティ・オースティンら新世代のメンターとしても活躍。晩年は、ブロンクスの子供たちに無償の音楽教育を提供するロバータ・フラック音楽学校を設立し、自身の財団を通じて音楽教育と動物福祉の支援に力を注いだ。

2012年、フラックはザ・ビートルズ楽曲を解釈した最後のアルバム『Let It Be Roberta』をリリース。2018年にはドキュメンタリー『3100: Run and Become』のために「Running」を録音した。

4つのグラミー賞に加え、2020年には生涯功労賞を受賞。
「その場に立つことは圧倒的な体験だった」とフラックは語っている。「多くのアーティストから直接、私の音楽から影響を受けたと聞いた時、深く理解されていると感じた」。

From Rolling Stone US.
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