2022年、フラックは筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、歌唱能力を失った。当時、代理人は「この病により、歌うことができなくなり、会話も困難な状態です」と説明している。
ジャーナリストのミカル・ギルモアは追悼文でこう記している。「彼女は叫ぶのではなく、夢見るように歌いました。その静謐さは魂を震わせ、後に『クワイエット・ストーム』として知られるスタイルを確立しています。ロバータ・フラックは従来の歌手たちとは一線を画し、多くの後継者を生み出しました。その影響力は今なお続いています。抑制の効いた歌声で、彼女は心を動かすだけでなく、時代そのものを動かしたのです」。
1939年2月10日、ノースカロライナ州アッシュビルに生まれたフラックは、幼くしてピアノの才能を発揮。教会の聖歌隊で演奏し、ハワード大学で古典音楽を学ぶ奨学金を獲得した。
「人生の最初の30年間、私はクラシック音楽の世界に生きてきた」と2020年のNPRインタビューでフラックは語った。「そこには、自分を表現するための素晴らしいメロディとハーモニーがあった」。
遅咲きのデビューとブレイクスルー
ハワード大学を卒業後、フラックは進学を予定していたが、父の死により学業を断念し、地元で教職に就くことになった。その後、ワシントンDCのクラブに出演しだすと、バート・バカラックやジョニー・マティスといった著名人が観客として訪れるようになる。30代前半で注目を集めたフラックは、アトランティック・レコードと契約を結び、1969年にデビューアルバム『First Take』をリリースした。
2月、ニューヨークのアトランティック・スタジオで、フラックは『First Take』をわずか10時間で録音。ベーシストのロン・カーターやギタリストのバッキー・ピザレリら実力派ミュージシャンと共演した。このアルバムでは、ジーン・マクダニエルズによる抗議の歌「Compared to What」から1948年のメキシコ映画のバラード「Angelitos Negros」まで、多彩な楽曲を解釈。レナード・コーエンの「Hey, That's No Way to Say Goodbye」の決定的カバーも収録した。
『First Take』は後に傑作として認められることになるが、即座の成功には恵まれなかった。最初のシングル群はチャート入りを逃し、フラックは1970年の『Chapter Two』、1971年の『Quiet Fire』と次作へと歩を進めた。
フラックの真のブレイクスルーは、クリント・イーストウッドが1971年の映画『恐怖のメロディ』で、『First Take』収録のイワン・マッコール作「The First Time Ever I Saw Your Face」を使用した時に訪れた。この瞑想的な解釈はチャート1位を獲得し、『First Take』も共に上昇。アルバムは1972年4月、リリースから約3年を経てビルボード200(全米アルバムチャート)の頂点に立った。同曲は1973年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞。同年、ハサウェイとの「Where Is the Love」でベスト・ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞も獲得した。
その後数年、フラックの官能的な歌声とピアノはポップラジオの定番となった。「Killing Me Softly With His Song」は1973年に1位を獲得し、1974年のグラミー賞で最優秀レコード賞を獲得。このカテゴリーで2年連続受賞を果たした最初のアーティストとなる。翌年には明るい曲調の「Feel Like Makin' Love」で3作目の1位を記録。ハサウェイとは、時代を代表するR&Bデュエット「Where Is the Love」と「The Closer I Get to You」も残した。
公民権運動や音楽教育にも注力
フラックはクワイエット・ストームR&Bの先駆者として知られるが、フォーク、ロック、ジャズ、R&B、ショーチューン、ソウルを自在に取り入れた演者/解釈者としての才能も特筆に値する。
フラックは公民権運動後の社会活動にも尽力した。アンジェラ・デイヴィスやジェシー・ジャクソン牧師との親交を持ち、1975年にはボブ・ディランが主催した冤罪のボクサー、ルービン"ハリケーン"カーターのためのベネフィット・コンサートに出演。また、LGBTQの権利擁護者としても知られ、1982年のヒット曲「Making Love」は、既婚男性の性的自己発見を描いた同名映画のために制作された。
80年代以降、フラックは活動ペースを緩めたものの、1983年のピーボ・ブライソンとの「Tonight, I Celebrate My Love」、1988年の「Oasis」、1991年のマキシ・プリーストとの「Set the Night to Music」などで成功を重ねた。10年の教職経験を活かし、ブライソン、ルーサー・ヴァンドロス、マーカス・ミラー、パティ・オースティンら新世代のメンターとしても活躍。晩年は、ブロンクスの子供たちに無償の音楽教育を提供するロバータ・フラック音楽学校を設立し、自身の財団を通じて音楽教育と動物福祉の支援に力を注いだ。
2012年、フラックはザ・ビートルズ楽曲を解釈した最後のアルバム『Let It Be Roberta』をリリース。2018年にはドキュメンタリー『3100: Run and Become』のために「Running」を録音した。
4つのグラミー賞に加え、2020年には生涯功労賞を受賞。
From Rolling Stone US.