NY発インディー・ロック・バンド、ギース(Geese)が最新アルバム『Getting Killed』をリリースした。来年2月19日(木)・20日(金)には代官山SPACE ODDで来日公演を開催。
革新的な4人組の素顔に迫る。

ブルックリンのレストランで鉄板焼きテーブルを囲みながら、ギースのメンバーは「スタジオで丸一日、手拍子の音を聴くだけで潰した日」の話をしている。最新アルバム『Getting Killed』の制作中、彼らはある曲にその音を取り入れたいと思った。そこでプロデューサーの元ケニー・ビーツことケネス・ブルームがサンプルファイルのフォルダを開いたのだ。

「彼が見せたのは7,000種類ものクラップ(手拍子)音だった」とフロントマンのキャメロン・ウィンターは振り返る。「俺たちは一日中、”理想のクラップ”を選ぶ作業に取り組んだってわけ」

数カ月が経った今もなお、キャメロン、マックス・パッシン(Dr)、エミリー・グリーン(Gt)、ドミニク・ディジェス(Ba)は、当時の執念にも似た探究心を思い返しては呆気にとられている。そして、その努力が最終的にまったく報われなかったことにも。

「その日は家に帰るとき、ちょっと悲しかったわ」とエミリーは言う。

なぜか?──「クラップ探しに時間かけすぎちゃったから!」と彼女は答える。

「肝心の曲作りを忘れてたんだよ」とキャメロンが続ける。

「曲を作るつもりでスタジオに入ったのに、1日が終わって『今日の成果を聴いてみよう』と思ったら、クラップしか入ってなかった」とマックスは言う。

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」

左からドミニク・ディジェス(Ba)、マックス・パッシン(Dr)、キャメロン・ウィンター(Vo, Gt)、エミリー・グリーン(Gt)Photo By Griffin Lotz

彼らがいるのは、パークスロープという落ち着いた住宅街のレストラン。
何人かのメンバーはここで育ち、放課後のロックプログラムで一緒に音楽を始めたのもこの近くだ。現在は全員20代前半。彼らは2016年、まだ高校生だった頃にバンドを結成した。初期デモが複数の大手インディーレーベルによる争奪戦を呼び起こし、大学進学を先送りにするほどだった。そこからニューヨーク発の新星として脚光を浴びたギースは、比類なき独創性で若手バンドの代表格と目されるようになった。

正式なデビュー作となった2021年の『Projector』は、ポストパンクのパスティーシュを詰め込んだ話題作だった。2023年の『3D Country』では、発明的でありながらどこか親しみのあるロックンロールへと堂々たる方向転換を遂げた。キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザード、グレタ・ヴァン・フリート、ヴァンパイア・ウィークエンドのサポートアクトを務めたことで熱心なファン層はいっそう広がり、さらに昨年末にリリースされたキャメロンのソロデビュー作『Heavy Metal』──静謐でありながら驚異的な出来栄え──の予想外の成功も彼らを後押しした。

9月26日にリリースされる『Getting Killed』は、ギースにとって最も強靭なアルバムだ。ドミニクとマックスはより深く、荒々しいグルーヴを刻み、エミリーはギターを安らぎと混沌のあいだで自在に揺らす。そしてキャメロンは──ただひたすら歌う。しなやかで力強い声を駆使し、音楽シーンでもっとも個性的な声と呼べるほどの存在感を示している。


「彼らはジャムバンド的な枠に入れられたり、”ニューヨークの楽器がうまい優等生たち”っていう枠に入れられたりしてきた」とケネス・ブルームは語る。「いろんなレッテルを貼られてきたけど、この作品では全く違うことを示したかったんだ」

ただ、このアルバムが自信に満ちて聴こえる一方で、”クラップ探しの日”の徒労感は、1月初旬にギースがケネス・ブルームと共にロサンゼルスへ飛んだ時点で、すべてがいかに手探り状態だったかを物語っている。ブルームはこれまでにもロック作品を手がけてきたが(アイドルズなど)、一般的にはヴィンス・ステイプルズ、デンゼル・カリー、リコ・ナスティーといったラッパーとの仕事で知られている存在だ。ギースが彼のスタジオに持ち込んだのは20曲ほどのデモだったが、その多くはまだ曲の体を成していなかった。ブルームはそこに「テクスチャー、雰囲気、目的における大きな変化」を感じ取ったが、それをどう実現するかはまったく見えなかった。前例や同世代のバンドとの差異を示そうとする創造的な焦燥に突き動かされながらも、ギースは圧倒的に準備不足で、完全に方向性を見失っていた。そしてその頃、ロサンゼルスは文字通り炎に包まれていたのだ。

「彼らは素晴らしいレコードを作らなきゃってプレッシャーを感じていたのに、その上さらにこれ(火災)が重なったんだから、大変だったよ」とブルームは語る。

1カ月のあいだ、ギースはミッドシティのシェアハウスと、南カリフォルニア大学近くにあるブルームのスタジオを往復し続けた。やることといえば、ひたすら作業に打ち込むことだけ。火災の現場に直接近いわけではなかったが、空は煙に覆われ、ブルームがスタジオに設けた吹き抜けのアトリウムには灰と埃が降り積もっていた。

生粋のニューヨーカーであるメンバーたち。
運転免許を持っている者は一人もいない。ロサンゼルスが”歩いて暮らせる街”でないことは、多くの東海岸出身者が味わう現実だった。

「毎日の歩数が悲惨なことになってたわ」とエミリーがぼやく。

「いやぁ、最高だったよ」とマックス。「Uber大好きだから」

キャメロンは早くスタジオに入りたいときはバスに乗り、ついには悪名高いロサンゼルスの公共交通機関に愛着すら抱くようになった。「ニューヨークのバスよりいいと思うよ」と彼は主張する。「停留所に小さなモニターがあって、何分後に来るか教えてくれるんだ」

シェフが玉ねぎの山に火をつけ、赤ん坊が放尿している形のボトルから油を注いで炎を煽る。鉄板焼きの席は、インタビューで深い話をするにはやや不向きだが、友人どうしで結成されたバンドを観察するには悪くない場所だ。マックスとキャメロンは話し好きで、前者はオープンでにぎやか、後者は誠実さと皮肉を織り交ぜながら慎重に言葉を選ぶ。ドミニクは寡黙だが、発言する時は鋭い。エミリーは率直でありながら、ユーモラスな抑制でバランスを取っている。

彼ら全員に共通しているのは、ニューヨークのバンドにぴったりな、気だるくも自然体な雰囲気だ。
食事の途中でテレビに流れるクイズ番組『ジェパディ!』の問題に気を取られたり、日本の刺身自販機や、汚れたラグを洗うASMR動画といった話題に脱線したりもする。音楽の話題になると、少なくとも語る気になったときのギースは、誠実さと深い思索をにじませた言葉を口にする。

『Getting Killed』の制作は容易ではなかったと、キャメロンは認める。「最後の最後まで不満だらけだった。いや、今もそうかもしれない。アルバム作りって、もしかしたら俺たちにとってはそういうものなんだろうけど、マスタリングが終わるまでずっと”生きながら見る悪夢”みたいな感じなんだ」

「最後の最後まで、力ずくでやってる感じはあるよね」とエミリーも付け加える。

その数分後、キャメロンは冗談めかしながら笑った。「もし将来、勝利のカムバック作を発表したいなら、さっさと駄作を出すことから始めるべきだ」。そしてこう言い放つ──「要は、Wikipediaの”批評的評価(critical reception:主要メディアの点数やレビューをまとめた項目)”のためだけにやってるんだよ」

「あと欠かせないのは、クソみたいに大量のお菓子だな」とマックスが言う。

NYで育まれたバンドの素地

ロックンロールは途方もなく長い時間を生き延び、その間に何度も死んでは蘇ってきた。そのため、どれほど鮮烈なリバイバルであっても、ときに墓荒らしのように映ってしまう。過去の栄光に取り憑かれ、ノスタルジーの罠にハマる危険はいつだってある。
ギースはこれまでに、テレヴィジョンやレッド・ツェッペリン、ザ・ストロークスやローリング・ストーンズディープ・パープルやギャング・オブ・フォーなど、数えきれないほどの偉大なバンドと比較されてきた。しかしロックにおける最高の”盗人”たちと同じように、彼らは観客を惹きつける手がかりを残しつつ、見事に”盗み”をやってのける術を身につけ始めている。

「多くのバンドを思い起こさせる存在でありながら、ノスタルジーに陥らないよう、彼らは本気で戦っていた。ただ、それを言葉で強調する必要はなかった」とブルームは語る。

ギースと親しいスタジオ仲間であり、キャメロンのソロアルバムを共同プロデュースしたローレン・ハンフリーも同じ見解を示す。「彼らは”何か違うことをやりたい”という情熱を持っているんだ」とローレンは言う。「これまで一緒に仕事をしてきたアーティストの大半、立ち会ったセッションのほとんどは、プロダクションがとにかく参照的だった。『ドラムの音をこのレコードとまったく同じにしよう』みたいにね。でも彼らの場合はまったく逆で、何も参照したがらない。そうした姿勢を持つ若者たちと出会えたのはクールな経験だった」

ブルームもまた、『Getting Killed』でのサンプルの使い方について語りながら、ギースが安易なノスタルジーを回避してきたことを指摘する──例えば、『Taxes』におけるマックスのドラムに付加されたヒスノイズや、タイトル曲「Getting Killed」の歪んだギターリフに重ねられたウクライナ合唱のループといった手法のことだ。

「彼らはサンプルを既存の音を補強するために使おうとはしていなかった」とブルームは語る。「むしろ、それに対抗するために使っていたんだ。」

こうした前衛への憧れは、ギースがニューヨークで育ってきた環境と深く結びついているように思える。
バンドのメンバー全員が、ブルックリン・フレンズやリトル・レッド・スクールハウスといった進歩的な学校に通い、音楽に満ちた家庭で育った。エミリーの父は優れたサウンドデザイナーであり、マックスの父は彼が8歳のときに亡くなったが、ワーナー・ミュージック傘下のインディ配給部門、Alternative Distribution Allianceで働いていた。キャメロンの父はプロの作曲家で、制作音楽ライブラリを管理している人物だ。子どもの頃、キャメロンは父から古い録音機材を譲り受け、それを使って曲を作り、厳しくも建設的なアドバイスをもらっていたという。

10代の頃、彼らは放課後の音楽プログラムに参加し、クラシックロックの定番曲を学びつつ、自作曲を書くことを奨励された。ギースの最初の練習やレコーディングは、マックスの自宅の地下室で行われた。2018年から2019年にかけて、彼らはアルバム1枚とEP2枚を自主リリースしており、現在はネット上から削除されているが、高校生としては驚くべき意志と推進力を示していたことは間違いない。

もっとも、ギース自身の記憶は少し違うという。彼らの言葉によれば、その頃は大麻の煙と『マリオパーティ』に包まれ、ゆっくり作業を進めていたらしい。プロジェクターを買ってWiiにつなぐのにお金を使ってしまい、そうしなければ「アルバムを3枚は作っていただろう」とキャメロンは冗談を飛ばす。それでも彼は「いろいろ学んだ」と付け加える。そしてデビュー作『Projector』の制作に取りかかった頃には、ほぼ毎週1曲を仕上げるペースになっていた。

2020年にギースと契約したレーベル、Partisan Recordsの社長/共同設立者のティム・パットナムは、当時の彼らを「若いけど、ちゃんと考えて行動していた」と振り返る。

「彼らがどれほどの速さで芸術的に進化していくかは、一緒に仕事を始めた時点で明白でした。ただ、キャメロンがここまで多作かつ先進的なソングライターであることには理解が及んでいませんでした」と彼はメールで回答している。「『Projector』から『3D Country』、そして『Getting Killed』への創造的飛躍は驚異的なレベルです」

初期のアルバムが「ギースらしくない」というわけではない。だが、それ以降に作った作品とはあまりにも違って聴こえるのは確かだ。「誰も聴かないと思ってたから」とキャメロンは語る。「だから”語り系のポストパンク”にハマっちゃったんだ。結局あれってフォールの焼き直しみたいなもんだしね。悪いわけじゃないけど──俺たちがやったのは、盗作のコピーのファクシミリ版みたいなもんだよ」

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」

2024年12月、ミュージック・ホール・オブ・ウィリアムズバーグのステージに立つギース(Photo By Griffin Lotz)

”明確に出典を示す”ことを嫌う理由を尋ねると、マックスは両手を広げてこう言った。「俺たちのことを、アホな連中は「”マトモになったグレタ・ヴァン・フリート”みたいなバンド」と言ってくるけど、こっちは『いったい何を聴いてんだ?』って感じだよ」(念のためはっきりさせておくと、これは元ツアーメイトであるGVFへの悪口ではなく、彼らを貶そうとする連中への皮肉だ)

キャメロンも同様のノリで付け加える。「前作『3D Country』は、以前の自分たちからできるだけ遠くに逃げることがテーマだった。俺たち自身にうんざりしてたからね。『このままじゃダメだ。もっと違う音楽をパクらなきゃ!』って決めたんだ」

では『Getting Killed』で最も”パクった”のは誰なのか?

マックスは少し間を置いてから答える。「えーっと、ベートーヴェンかな」

「ラヴェルだね」とキャメロン。

「最近はGooseをよく聴いてるよ」とマックスが茶化す(名前がややこしい同名ジャムバンドを踏まえたジョーク)

キャメロンは ”Cheese Boys” や ”Cornbread Sally” といった架空のバンド名を並べて冗談を続けたが、そのやり取りを遮るように、エミリーが率直に答えた──「『Heavy Metal』かな」

キャメロンのソロ作『Heavy Metal』がもたらしたもの

キャメロンがソロデビュー作に取りかかったのは2023年7月、『3D Country』のリリースからわずか1カ月後のことだった。同時にそれは、バンドにとって長い停滞期の真っ只中でもあった。彼はそれを「俺たちにとっての ”失われた週末” 」と冗談交じりに呼ぶ。

『3D Country』の大部分は2022年前半に録音され、その後ギースはツアーを重ねたが、同時に家で過ごす時間も長かった。マックスはテレビゲームに熱中し、ドミニクはレストランで働き、エミリーはコロンビア大学で授業を受けていた。そして、キャメロンはソロ曲の作曲を始めた。

「正直、鬱だった」と彼は言う。「何も起こらなかった。『3D Country』はまだ出てなかったし、バンドのことを気にかけてくれる人もほとんどいなかった。ツアーはたくさんやったけど、その成果らしいものは得られなかった。少なくとも自分の中では足りてなかった。だから、とにかく曲を作ろうと思ったんだ」

2023年の夏を通してアルバム制作は続き、ツアーの合間にローレン・ハンフリーと再びタッグを組み、数カ月かけて完成させた。キャメロンは『Heavy Metal』について小さな伝説を語りたがる。ニューヨーク市内のギターセンターで録音した部分があり、5歳のベーシストやボストン出身の鉄鋼労働者がチェロで参加したと。しかし実際の大部分はローレンのスタジオで制作された。そのスタジオはニューヨーク州タキシードにある元邸宅のゲストハウスにあり、第二次世界大戦中に秘密裏に新しいレーダー技術が開発された場所でもある。

ピアノやアコースティック・ギター、木管楽器やホーンが作り出す温かくも風変わりなうねりに満ちた『Heavy Metal』は、ギースのエネルギッシュなロックとはまるで違う作品だった。しかもそれは、ローレンの見立てでは、レーベルが期待していた”トラディショナルなシンガーソングライター作品”でもなかった。キャメロンは『Heavy Metal』を提出した際にどれほど否定的な反応を受けたかを語っている。彼は以前、初期のプレスリリースに載った「僕は若く、親と暮らすことを恐れていない」というコメントについて、「『Heavy Metal』は”君を親元から自立させるアルバムじゃない”」と言い放ったレーベル幹部への皮肉だったことを認めている。

ローレンはキャメロンの言葉を裏付ける。「彼が言ってるのは本当だよ。それもたぶん10倍くらい。本当にキツかったんだ」

一方、ティム・パットナムは『Heavy Metal』を、今では「キャメロンにとって、もうひとつの進化のステップ」と位置付けている。「彼はクリエイティブで大胆な一歩を踏み出しました。そこは非常に脆く繊細になりやすい領域でしたが、彼が身近な人たちにその音楽を聴かせ始めたとき、多方面から好意的な反応があったんです」と彼は付け加える。

Partisanの社長であるティムは、レーベル運営において常にそうであるように、このアルバムも「アートと商業性のはざま」というややこしい言葉で語られていたことを認める。そして、不用意に口にした一言で揉めてしまったのを、今では悔いているように聞こえる。

「キャメロンが最終マスターを提出したあと、私は商業的な観点だけで言えば、”親元を離れるためのアルバムになるかどうかはわからない”と冗談を言ってしまったんです」とパットナムは記す。「それに対してキャメロンは『商業性を意識してこのアルバムを作ったわけじゃない。本物が求められてるんだ』と言ってました。実際、彼はいま新しいアパートで暮らしていますし、彼の言う通りでした。彼はほかの音楽と同じように自分自身を注ぎ込み、すべてをさらけ出してこのレコードを作った。そして8カ月後にはカーネギーホールをソールドアウトさせた。その反響を目の当たりにするのは、本当に驚くべきことでした」

この一連の経験を通して、キャメロンは「バンドの仲間がいつも支えてくれた。それがすごく大事だった」と語る。マックスも『Heavy Metal』について「いつもそこにあった渇望を満たしてくれたんだと思う」と話している。

それでも、2024年12月初めに『Heavy Metal』がリリースされた直後の数週間、ちょうどギースがロサンゼルスへ向かう準備をしていた頃は「正直ひどい状況だった」とキャメロンは振り返る。「クリスマスシーズンで、誰も気にしちゃいなかった。レビューも出てこないし、正直かなりガッカリした。だからギースのセッションに入るときは『ここで挽回して、できる限り逆の方向へ突っ走るチャンスだ』って気持ちだったんだ」

ところがすぐに、『Heavy Metal』へのレビューが出始め、それは概ね絶賛だった。ブルームは、バンドが一緒に喜んでいた光景を覚えている。「みんなで輪になって『よっしゃあ!』って盛り上がってたんだ。彼らには強い絆と愛情があるんだよ」

Luminateが提供したデータによると、『Heavy Metal』はリリース以降、8月21日までに1400万回以上ストリーミングされている。しかも週ごとのストリーミング数がピークに達したのはリリース直後ではなく今年4月初旬で、そのときに約55万6000回を記録。現在でも週あたり43万~47万回のペースで再生され続けている。キャメロンはソロとしても数々の公演をソールドアウトさせ、会場規模も拡大し続けており、前述のカーネギーホール公演も12月に控えている。

口コミでのヒットとなったこのアルバムは、『Getting Killed』のセッションが終わる頃には業界の空気まで変えていたとブルームは語る。「連絡をよこす人たちが出てきたんだ。俺に会いたかっただけじゃないってすぐわかったね」と彼は笑う。「友人とか尊敬する同業者じゃなくて、大物の業界幹部たちが『ギースを聴きに行きたい』って言ってきたんだ。俺は『最高じゃん!』って。アルバム制作の最中にすべてが変わっていったんだ」

ローレンによれば、『Heavy Metal』を制作していたとき、彼とキャメロンは「本当に行き当たりばったりに聴こえるように──あたかも大勢が同じ部屋で一斉に演奏しているように──仕上げたかった」という。実際には二人きりのことが多かったにもかかわらずだ。「絶対に実現できないことをあえて目指すことで、特別なものが生まれるんじゃないかと思ったんだ」と彼は付け加える。

一方、『Getting Killed』では実際に大勢が同じ部屋に集まり、その場を最大限に活かした。「多くのパートは30分のジャムから生まれたんだ」とドミニクは語る。

2023年末に元メンバーのフォスター・ハドソンが脱退して以来、ギターを担当することが増えたキャメロンは、今回のアルバムで出来上がったアンバランスな楽器編成を気に入っている。エミリーがギタリストとしてあまりに正確だからこそ、自分には「思いっきりプロっぽくなくてもいい、っていう免罪符がある」と冗談めかして言う。

『Heavy Metal』から『Getting Killed』に何を持ち込んだのかと尋ねられると、キャメロンは「アイデアを与えてくれた」とだけ答え、それ以上語ろうとしない。

だが幸いにも、マックスとエミリーが補足してくれる。マックス曰く、ソロアルバムの経験は「キャメロンがスタジオで何がうまくいって、何がダメなのかを把握する助けになった」。そしてエミリーは「彼をより良いシンガーにした」と付け加える。

「そうだな」とキャメロンは認める。「まあ、多くの人は同意しないかもしれないけどね」

キャメロンの声は、まさに評価が分かれるタイプだ。驚くほど変幻自在で、響きがあり、使い古されたようでいて遊び心もある。柔らかなファルセットの雲を漂うこともできれば、砂利の上を擦るように荒々しく響かせることもできる。ローレンはさらに、キャメロンが声を「意図的に作り込む」ことによって、「より感情的に響く」瞬間を生み出せる点を指摘する。たとえば『Getting Killed』のラスト曲「Long Island City Here I Come」では、わずか2行の歌詞の中で、遠吠えが嘲笑に変わり、やがて嘆きに変わっていく。〈彼は言った。ヨーヨーで吊るしてくれ/縄で吊ってくれ、どうせ首を吊るのは同じことさ〉”

こうしたパフォーマンスを実現するには、試行錯誤にすべてを捧げる必要があった。キャメロンは「1テイク目か2テイク目か、あるいは47テイク目でようやく正解が出る」と語る。ローレンは『Heavy Metal』の制作を「キャメロンが同じ曲を1000回歌って、最終的なテイクを歌った”別人”に到達するまで自分をすり減らしていったプロセス」と要約する。

現在もキャメロンは、ブルックリンの実家にある自分の子ども部屋でボーカル録音の大半を行っている。これほど苛酷な作業を行うにあたって、その場所は特別な安心感を与えてくれるのか、と筆者は尋ねた。

「いや、安心感っていうより便利なんだよ」とキャメロンは笑う。「親も俺が叫んでても気にしないからね」

ミスを尊ぶ完璧主義

次にギースと会ったとき、彼らはブルックリンのダイブバーでサンドイッチとビール、お気に入りの飲み物であるシャーリー・テンプルを注文していた。メンバーたちは最新シングル「Trinidad」が数多くのストリーミング・プレイリストに追加されていることに驚きの表情を見せる。「今までこんなことはなかった」とドミニクは言う。

これは、散々だった週末のショーの後に舞い込んだうれしい知らせだった。彼らのニューポート・フォーク・フェスティバルでのセットは、悪天候のため3曲で打ち切られてしまったのだ(あるいは、ほぼ確実に作り話めいたロックンロール的陰謀論を信じたいなら──「ジェフ・トゥイーディ(ウィルコ)が斧を持って俺たちの音を切ろうとしたんだ」とキャメロンは冗談を飛ばす)。その後、彼らは別のフェスに出演するためヴァージニアへ飛んだが、灼熱の暑さの中で演奏はうまく受け入れられなかった。

「たぶん、名前が似ている別のバンドと間違われたんじゃないかな」とキャメロンは気を遣うように言う。「ジャム系フェスだったしね」

数週間後には、ギースは再びロサンゼルスに戻り、ブルームとの追加セッションに臨む予定だ。それが『Getting Killed』のデラックス版のためなのか、それとも新しいアルバムのためなのか、彼らは明かさない。さらに言えば、この新しいセッションは『Heavy Metal』の成功や『Getting Killed』への期待の高まりの中で、ギースが創作の好調期に入ったことを必ずしも意味するものではない。

「むしろ最初の仕上がりに対して修正を加えるって感じだよ」とキャメロンは言う。

「今度こそ完全に仕留めてやるわ」とエミリーが付け加える。

「これまではアルバムを作り終えるたびに、『もう一度作り直せ』って電話がかかってきたんだ」とキャメロンは続ける。「だからいつも必死で”作り直し”を阻止しなきゃならなかった。でも今回はみんな『素晴らしい!そのまま出そう!』と言ってくるから逆に怪しかったよ。『ああ、俺たち落ちぶれたんだな。昔はクールだったのに、いまはただの”製品”を作ってるだけだ』ってね」

ブルームがギースと初めて会ったのは昨年秋、Austin City Limitsフェスのバックステージ──ボングの煙に満ちた楽屋だった。そのとき、バンドを口説く決め手になったかもしれない一言を彼は思い出す。「俺はミスに強く惹かれるんだ」

キャメロンは「”不完全さを残そう”って言えば済む話だろ」と冷静につっこむが、「その心持ちはありがたかった」と認める。

たしかに、『Getting Killed』はミスで溢れている。カオティックなギターの軋みから、曲のリズムを崩してしまう酔っ払いのようなハイハットの叩き方まで。マックスが言うように、彼らは楽曲を「予測不能に感じられるもの」にしたかった。しかし、そのためには緻密な完璧主義と、16時間に及ぶ長時間作業を繰り返すことが必要だった。ブルームが「ギースが本当に楽しんでいる」と感じられるようになったのは、録音を始めて2週間経ってからのことだった。

「曲がちゃんといいものになってるのか、そればかり心配だったんだ」とキャメロンがある晩、ブルームに漏らしたことを彼は覚えている。身長190センチを超えるその体をコントロールルームのソファに投げ出し、動けないほど疲れ切っていた。

バンドがロサンゼルスを離れたあとも、作業は止まらなかった。ある日、様子を確認しようとブルームがキャメロンに電話をすると、彼はパニック発作で病院から戻ったばかりだと告げた。

「俺は『ブラザー、少し休まなきゃダメだ』って言ったんだ。でもキャメロンはマスタリングが終わるまで一度も休まなかった。それどころか、その後4日間はマスターに関する修正ノートを送り続けてきたんだよ」とブルームは語る。

この件についてさらに話したいかと尋ねると、キャメロンは首を振り、こう言うだけだった。「野菜を食べろ。マルチビタミンを飲め」

友人をフォローするように、マックスが付け加える。「フリントストーンのグミビタミンは体にいいぞ。でも食べすぎるなよ」

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」

Photo by Mark Sommerfeld

結成10年、若きバンドが思い描く未来

ギースが筆者の前で最も熱心に語り合ったのは、2度目のインタビューを終えて帰ろうとしていたときだった。キャメロンがスマホを見て突然叫ぶ。「新しい電車ができるぞ!」生粋の都会っ子であるメンバーたちは、彼が説明するインターバロー・エクスプレス──2030年代初頭にブルックリンとクイーンズの外縁を結ぶ予定のライトレール──の話に夢中になって耳を傾け、盛り上がる。

もうひとつ、彼らの熱を帯びていた議論は──残念ながらここには書けない。バーの裏庭で、午後の太陽が高く輝き、シャーリー・テンプルのグラスから水滴が滴り落ちる中、マックスとドミニクがジョイントを回しながら、キャメロンが思いついたギター用の新しいライブ機材のアイデアを語り出したのだ。

「ここはカットして。誰にも真似されたくないんだ」と彼は念を押す。

詳しい技術的な話は筆者には難しすぎて理解できなかったが、キャメロンが説明を続けると、エミリー、ドミニク、マックスは真剣に聞き入り「うおー!」「マジかよ!」と反応しながら、自分たちのアイデアも加えていった。筆者は思わず「今日一番みんなが生き生きしてるね」と口にする。

「そりゃ楽しい部分だからな」とキャメロンは笑う。

「もしこういうのを楽しめなかったら、ただ惨めなだけになっちゃう。ずっと惨めな気分でいなきゃいけないもの」とエミリーも続ける。

ギースはもうすぐ結成10年。仲違いの乗り越え方も、2カ月間バンで一緒に過ごす方法も身につけてきた。そして今は、それぞれが街のあちこちに散らばって暮らしている。ドミニクは現在もマンハッタンのアッパー・ウエストサイドに住み続け、キャメロンはブルックリンのベッドスタイに腰を落ち着け、マックスとエミリーはクイーンズのリッジウッドに家を見つけた。ライブや練習で顔を合わせることはあるが、以前ほど頻繁に遊ぶわけではなくなった。

「私の人生には、この3人では満たせない部分がたくさんある」とエミリーは言う。

「その通り」とマックスが応じる。「仲が良いのはありがたいけど、やっぱり仕事とプライベートは分かれてる感じがするよ」

キャメロン自身のブレイクスルーを踏まえると、この話はより示唆的に聞こえる。ロックンロールにおいて”フロントマンがソロで飛躍する”以上に典型的な物語はないが、ギースはそれをバンド全体の成功としてしか見ていないようだ。

「”圧倒的カリスマのフロントマンがいて、他のメンバーもそこそこクール”みたいなバンドじゃない」とブルームは言う。「4人全員がぶっ飛んだ天才なんだ。そのことを世間が思い知る日が待ち遠しいよ」

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」
Geese in Red Hook, Brooklyn on August 1st, 2025.

Photo By Griffin Lotz

From Rolling Stone US.

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」
Getting Killed | Geese

Geese
『Getting Killed』
発売中
配信:https://virginmusic.lnk.to/Geese_GettingKilled

Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」
画像

Geese来日公演
2026年年2月19日(木)・20日(金)代官山SPACE ODD
チケット:¥6,000(税込・1Drink別)
詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/geese25/
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